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月の光を纏う者  作者: 猫崎 歩
終章
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67/79

第66話 幸せな世界

 レイチェルの瞳は、光り輝くファウストの街を映していた。

 群青色だった空はすっかり夜の帳が降り、建物の軒先や屋台を繋ぐ様に吊るした雪の結晶の飾りがチカチカと光っていた。火や魔導ではなく、電気仕掛けの装飾灯のようだ。

 ドン、とおなかに響く音に顔を上げると、夜空を赤と黄色の花火が彩っていた。山間で響く花火の音は冷たい空気の中で何度も何度もこだまして、とても心地が良かった。

 輝いてるのは街だけではない。

 街のメインストリートを着飾った沢山の人達が、とても楽しそうに、とても幸せそうに歩いている。家族や友人、そして恋人と。笑い合いながら、それぞれのお祭りを楽しんでいるようだった。

 生まれてから17年間、人目をはばかる隠れ里に住んでいたレイチェルは、これだけ沢山の人々を見たのは初めてだった。そして、世界はこれほどまでに幸せが満ちているのだという事を、初めて知った。

 慣れない人込みの中、レイチェルは石畳の段差に足を取られてしまった。思わず後へバランスを崩し、そこにいた恰幅の良い中年の男にぶつかってしまった。

 慌ててすみません、と謝るレイチェルに、男は気にするなと楽しそうに笑って、レイチェルに雪の結晶の飾りを手渡した。良く見ると男の手には雪の結晶のほかにも月や星、町の周りに多く生えている杉の木を模した飾りを沢山持っている。祭りの関係者なのか、それを道行く子ども達に配っていた。

 雪の結晶は町中にぶら下がっているものと同じ形で、原理は分からないが、発光塗料で自ら光っているようだった。初めて見る、不思議な光。

 レイチェルは自分の服をキョロキョロと見回し、胸元のマントの留め具に、男から貰った光る雪の結晶を飾った。

 似合ってるよと笑いかけてくれた男へ、レイチェルは嬉しそうに、"ありがとう"と言った。


 何もかもが輝いていて、何もかもが優しい。

 レイチェルは、世界はもっと冷たく、残酷なものだと思っていた。

「・・・平和な世の中になったもんだな」

 そんな呟きにレイチェルは面を上げると、エアニスがとても不思議そうに、街の雑踏を眺めていた。場所は祭りを楽しむ人々でごった返すメインストリート。ティアドラを先頭に、エアニス達は食事の出来る店へと向かい歩いていた。

「ほんの少し前は、何処もかしこも戦争で・・・こんなに沢山の人が笑い合えるような世界なんて、想像もできなかった・・・」

 エアニスは何年もの間戦場を渡り歩き、戦争が終結したと同時にミルフィストの山奥へと引き篭もってしまった。戦争が終わってからの世界を、肌で感じる機会が少なかったと言える。

