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 その後のことはよく覚えていない。


 千早の手を握り締め土方さんに背を向けた僕は――気付いたときには自室にいて、千早を強く抱きしめていた。


 もうどうしたらいいのかわからずに。

 “責任持って躾けろ”――という、土方さんの言葉をどう受け止めればよいのかわからずに。


「……沖田、さん?」


 今すぐにでも泣き出しそうな顔をして、それでも彼女は必死にそれを押しとどめ――僕の様子を伺っている。

 一番辛いのは自分であるはずなのに、僕に気を遣うかの如く、嫌がる素振りも見せず僕の出方を待っているのだ。


 そんな彼女がいじらしくて、不憫で切なくて……だけど、それよりもずっと強く煮えたぎるように熱いのは、僕の心臓。


 怒りなのか、憤りなのか……それともただ悲しいだけなのか、そしてそれが土方さんに対するものか、それとも千早に対するものか……あるいはこの場にいない秋月に向かう感情か、それすらもわからないほどに――僕の心を締め付ける。


「……大丈夫……です、か?」


 僕に抱きしめられたまま、千早はまるで僕を心から心配するかのように、ただ静かに問いかける。

 一番辛いのは自分の筈なのに、それなのに、君はどういうわけか他人の心配をするんだ。


 嗚呼、僕はそんな君にいったい何をしてあげられるのだろう。

 辛い思いをしている君に、どんな言葉をかけてあげればいいのだろう。


 わからない、わからない――もう、何もわからない。


 けれど、それでも一つだけはっきりしていることがある。

 それは……そう、このままでは新選組には彼女の居場所すらなくなってしまうのだと言うこと。


 もし次に千早が土方さんに食って掛かるようなことになれば……それは秋月だけではなく、千早自身の“死”を意味するのだと言うこと。


 “千早をここから逃がすな”――と、そう僕に訴えた土方さんのあの眼は、あの意志は、けれど自分に歯向かう者を容赦なく斬り捨てるのだ。


 自分に歯向かうのなら、役に立たないのなら、いっそ殺してしまった方がいい……と。

 土方さんは時として、それほどまでに冷酷になる。


 だけど僕はちゃんとわかってるんだ。土方さんのその考えは、土方さんの為のものではなくて……僕らのことを考えてのものだって。


 だから――僕はここで決めなきゃならない。

 千早が今後二度と土方さんに意を唱えないように……表面上だけであっても、彼に従う態度を取るように……そうする為に、僕が彼女にどうすべきかを。



「あの……沖田さん、そろそろ……」


 自分を抱きしめたままうんともすんとも言わない僕に流石に痺れをきらしたのか、彼女は僕の腕の中で身じろいだ。

 そして、僕の腕の中から出て行こうとする。


 けれど僕は、その身体を引き留めて――そのまま畳の上へと押し倒した。

 瞬間、彼女の顔が強張り、身体が硬直する。


 そんな彼女を真上から見下ろして、僕は今の自分の精一杯の笑みを顔に張り付けた。それは出来うる限り冷えた瞳で。

 その上で、淡々と口にする。


「僕考えたんだけど。一旦秋月のことは忘れて、僕と恋仲になるっていうのはどうかな」――と。


「……え?」


 刹那、さっきまで僕を気遣っていた彼女の顔から表情が消えた。

 それどころか、僕の言葉の意味が心底理解できないと言った様子で、彼女は怒りに肩を震わせる。


「冗談ですよね?」と、そう吐き捨てるように言った彼女の言葉は、僕を軽蔑している以外の何ものでもない。


「僕は本気だよ。君だってさっきの土方さんの言葉聞いてたでしょ? 君は知らないだろうけど、土方さんはとっても怖い人なんだ。斬ると言ったらほんとに斬るし……つまり、秋月が君の隣に戻って来られることは万に一つもないんだよ。それどころか、君の命だって危うい状況だ」


 自分でも酷いことを言っている自覚はあった。でも、こうでも言わなきゃ、きっと千早は諦めないから。――いや、きっと僕がこんなこと言ったところで、彼女は秋月を諦めたりしないんだろう。


