34.
一夜明けた。
少し霞んだ白い光が枝葉越しに落ち込み、鳩の石の泉の冒険者たちの目を覚まさせた。
朝食を済ませると、ステラたちは柘榴石が見つかりやすいという丘へ進んだ。
そこは丈の高いシダが茂る平原で松林や石柱が点々と散っていた。目指す丘はシダの上からその青黒い斜面を見せていた。遺跡と森に包まれた丘は静かに朝の光のなかに休んでいるようだった。なぜ休むという印象を受けたのか分からないが、そんなことは些末なことだった。
なぜなら、その丘の一番高いところ、丘のてっぺんに立つ古い塔の頂点に竜炎樹が生えていたからだ。
ステラは夢中になって、ヴィルにたずねた。
「本当にあれが竜炎樹なんですか?」
「ああ、間違いない。ありゃ竜炎樹だ」
竜炎樹は真っ赤な葉をつけて、陽炎を引いていた。
「あれがあれば、イリヤムを助けられるんですね」
「それにまあ、結構な値段で売れるしな。クリスに斬られて死ぬのもこれで終わりだ」
「ブロマイドも売らなくていいしね」
「でも、待ってくれ」アレクが言った。「あの丘に前行ったとき、あんなもの生えていたか?」
「さあ? 覚えてないよ」
「なんか遺跡の配置も違う気がする……」
「遺跡なんて気にすんな。とにかく他のやつらはまだいないみたいだから急ごうぜ。ここで出し抜かれたら目もあてられねえや」
丘と平面で生える植物が変わった。シダから葦へ。段々になっている盛り土に水気があり、高い樹が花梨の実をつけていた。
古代のものだろうか、石の段が頂へ刻まれていた。
「これを登っていけば、楽に頂上まで行けるね」カプロニが言う。
「そうだな、今回はけっこー楽勝だった」
「まあ、いつもこうとはいかないけど――ん?」
アレクが足元の階段の石をじっと眺めた。黒っぽい艶のある石は高さと角度にむらのある階段をつくっていた。
「これ、玄竜のコブだ」
地震が起きた。四人は思わず、その場に尻もちをついたが、道の左右では土が小さな遺跡を乗せたまま斜面を滑り落ちていった。
土の下から見えたのは玄竜の硬いざらざらした黒い甲羅のほんの一部。
揺れは寝起きのぶるぶる震えるものから、すっかり目を覚まし、青い鱗に覆われた首を持ち上げ、歩き始めるリズムのあるものへ変わっていった。玄竜の足音は一キロ先の木の枝を震わせるほどのものだった。
「すげー!」
「感心してる場合か!」
玄竜の背中からは大木と石柱がずるずると滑り落ちていった。ステラたちは中腰になり、甲羅のあちこちに生えているコブにつかまりながら、上を目指していった(ちゃっかりしている三人はもちろんコブに小さなピッケルをぶちこんで欠片をリュックに入れるのを忘れなかった)。上を目指して脱出の手はずがあるわけではなかったが、下にいけば、滑り落ちる土を食らって、十メートル下の地面に叩きつけられるのは確実だった。さらに運が悪ければ、玄竜に踏みつぶされる。
玄竜の背のてっぺんには池があった。震え爆発するように跳ね上がる池の真ん中に古代文明時代の塔があり、そこまでの飛び石がある。
「十秒に一度、大地震が起こるなか、飛び石を伝っていくのは簡単ではないし、面白いものでもないよね」
「アレク、なに理屈臭いこと言ってんだ? はやく来い。置いてくぞ」
塔のてっぺんに竜炎樹が生えていた。石畳に根を食いこませ、炭のように黒い幹を伸ばし、燃える赤い葉の上に陽炎が揺らいでいた。
鍛冶屋の炉のように熱い樹は登れば火だるまだし、近づくのも難しいくらいだった。ズシンと揺れるたびに炎がひらひらと枝から離れていく。
そんななか、枝の先から今にも一つ、実が落ちそうになっていた。
黒く硬い宝石のような実は枝から離れると地面に落ちるあいだに色が黒から赤へと変わり、ステラの足元に転がってきたころには何とか手で触れるくらいにまで冷えていた。
「これでイリヤムのエンジンを修理できます」
「ここから生きて帰れたらの話だけどね」とアレク。
「何としても生きて帰らないとな」ヴィルが言った。「リュックいっぱいの玄竜のコブだ。全部売りさばいたら、三万ルクはかたい。おれたち、めちゃくちゃ金持ちだ!」
「どうやって降りるの?」