 これについては、トキもチャイムも少なからず同じ気持ちだった。彼らは生まれてからずっと、戦争と共に生きてきたのだ。

 平和な世界で生きていた時間より、戦争と共に生きていた時間の方がずっと長いのだ。

「こんな事を言うのも恥ずかしいですが・・・」

 トキも雑踏に目を向けながら。エアニスから視線を外しながら、言った。

「これはエアニスがもたらした平和だと言っても、過言ではありませんよ」

「・・・はぁ? 何言ってんだ?」

 僅かな間を置き、エアニスは呆れたように言う。



 まだ、ほんの2年半前の出来事。

 世界中の権力者が欲しがり、世界大戦勃発の要因にもなったと言われる、世界に七つしか存在しない無限の魔力増幅機、"ヘヴンガレッド"。

 発見された6番目の"ヘヴンガレッド"の争奪戦に巻き込まれたエアニスは、それを手に入れ、たった一人で世界を相手に戦った。

 理由は世界への復讐。

 たった一人で幾千という兵士を相手に戦い、

 たった一人で幾千という人間を殺す近代兵器と戦った。

 ヘヴンガレッドによりもたらされる莫大な力と、失った仲間から引き継いだ情報網を使い、世界を"調律"し、誰もが勝つことの出来ない、不毛の戦場を演出した。

 石の存在を見失い、エアニスの調律によって急速に疲弊してゆく国々が、20年以上続けた戦争の終結を選択するのにそれほど時間は掛からなかった。

 それがエアニスの、"月の光を纏う者"が世界に残した功績。

 そしてその事実はあまりに非現実的故に、表沙汰になる事は無く噂や都市伝説のように語り継がれていた。



「確かに、"月の光を纏う者"の噂は出鱈目なものばかりじゃが・・・それらが本当だとすれば、先の大戦に与えた影響は、少なくない。

 戦争終結を早めた要因になっておるのは、間違いないじゃろう」

 ティアドラは、横に並ぶエアニスを見ながら言った。エアニスは鬱陶しそうに舌打ちをする。

「じゃが、大戦中の"月の光を纏う者"の噂は、何処までが本当で、何処までが嘘か、わしの情報網でも判断が出来ないものばかりじゃ。

 "月の光を纏う者"などという存在は出鱈目で、全ては都市伝説。戦争に負けた者が言うお決まりの言い訳だとも言われておる。

 さて、実際の所はどうなのじゃ?」

「・・・さーな」

「ヴァルハラ平原で圧倒的優位に立っていたレオニール軍が一夜にして壊滅したというのは?」

「・・・一夜じゃない。破壊工作の仕込みも含めりゃ、二晩かかってる」

「ヴァノン島のアルストニア海軍の艦隊を沈めたのもか?」

「魔導式の新造艦何隻かと・・・何となく物騒な爆弾積んでた飛空艇もあったから沈めた・・・。

 というか、やめてくれ。あの頃の話は、したくないんだよ」

 何だかんだで答えてしまったエアニスの答えに、トキとチャイムは目を泳がせる。スケールがやばい。

「ならば頼む、最後に一つだけ!」

「・・・なんだよ?」

 随分と意気込んだ懇願に、エアニスは思わず先を促した。

 ティアドラはゴクリと喉を鳴らし、どうしても確認しておきたかった質問を口にする。

「"月の光を纏う者"には超絶美男子の情報屋が付いており・・・

 なんとその二人はデキているという噂が・・・!」

「誰が流した噂だッ!!?」


 それから暫くして、エアニス達はティアドラの馴染みのバーで食事をした。良い酒が揃っているという事で、チャイムとトキも軽く飲んで行く事にした。やっぱり未成年ですからと自分を律したレイチェルと、アルコールに耐性が無いエアニスは生姜をベースにしたフルーツジュースを飲んだ。

 野宿続きで数日振りにまともな食事をとった一行は、一人を除いて上機嫌で店を出た。

「あぁ、クソ。頭痛ぇ・・・!」

「あれ、エアニスってお酒飲んでたっけ?」

「飲むかよあんな気持ち悪いモン・・・飲んで無くても匂いだけでアルコールが回って来るんだよ・・・あとお前も酒臭い・・・」

「お酒の匂いだけで酔えるなんてお手軽よねー・・・あたしなんてぶどう酒いっぽん開けちゃったわよあははははははははは!!!」

「お、お前何かテンション変だぞ・・・!?」

 不思議なタイミングで笑い出したチャイムにエアニスはどん引きする。

「ったく・・・じゃ、メシも食ったし戻るか・・・って、あれ?」

 エアニスが振り返ると、そこにトキ達の姿が無かった。エアニスとチャイムの周りを、若干減ったものの祭りを楽しむ沢山の人々がどんどんと流れてゆく。

 はぐれてしまったようだ。エアニスは頭を掻きながら、

「まぁいいか。勝手にティアドラの家に戻って・・・」

「ふぉぁーーー」

 いきなりチャイムが気の抜けた声と共に倒れ込んできた。チャイムの体に押された上、どういう体勢なのか足まで取られた状態となり、たまらずエアニスは石畳へ背中から倒れこみ、一段飛び出していた道の縁石に後頭部を打ち付ける。

