鬼ごっこ
「うらああぁぁぁぁぁぁぁ‼︎‼︎」
ヒャクリキは咆哮と共に、手にしたウォーハンマーを思い切り振り抜いた。
ウォーハンマーの鎚頭が、角鬼の“戦士”が棍棒のような武器を握っているその手を的確にとらえて、見事命中した。
“戦士”の大きな手が、まるで破裂したかのような音を立てて武器の柄ごと吹き飛ばされ、その形を無惨なものに変える。派手にへし折れた棍棒のような大きな武器は投げ出されて宙を舞い、明後日の方向へ飛んで行った。
武器を握っていた“戦士”のゴツゴツとした手は、そこに生えていた太い指が何本か削ぎ飛ばされ、肉の断面と折れた骨が剥き出しになっている。かろうじて手に残った指も、本来曲がってはいけない方向に折れ曲がって、まるで禍々しい花を咲かせた植物のように、歪な輪郭を描いていた。
「グヨゥウウアアァァァァ‼︎」
“戦士”は無事な方の手で傷口を抑えながら痛みに悲鳴を上げるが、ヒャクリキは返す刀ならぬ返すウォーハンマーで、間髪入れずに“戦士”の頭部を殴りつける。
ウォーハンマーの鎚頭は、今度は“戦士”が被っている大型の生物の頭蓋骨を突き破って、“戦士”の頭部の半分ほどまで、深々とめり込んだ。
その途端に“戦士”の鳴き声と動きがピタリと止まり、少しの間が空いた後、その巨体が崩れ落ちる。
さらに続けて休む間も無く、ヒャクリキはまわりを囲んでいる角鬼たちを次々と殴り飛ばしていく。角鬼たちはウォーハンマーの鎚頭が衝突する衝撃によって、その小さい体をまるで滑稽な寸劇のワンシーンのように吹き飛ばされ、無惨な死体へと変化しては床に転がっていった。
しかし殴り飛ばしても殴り飛ばしても、死体と化した角鬼を踏みつけて、新たな角鬼が次々とヒャクリキに襲いかかって来る。
ヒャクリキのまわりを、大勢の角鬼たちが囲んでいた。
ヒャクリキがしばらく前に通路を抜けて踏み込んだ、やや広い空間で待ち構えていた“戦士”の相手をしているうちに、その空間は大勢の角鬼たちで埋め尽くされていた。
結局ヒャクリキは角鬼たちの、そのあまりに執念深い追跡を振り切る事ができないまま捕捉されてしまい、ついには数体の“戦士”を含む角鬼の集団に取り囲まれてしまっていたのだった。
通路を逃げていた時と違い、角鬼たちには仲間が死んでもまるで怯む様子が見られない。ヒャクリキを取り囲む事ができている今の状況が、数に物を言わせて揉み潰せるチャンスだと、そう角鬼たちは考えているのだろう。
視界が狭い。
バシネットの面当てを下ろしているので、その不気味な仮面のような意匠の、目にあたる部分に開けられた覗き穴から視認できる視界はかなり狭く、面当てを上げている時に比べると、顔の前が塞がっているので呼吸もスムーズにはできない。
しかしヒャクリキはそれには慣れっこだった。彼は無意識のうちに、息があがらないように呼吸を整え、無理な動きをしないように全身の神経に意識の流れを行き渡らせ、体の動きを完璧にコントロールしている。
彼が今注意するべきは、数体の角鬼に一斉に取り付かれて動きを封じられてしまわない事、視界の外からの「無意識の一撃」をもらわない事だった。
一箇所に留まる事なく、常に移動する事を意識しながら、ヒャクリキはウォーハンマーを振るい続ける。
何度も、何度も、何度も、何度も、
狙い通りに一撃で急所をとらえられるように、可能な限りウォーハンマーをコンパクトに、無駄なく振り抜けるように。
これまでの鍛錬で何百万回と繰り返した頭の中の素振りのイメージに、ヒャクリキは自身の体の動きを重ねていく。
防御する事など許さない。
想像を絶する鍛錬の積み重ねによって研ぎ澄まされた一振りの前では、技術の欠片もない角鬼の防御は、事実、まるで意味を為さなかった。
それは相手が体躯の大きな“戦士”であっても変わらない。
