32.
空は木漏れ日落とす緑の葉の天井で塞がれる。
左右は樹の幹と濃く茂るシダで分け入る隙がない。まるでトンネルのようだった。
樹海の入口である二本のオベリスクを通り過ぎてから一時間。
最初のころは樹々のあいだに別の道を歩く他のパーティの姿がちらほら見えていたが、今ではこの広い樹海にもぐりこんだのは自分たちだけではないのだろうかと疑いたくなるほど、人の気配がしない。樹々の葉のざわめきと姿の見えない水の流れる音だけが聞こえてくる。
「よーく見てみな」
ヴィルが言った。
その指差す先には青い花を垂らした樹木の枝が交差していた。
枝から垂れた花が地面に達して、小指の爪ほどの大きさもない花がびっしり絨毯のように密生していた。
だが、よく見ると、樹の幹だと思っていたものは石柱だった。地を埋める花の切れ目から確かに石畳が見えている。
「古代文明の街道があったんだ」ヴィルが説明した。「大陸じゅうの人間や各地の名産が都を目指して、この道の上を通った」
「石はすごいね」アレクがしみじみと言う。「何千年経ってもこうして残ってるんだから。木でつくった家じゃこうはいかない」
アレクの言うとおりだった。密林のなかの石柱や石畳はかつてここに偉大な帝国の巨大な都があったことを知らせていた。下級モンスターとダンジョン冒険家たちがどれだけこの樹海で缶詰を食い、落書きをして、出口を屋台でいっぱいにしても、その事実だけは変わらない。
それにまだラビス樹海の古代文明の謎は解き明かされ尽くしてはいないのだ。
だから、少年少女たちに混じって、ベテランの冒険者たちがラビス樹海の探索に来る。
そして、年に数回、新たな魔法の術式の構築に役立つ石版や何千年も前に絶えた金属の鍛錬法など、古の知恵がこのダンジョンから発見されているのだ。
「それを見つけられたら、いいんだけど」カプロニがあははと笑う。「まあ、そんな大発見、ころころ転がってるわけもないしね」
「ワイバーンの牙とか人喰い草の種とか金になる素材を見つけられれば、まあ、万々歳ってとこだ」ヴィルが言う。
「赤字は避けたいところだね」
「前の探索はよかったなあ」アレクが言う。「火薬アゲハの巣を見つけたんだから。火薬アゲハの燐粉は銃弾用の炸薬のいい材料なんだ」
「でも、それ、アレクが全部自分用の弾薬に使ったから、結局赤字だったんだよな」
「う」
「もう一度赤字を出したら」カプロニが人差し指を立てて注意を喚起した。「僕ら、また黒猫劇場でアルバイトしなきゃいけなくなる」
冗談じゃない、と三人は怖気をふるう。まだ十六かそこらといっても、いっぱしのダンジョン冒険家ならば、探索だけで稼がなくては冒険家の沽券に関わる。斬られ役だのサンドイッチの売り子だのはもうこりごりだ。
「んなこと言われなくとも重々承知してる」黒猫劇場で舐めた辛酸の思い出にヴィルが眉根を寄せて言った。「ここは一発、金になる素材を狙おうぜ」
「素材ギルドの買取は?」
ヴィルが懐から使い古した革の手帳を取り出し、ページを繰った。
「森林石の買い取りキャンペーン中だ。葡萄石が百シル。柘榴石が百二十シル。玄竜のコブがなんと八百シル。金貨に直せば、二ルクってとこか」
「石の買い取り強化ってことはどこかの金持ちが発電所をつくる気だな」
「あ、あの」
ステラがたずねた。
「ゲンリュウって何ですか?」
「でっかい亀の化け物だよ」カプロニが説明した。「小さな山くらいの大きさで、背中に大きな樹が何本も生えてるほど長生きした亀のことを玄竜って呼ぶんだ。長生きした玄竜に秘められた魔力は相当のものだから、その甲羅にできるコブは鉱石みたいに硬くて、すごい魔力を秘めている。占い師から発電所までみんなが欲しがる素材の一つだよ」
