第65話 全てを知る者
ファウストはバイアルス山脈の北に位置する、この国の最果ての町だった。
ここから南には6,000メートル級の山々が延々と連なり、太古の昔より文明の進入を拒み続けてきた。山脈を越えるには一般的には海路が使われ、国軍や一部の富裕層は魔導式の航空機を使う。因みに、全機械式の航空機でバイアルス山脈を越えたという記録は、今の所無い。
バイアルス山脈の北と南を空路で結ぶ貿易の要となる町であるため、最果ての町と呼ばれる割には活気のある栄えた街だ。
物資を運ぶ手段は馬車よりも自動車の方が多い事も、この街の特徴だった。行き交う自動車の殆どが軍の払い下げ車両である。色を塗り直し荷台に幌を着けたりしているが、戦場を走る事を想定して作られたいかめしさは、容易に拭い去ることは出来ない。大戦中も物資と戦力が集中する街であり、終戦後に大量の自動車がこの街に残された為だ。
皮肉な事に、ファウストは戦争によって栄えた街となった。
「戦争で栄えたと言っても、物資輸送の拠点になったと言うだけで、戦場が近いとか、傭兵が集まって治安が乱れた等といった事が無く、戦争特需の美味しい所だけにあやかった街なんですね、ここは」
「ふーん」
街についての知識をひけらかすトキに、エアニスは関心の欠片も無い声で答える。
「栄えていると言っても・・・少し賑やかすぎませんか?」
レイチェルが窓に張り付きながら言った。
エアニス達の車は街のメインストリートを走っている。家を並べて建てられる程に広い道を、何処かの商社の運送車と、作物を積んだ荷馬車が入り乱れるように走る。それはある程度大きな街であれば何処にでもある風景だったが、沿道を行き交う人々の様子が違った。
所狭しと露天が立ち並び、露天の庇と庇を繋ぐように雪の結晶を模した飾りが吊り下げられている。道行く人々も、着飾っている人が多かった。
まるでお祭りのようだと、レイチェルは思う。
「お祭りですよ。
この地域の冬は厳しいので、この季節になるとみんなで山の神様にお願いするんですよ。今年の冬も何事もありませんように、とね。戦争のせいで暫くお祭りを行う事が出来なかったそうで、今年は数年ぶりの開催だそうです。だから、街の皆さんも気合が入っているそうですよ。
全く、平和な世の中になったものです」
何故か肩を竦めるトキ。エアニスも白けた目で町の喧騒を眺めている。
「やれやれ・・・こっちは旅の終着点だと思って気合入れて来てるっつーのに・・・」
そうぼやいて、伸びをしながらシートに沈み込む。
彼ら4人にとって、戦争とは当たり前の事だった。物心ついた頃から世界は戦禍に飲まれており、戦争が終結したのはほんの一年半前なのだ。人生の大半を、戦争と共に歩んできたのだ。
だから、未だに"戦争の無い世界"に対して、違和感を覚えてしまう事があった。
ドン、パパン
突如響いた破裂音にエアニスは腰を浮かし、シート下に隠した銃に手を伸ばす。
苦笑いを浮かべてトキが言う。
「音花火ですよ」
抜けるような青空に、チカチカと瞬く光と白い煙が見える。
エアニスは口をへの字に曲げ、目元を手のひらで覆った。
◆
バイアルスの山は、普通であれば人間が立ち入る場所ではない。人の足で踏破できる山では無いからだ。それでも麓で狩をする猟師や、山の中に畑を持つ人々の為に、申し訳程度の登山道が伸びている。しかしその登山道も、少し進むだけで無数の立て看板によって遮られてしまった。
赤字に黒い骸骨のマーク。
地雷原の印。
「これは・・・予想外の展開ですね」
トキは乱立する看板と、その間を結ぶように張り巡らされた有刺鉄線を眺め頭を掻く。
「他に山への入り口は無いのか?」
何と無く足元の土を踵で削りながら、エアニスがレイチェルに尋ねる。
「あるとは思いますが・・・神殿に続く道順は、一通りしか教えられてません・・・」
「そっか・・・」
削り取った地面から、グシャグシャに捻れたプラスチックの破片が幾つも見つかった。この辺りにも、以前は地雷が埋まっていたのだろう。
エアニスは辺りを見回す。夕方と呼ぶにはまだ早い時間だが、太陽は早々に山陰に隠れてしまい辺りは薄暗い。もちろん今から山登りを始めるつもりは無く、山の入り口の確認をするために立ち寄っただけだ。
明日一日を準備と休息に当て、明後日の早朝から山に入る予定だった。しかし、その予定もこの状況では後にずれ込んでしまいそうだ。
「とりあえず、一個くらいは地雷拾って帰りましょうか。どんなタイプの奴が埋まってるかによって何とかなるかもしれませんし」
何気ないトキの提案に、チャイムとレイチェルは目を剥いた。
「そうだな。面倒だが、暗くなる前にやっちまうか」
エアニスは右脇に挿した小振りのナイフを引き抜く。
「ちょ、ちょっとちょっと!!」
まるで芋掘りでも始めるかのような気軽さで地雷原に踏み入ろうとする二人を、チャイムは慌てて止めようとする。
その時。
「お主達、そこで何をしておる!?」
それよりも早く、随分と古風な言葉使いの、しかし凛とした女の声が響いた。
少し離れた茂みに立っていたのは、金色の髪を長く伸ばした、背の高い女だった。髪は首の後ろで一つに結んでいる。厚手ながらも動きやすそうな、猟師のような服を着ていた。
猟師のような、ではなく、恐らく彼女は猟師なのだろう。彼女は大柄な散弾銃を構え、トキとエアニスに狙いをつけていたからだ。
銃は基本的に軍人しか持つ事を許されていない。しかし、民間人でも仕事の上で必要と判断されれば、軍から許可証を受け取る事で、特定の銃ならば持つ事を許されている。
「軍の関係者ではないな? 地雷泥棒か?