「玄竜をノックアウトする」
そう言うなり、ヴィルは塔から魔法の杖を突き出して、風が白く唸るほどの力を抽出魔石に集めて、玄竜の頭へ空気の塊をぶつけた。
だが、空気の塊は玄竜から苔をむしっただけで、玄竜はケロリとしている。
逆に発射の反動を扱いかねたヴィルが後ろへ吹き飛ばされ、そのまま下り階段を転がり落ちていった。
「ノックアウトされてどうする」
アレクの皮肉にヴィルは目をまわしていてこたえるどころではなかった。
玄竜は森を薙ぎ倒し、平原に大きな穴を開けながら歩いていた。
「いいこと思いついた!」
カプロニが言った。そして、下の階からヴィルを連れてくると、竜炎樹目がけて、さっきの空気の塊を当てることはできないかとせっついた。
「でも、あれ、結構、魔力を食うんだ」
「でも、玄竜から脱出するなら、どうしてもさっきの一撃が必要なんだ。この位置に立って、そこから竜炎樹に竜巻をぶつけて欲しい」
「チェッ。他にいいアイディアもねえしな」
ヴィルはカプロニに言われた位置に立ち、杖をまっすぐ竜炎樹に向けた。抽出魔石が白く光り、風が唸り声を上げて、ぐるぐるまわり、そのまま一つの空気の塊になって発射された。
ヴィルの後ろでステラとアレクとカプロニが押さえていたが、四人とも見事に吹っ飛ばされて、下り階段から下へ転がり落ちた。
「いってぇ」
「これでどうなるんだ、カプロニ?」
もう一度塔のてっぺんに戻ると、竜炎樹の葉はほとんどなくなっていた。そして、遠く、玄竜の頭に燃える葉が何百枚とへばりつき、その鱗をじりじろ焦がしていた。
玄竜は立ち止まり、そして、歩く方角を変えた。
「うまくいった!」
カプロニが声を上気させ、ぴょんと飛ぶ。
「説明しろよ、カプロニ。何がうまくいったんだ?」
カプロニは地図を石床に開いた。現在地を鉛筆で黒い丸を書き、そして、玄竜が今歩いている方向に矢印を伸ばした。
矢印の先は大きな湖につながっていた。
「玄竜に熱さを感じさせて、行水させるんだ。この湖なら玄竜が浸かることができる。つまり、ぼくらが今立っているこの場所まで水が来るんだ。そこから泳げば、玄竜の背中から脱出できるってわけだ」
「すごいです、カプロニさん」
「えへへ」
カプロニの目論見通り、玄竜は湖に浸かった。押し出された水がまわりの地形を薙ぎ倒していったが、玄竜くらい大きな生き物になると、細かいことは気にしないのだ。
一方、カプロニの目論見は経済的には割に合わないものだった。というのも、水面は塔の窓のすぐ下まで来たので、四人はただ水に浮かんで岸辺を目指せばよかったのだが、玄竜のコブをリュックいっぱい詰め込んだ三人は物の見事に沈んでいった。アレクは水深三メートルでリュックを捨て、カプロニは六メートル五〇センチで、ヴィルは一五メートルまで頑張ったところで、リュックを捨てた。
「何がいいアイディアだ、馬鹿ロニ!」ヴィルは湖の岸辺でマントを絞っていた。「儲けが全部パアになっちまったじゃねえか!」
「またアルバイトだ」
アレクは肩をすくめた。そして、ウーンこうなるはずじゃなかったんだけどなあ、とのんびり事態を考察するカプロニと相手にそんなカプロニ相手にかっかしているヴィルに心配そうな顔をしているステラに笑いかけ、
「気にしなくてもいいよ。ぼくらはいつもこうなんだ。大金をつかんだと思ったら、何か起きてパアになる。でも、まあ、今回は全くの骨折りでもなかったしね。竜炎樹の実、欲しかったんでしょ?」
「はい。でも、なんだか悪い気がします。わたしだけ――」
「いいんだ。きみがいなければ、そもそも冒険ができなかった。冒険さえできれば、どれだけスカを引いても結局ぼくらはご機嫌なんだ。ほら、ヴィルの顔を見てごらん」
ヴィルは相変わらず言葉でカプロニを滅多打ちにしていたが、その顔がまんざらでもないといった様子のものに変わっていた。笑いをこらえていたと言ってもいいかもしれない。
というのも、ヴィルのなかで大金を得るチャンスを失ったことより、この失敗談を冒険者仲間に面白おかしく話すことのほうが大きく心を占めていったからだ。
そうでなければ、冒険なんてやっていられないのだ。