「でも、玄竜相手だと、それなりのリスクもある」アレクが言った。「なんせあの大きさだから、迂闊に近づくと、ぺちゃんこにされる。気は大人しいけど、足元をちょろちょろしているおれたちを避けてくれるほどの気の細かさはない」
「じゃあ、どうやってその玄竜の甲羅に登るんですか?」
「登るんじゃなくて降りるんだ」ヴィルが空――といっても枝葉に遮られて細切れになった青空を指差した。「玄竜専門で探索する連中がいて、そいつらが気球なり飛行船なりコロコロ鳥なりをチャーターして、空から梯子を下ろして、玄竜の甲羅に到達するんだ」
「じゃあ、わたしたちじゃあ、無理そうですね」
「まあ、そうだね」とカプロニ。「ぼくらはコツコツトンボの巣を集めることになりそうだ。葡萄石や柘榴石も採掘されつくしたし――ん?」
先頭を歩いていたカプロニが足を止めた。
見ると、道の真ん中に倒木がある。
だいぶ前に倒れたものらしく、幹の表面は苔で覆われ、白く細いキノコが生えていた。
その陰から小さなまんまるの生き物が現われる。
黄色い体で腹は白く短い毛で覆われていて、やや大きすぎるかもしれないが、貴族の奥方の膝の上に乗っていてもおかしくないペットのような動物だ。
「わあ。かわいい」
ステラが前に出て、生き物をよく見ようとすると、
「伏せて!」
カプロニがステラを引っぱった。
次の瞬間、鋭い棘が三本飛んできて、倒れたステラのすぐ後ろの切り株にグサグサと刺さった。
見ると、さっきまでペットのようにかわいらしかった丸い生き物が目を赤く光らせ、背中を棘だらけにして威嚇するように呻っている。
モンスターだ。
「トゲネズミだ!」銃を抜きながらアレクが叫ぶ。「気をつけろ。数が多い!」
倒木に丸まったトゲネズミがひょいと飛び上がり、二匹、三匹と次々姿を見せる。
道の左右の茂みにも黄色い棘が見え隠れしていた。
左の潅木から飛び出した三匹のトゲネズミがいっせいに背中の針を飛ばしてくる。
ヴィルの魔法の杖が抽出魔石を光らせて、逆風の壁を引き起こした。飛んでくる棘はくるりと百八十度向きを変えて、トゲネズミたちを串刺しにする。
その逆風を右と正面にもつくろうとするが、魔石の光が弱々しく点滅して、そのうち石が曇って、風が止んでしまう。
「ちっ! これだから安物の石は!」ヴィルが舌打ちする。「アレク! カプロニ! 時間を稼げ!」
カプロニの抜き放った剣がトゲネズミを一匹斬り捨て、アレクのリヴォルヴァーが火を吹く。
そのあいだ、ヴィルはバーゲンセールで買った第三号抽出魔石に対して、様々な呪文術式で脅し、すかし、なだめて、おだてて、魔力を引き出そうとする。
「ヴィル! 後ろ!」
カプロニが叫んだ。
カプロニの剣とアレクの銃弾をくぐりぬけたトゲネズミが跳ね上がって、背中を向けたヴィルへトゲの突撃を食らわせようとしたとき、
ガッ!
音がした。
ヴィルが振り向くと、ステラの片手剣がトゲネズミを背中の皮を深々と斬りつけていた。
「援護します!」
ステラは敵の骸を蹴り外し、もう一匹突っ込んでくるトゲネズミと向かい合った。ステラの低く構えた剣は丸まって転がってくるトゲネズミの守りをこじ開け、柔らかい腹部を切り裂く。
「よしっ! 直った!」
ヴィルが叫ぶ。
アレクとカプロニがさっと伏せたので、ステラも咄嗟にそれに倣う。
「これで終わりだ!」
さっきよりも強く光った魔石が杖そのものを震わせるほどの魔力を迸らせて、竜巻を生み出し、樹が根っこから抜けそうになるほどの空気の塊がステラたちの頭上で荒れ狂い、身を晒したままのトゲネズミたちを次々と砕いていった。