もうこの街には地雷を買ってくれるような奴などおらぬぞ!」
まるで老人のような言葉使い。もちろん女は老人ではなく、二十代前半、エアニスと同じか、少し上位のように見えた。
「待て待て、泥棒なんかじゃない。この山の奥に用事があって来たんだ」
エアニスはナイフを投げ捨て、両手を頭の上に上げ抵抗の意思が無い事を示す。
そしてさり気なく一歩後ろに下がり、何食わぬ顔で銃を抜いたトキの右腕を、その背で女の視線から隠した。
それを見ていたチャイムとレイチェルに緊張が走る。彼女が敵かどうかは分からないが、確かに、いきなり猟銃を向けられた以上ただ言うなりになる訳にもいかない。
「この山の事を知らぬ訳でもあるまい。この先は人の手も入らぬ未開の地、何も無いぞ。それに、大戦の後からは許可の無い者は立ち入る事は出来ぬ」
「そうなのか・・・この街には今日着いたばかりだから知らなかったんだよ。
というか、まずその物騒なモノを下ろしてくれ。落ち着いて話もできないだろうが」
「む・・・」
物静かなエアニスの言葉に危険は無いと感じたのか、女は渋々といった様子で銃口を下ろした。
同時にエアニスが身を翻す。
その後には腰だめで銃を構えたトキが居た。トキは女の持つ猟銃を撃つ。
銃身に当たった弾は女の手から猟銃を跳ね飛ばす。驚いた様子の女にエアニスが飛び掛った。
自分達がこの山の入り口に居たという事を誰かに知られるのは都合が悪い。情報が何処を伝ってルゴワールの耳に入るのか分かったものではないからだ。エアニス達が今日この場に居た事を他言しないように彼女を"説得"するか、場合によっては2、3日程監禁させて貰わなくてはいけない。
「悪いな」
猟銃を蹴り飛ばし、エアニスは女の手を掴み地面に組み伏せようとする。
スパンと、エアニスの足が払われた。同時に掴んでいた女の腕に、泳いだ上体を強引に引き寄せられた。エアニスの視界は半回転し、背中と後頭部を硬い地面に叩きつけられる。
「ッ!??」
痛みより驚きが勝った。いや、驚く暇すら許されなかった。女が手にしたナイフが、エアニスの頭に振り降ろされようとしていたからだ。
唐突にナイフの軌跡が跳ね上がる。
女のナイフを蹴り飛ばそうと飛び掛ってきたトキを、彼女は迎撃しようとしたのだ。
踏み込みの足をエアニスの腹に打ち込み、女のナイフが一直線にトキの足を迎え撃つ。
金属の擦れ合う音を立てて、トキの右足が女のナイフを弾く。彼のブーツには靴底と爪先に鉄芯が入っていたのだ。トキのブーツはそのまま、女の右肩に食い込んだ。
その手応えにトキは目を剥く。まるで、岩を蹴ったような感触だったのだ。実際、トキの蹴りをまともに受けた女の体は、ピクリとも動いていない。
「甘いわッ!!」
まさに鉄拳。彼女の鉄のような拳が、トキの右頬を殴り飛ばした。
「・・・ぐ、おぉ・・」
腹を踏み潰されたエアニスが腰の剣に手を伸ばそうとする。しかし意識がはっきりとしないのか、その動きは緩慢だった。
女は猟銃を拾い上げると、剣に指をかけたエアニスの右腕を踏みつける。
「いきなり襲いかかるとは・・・やはりロクでもない連中のようじゃな!」
手馴れた動作で、女が猟銃のボルトを操作した。
「待って!」
レイチェルが銃を構える女の元へ駆け寄る。
「動くな!!」
女は猟銃をレイチェルに向ける。しかし、レイチェルの足は止まらない。まるで素人のような行動が、女の判断を迷わせた。
猟銃は散弾を放つ事無く、レイチェルの手に掴まれ銃口を誰も居ない森に捻じ曲げられた。
「すみません! ごめんなさい!! これには事情があるんです!!!」
「その、ロクでもない奴ってのは当たってるんですけど、本当に!