 けれどそれでも僕は言わなきゃならない。

 君だけでも、この場所に繋ぎ留めておくために……。


 ――僕は千早の身体を押さえつけたまま、ゆっくりと彼女に体重をかけていく。

 僕から決して視線を反らさず睨みつけてくる彼女の瞳に、自分でも怖くなるほどの興奮を覚えながら……。


「でも、僕は君のことは守らなきゃならない。秋月とそう約束したからね。でも秋月のことはそうじゃない。僕が彼を助ける義理はないし、そのつもりもない」


 僕はそう言いながら、千早の頬に自分の顔を近づけていった。

 すると流石の彼女も怯えたのか、喉の奥を詰まらせる。息遣いが、小さく荒くなっていく。


「でも、君がそう望むのなら……君が僕にそうしてくれと願うなら、僕は僕の全てを賭けて君たち二人を助けるよ。秋月を土方さんから守ってあげる。――でもね、千早。それには対価が必要だ。僕に利のある大きな対価」

「……っ」

 瞬間、何かを悟ったように大きく見開かれる、彼女の瞳。


「君は知らなかっただろう? 僕はね、君のことを好いているんだ。だから秋月は僕に頼んだんだよ。僕が君に想いを寄せていることに気付いていて、その上で僕に君を頼むと言ってきた。三日前のことだ。――そう、秋月が居なくなったあの日だよ」


 本当は言うつもりのなかった事実。僕が君を好きなことも、秋月が居なくなるその直前に、僕は彼から君の事を頼まれていたことも。言うつもりは無かった。


 でも、こんな状況になってしまった以上、言わなきゃならない。

 君を傷つけ泣かせようとも、僕は敢えて君に伝えなければならない。


「本当はね、言うつもりはなかったんだ。言えば君が傷つくとわかっていたから。君を泣かせたくはなかったから。――でも、君は知らなきゃいけない。

 秋月が居なくなるその直前、どうして彼が僕に君のことを頼んだのかを。その理由を、君は考えなきゃいけないんだよ。本当は彼は自ら姿を消したんじゃないのか? だから僕に君のことを頼んだんじゃないのか? 君には本当にその心当たりがないの? 本当は何か知っていて、それを僕に隠してるんじゃないのか?」


 ――僕はまくしたてるように言葉を浴びせる。優しさなんて少しだって見せてやらない。


「だってそうだろう? 君たちが未来から来た人間だったとして、だからってどうしてそんなに彼を信じられるんだ。見知った人間が自分たちだけだからって、それが自分を捨てない証拠になるのか? 気持ちが変わらない保障なんてない、そう考えるのが普通だろ」


 そう、それが普通だ。人の気持ちなんて簡単に変わってしまう。

 今まで何十人もの仲間が、僕らを裏切ってきたように――。


「――だから、ね。嘘でいいんだ。僕は人の感情がすぐに変わってしまうことを知ってる。君に好きになってもらいたいとは思わない。秋月が見つかるまでの間だけでいいんだ。……秋月が見つかったら、君たち二人を遠くに逃がしてあげる。土方さんに見つからないずっと遠くに」


 秋月を助けようとしたら、もうそれしか方法はない。土方さんに秋月を許せと迫るのは不可能だ。絶対に許可しない。

 ならば、――それまで。短い間だけでもいい。嘘でもいい。


 それしか、彼女を隣に置いておく方法がないのなら……。


「返事は?」


 僕は舐めるような視線で彼女を見つめ、その反応を確かめる。

 そうしてその返事も聞かぬまま、いつの間にか青白く染まった彼女の頬に、そっと唇を落とした。

 同時に彼女の肩がびくりと震えたが、けれど僕は容赦しない。


「……何も言わないってことは……いいんだね」


 ――本当はわかってる。君が僕を拒絶していることを。

 君の愛している男は、秋月ただ一人なんだってことを。


 でも、あいつはもういない。今の君を助けには来ない。

 君が僕にどうされようと、僕が君をどうしようと……もう、誰にもどうすることも出来ないんだよ。



 僕は彼女の身体に覆いかぶさったまま、今度こそ彼女に口づけた。

 その瞬間、彼女の全身の筋肉が強張るのがわかる。が、それでも僕はやめなかった。


 体の中心から沸き上がる嫌な興奮と、それと同時に吐き気をもよおす程の自身への嫌悪感を感じつつも……僕は千早と唇を重ね続ける。


 ――が、僕が彼女の咥内に舌を挿入しようとした……その時だった。


「……ッ!」


 ガリ――と舌を思い切り噛まれた僕が怯むと同時に、彼女が動く。それは本当に一瞬の事。


 彼女はなんと僕の腰から脇差を抜き、それを僕の喉元に突きつけたのだ。


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