ヒャクリキのまるで荒れ狂う暴風のような攻撃の前に、角鬼たちは接近する事すら許されず、間合いに入った者から次々に殴り飛ばされ、動かない肉の塊へと変化していく。
群がる角鬼たちをウォーハンマーの攻撃で掻き分けるようにして、ヒャクリキはジリジリと地上へ向かう方向へ進もうとしていた。
空間はまるで吹き抜けのように、天井高く縦方向にも広がっていた。ヒャクリキは大人の身長三人分ほどの高さで一段高くなっている層へ、まるで階段のように切り出された石の段が続いているのを見つけると、そこへ向かって立ち塞がる角鬼たちを“擦り潰し”ながら進み始める。
石段へ到達しようと焦ったせいで、ヒャクリキの意識が緩んだのだろうか。1体の角鬼がヒャクリキの死角から背中に取り付いてきた。手に持ったナイフのような石器でヒャクリキの首をかき切ろうとしているのか、背中を必死によじ登ろうとしているのが、背中越しに伝わってくる。
ヒャクリキはやや上体を倒して前傾すると、その勢いで右肩を乗り越えた角鬼の頭部、その顔を、空いている左手で鷲掴みにした。
そして五本の指に思い切り力を込めて、左手を握り込む。
指先が角鬼の木製の薄い仮面を容易く割って突き破り、掌に吸い付けるかのようにして、角鬼の顔を手の中にガッチリと固定する。
角鬼は顔面を襲ってくる痛みと恐怖に、ヒャクリキの背中で暴れ始めた。
しかしその抵抗も虚しく、ヒャクリキの左手の人差し指と中指が、角鬼の眼窩にずぶりとめり込んだかと思うと、一拍置いて、角鬼の顔は仮面ごと、ぐしゃりと鈍い音を立てて潰れてしまった。
暴れていた角鬼が大人しくなる。ヒャクリキがはめている革手袋が、角鬼の赤い血で濡れていく。
ヒャクリキはそのまま左手を握り込んで角鬼の潰れた顔を掴んだまま、動かなくなった角鬼の体を背中から引き剥がすと、前方へ向けて思い切り放り投げた。
目の前に転がった無惨な仲間の死体を目の当たりにして、角鬼たちの攻撃が止んだ。
仮面を被ってはいても、角鬼たちの全身から恐怖の感情が滲み出ている。
ヒャクリキはその一瞬の隙を突いて駆け出すと、石の段の前に立っていた角鬼に向かって跳躍し、その顔面を踏みつけながら、首尾よく最初の一段に足をかける事に成功した。
あとは階段を駆け上がるかのように軽快に石の段を登っていく。角鬼たちは慌ててまたヒャクリキを追いかけ始めるが、石段の一段一段はそれなりの高さがあり、小さな体の角鬼たちでは、ヒャクリキのように階段を駆け上がるかのような登り方はできないようだった。
これでまた距離が稼げる。
そう思ったヒャクリキは、今が好機とばかりに両足に交互に力を込めて、石段を登っていく。石段は空間の壁に沿って、径の大きな螺旋階段のように切り出されていた。
ヒャクリキが、石段が途切れて一段高い層へ到達する場所へ差し掛かろうとしたその時だった。
大きな鳴き声が近付いて来る事に気づいて後ろを見ると、角鬼の“戦士”がヒャクリキと同じく、階段を駆け上がるかのようにして追って来るのが見えた。それも2体続けてだ。
さらには角鬼たちも、石段をよじ登り、またよじ登ろうとしている仲間を踏みつけたりしながら、“戦士”の後に続こうと、わらわらと追いかけて来ている。
それを見て、そのしつこさにうんざりする感情と同時に、ヒャクリキの頭に閃きが疾った。
“戦士”の1体目がヒャクリキに迫る。ヒャクリキは大きな体を足元の石段にへばりつくようにしてかがめながら、大きな棍棒を振り上げて殴りかかろうとしてきた“戦士”の懐に潜りこんだ。
そして頭上から振り下ろされる大雑把な一撃を躱しつつ、“戦士”の腹と腰の辺りに、軽く体当たりしながら自分の肩と背中を密着させる。ヒャクリキにぶつかった“戦士”は、振り下ろした一撃の勢い余って、かがんだ体勢のヒャクリキに覆いかぶさるような状態になった。