とにかくごめんなさい!!」
チャイムとレイチェルが女の前で頭を下げて謝り倒す。
女は目を白黒させて、2人と足元で伸びているエアニスを交互に見た。
「!!!」
彼女は目の前で頭を下げる少女、レイチェルの胸元の黒いガラス玉に気付いた。
そして、その髪と瞳の色、顔立ちに良く知る人間の面影を見る。
「お主ひょっとして・・・シャノンの娘か?」
「・・・!!」
不意に耳にした父の名前。
レイチェルは驚愕の表情で彼女を見上げた。
◆
女の家は比較的街の中心にあった。家の中には街で売られているような家具は殆ど無く、荒々しく切り出された樹木で作られた手作り風のテーブルに、丸太で作られた椅子などが並ぶ。石で組まれた暖炉には火が灯っており、部屋の中は暖かい。電気を引いていないのか、明りは暖炉の火と白灯油のランタンのみ。オレンジ色の明りが室内を柔らかく照らしていた。
まるで市街地の中に現れた、山奥の別荘。
レイチェルが懐かしそうに部屋を見回す。エルカカの村も、このような雰囲気の家が多かったからだ。
「いい雰囲気のお家ですね」
「良いじゃろう? わしの趣味じゃ」
女は食器棚から酒瓶を取り出す。
「どうじゃ、一杯?」
脈絡の無い誘いにレイチェルは戸惑いながら、
「い、いえ、私はお酒はちょっと・・・それにまだ17歳ですし・・・」
「気にするでない。この国の法律に飲酒の年齢制限は無いぞ」
「えっと・・・はあ、じゃあ、少しだけ・・・」
押しの弱いレイチェルは、何処か女に押し切られるような形で、グラスを受け取る。瓶の中身は葡萄酒のようだ。
「わしの名は、ティアドラじゃ。6つ目の石を封印する時、シャノンには世話になった」
女は名乗ると、懐かしそうにレイチェルの顔を見る。
「レイチェル・・・じゃったな? シャノンの馬鹿からお主の話を嫌という程聞かされたぞ。自分に似ているだの、母親に似て優しいなど、な」
「・・・はい」
レイチェルは寂しそうに笑い、グラスに口を付けた。
「そうか・・・あ奴も逝ってしまったか」
ティアドラも目を伏せ、小さく息を吐いた。
ティアドラは、エルカカに縁のある者だった。
このバイアルス山脈に、"石"を封印する為にやって来たエルカカの民を、神殿まで導くのがティアドラの役目だという。
その素性を隠した上でファウストの街に住んでいる為、レイチェルはティアドラの存在を聞かされていなかったらしい。当然だろう。彼女の存在が"石"を狙う者達へ知られたら、彼らはまずティアドラを狙う。彼女の存在は、エルカカの中でもトップシークレットなのだ。
「お主もどうじゃ?」
ティアドラはチャイムに瓶を向ける。
「ん・・・頂くわ」
しんみりとした空気に飲まれたまま、チャイムはグラスを受け取る。
「チャイム=ブラスハートよ」
「お主が襲撃から逃れたレイチェルを助けてくれたのじゃったな。
ワシからも礼を言わせて貰おう」
これまでの出来事は、既にティアドラに伝えてあった。
「ううん、あたしとレイチェルだけじゃここまで来れなかったわ。
ここまで来れたのは・・・あのふたりのお蔭です」
チャイムが目を向けた先には。
顔を青くして腹を押さえるエアニスと、右の頬をパンパンに腫らしたトキが居た。
真面目な空気が白けてしまう。
「・・・お主らも飲むか?」
ティアドラの言葉に、
「俺は酒は下戸だ」
「あっはっは、僕も遠慮しておきます。
何を口にしても今は血の味しかしないでしょうからねー」
エアニスは無表情で、トキはギスギスした笑顔で答えた。
因みにエアニスは酒が全く飲めない。エアニスに限らず、エルフ族はアルコールに対する抵抗が人間に比べ弱いのだ。ハーフエルフであるエアニスにも、その体質は少なからず受け継がれていた。
以前チャイムは、エアニスに無理矢理酒を飲ませてしまった事があったのだが、その時は大変な騒ぎとなった。エアニスの酒癖は半端なく悪く、そして酒が抜けるまで3日を要した。
「二人がかりでわしを襲っておいてそのザマか。よくもここまでこの娘を守ってこれたのう」
ティアドラはカラカラと笑った。
エアニスとトキは、笑わない。不愉快そうな表情も見せず、ただ静かにティアドラの様子を伺う。
油断も、無かったといえば嘘になる。しかしそれを差し引いても、ティアドラは強かった。一瞬の攻防だったが、ティアドラの強さの鱗片を感じ取るには十分だった。
エアニスは席を立つと、レイチェルの肩に腕を回し、部屋の隅へと連れてゆく。
(おいレイチェル、なんだあの女は?)