 視界が一瞬白く瞬き、声も無く悶絶するエアニス。

「あや、ごめーんエアニス・・ちょっと飲みすぎちゃったかな・・・」

「こ、この野郎・・・」

 チャイムの体を引き剥がし、エアニスは立ち上がろうとしたが、

「う・・・」

 視界がフワリと揺れた。アルコールの匂いに当てられ、感覚が鈍くなっている。匂いだけでここまで酔ってしまうとは自分でも思わなかった。

 エアニスは頭を振り、チャイムの腕を引っ張り立たせようとする。

「あぁああもう!!ほら、立て!!帰るぞもう!!!」

「あぁあああっちょっとまってよああああー」

「うおー!!」

 エアニスとチャイムは、路上の端っこでグデングデンともつれるように転がった。



「あー・・・気持ちイイ・・」

「ぁぁ・・もう酒のある場所にも近寄りたくねぇ・・・」

 場所は変わり、街のはずれの高台。

 丘の斜面に張り付くように家々が並び、その間を階段のような道がジグザグに走っている。何故街の中心に近いティアドラの家でなく、こんな街外れに居るのかと言うと、単に迷子になっているだけだった。エアニスは帰り道を覚えていたが、チャイムがアッチに行きたいコッチに行きたいと寄り道を繰り返すうちに、いつの間にかこのような場所に辿り着いていたのだ。最早エアニスにも帰り道は分からない。

 二人は階段の折り返された、踊り場のような広場に座り込んでいた。道の端には転落防止の杭と鎖で出来た柵が続いており、柵の向こうはちょっとした崖となっている。さっきまでの人混みが嘘のように、この辺りは人通りが全く無い。