その瞬間、ヒャクリキは両足に思い切り力を込めて地面を蹴るようにして押し出すと、“戦士”の巨体をまるで肩車するかのように、思い切り持ち上げる。
そしてその勢いのまま、石段を登る順番待ちをしている角鬼たちが固まっている下の階層に向かって、“戦士”を投げ捨てた。
大人の身長三人分ほどの高低差を落下した“戦士”の巨体は、哀れな数体の角鬼たちを押し潰しながら地面と派手に衝突し、動かなくなった。死んだかどうかは分からないが、少なくとも気絶はしているだろう。
間髪入れずに“戦士”の2体目が襲いかかってくる。2体目は棍棒ではなく、鉈のような武器を持っていた。“戦士”はヒャクリキ目がけて、横薙ぎにその武器を振るって来た。
ヒャクリキは今度は跳躍してその攻撃を躱す。階段状の石段の上側という、座標的に優位な位置にいるので、下側からの横薙ぎを躱すのは簡単な事だった。
そして跳躍の落下の勢いそのままに、ウォーハンマーを振り下ろす。がら空きの“戦士”の頭部にウォーハンマーの鎚頭がめり込み、“戦士”が被っている頭蓋骨が派手に砕けて破片が飛び散った。
頭部に致命的な一撃を受けた“戦士”の巨体は、動きを止めて棒立ちになる。ヒャクリキは“戦士”の大きな体を、下へと向かう階段状の石段が並ぶ方向に向かって、足の裏で思い切り蹴り飛ばした。
“戦士”の大きな体は階段を勢いよく転げ落ちていく。石段を登って来ようとしていた角鬼たちは、上から転がってくるそれに巻き込まれて、押し潰されたり弾き飛ばされて下の階層に落下したりしていった。
ヒャクリキはその様子を見届ける事もなく、踵を返して石段を登り切るとまた地上へ向かって走り出す。
あれで角鬼たちが追跡を諦めるわけもなく、またすぐに追いかけて来るだろう。
(しかし……思っていたほどでは無いな。おそらく、かなり若いヤツばかりなんだろう)
ヒャクリキは走りながら、頭の中で先ほどまでの“戦士”との戦いを反芻しながら、そう考える。彼の記憶の中の“戦士”は、間違い無くもっと強かった。
確かにあの怪力と巨体とそれに似合わない素早さは記憶のままだが、攻撃は単調に過ぎるし、武器の扱いがお粗末過ぎる。
戦闘中の立ち回りも稚拙だ。攻防の切り替えも何もあったものではなく、そのためヒャクリキが攻撃する側にまわると、その攻撃をまともに防御できないようだった。
角鬼たちの“氏族”はかなりの規模のようだが、おそらくはその規模になってからまだ日が浅いのだろう。その見た目からも、あまり年齢を重ねていないであろうと判別できる個体が多いような気がする。
ふとヒャクリキの頭に、逃走中に飛び込んだあの部屋の光景が浮かび上がる。
あの部屋の邪神像の前に座っていた“戦士”と同じくらいの体の大きさの角鬼。
その角鬼の、まるで玉座に座る王様のような雰囲気。
あれは一体何だったのか?
そんな事を考えながら走るヒャクリキの目の前に、しばらくするとゴツゴツとした岩肌の壁が立ちはだかった。
ヒャクリキは足を止めると、バシネットの面当てを上げる。それからゆっくりと視線を上に移動させてその壁を見上げた。
断崖絶壁とでもいうべき、切り立った岩の壁だ。大人の身長六、七人分ほどの高さまで伸びて、そこで途切れている。かなりの高さだ。
ヒャクリキの頭の中の地図では、ここを登ったあの壁の切れ目が、“首の無い女神像”がある崖のはずだった。
本来はその崖の上に通じる迂回路があるし、そこを通ってヒャクリキはダンジョン深部へ潜ったのだが、そちらのルートを通れなかった今、ヒャクリキに選択できる行動は一つだけである。
(登るしかないか……この断崖絶壁を)
まごまごしていると、また角鬼たちに追いつかれてしまう。
ヒャクリキは覚悟を決めると、頭上にある岩肌から飛び出ている出っ張りに手を伸ばし、指先に力を込めて出っ張りの端に引っ掛けた。