エアニスは小声でレイチェルに話しかける。
(私も詳しくは・・・ティアドラさんの事は初めて聞きましたから)
(はぁ!? 大丈夫なのか、正体も分からない奴にコッチの事情を話しちまっても!)
(正体は分かりませんが・・・
ティアドラさんはエルカカの人間だという事は間違いありません)
(何で分かる?)
(それは・・・)
(それは?)
(・・・えっと。何となく、それっぽいというか・・・)
エアニスはレイチェルの頭に思わずチョップを入れた。今まで一緒に旅をしてきて、彼女の体に突っ込みを入れたのはこれが初めてかもしれない。旅の終盤においてようやく貰った初突っ込み。レイチェルは何となく嬉しかった。
「エルカカの民はの、同士である事が見ただけで分かるのじゃ。分かりやすく言えば、血に目印となる・・・そうじゃな、呪いのようなものがかけられておる」
部屋の隅でうずくまる二人にティアドラは話し掛けた。絶対に聞こえないような小声で、それなりの距離を取っていたのにも関わらず、二人の会話は聞き取られていたようだ。エルフ族並みの聴覚だなと、エアニスは舌打ちをする。
「エルカカの民として生まれ、"石"を探すという定めに従う以上、その呪いは親から子へと自然に受け継がれ、その者が定めに背いたり、定めを放棄し普通の生活を選んだりすると、呪いはおのずと消える。
百人を超える者が同じ目的の為に動いているのじゃ。仕方の無い事じゃが、誰もが皆、同じ思いでいる訳ではない。敵に寝返る者も居れば、民の定めから逃げ出そうとする者もおる。そういった者は自然と呪いが消えて、民の定めに従っている者から見ると、”違って”見えるようになるのじゃ。この呪いのお陰で、エルカカの民は見ただけで、同士だという事が判断出来る。これが今まで、エルカカの民が一枚岩として動く事の出来た秘密じゃ。
お主は今まで村の外に出た事は無かったのだろう?
村の者と、村の外の者とは、違ってみえるじゃろう?」
ティアドラの問い掛けに、レイチェルはハッとした表情で答える。
「・・・何が違うのか、言葉に出来ないけれど・・・分かります。村の外の人達は、明らかに私達と何かが違うんです。
でも、ティアドラさんからは、エルカカの皆と同じものを感じます・・・」
「それはそうじゃろう。わしも、エルカカの民の血を継ぎ、定めに従っておるのじゃからな」
ティアドラの言う秘密を聞かされていなかったのか、長年の疑問が解けた、といった表情で何度も頷くレイチェル。
それに対して、チャイムは難しそうな顔をする。
「血に目印となる術をかけて、それを何世代にもかけて遺伝させるなんて事、出来るのかしら・・・?」
「ふむ」
チャイムの疑問に、ティアドラは満足そうに頷く。まるで物分りの良い教え子が、自分の期待した通りの疑問を抱いた事に喜んでいるようだった。
「今の世では無理じゃろうな。その術をエルカカの民にかけたのは、伝説にも名を残すエルカカの祖師、魔導師エレクトラじゃ。なおかつ師が存命していた250年前は今と違い、世界を満たす魔力の量が遥かに多かった。今の世界では魔導式が起動する事も無い、失われた術の一つじゃ。
魔導式を今の世界の魔力量に合わせ、最適化して組みなおせば可能かも知れぬが、元の魔導式も、今となっては誰にも分からぬ。
ついでに言えば、その効果も永遠に続く訳ではない。印の遺伝は、せいぜい5世代と続かぬだろうな。故に250年経った今、その力も期限切れ目前という訳じゃ」
「はぁ・・・」