 柵の隙間から足を投げ出すような格好で、二人は目前に広がる街の明りを眺めていた。

街 の中央を横切るメインストリートを中心に、オレンジ色の沢山の明りが瞬いている。

「綺麗ねー・・・」

「・・・ああ」

 チャイムの呟きに、エアニスは素直に頷いた。

 世界で最も機械文明が進んでいるベクタの夜景も素晴らしいものだったが、ファウストの夜景も負けず劣らずの美しさだった。

 何より、ベクタの夜景に比べると温かみを感じる。

 エアニスは祭りに繰り出し、雑踏の中で笑いあう人々の顔を思い出す。

 平和に満ちた、暖かな街の明り。


「エアニスは・・・何であまり人と関わろうとしないの?」

 突然の問い掛けに、エアニスは僅かながら当惑する。

「なんだよ、唐突だな・・・」

「いいから」

「人間が嫌いだから」

 考えるのが面倒だと言わんばかりの即答に、チャイムは笑った。

「じゃあ、エアニスはあたしの事も嫌いなの?」

「あぁ!?」

 いきなり何を言い出すんだこいつは。エアニスが言葉に詰まっていると、

「レイチェルや、トキも嫌い?」

「・・・いや・・・嫌い、じゃない」

 ゴホンと咳払いをしてから、そう答えた。

 どうやら、"そういう"話では無いようだ。

「エアニスが、戦争でどれだけ人間の嫌な所を見てきたのか・・・あたしには分からないけどさ・・・」

 何処か寂しそうな声にエアニスが振り向くのを待ってから、言葉の続きを口にした。

「全ての人間が、そういうのじゃ無いでしょ?」

 相手の目を見ながら優しく言うチャイムに、エアニスは口をつぐんだ。


もし許されるなら、俺の手でこの腐った世界を------


 あれはいつの事だったか。

 "石"の力を手に入れたエアニスは、このまま世界を壊し尽くしてしまおうかと思った事がある。

 愚かで醜く愚鈍で醜悪な人間の姿を見てきたエアニスは、人と世界と自分に失望した。こんな世界など、初めから無い方が良いのだと思った。

 戦争の中で、前回の"石"を巡る戦いの中で、そう思った。

 誇大妄想も甚だしいが、絵空事ではない。"石"の力さえあれば、あの時のエアニスには不可能な事では無かった。

 それをしなかったのは勿論、世界はそういった側面ばかりでは無いと分かってはいたから。

 シャノンやゲイル、レナと出会えたこの世界の全てが過ちではないと分かっていたから。

 いっそ、自分がそれすらも理解できなくなる程に壊れてしまえば楽だったのだろうが、幸か不幸かエアニスはこの世界を受け入れてしまった。妥協なのか、諦めなのか、諦観なのか。受け入れる事が出来てしまった。そして、世界を受け入れた自分を嫌悪し、受け入れざるを得ない世界に失望し、エアニスはひたすらに剣を振るった。

 そして残ったのは、世界に対する失望と、人間に対する嫌悪。

 嫌悪は時が経つにつれて無関心へと変わっていったが、エアニスが人間を嫌っている事に違いは無かった。

 それは、今でも変わらない。

 しかし、稀に出会うこのようなタイプの人間達と言葉を交わすと、不意にその認識が変わってしまいそうになるのだ。


「もっと、この幸せな世界を楽しもうよ! 勿体無いわよ?」

 チャイムは両手を広げ、楽しそうに言った。エアニスは頬杖をつきながら彼女を見上げる。

「本当、お前は世界を・・・人生を楽しんでるよなぁ」

「嫌な事の方が多いけどね。あ、でもやっぱり、戦争が終わってからは楽しいことの方が多いかもしれないわ。うん、きっとエアニスのお蔭だね!」

 おどけるチャイムに、エアニスは鼻を鳴らする。

「はぁ・・・そうだな。今の小屋結構傷んでるし・・・ミルフィストに戻ったら、もう少し人間の多い街中に引っ越すよ・・・」

「ダメよ引っ越すだけじゃあ!! エアニス街にいた頃は準引き篭もりだったんでしょ? 外に出なきゃダメよ。とりあえず働いてみたら?」

「それは嫌だ」

 即答だった。

「・・・そうね。街で働くエアニスとかちょっと想像出来なかいわね・・・」

「ま・・・善処するよ」


「ありがとう」

 抑揚の無い声で、大して感謝している様子も無かったが、突然エアニスがチャイムへ感謝の言葉を告げた。

 キョトンと呆けた顔のチャイムに、エアニスは視線を夜景に向けたまま続ける。

「いつまでも、こんな事思っていたら・・・世界を、人間を拒絶していたら駄目だとは思ってたんだ。でも、お前とレイチェルのお蔭で、歩み寄れそうな気になってきたよ」

「トキが抜けてるわよ?」

「あいつは駄目だ。あれは世界や人間に対して感想を持ってねぇ」

「あぁ・・・」

 苦笑いを浮かべるチャイム。彼はアレで良いのだろうか?

「まっ、あたし達のお蔭とかじゃなくて、あんたが戦争を終わらせたからじゃないの?

 争う理由が無ければ、この街の人達みたいに、みんなで笑い会えるようになるわよ」

 軽く言うチャイムに、エアニスは首を振る。

「いいや、違う。そうだとしても、お前が居なかったら、俺は自分を責め続け、人間が嫌いなままで・・・いずれまた世界を憎むようになっていたかもしれない。

 お前の言葉に、俺は何度も救われてるんだ」

 エアニスは、改まってこんな事を言う柄ではないが、これはどうしても伝えておきたい言葉であった。偶然にも二人きりとなり、この旅の最後の戦いを控えた今、この言葉を伝えるのは今しかないと思った。だからエアニスは、彼女に向き直って微笑みながら言った。

「お前と出逢えて、本当に良かったよ」


 ボン!

