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月の光を纏う者  作者: 猫崎 歩
第二部
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第14話 月夜の寄り道  -後編-

「ほぅ、これが・・・」

 とある倉庫の一室。密売所の元締めであるバイスは、エリオットの空けた小さなケースの中身を覗き、感嘆の声を上げる。

 ケースの中には銀色に輝く、有機的な形をした銃が収まっていた。近代の銃は、どれも工業製品然とした味気ないデザインのものばかりだが、その銃は職人が作ったような温かみのある造形をしている。

 単純な芸術品としても、それは価値のある物の様に見えた。しかし、これの持つ価値は、その中身にある。

「エベネゼルが全面出資している兵器会社に作らせた銃です。

 ただの機械式ではなく、魔導技術も適用した、今までにない構造を持つ銃です。

 銃の始まりは魔導師が作った魔導式の道具が始まりだと言われています。

 それから時代が進むにつれて、銃は魔導師以外の人間も扱えるよう機械式へと進化して行きました。ですから、これはある意味先祖返りをしたという事になるのかもしれませんね。

 魔導技術と機械技術の融合が研究分野として確立しつつある今だからこそ出来る銃です」

 バイスは銃と一緒に添えられた紙の束を手に取って、広げる。

「試作品の一つと、設計図を持ち出すだけで精一杯でしたが、これだけの資料があれば、この銃の複製を量産することは可能でしょう」

 バイスは隣に控えた男に設計図を渡す。その男は銃器開発の技師だった。男は設計図に目を通し、暫くしてからバイスへと頷きかける。

 バイスも満足そうに頷いた。

「よくやってくれた、エリオット。ここまで大変だっただろう。約束の金には、色をつけさせて貰うよ」

「ありがとうございます」

 その一部始終を、意識を取り戻したチャイムは見ていた。彼女は今、後ろ手に縛られ倉庫の鉄柱に縛り付けられている。

「エリオット・・・あなた、自分がどんな立場の人間で、どんな事をしてるのか分かってるの!?

 貴方はエベネゼルの聖騎士でしょ!!」

 しかしエリオットは気弱そうな笑みを浮かべ、

「聖騎士になって得られる物など、上っ面の名誉だけで、他には何も無いじゃないですか。僕達下っ端は給料だって沢山貰えるわけじゃあない。先輩は知ってましたよね。僕の家、父さんは戦争で死んでしまって、稼ぎ手は僕だけだって。小さな兄弟達も多いから、こういう仕事もしないと家族を養えないんですよ」

「だからって・・・・」

 言うべき言葉が見つからず、チャイムは言葉を詰まらせた。エリオットはバイスに向き直る。

「バイスさん、先輩・・・彼女はどうするつもりなんですか?」

「決まっている。この取引を見られた以上、口は塞がねばならん。

 それに・・・まぁまぁいい女だ。部下どもの好きにさせようかと思ってるが?」

 バイスはろくに考えもせず答える。しかし、当然の事だろう。取り巻きのごろつき達が下卑た笑みを浮かべていた。

「すみません。その役は僕に譲って頂く事はできませんか?

 報酬につける色は、必要ありませんから」

 エリオットの申し出に、バイスは部下達の顔を見回し少し考えると、

「・・・まぁ、いいだろう」

「ありがとうございます」

 チャイムは絶句し、エリオットを見上げる。

 彼はバイスから小さなリボルバーを借り受けると、撃鉄を起こしチャイムの頭に銃口を押し当てた。

 気弱な顔を、申し訳無さそうに、悲しそうに、歪めながら。

「すみません、先輩。せめて痛くないように済ませますから・・・ごめんなさい、許してください・・・」

「エリ・・オット・・・」

 チャイムは縛られて動くが出来ない。チャイムは俯き、死を覚悟する。

 キリリと、引き金のスプリングが鳴った。


 ビシュッ!ぶしゅっ!

 濡れた破裂音が聞こえ、チャイムの視界で血が弾けた。

 自分の血かと思ったが、違う。血と共に地面にリボルバーが転がり落ちた。

「うわぁあっ!!」

 エリオットが短い悲鳴を上げる。リボルバーを握っていた彼の手は数発の銃弾に打ち抜かれ、手の平の指は数本欠けていた。

「チャイム!!そこにいるのか!!?」

 倉庫の入り口から聞こえたのはエアニスの声だった。

 呆けていた男達は我に返る。

「エアニス!!?」

「馬鹿野郎ォ!! 自分から厄介事に首突っ込みやがって!

 少しは自分の立場わきまえろっつーの!!!

 ただでさえ追われる身なのにこんな目立つ事して━━━━」

「お、お、女の仲間だ! 撃て!!殺せ!!」

 倉庫内に居た男達は全員銃で武装している。男達はバイスの号令と同時に、一方的に文句をまくし立てるエアニスに向け発砲した。

 エアニスは舌打ちしながら、倉庫内の光の届かない場所へ身を隠す。

「どこだ!?隠れたぞ!!」

「明かりは無いのか!?」

 倉庫内は天井からの明りが中心部を照らしているのみで、光の届かない場所は多い。エアニスを見失い、辺りを見回す男達。

 ガン、 カン、  コン・・・

 どこからともなく聞こえてくる、金属を叩く音。

「何の音だ・・・?」

「奴は・・・」

 それは倉庫の鉄骨をエアニスが踏み鳴らす音だった。エアニスはあっという間に照明の裏側、屋根の梁へと駆け上がる。そして、そのまま男達の頭上へ身を躍らせた。

 倉庫内を照らす照明に、一瞬大きな影がよぎった。

「上だ!!」

 バイスの叫びに男達も一斉に天上を仰ぐ。

 どしゃぁっ!