ティアドラの説明に、チャイムは何処か実感が沸かないと言ったような、曖昧な返事を返した。
理屈は分かるのだが、根拠が無く、胡散臭い。
「おい。何でもかんでもコイツの言う事鵜呑みにするのは危ねぇぞ」
チャイムはともかく、レイチェルはティアドラの空気に呑まれ掛けていたので、エアニスは冷や水をかけるように口を挟む。
「そうじゃの。己の目で見て、己の耳で聞いた事しか信用しないというのは大事なことじゃ。しかし、自分が見聞きした事が必ずしも真実であるとは限らない事も覚えておくのじゃぞ。人間の五感は簡単に惑わされる物じゃからのう」
「五月蝿いよ。説教臭いよ。あとそのばあさんみたいな言葉遣いをやめろ。アンタ幾つだ?」
「レディに年を訊くとは失礼な奴じゃの。まぁ、この言葉使いは・・・」
ここで初めてティアドラが言葉を詰まらせる。
「そうじゃの、キャラづくり・・・かしら?」
「作ってるのかよ!!!? 今、語尾が変わったぞ!?」
「そう言うお主は、根暗そうな見てくれの割に騒がしいキャラじゃのー」
不意にティアドラの手が伸び、エアニスの顔の半分近くを隠す髪を指ですくった。
「ほほぅ、よく見れば綺麗な顔をしておるな。
ふふふ、嫌いじゃないぞ、お主のような奴」
「なっ!?」
「ちょーーっ!!」
色目を使い見つめてくるティアドラに、エアニスは戸惑い、何故かチャイムが叫びながら席を立つ。
「きっ、気色悪ぃ事をっ・・・!」
ティアドラは自身のプロポーションを主張するかのようにポーズをとりながらエアニスに迫る。今のエアニスには彼女の大きな胸の谷間が見えているだろう。
「気色悪いとは酷い奴じゃの。こーんなイイ女に・・・・お、お主煙草を持っておるな。一本貰えぬか? この街では税率が高くてなかなか手がだせんのじゃよ」
「!!・・・、って・・!、話が飛びすぎだ・・・!」
話のテンポに付いて行けず、エアニスがガクリと肩を落とす。それでも面倒臭そうに胸元から煙草とライターを取り出すと、ティアドラに手渡した。
「ぬ・・・!」
チャイムが眉を吊り上げる。煙草を受け取る時にティアドラの指が、意識的にエアニスの手を触っていたように見えたのだ。というか、絶対、間違いなく、手が離れるまでティアドラはエアニスの指を絡めるように触っていた。
「ぐぬぬ・・・!!」
胸を反らす様に椅子にもたれかかり、ティアドラは煙草を咥えて火をつける。足と腕を組み、ゆっくりと紫煙を吐き出す。腕を組んでいるせいか、もともと目立つ胸元が強調される。煙草を指で挟み、ゆっくりと灰皿に灰を落とす仕草も、いちいち色っぽい。
チャイムの大人のオンナ像を絵に描いたかのような姿だった。
それまで黙って事の成り行きを眺めていたトキが、ゆっくりと視線を巡らせた。
ティアドラ、チャイム、そしてレイチェルへと順番に、視線を巡らせた。
ネットリとしたその視線は、彼女達の胸に向けられているような気がした。レイチェルの背中に今まで感じた事の無い悪寒が走り、何と無くトキの視線から逃れるようにもぞもぞと体の向きを変えた。
チャイムは横目でエアニスを見る。
彼女の心配を他所に、エアニスはティアドラの色香など何処吹く風といった様子で不機嫌そうに足を揺らしている。
安心した。でも今に始まった事ではないけど、エアニスの女の子に対する関心の薄さは異常なんじゃないかな。トキと一緒暮らしていたって言うしゲイなのかな。
ん、でも、前々からあたしよりレイチェルにばっか優しいし・・・レイチェルって実連年齢より若干幼く見えるから、ひょっとしてエアニスってロリコン!?