 とチャイムの顔が真っ赤に染まる。

「あぁ・・・うん、いゃあ・・えへへへ」

「ニヤついてんじゃねーよ、気色悪いな」

「いひひひ・・だってさー・・・」

 礼を言ったエアニス自身も照れたように笑って、真っ赤になってグネグネと身をよじるチャイムを肘で突っつく。

「じゃあさっ、感謝の想いを込めてご褒美ちょうだいよ!」

 エアニスは表情一転、チッと舌を鳴らしチャイムを睨む。しかしすぐに短く息を吐くと、軽く肩を竦める。

「図々しい奴だな・・・まぁ、いいか。何か欲しいモンでもあるのか?」

 エアニスにしては珍しく心が広かった。これまた柄ではないが、日頃の感謝を込めてプレゼントを渡すのも悪くはない。エアニスは笑いながら問い掛けた。

 そして、チャイムは言った。

「キ、キスをしてちょうだい!」

「・・・・・」

 エアニスの笑顔が固まる。笑顔のまま、固まった。

 顔を真っ赤に染めたチャイムは目を瞑ると、くいっと少し上を向くように、エアニスに顔を寄せた。

 チャイムの荒い吐息がエアニスの前髪を揺らす。ハッとエアニスが我に返り、

「何故そうなる!!?」

 そのの唇を摘み、彼女の顔を思いっきり明後日の方向へと捩じ曲げた。不意に、ほんの少し前にエアニス自信彼女から同じような仕打ちを受けていた事を思い出した。

「えぇええっ!! そうなる雰囲気じゃなかった今の!?」

「ならねーだろ普通! 流れを読め!! 順番を守れ!! 何考えてんだお前は!!?」

「き、昨日の夜の事!! 何か曖昧なまま話が終っちゃったから、その続き!!」

「っ・・・!!」

 エアニスは昨晩の夜、見張りをしながら車の中で彼女と話し合った事を思い出した。

「あああ、あれだけ言えばあたしがあんたの事どう思ってるのかわわわ分かるでしょ!?

 分かってるわよね!!?」

「苦しい・・・襟首を掴むな!! なんで喧嘩腰なんだよ!?」

「いいから答えてよっ!!」

 チャイムは乱暴にエアニスを押し押す。座った姿勢からとはいえ、エアニスはまた石畳に後頭を打ち付けてしまう。

「普通とか、嫌いじゃないとか・・・そんな言葉で誤魔化さないで」

 チャイムは両手を仰向けに倒れたエアニスの頭の左右について、エアニスの顔を真っ直ぐ見下ろす。自らの感情に押しつぶされそうな、苦しそうで切なそうな表情。

 そして溢れかえる感情を抑えきれず、震える声で訊いた。

「あたしの事、ひとりの女の子として・・・好き?」


「・・・俺もずるい奴だとは思うけど、お前も大概だな」

「・・・っ」

 不満を漏らしながらも、エアニスの声は優しい。

「昨日の晩からどうした? 急にこんな話を・・・」

 チャイムは、エアニスから目を逸らす。

「だって、旅はもう終わりでしょ?

 もうすぐ・・・あの魔族達と戦う事になるでしょ?」

 そこまで訊いて、エアニスはチャイムの言わんとしている事が分かった。

 あの魔族とは、無論イビスとアイビスの事だ。そして、彼らとの戦いが近づいてきたからという理由で、このような話をするという事は・・・

「何だ? あいつらに俺が殺られるとでも思ってるのか?」

「エアニスは負けないよ。強いもん。心配なのはあたしの方よね・・・」

「・・・・」

 つまり。

 魔族との戦いの前に、今の自分の気持ちを伝えておきたかったという訳だ。万一、自分が殺されてしまってからでは遅いから。

 顔のすぐ横にあるチャイムの腕が、震えていた。エアニスには良く分かる。この震えは緊張や筋肉の疲労等といったものではない。

 恐怖による震えだ。

「・・・怖いか?」

「・・・っ」

「怖いのなら、街に残っててもいいんだぞ?」

「それは嫌!! 治療魔法が使えるのあたししか居ないでしょ!?

