喝采と動揺、表裏一体
観覧席は、そこに居る者たちの慌ただしい動きで騒然としていた。
観覧席の広いスペースにゆったりと余裕を持って並べられていた、関係者用の席はバルコニーの端まで寄せられ、バルコニーの中に空けられたスペースには、1階の事務局から机やクリスタルモニターが次々と運び込まれている。
他にも様々な魔導具や、それらを操作する装置を設置しようとしているのだろう。魔導協会の技術者と思われる者たちが慌ただしく部屋を出たり入ったりしながら、動き回っていた。
さらに運営のスタッフたちが数人がかりで、観覧席入り口付近の壁に、大会で攻略中のダンジョン内の構造を図にした、地図というか見取り図のようなものを貼り出そうとしている。
“大攻勢”発生の予兆が確認されるやいなや、カーモーフ会長の号令一下、観覧席であるバルコニーは数分足らずで即席の大会運営事務局へと、姿を変えつつあった。
観覧席で観戦していた運営側の主要な関係者たちが、バルコニーから1階の事務局に移動する事もできたのだが、それでは広場の様子を同時に確認することができない。
それを嫌ったカーモーフ会長を始めとする首脳陣たちは、このバルコニーから運営に関する指示を各方面へダイレクトに出せるようにしたかったらしく、結果、このような措置が取られたのだった。
バルコニーの隅の方では、チェイミー卿がドラセルオードの街の警備隊長らしき人物を含む数名と、立ったまま何やら深刻な表情で相談している。
さらにはルナルドが運営のスタッフや会場に出店している商会の関係者たちと一箇所に固まって、同じように何か話しているのも見える。
カーモーフ会長やブランドン、マンチェットなど、運営に携わる者たちはクリスタルモニターが置かれた机の近くに集まり、冒険者たちと角鬼の大軍勢の動向を追っているようだった。
招待されたマーテルや、運営にタッチしていない出資者たちは、バルコニーの手すりの傍に寄せられた椅子に座ったまま、その慌ただしい様子をただ見守っている。
「各チームの現在位置は把握できたか?最終地点からそれぞれの距離はどれくらい離れている?」
カーモーフ会長が、クリスタルモニターの前で画面を覗き込んでいる担当のスタッフに尋ねた。
「先行している数チームはそれぞれが、例の大空間に割と近い距離まで迫っています。ただ、後発の《フェイタル・エクスキューション》、《ハイカイ・メキシキーセ》、《サファイアン・レイジ》の3組の位置が、未だ特定できておりません」
担当者が答える。新たに持ち込まれた3つのクリスタルモニターそれぞれの前に座る担当者からの情報を頼りに、壁に張り出されたダンジョンの見取り図に、チーム名が書かれた紙をピン留めして、各チームの大体の位置が示される。
「角鬼の大集団の位置も割り出すのだ!各チームからどれだけ離れているのか、どれくらい接触までの時間が稼げそうか、一刻も早く見通しを立てねばならん!」
カーモーフ会長が担当者に支持する声は、真剣そのものだ。その指示を受けて、「隠者の眼」がとらえた角鬼の軍勢の大まかな位置が割り出され、それも色付きの紙を凸の形に切り抜いたものでピン留めされて、見取り図に表示される。
「角鬼どもは入口から最終地点の、およそ中間あたりに出現したのか。それにしても、あれだけの数が、一体どこに隠れていたというのだ」
真剣なカーモーフ会長の声からは、彼の焦りも明確に聞き取れる。
無理もない。
“大攻勢”の発生がほぼ確実となっている現在、運営側の者たちが恐れている最悪のシナリオは、角鬼の軍勢に冒険者たちが揉み潰され、各個撃破されて相次いで全滅し、大会そのものが不成立になってしまう事だった。
そうなれば、“放送事故”どころでは済まない。
過去最大の規模で開催されたイベントが瓦解してしまうなど、運営委員会の信用が失墜するだけでなく、大多数のドラセルオード市民からの支持を“ダンジョンコンクエスト”が失ってしまう事さえも、充分に考えられる。
