乾いた眼差し
昼休憩の時間、食堂は屠畜場の従業員でごった返していた。従業員たちはいくつも並んだ長いテーブルに窮屈に詰めて座り、昼食をとっている。
ヒャクリキは木の器に入れられた麦粥を手に持った木のスプーンで機械的に口に運んでいる。
麦粥には気休め程度に豆とメケ鶏の肉が入っており、少し臭いのある魚醤で味付けされていた。すでに冷めてしまっていて、お世辞にも美味いとは言えない。
「さあさあ、いよいよ明後日に迫った《ドラセルオード・チャンピオンシップ》、まだまだ賭けの申し込みは受け付けてるぜ、賭けたい奴は遠慮なく言ってくれ」
少し離れたテーブルで、従業員の一人がまわりに呼びかけている。何人かの従業員がこの屠畜場の職場内でノミ屋を立ち上げているのだ。今回だけでなく、“ダンジョンコンクエスト”のイベントが何かしら開催されるたびに、彼らは現れる。
「またやってるよ。おい、新入り、やめとけよ。あいつら払い戻しがしみったれてるから、ちゃんと街に行って賭け札を買った方が良いからな」
テーブルを挟んでヒャクリキの向かいに座っている男が隣の男に向かって言う。
ヒャクリキは名前も知らないその男の顔を覚えていた。どうやら彼はエルフらしく、特徴的な長い耳をしている。その容姿のおかげで職場内でも目立つ存在だ。
こんなところで働いているという事は、彼も奴隷としてこの国に連れてこられたのだろうか。
「それにしても今回はチーム数も多いし、ダンジョンも全然情報が無いんだぜ。どこに賭けりゃいいのかさっぱり分からねえ。……やっぱりここは手堅く《エンシェント・ディバウアーズ》にしとくかなあ……」
ヒャクリキの左隣の男が話に乗った。すると今度は右隣の初老の男が大きな声で話し始めた。
「ふん、馬鹿じゃなかろうか、胴元ばかりが得をする、あんな詐欺まがいのものに金を使うとは……。馬鹿げとる。いいか、貴族や役人どもはな、ああいった娯楽をお前たちのような馬鹿どもの目の前にぶら下げて、自分たちが好き放題やっている現実から目を逸らさせておるんだぞ」
ヒャクリキの向かいに座ったエルフは、その言葉を聞いてもまるで怒るような様子を見せず、むしろニヤニヤしながらまわりを見回して言う。
「おっ!“教授”の講義が始まったぞ!おいお前ら、ちゃんと聞いとけよ、“教授”のありがたいお話を」
「ふん、そうやって小馬鹿にしておれば良いわ。だがな、儂の言う事は真実だぞ。この屠畜場にしたってそうだ。お前らオーナーの姿を見た事があるか?顔も知らんオーナーばかりがこの屠畜場から生まれる金をほとんど独り占めにして、儂らには数日分の酒代に消えてしまうような僅かな給金しか寄越さん。おかしいとは思わんのか?働いておるのは儂らなのに」
テーブルに座っているまわりの男たちは「いよっ!“教授”!」「ありがてえありがてえ」などと囃しているが、もちろん真剣に話を聞いているような者は一人も居ない。
「おかしいと思わんか?今の世の中を見て。戦争が終わって以来、ずっと不景気だ、不景気だと誰もが言っとるが、貴族や資産家ども上流階級の人間はますます豊かに、ブクブクと肥え太っておる。奴らは自分たちにばかり都合の良い法律を作って、儂らのような人間は自分たちの視界からはじき出してしまいよる」
ヒャクリキは麦粥を口の中で咀嚼しながら、なんとはなしに話を聞いている。
「国王陛下だってそうだ。民衆は重い税金に苦しみ、国はどんどん衰退しているというのに、それをなんとかしようという気概がまるで見えん!あれでは貴族どもの良い操り人形ではないか!まったく情けない‼︎」
従業員たちに“教授”と呼ばれるその男は、何本も歯が抜けたその口から唾を飛ばしながら、政治に対する不満を力説している。ヒャクリキはこれまでに何度も聞いた同じ内容の演説を聞きながら思う。
(それをここで話したところで、何も変わらないんだがな。結局のところ世の中は「強い者」たちの道理ばかりが通っていくだけだ……)
そんな事を考えているヒャクリキの横で、“教授”の演説にはますます熱がこもっていく。
まわりの者たちは彼の言葉に合いの手を入れ、指笛を鳴らしたりして場を盛り上げているが、話の内容に共感しているわけではなく、“教授”の熱弁の様子をただ面白がって見ているだけだ。
この場はまるで珍妙な動物を売りにした見世物小屋のようにも感じられる。
そのまま孤独な老人の声は、ただ虚しく食堂に響き続けるのだった。
ヒャクリキは配達先である街の料理屋から“非人窟”の自宅に向かって、ドラセルオードの街並みを歩いていた。
彼の懐には上司に「配達が終わったらそのまま直帰していい」と言って渡された給金が入っている。片手には給金のおまけで渡された、丸の状態のメケ鶏を提げていた。
ようやく今日の仕事から解放された彼だったが、上機嫌にはなれない。上司から職場は明日から五日ほど連続で休みに入ると聞かされたからだ。
《ドラセルオード・チャンピオンシップ》が開催されるお祭り騒ぎのせいで、従業員が集まらないというのが休業の理由だった。
他人が遊んでいる時でも働きに出るような真面目な人間は、“非人窟”にはまず存在しないのである。
しかし、そうなると次回の給金は雀の涙ほどのものになる。このイベントが開催されるたびの恒例とは言え、それはとある事情からどうしても出費がかさんでしまうヒャクリキにとって、頭が痛くなりそうな現実だった。
(やはり、「潜る」しか無いか……)
背中を丸めて歩きながら、彼の頭は結論を出す。
やはりいくら考えてもその方法以外に、もう随分と長いこと続く困窮状態を打開する策が思い浮かばない。
(今日はアイツが来るはずだしな、話してみよう。もしかしたら報酬の前借りを頼んでも、応じてくれるかも知れない)
考えがまとまった彼の横を、ドラセルオードの街の住人が通り過ぎて行く。
前から歩いてくる者は、ヒャクリキの大きな体と、一目で“非人窟”の住人と分かる服装を見ると、ギョッとした顔をして大きく横に避けながらすれ違うのだった。
『ついに年に一度のこの時がやって来ます‼︎明後日夕方からいよいよ開催‼︎《ドラセルオード・チャンピオンシップ》‼︎。当番組では、今年の出場チームのインタビューを、ダイジェストでお送りします』
街の噴水広場に差し掛かると、広場に設置された大きなクリスタルモニターに映像が映り、「公示人の口」から大きな音声が聞こえて来た。
ヒャクリキは思わず足を止めてクリスタルモニターを見上げる。
『さらにさらに!今回の舞台であるダンジョンの情報を、現時点で判明しているすべて、皆さんにお伝えします‼︎是非とも優勝予想にお役立てください‼︎で・す・か・ら!チャンネルはそのままで!最後までご覧くださいね〜』
クリスタルモニターに映っている映像を、ヒャクリキは生気の無い、乾いた眼差しで見つめている。
その瞳の中にあるのは完全な虚無であり、まわりを歩いている誰にも、彼の心の奥にある感情を読み取ることは出来ない。
ヒャクリキはしばらくその場に立ち尽くしたまま、映像に見入っていた。