 あいつらとの戦いで大怪我したらどうするのよ!?」

 その言葉にエアニスは一瞬呆気にとられたような顔で驚き、すぐに笑った。

「はっ、自分の心配より他人の心配かよ・・・」

「・・・」

「ホント、お前らしいな」

 チャイムに押し倒される形になっていたエアニスが、体を起こす。チャイムは起き上がろうとするエアニスから身を引こうとしたが、不意にその腕を掴まれた。

「わ・・・」

 チャイムが小さく驚きの声を漏らす。

 起き上がったエアニスは、チャイムの体を引き寄せ、抱き止めたのだ。チャイムは驚いて、体を動かせずにいた。

「な、何・・・?」

「ん・・・何となく・・・」

 エアニスは、チャイムの背に回した腕に、ぎゅっと力を入れる。

 ただ、無性にチャイムの事をいとおしく感じ、抱き締めたくなった。普段ではチャイムに殴り飛ばされかねない暴挙だが、エアニスはごく自然に、こうする事が当然とでも言うように、チャイムを抱き締めた。

 チャイムの体は思いのほか小さく、エアニスは少しだけ驚いた。呼吸をしているのが背中に回した手に伝わる。何よりも分かりやすい、生きている事の証。これを最後に感じたのはいつの事だったか。あの日、この息遣いが腕の中で失われてゆくのを感じた時、自分は何を考えていたのだろうか。嫌が応にも、思い出してしまいそうになる。

 緊張していたかのように強張っていたチャイムの体からふっと力が抜ける。そして、チャイムもエアニスと同じ様に、彼の背中に恐る恐る腕を回して、ぎゅっと力を込めた。

「・・・エアニス」

 チャイムがエアニスの肩に顔を当てて、小さな声でその名を呼んだ。

 エアニスの胸に、何ともいえぬ充足感が満ちる。

 これが、幸せなどと言うものだろうか。

 エアニスは、この腕の中にある存在を絶対に手放したくないと思った。



 街外れにわだかまる夜闇に。

 その様子を見つめる三対の瞳があった。

「これは・・・非常にマズイですね」

「うむ・・・完全に姿を見せるタイミングを逃してしまったの・・・」

「だからダメですって言ったじゃないですか・・・!」

 トキとティアドラ、そしてレイチェルは、身を隠して一部始終を見ていたのだった。

 いや、一部始終という言葉には語弊がある。エアニスがチャイムを抱き止めた辺りから、一同は恥ずかしさと罪悪感のあまりその光景から目を背けてしまっていた。

 彼らが居るのは、エアニスとチャイムが座る場所から殆ど離れていない。二人が居る踊り場から階段を少しだけ降りただけの、話し声も十分に聞こえてくるような場所だ。そのような距離にも関わらず何故見つからず覗きを成立させているのかというと、それはティアドラが光の屈折と空気の流れを魔導で操り、その姿をエアニス達から隠しているからだった。相手にこちらの姿が見える事は無く、多少の話し声も伝わらない。更には人の第六感にも干渉して気配までもを撹乱する、高度にして大人気なく、そしてこの用途においては極めて悪質な結界だった。

 元はといえば、雑踏の中でエアニスとチャイムを意図的に置き去りにし、その慌てる反応を影から観察して面白がるという些細な悪戯が始まりだった。

 トキが考えたそんなくだらない悪戯に食い付いたのがティアドラだ。彼女はその卓越した魔導技術でトキの悪戯を完全犯罪へと昇華させ、酒に酔ってぐだぐだになった二人を、ずーっと覗き見ていたのだ。

 レイチェルはレイチェルで、悪いとは思いつつも二人と行動を共にした。普段はこのような事をする性格ではないが、一緒に悪戯をするという不思議な連帯感がレイチェルにとっては新鮮で、ワクワクしてしまったのだ。早い話が、普通に楽しんでいた。

