必要不可欠な仕事
「おい!おい!何ボーッとしてやがる‼︎……おいって‼︎」
男の濁声でヒャクリキは現実に戻った。
「何をボケっとしてやがんだ‼︎マンブ野郎!手ぇ動かせ!給金出さねえぞ‼︎」
目の前の男は解体班の主任だ。ヒャクリキに向かって何か怒鳴っている。
主任はヒャクリキが現実に戻ってきたのに気付くとしばらく様子を見ていたが、不思議そうな顔をすると、首を捻ってどこかに歩いて行った。
気付けばヒャクリキの周りには見慣れた職場の風景が広がっている。
横を向けば、彼の両隣の従業員が忙しそうに手に持った捌き用のナイフでメケ鶏を解体していた。
どちらの従業員も伸び放題の髭を剃りもせず、その肌は垢がこびりついたようなざらついた質感をしている。
彼ら屠畜場の従業員は、ヒャクリキと同じくそのほとんどが“非人窟”の住人であった。
ふと顔を上げると、頭上に渡された何本かのロープには羽をむしられ、血抜きのため逆さまにされたままのメケ鶏が、S字鉤で大量にぶら下がっている。
(……白昼夢を見ていたのか)
ヒャクリキは状況を理解する。仕事中に意識が飛んでいたらしい。
夢で見ていたのは冒険者チームに居た頃の記憶だった。
(最近多いな、悪夢も見るし……それにしても、何で今さらあの頃の事を?)
冒険者チーム《ドラゴン・ベイン》に所属していたのは、もう十年以上昔の事だ。
ヒャクリキは気を取り直して頭上に吊り下げられたメケ鶏の一つに手を伸ばす。
ロープにかけられたS字鉤から脚を結んでいる紐を外し、作業台の上にメケ鶏の体を置くと、手に持ったナイフでその頭を切り落とした。
肛門の近くを切り開いて内臓を手掴みで引き抜き、ワタ桶に放り投げる。そのあとはモモの部分から順に解体していく。解体された部位は、種類ごとに分けられた桶に、これまた次々と放り込まれていく。
ナイフで軽く切り込みを入れて、あとは手で部位ごとに引きちぎる。
必要最小限の労力であっという間に解体されていくメケ鶏は、かつて生物だったものというよりは、まるで組み木細工のような無機質さでバラバラにされていく。
解体する過程でナイフや手にこびりつく小さな脂肪や血の塊、細い筋だけが、解体されゆく肉と皮と骨からなる物体が、かつて生きて動いていたことを証言していた。
一体解体したら、すぐに次の一体がロープから作業台に降ろされる。
一連の工程を何度も何度も何度も、単調に繰り返す。
職場に入ってすぐの新人は一体を解体するのにも手こずるが、ひと月もすればまるでメケ鶏を解体する器械のようになってしまうのだった。
ヒャクリキはここへ入ってからそれなりに年季が経っている。
彼は人手が足りない部門を穴埋めするように転々と配置を変えられて、「大物」と呼ばれる大型の家畜の解体や、「絞め」と呼ばれる家畜を絶命させる仕事も一通りこなしていた。
そんなヒャクリキの視界の中に、羽をむしられてツルツルになったメケ鶏が現れては解体されて、いつの間にか消えて行く。
彼は手もナイフも、意識して動かしているわけではない。
何度も繰り返した動きは彼の手にすっかり染み込んで、まるで手が自動的に動いているかのような錯覚に陥るのだった。
出勤したら、昼食の事をぼうっと考えながら自動で手を動かし、昼食をとったらあとは帰宅してから何をするかをぼうっと考えながらまた自動で手を動かす。
それが彼の仕事の日常であった。
ヒャクリキは作業場の一角が何やら騒がしい事に気付いて手を止めた。
見ればこの作業場の主任と「絞め」部門の主任が端の方で何か話している。
それを見たヒャクリキは嫌な予感を覚える。
案の定、主任二人は彼に向かって歩いて来ると、言葉とは裏腹に全く悪いと思っていない表情で言った。
「おい、マンブ野郎、悪りぃが“絞め”の方に回ってくれや」
「すまねえな、ウチの一人が出勤して来やがらねえんだ、それに予定外の大物が飛び込みで入ってな、手が足りねえ」
面倒だな、とヒャクリキは思うが上司の指示に従わないわけにもいかない。
彼は仕方なくメケ鶏の肉片で汚れた前掛けを脱ぐと、「絞め」部門の主任の後について行くのだった。
「絞め」の作業場に入ると、立派な体格の走破鳥が拘束されていた。
走破鳥の体に元々装着されているハーネスに結び付けられた何本かのロープが走破鳥の動きの自由を奪っており、そのまわりを数人の従業員が取り囲んでいる。
走破鳥は主に騎乗用生物として飼育される飛べない鳥だ。その体格は馬と同じくらいの大きさがある。馬よりも安価で飼育でき、人によく馴れるので一般に広く普及していた。
本来は騎乗用だが、たまに今日のように食用として入荷する事もある。
たまにしか入荷しないので、走破鳥を絞めるための専用の設備がここには無いのであった。
そのため、ロープなどを使って拘束し、人の手で絞めなければいけない。
走破鳥は見るからに興奮して、怒っていた。自分に訪れた運命に全力で抗おうとする強い意志が、その様子から見て取れる。
怒って暴れる走破鳥の脚力は非常に危険で、人間がその強靭な脚で蹴られると死んでもおかしくない。
大きなクチバシの先でついばまれても、肉をごっそり持っていかれてしまう。
従業員たちはそれを恐れて手を出せないでいるようだった。
このままでは昼休憩が取れなくなる。そう思ったヒャクリキは主任に尋ねる。
「この走破鳥の頭は何かに使う予定はあるか?」
「いや、せいぜいガラにするくらいだな、潰しても構わねえ」
主任の言葉を聞いたヒャクリキは作業場の隅に立てかけてあった棍棒を手に取ると、そのままゆっくりとした足取りで走破鳥に向かって歩いていく。
「おっ、おい、危ねえぞ」
まわりを囲んでいる従業員のうちの誰かがヒャクリキに向かって言った。
しかしヒャクリキはそんな言葉など、まるで聞こえていないかのような様子で近付いていく。
走破鳥はけたたましい鳴き声でヒャクリキに警告して来た。
それ以上近付くと蹴り殺すぞ、と。
それでも近付いて来るヒャクリキを蹴ろうとして走破鳥が羽を拡げる予備動作に入った瞬間、
ヒャクリキが思い切り振り抜いた棍棒の先端が走破鳥の頭部をとらえていた。
作業場に鈍い音が響いたかと思うと、気絶した走破鳥の大きな体は地面に垂直に落下してその場に倒れ込む。
ヒャクリキはピクピクと動く走破鳥の首にその丸太のような腕を回すと、そのまま瞬間的に腰を捻って走破鳥の首を折った。
乾いた音が作業場に響く。
一丁あがり、といったヒャクリキの様子に、まわりの従業員たちは目を丸くしていた。
「終わったぞ。血抜きとか、後の工程は手伝わなくてもいいな?」
ヒャクリキは主任に向かって言いながら、棍棒を放り出して作業場の出口に向かう。
「……ああ、あとはこっちでやる。しかし、マンブ野郎、やっぱりお前を連れてきて正解だったぜ。また何かあったらよろしくな」
ヒャクリキに向かってそう言う主任の後ろで、不用意に近付いた従業員が走破鳥の死後痙攣を起こした脚に蹴り飛ばされるのが見えた。