あ、でもあたしよりレイチェルの方が胸あるし・・・って、何考えてんだろあたし。
頭をぶんぶか振って、チャイムは憂鬱そうに溜息を吐く。
因みに。ティアドラのそれに比べると、チャイムの胸もレイチェルの胸もつつましやかなものでしかない。
そっと、肩を叩かれた。
振り向くと、そこには優しく微笑みかけるトキが居た。
「大丈夫です。胸がちっちゃくても、チャイムさんならカタチで勝負が出来ますよ」
「心を読むなあァ!! あと何でそんな事を知っている!!!」
チャイムは丸太の椅子でトキを殴り倒した。更に問い詰めるように、「いつだ!?いつ何処であたしの胸のカタチを見た!!?」と、執拗にトキの腹部を丸太で殴打する。
二人の間にどんなやり取りがあったのかは知らないが、関われば更に話は脱線する。エアニスとレイチェルはそんな二人に少しだけ目を向けると、何も見なかったかのようにティアドラへと向き直った。
「それにしてもお主、とんでもない業物を持っておるの」
「あ、何だって?」
突然話を振られ、エアニスは思わず聞き返す。結局、話は脱線してしまったようだ。
煙草を灰皿に押し付けたティアドラは、楽しげに言葉を続ける。
「その腰の剣じゃ。今は、"オブスキュア" と呼ばれておったか」
イライラと揺さぶられていた、エアニスの足が止まる。
「歴史の中でも三指に入る魔法剣じゃ。いや、魔剣と呼ばれた時代の方が長いかもしれぬな。持ち主の魔力と命を食い潰し、この世に在らざる者さえも斬り裂く剣じゃろう?」
ティアドラは何かに気付くと、右手の親指と人差し指で輪を作り、それを覗き込むようにしてエアニスを見た。その仕草にどのような意味があるのか分からなかったが、ティアドラはこう言った。
「おっと、お主はエルフ・・・いや、ハーフエルフじゃな? それだけの魔力を宿していれば、人間と違い剣に命まで喰われる事はなさそうじゃの。なるほど、それなりに相応しい使い手に渡ったという訳か」
エアニスはまだ、自分がハーフエルフだという事をティアドラに言っていない。言う必要も無いからだ。
エルフ特有の外見的特徴を持たない彼が、見ただけで自分の種を言い当てられたのは初めてだった。
「その剣の持ち主について聞いた噂だと・・・あの "月の光を纏う者"、ザード=ウォルサムが持っていたという噂を聞いた事があるぞ」
チャイムも、レイチェルも、トキも、驚きを隠せなかった。エアニスは思わず思わず立ち上がり、ティアドラから離れた。まるで恐れるように。
「"月の光を纏う者" の出鱈目な武勇伝も、"オブスキュア" があれば不可能な事ではないと思っておっておったが・・・ふむ、まさかとは思ったが、やはりそうか。
お主が、そうなのか」
ティアドラはそこで一度言葉を切ると、同情とも呼べる表情でエアニスを見上げた。
「二度も"石"に関わるとは・・・数奇な運命じゃの」
優しげとも呼べるその視線に、エアニスは呆気に取られたような表情で答える。
「何で、そんな事まで知ってるんだよ・・・?」
知り過ぎだ。ただの知識だけで、これだけの事を言い当てられる筈が無い。ティアドラへの不信感が再び強くなってゆく。
「わしが知っておるのはその剣の伝承と、その持ち主が2年半前にエルカカの協力者だったという事だけじゃ。それだけの事を知っていれば、お主をザード=ウォルサムだと思うのが普通であろう」
何でもない事のようにティアドラは言う。確かに、その通りかもしれない。
「わしらは世界中に散らばった、たった7つの石ころを探しておるんじゃぞ? 少しでも不思議な噂を聞きつければ、徹底的に調べ上げ、"石"との関連性を疑う。エルカカが長年培ってきた情報網を甘く見るでないぞ?」
「・・・っ、じゃあ何故俺にエルフの血が混じっている事が分かる!?
見ただけじゃ分からない筈だ!」
自分がハーフエルフだと言うと事は、二年前シャノン達に教えた覚えも無い。
「言い忘れておったが、わしはこう見えても魔導が本職でな。相手の魔力の総量など、見ただけである程度分かるわ。お主の魔力は、人間のそれでもないが、純粋なエルフと比べると、僅かに劣る」
そう言って、再び指で作ったリング越しにエアニスを覗き見た。
レイチェルが恐る恐る口を挟む。
「魔力を持つ人なら、触れる事で相手の魔力量を計る事が出来ます。
でも、自分の魔力を周りの空間に流し込んだりする事で、相手の魔力を触れる事無く計る方法もありますが・・・。
見ただけで相手の魔力量を測る方法なんて、聞いた事がありません」
レイチェルの疑問に、ティアドラはち、ち、ち、と指を振りながら舌を打った。
「それは魔力の無駄使いじゃな。わしは指で作った輪と、瞳を陣に見立て魔導式を流し込んでおる。輪っかで作った境界から、違う視点で世界を覗き込むのじゃ。
見えるものは魔力だけとは限らぬぞ。魔導式を組み替えれば、あらゆる目で世界を見通す事が出来る」
「・・・・」
「・・・・」
ティアドラの説明に、レイチェルと、そしてチャイムも表情を引き攣らせる。魔導の知識を持たないエアニスとトキには何の事か分からない。
「何なら、魔導式を教えてやろうか?」
「無理無理無理っ!!!」
「術式の複数同時起動のうえ、陣の媒体に自分の体を使うなんて危険過ぎます!!」
「そんな事もあるまい。それぞれの式はある程度腕のある魔導師なら扱えるものじゃ。それを確実に、一つ一つこなしてゆくだけじゃ」
「か、簡単に言うわね・・・」
エアニスはチャイムの肩を指でつつく。
「すごいのか、それ?」
「無茶苦茶すごいわ。魔導技術と、命知らずな所がね」
チャイムは感心したというよりは、呆れているようだった。人体を魔導式の一部に組み込むという事は、万一魔力の制御を失った場合、その身も魔力の暴走、又は崩壊に巻き込まれるのだ。
「とまぁ、わしの言う事を信じて貰うために、わしの博識さをアッピイルしてみたわけじゃが・・・どうにも効果が薄かったようじゃの・・・」
「胡散臭さが倍増してるぜ」
エアニスは剣から手を離しているが、その目から警戒の色は消えていない。
「では、もう一つ知っていることを話してみるかの」
ティアドラは椅子に座り直し、空になったグラスに葡萄酒を注ぎながら言う。ぐびりと一口仰ぐと、
「その剣・・オブスキュアの持ち主の話じゃ。恐らく、お主の前のな」
「・・・え?」
「確か 」
ガシャーーーン!!!