 三人はエアニスとチャイムを付け回し、適当な所でクシャミでもしてエアニスに気付かれ、「お前ら何やってんだ!!」と蹴り飛ばされて終わり・・・というシナリオを何と無く描いていたが、三人は空気を読み過ぎてしまったのか、ティアドラの結界が完璧過ぎたのか、エアニス達の前に姿を見せる機会を完全に逃してしまっていた。

 そして、今に至る。

 全てが遅かった。今ここで姿を見せようものなら、蹴り飛ばされる位では済まないだろう。間違いなく斬り飛ばされる。

「ど、どうしましょう?」

「そりゃぁ、このまま見学させて貰うか、黙ってここから去るかじゃろう?」

「・・・どちらも罪悪感が残りそうな選択肢ですが・・・でも、仕方ありませんねぇ」

 つまらなさそうにトキは言って踵を返し、階段を降りて行こうとする。何処か安堵するレイチェル。このまま立ち去るのかと思いきや、トキの足は階段を3段降りた所で止まった。

「・・・いや。でもどの道罪悪感が残るのであれば最後まで鑑賞させて頂くのも・・・」

「トキさん!!」

「!!・・・す、すみません・・・」

 レイチェルに本気で怒られた。

「うごぉっ!!」

 そんなやり取りも何処吹く風、覗きを続行していたティアドラが突然驚愕の声を上げる。その声に二人はティアドラの方へ、エアニスとチャイムの方へと振り返る。

「んなぁっ!?」

「んあぁっ!!」

 二人もティアドラのように思わず奇矯な声を漏らす。

 そこには少しだけ身を離して、俯き気味に見つめ合うエアニスとチャイム。

 そして。

 そしてそして。

 チャイムは吐息が乱れるほどの陶然とした表情で。

 エアニスは少し戸惑うように。

 その顔を、その唇を寄せていく。

「あっ!!あっ!!んああああああああああああ!!」

「ごああああああああああああ!!!」

 二人の様子に釘付けになるトキとティアドラ。興奮し過ぎの絶叫も、ティアドラの完璧な結界に阻まれ二人には届かない。

 レイチェルは両の手で目元を覆いながらも、つい指の隙間からチラチラとその様子を見てしまう。しかしレイチェルは見たいという誘惑を断ち切るようにギュッと目を瞑り、ぶんぶか頭を振る。そして、

「や、やっぱり駄目ですよぉぉぉぉ!!」

『んがあっ!』

 レイチェルは背後から、トキとティアドラの頭を目隠しをするように目元を掴んで仰け反らせた。

 三人の足元は階段。トキとティアドラは突然頭を後に引っ張られてバランスを崩す。当のレイチェルも、倒れそうになる二人の体に押されて階段を踏み外した。

 ガン!!

 と、ティアドラが後頭部を階段の角にぶつけ、失神する。

 そのままゴロゴロと派手な音を立て、もつれるようにして三人は石の階段を15段ばかり転がり落ちた。

「あいたたた・・・大丈夫ですかレイチェルさん? というか、何て事するんですか」

「でも、だって!」

「ティアドラさんは・・・あぁ、駄目ですねこれは。白目剥いちゃってます」

クラゲのようにダランとしたティアドラの手を取り、トキは黙祷を捧げるように目を閉じる。

「・・・・」

サッとレイチェルの表情が青ざめた。

術者の意識が無くなるという事。それは。


「なにやってるんだお前ら・・・」

背中を突き飛ばされるような分厚い殺気がトキとレイチェルを打ち抜いた。

がたがたと震えながら振り向いた先には、階段の上から三人を睥睨するエアニスの姿があった。

 その左手には、既に魔法剣・オブスキュアが抜き身の状態で握られている。

 ティアドラが意識を失った事で、三人の姿を隠していた結界が消えてしまったのだ。

「あぁ・・いや・・・これはですね・・・」

「ごめ・・ごめ・・・」

 レイチェルが泣きそうになって、トキは打撃か電撃どちらでエアニスの記憶を消すか考え始めた頃、失神していたティアドラがビヨン!と起き上がり、エアニスの前に立ち塞がった。