「おそらくは、我々も発見できていない迂回路があるのではないかと考えられます。イベントの進行時間などを考慮して最終地点を設定しましたが、あのダンジョンはさらに深く、複雑に拡がっている可能性が有るという事でしょう」
ブランドンが考えを述べる。
張り出された見取り図と、覗き込んでいるクリスタルモニターの画面とを交互に見ている彼の眼光は、いつにも増して鋭いものへと変わっていた。
「観客はまだこの事態を知らないが、アナウンスするべきなのだろうか?ええい!アナウンスするとして、一体どのタイミングですれば良いと言うのだ‼︎」
カーモーフ会長は頭を抱える仕草で、総責任者として追い詰められた彼の心境を表現する。
おそらく会場に居る観客たちは、角鬼の“戦士”を次々と撃破していく冒険者の活躍に沸き立つばかりで、その冒険者たちに未曾有の危機が迫っているなどとは思ってもみないだろう。
《ドラセルオード・チャンピオンシップ》は、過去最高の盛り上がりを見せているその一枚裏側で、過去最大級のピンチを迎えていた。
「……提案があるのですが、お聞きいただけますか?会長」
ブランドンが真剣な表情でカーモーフ会長に話しかける。下を向いていた顔をブランドンに向けることで、カーモーフ会長は続けるようブランドンに促す。
「事ここに至っては是非もありません。冒険者たちを合流させて、少しでも戦力を集中させる必要が有ると、私は考えます。冒険者たちが合流する目標地点を決めて、そこへ彼らを誘導することで戦力を束ね、“大攻勢”を迎え撃つより他に、手が無いのではないでしょうか?」
「伝説」の冒険者であり、今大会のオブザーバーでもあるブランドンの、このタイミングでの提案は、おそらくカーモーフ会長にとっては天からの啓示にも等しいと思われた。
「うむ!確かに、それしか無い、それしか無いだろう!よし、そうと決まれば、早速各チームに状況を伝えて、誘導を開始するのだ!合わせて実況から、会場の観客たちにもアナウンスするぞ!急げ‼︎急ぐのだ‼︎」
鬼気迫る表情で、カーモーフ会長は指示を飛ばす。指示を受けて、観覧席の騒々しさは、さらに膨れ上がっていく。
「《ハイカイ・メキシキーセ》の現在位置、捕捉できました!……ああ‼︎ 大変です‼︎ 角鬼の大集団、《ハイカイ・メキシキーセ》と接触‼︎ 《ハイカイ・メキシキーセ》は逃走を開始しましたが、角鬼の大集団に追われています‼︎」
「《サファイアン・レイジ》もです‼︎ 大集団に後方から押し出されているので、先行するチームを追いかける形にはなっていますが、これは……逃げきれない、のでは……」
「ああ……《フェイタル・エクスキューション》全滅!全滅です‼︎ どうやら角鬼の大集団に蹂躙された模様……です……」
追い討ちをかけるように、クリスタルモニター前の担当者から、運営にしてみれば最悪の報告が次々と上がって来た。
そして同時に、会場の観客たちから、大きなどよめきが聞こえて来る。
「これは…………これは⁉︎ 一体何が起こっているというのでしょうか?こんな……こんな数の角鬼が、いったい、一体どこから…………」
続いて実況役の、困惑するような、動揺するような、震える声が響いて聞こえて来た。
見れば放映会場のクリスタルモニターには、角鬼たちの大軍勢をとらえた映像が映し出されている。
放映会場の観客たちも、映し出される角鬼のあまりの数の多さに、動揺しているようだった。
カーモーフ会長は苦虫を噛み潰したような顔で、眉間に深い皺を刻んでいる。
水面下で進行していた危機的状況がついに発覚した事で、放映会場のどよめきは、どんどんと大きさを増していく。
『大会運営から会場のお客様にお知らせいたします。ただ今攻略中のダンジョン内において、“大攻勢”が発生する恐れがあります。冒険者各チームの戦力を結集して“大攻勢”に対処するため、これより各冒険者チームへの誘導を開始いたします。……繰り返します。大会運営から会場のお客様に……』
そしてそのどよめきを割るかのようにして、運営のアナウンスが放映会場に響き渡るのだった。