と、いきなりエアニスがテーブルにダイブしながらティアドラの口を塞いだ。その勢いのまま、エアニスとティアドラは床にもつれるように椅子ごと倒れ込む。
「分かった! お前が博識なのは良く分かったよ!!」
「んっもっふっふー・・」
慌てるエアニスに、ティアドラは意味ありげに微笑む。
「って、何どさくさに紛れて抱きついてんのよ!!!」
「いでででだあぁぁぁ!!」
チャイムは、ティアドラに覆いかぶさるエアニスの背を踏みつけ、長いうしろ髪を思いっきり引っ張った。エビ反りになって床を転がるエアニス。
「もう!! ティアドラさんもあまりからかわないでよ!!」
エアニスに制裁を下したチャイムは、押し倒されて仰向けになったティアドラを引き起こす。ティアドラは立ち上がったと思ったら、おぼつかない足取りでフラつき、そのままチャイムに抱きつくように倒れこんだ。ティアドラはチャイムの背に腕を回し、彼女の胸に顔をうずめる。
「うわぎゃあああああ!!!!」
「むっしっしっし、かーわいー胸じゃのー」
「いいぃぃやぁああああっ!!! あたしそっちのケは無いんだからぁぁ!!!」
がっしりと両腕と体を固められ、身動きできなくなったチャイムはティアドラのセクハラ攻撃になす術が無い。
トキとレイチェルは呆気にとられポカンと眺めているだけだった。仕方なく、エアニスはチャイムからティアドラを引き剥がしにかかる。
「やめろエロババア!! いい加減にしないとぶった斬るぞ!!」
「なひをなんばたんじゃがっ!!」
「!!?」
突然凄い剣幕で怒鳴られた。でも何を言っているのか分からない。
その威勢も一瞬で消え去り、今度はへろへろとエアニスに寄りかかる。思わず両肩を掴んで、体を支えてしまう。
「・・・こいつ、酔っ払ってるぞ」
チャイムは机の上に横倒しに鳴った葡萄酒瓶を見る。それほどの量を飲んだ訳でもない。
ティアドラはエアニスから体を離すと、フラフラと丸太の椅子を起こし、座った。机に突っ伏し、楽しそうに笑う。
「にゃははは、今日はとても気分が良い!」
「何が楽しいんだ・・・コッチはいい加減付き合いきれねーぞ」
「ようやく最後の石が、この地に届けられたのじゃ・・・。
神殿の護り人として、この日をどれだけ待ち侘びたと思う? 嬉しくない訳があるまい?」
ゆっくりと、目を閉じてティアドラは呟く。感慨深く、そして嬉しそうに。
「本当に・・・良くがんばったの・・・・」
その言葉はレイチェルに向けられたものだったのか。
それを最後に、ティアドラは眠ってしまった。
「・・・ついていけねーな、コイツには」
「うん・・・何か、凄い人よね・・・いろいろ」
ティアドラを壁際のソファーに寝かせると、ドッと疲れた様子でエアニスは椅子に座り込む。
「で、どうするんですか? ティアドラさんの言う事、信じるんですか?」
トキも戸惑っているようだった。エアニスは眉間にシワを寄せる。
「こんな馬鹿けた接触をする敵が居ると思うか?」
「・・・居たら嫌ですね」
「何というか・・・疑う気にもなれなくなってきたよ・・・。
一応、言ってる事もデタラメばかりじゃなさそうだしな」
「それも含めて全部演技、実は敵のスパイでした! という可能性は?」
エアニスは横目で、よだれを垂らしながら眠るティアドラを見る。
苦手なタイプだ。しかし、悔しいことにエアニスの本心は憎めない奴だなと感じていた。彼女の間の抜けた寝顔を見ているうちに疑心暗鬼に駆られるのが、馬鹿らしくなってしまった。
エアニスは肩を竦める。
彼女のこの振る舞いが全て演技だとしたら・・・
「・・・もしそうだと、もう俺の負けでいいよ」
「信じてもらえてなによりじゃ!」
「うおっ!!」
ビヨン!!と、ティアドラが跳ね起きる。バネ仕掛けの人形かと思った。
「そんな事より、腹が減ったぞい。今宵は祭りじゃ!外に食いにいくぞ!!」
「え、でも・・・」
そんな悠長な事をしていても良いのだろうか、と言い淀むレイチェル。
バシンと、ティアドラに背中を叩かれた。
「そんなに急いでも何も変わりゃあせん! 今宵と明日は旅の疲れを癒すが良い!