「いゃあ、お主らを探しに来て見つけたは良いが、ちょーっとお取り込み中だった様でのぅ。

 慌てて退散しようとしたら足を滑らせ、思わず三人で階段オチをしてしまったんじゃよ」

 これほどまでに正々堂々と嘘を言える人間も珍しい。ぬけぬけと、大したものだとトキとレイチェルが白い視線を送る。

「いやいやーホント、何も見とらぬよ。許し・・・っ 」

 プンッ、と小さく風を切る音が鳴り、ティアドラの言葉が途切れる。

 エアニスがオブスキュアの切っ先を、ティアドラの頬ギリギリで当てていた。頬が切れていないのが不思議なくらいの俊敏な突きだった。

「本当か?」

 目がマジだった。しかし、それは自分が優位に立っていると確信している者の目ではない。頬には汗が流れ、手元は僅かに震えている。全く逆の、自分が追い詰められていると思っている者の目だった。

「・・・・あー・・・」

「・・・・はぁ・・・」

「・・・・ぅ・・うぇぇぇーん!」

 ティアドラが半笑いで視線を逸らした。トキは青白い顔で生返事をして、レイチェルに至っては泣き出してしまった。慌てるトキとティアドラ。

「い・・・いぃゃああああぁーーーー!!」

 呆然と立ち尽くしていたチャイムが、両手で顔を覆い泣きながら街の外れに向かって駆け出した。

「お前らあぁぁぁ!! いつだ!! いつから見ていたあぁぁぁぁ!!!」

 エアニスも顔を真っ赤にして、今まで誰も見た事が無い程に取り乱す。

「待て!! 最後だけは!! 最後だけは本当に見ておらぬ!!」

「信用できるかあぁぁ!!」

 思わず叫んだエアニスの言葉に、トキが目ざとく反応する。

「!!・・と、という事はッ、チ、チャイムさんとキ、キス、したんですかッ・・・!?」

「がっ!!・・・う、がぁぁぁぁぁ!!!」

 激しく動揺したエアニスは、剣を放り投げ、半狂乱の呈を見せて飛び掛ってきた。階段の上からトキの腹に向けてドロップキックを突き刺し一撃で地面に沈めると、すぐ近くに居たティアドラの両肩をドンと突き飛ばす。

「おあっ・・・あー!!」

 前述した通り、彼らの居る階段状の道の端には杭を鎖で繋いだ腰くらいの高さの柵があり、その向こうはちょっとした崖になっている。ティアドラはエアニスに押されて鎖に足を取られると、そのまま崖の下へガラガラと音を立てて落ちていった。多分死ぬような高さでは無い。

 ティアドラが闇の底へ消えたのを見届けると、今度はエアニスは泣いているレイチェルに向き直り・・・

「ご、ごめ゛んなさいー・・・ひっく、こんな、大事な話っ・・・盗み聞きするつもり、無かったんです・・・ぐずっ、ひーん・・・」

「う・・・ぐぐぐ・・・!」

 結局、子供のように泣きじゃくるレイチェルにエアニスは何もする事が出来ず、

「こ、この野郎オォー!!」

「なんでっ!!」

 ボグッ!と、足元に転がるトキの脇腹を代わりに蹴り飛ばした。



 その後、泣きながら失踪してしまったチャイムを皆で探し出し、(教会の尖塔にしがみついて泣いている所をティアドラに発見された。どうやってそんな高い所まで登ったのか本人も覚えておらず、結局分からず終いだった)ティアドラの家に戻り反省会が催された。最後の最後で、これまで一緒に戦ってきた仲間の絆が壊れてしまう所だったが、

 レイチェルが泣いて、

 ティアドラが土下座マシーンと化し、

 トキがサンドバッグになる事によって、エアニスとチャイムから一応の許しを請う事が出来た。


 そしてようやく、エアニス達は長旅の疲れと、その十倍はあろうかという今晩の精神的な疲れを癒す為眠りに就く事が出来た。

 空は、白じみ始めていた。

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