どの道、わしの方とて色々と準備もあるしの」
エアニス達としては身構えてこの街へやって来たつもりだったが、案内人は随分とお気楽だった。確かに、ここ数日は野宿続きだ。休息や、武器の手入れに時間を掛けたいという思いはある。
しかし、旅の終着点が目の前にあるのだ。4人とも、何処かはやる気持ちがあった。
「・・・まぁ、な。急いだ所で良い事は無いか」
エアニスが窓から夜空を見ながら言った。
天候も暫くは安定しそうで、急に雪が降り始め山に入る事が出来なくなるという事も無さそうだ。
それに、目的を達成し旅を終えてしまう事に僅かながらの名残惜しさもあった。こんな状況だが、もう少しだけ新しい仲間達と一緒に居たいと、エアニスは思ってしまった。
「おっ」
エアニスが見上げていた夜空に、一筋の光が昇ってゆく。
その光は夜空に大輪の華を咲かせると、一息遅れてドンと夜の空気を響かせた。花火だ。レイチェルが窓に駆け寄る。夜空に軌跡を残しながら消えてゆく火花を、ぽかんと口を開けて眺めていた。
「・・・すごい・・・すごい!すごい!!」
「あ、ちょっとレイチェルさん!?」
大きな打ち上げ花火など見た事が無かったのだろう。レイチェルは表情を輝かせ、表の通りに飛び出して行く。その様子を見て、苦笑いを浮かべるトキに、エアニスとチャイム。
「やれやれ、仕方無いですね・・・」
「ま、俺も腹は減ってるしな」
「行こうよ、あたしも花火見たいな」
「よし、ついて来い!! わしのお勧めの店があるんじゃ。祭りで混んでいるかも知れぬが、わしなら顔パスじゃ!」
威勢良く腕を振り上げるティアドラは、4人を引率するように意気揚々と街へと繰り出す。
皆で表通りに出た時、チャイムがこっそりとエアニスの手を掴む。
「ね、エアニス」
「何だ?」
「さっき、ティアドラさんの口を塞いだのは何で?
その剣の前の持ち主の事、あたし達に聞かれちゃマズイの?」
エアニスは視線を泳がせると、一つ咳払いをして真面目な声で言った。
「これから言う事は、誰にも言うんじゃないぞ?」
「え・・・う、うん。わかった」
その眼差しに、思わずチャイムは居住まいを正す。
「実は俺・・・エルフで一番権力を持った王族の、王子なんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「でも俺ってハーフエルフだろ? 跡継ぎ争いとか、周りの目だとか、色々と軋轢がキツくてさ。ガキの頃にキレて、王家に伝わるこの剣を盗んで、城を飛び出したんだ」
「・・・・」
「この剣の前の持ち主のを話されると、俺の実家の事から、俺の素性の話に繋がるだろ?
だから、ティアドラに話をされたくなかったんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「それだけさ。トキ達には秘密だぞ?」
「・・・・・・・・・・・えっ。まじ?」
「って言えば信じてくれるか?」
「信じかけちゃったじゃないのよ!!!」
「ふぐぐ!!」
チャイムはエアニスの唇を摘まんで引っ張り倒した。
「何やってんですか、また夫婦漫才ですか?」
歩みの止まっていたエアニスとチャイムに、トキが声をかける。
「だだだ誰が夫婦よ!
っもう! 本当にエアニスはっ!! 先に行くわよ!!」
何故か顔を赤く染めながら、チャイムは駆け足でトキ達の元へ走ってゆく。
エアニスは立ち上がると、引っ張られた唇を親指でなぞる。
僅かに、肩が震えた。痛かったからではない。おかしくて、思わず綻ぶ口元を隠していたのだ。
「・・・まぁ、いいか」
すっかり癖付いてしまった溜息を吐くと、エアニスは仲間と共に喧騒の渦巻く夜の街へと繰り出した。