 バイスはエアニスによって背中から腰にかけて深々と斬りつけられ、その場に潰れるように倒れ伏した。

「う、わあぁぁぁ!」

 その凄惨な光景に恐怖しながら、男達は自分達が作る円陣のど真ん中に立つエアニスに銃口を向ける。しかし、エアニスを挟んだ向こう側の仲間に弾が当たるのではないかと躊躇し、引き金に掛かる指が止まった。

「殺し合いの最中にためらいを見せるな」

 エアニスが冷徹な声で言い放つ。その体がふわりと揺れたかと思うと、エアニスは低い姿勢で男達の間を駆け抜けながら刃を振るった。

 時間にして3秒あっただろうか。

 5人居た男達は一瞬でエアニスに胴を、足を切り飛ばされ、発砲するどころか悲鳴すら上げることなく床に転がった。

 今のエアニスは剣を鞘から抜き放っていた。ミルフィストで追っ手と戦った時は、剣を鞘に収めたまま戦っていたのに、だ。

 一瞬の、そして突然の出来事にチャイムの全身から血の気が引き、恐怖でまばたき一つ出来なくなる。

 エアニスが、人を殺した。


 髪を揺らし、剣を翻すエアニス。剣に絡みついた血を振り払うその姿は、まだ血煙の向こう側にある。その光景はどこか現実味を欠き、異様で、おぞましく、そして綺麗に見えた。

「ば、化け物っ!!」

 それを遠巻きに見ていた残りの男達が倉庫から逃げ出す。エリオットもまだ取引が終わっていない以上、このまま解散されては困る。取引道具の銃が入ったケースを掴み、倉庫から逃げ行った。

「なんだ、つまらん連中だな」

 エアニスは逃げる男達に目もくれず、チャイムを縛る縄をほどきにかかった。

「おい、何があった?

 さっきお前のアタマに銃突きつけてたの、お前の後輩じゃなかったのか?」

 しかし、チャイムはエアニスの問いに答えず、縄を解かれるなり両手でエアニスの服に掴みかかった。チャイムが何のつもりか分からず、戸惑うエアニス。

「殺す事・・・・なかったんじゃないの・・・」

「・・・あ?」

 エアニスはチラリと自分が斬り倒した相手を見る。分解されてバラバラになったマネキン人形に見のようだと思った。

 そういえば、チャイムの前で人を斬ったのは初めてだ。

 いや、そもそも人を斬った事が随分と久方ぶりだ。最後に人を殺したのはいつだったかと思い出そうとしたが、思い出せなかった。

 エアニスを掴むチャイムの手は震えている。ひょっとしたらチャイムは、人の死ぬ場面をあまり見たことが無いのだろうか。

「相手が銃を持ってこっちを殺そうとしてきたんだぞ。加減して相手をする義理も、余裕もない。自分の為ならまだしも、他人・・・お前の身を守る為ならば、なおさらだ。

 人が死ぬ所を見たくないのは分かるが、お前もこっちの世界で生きてるんなら、そのくらいの事は割り切れ」

 いい加減、チャイムの甘さに苛立ちを感じ始めていたが、エアニスはできるだけ優しい口調で諭し、服を掴むチャイムの手をほどいた。

 下唇を噛むチャイムの様子にエアニスは気まずそうに頭を掻き、誤魔化すようにエリオット達が逃げていった路地に目をやる。

 そうだ、今はこんな論議をしている暇ではない。

「追うのか?」

「・・・追うわ」

 顔を上げ、はっきりと答えるチャイム。

 エリオットに裏切られた事、エアニスのした事はショックだったが、今は立ち止まっている場合ではない。



 エリオット達の追跡は容易だった。

 エアニスの銃弾でエリオットは傷を負い、彼らが通った通路には血が点々と残されていたからだ。

 その血痕を辿り、暗い倉庫街をエアニスとチャイムは走り抜ける。

「エリオットは・・・こんな事する子じゃないわ。きっと、他にも事情があるのよ・・・」

 チャイムは事の成り行きをエアニスに説明し、エリオットの事は自分に信じ込ませるように呟いた。

「エアニス、お願い。あの子だけは絶対に殺さないで」

「・・・頼みならば、努力はする。しかし、万一の時は、分かるな?」

「・・・」

 頭では分かっているが、心が割り切ってくれない。チャイムは頷く事ができなかった。

「・・・見つけたっ!」

 路地の先に、男達の背中が見えた。

「チャイム。ここで止まって目と口押さえてろ」

 エアニスはそう言うと懐から小さな缶を取り出して、それを逃げる男達に投げつけた。

 ばしゅうっ

 閃光とともに白い煙が元締めたちを包み込む。とたんにチャイムは目の痛みを感じた。催涙ガスの類だろうか。エアニスはそのまま白煙の中に飛び込み、護衛の男達を倒しにかかる。何故かエアニスはガスの中で平気なようだが、男達はまともに目を開けていられない様子だった。エアニスの存在を感じ、無闇に銃を乱射するも、あっさりとエアニスに首筋を、みぞおちを叩かれ、次々と気を失っていく。

 チャイムがエアニスに追いついた時、ガスの薄れた路地に立っていたのは鞘に納まったままの剣を肩に担ぐエアニス一人だけだった。

 しかし。

「おい、アイツは何処に行った?」

 エアニスが白煙の中で、片っ端から倒した男達の中にエリオットの姿が無かった。

「こいつらはどうでもいいんだがな・・・」

 つまらなさそうに、足元に転がる男をブーツで小突く。

「一緒に逃げて行ったのは間違いないわ。

 さっきの白煙に紛れて、どこかに隠れたのかも・・・」


 その言葉を聞きながら、チャイムの肩越しにエアニスはエリオットの姿を見つけた。彼女の体が邪魔をして、彼の存在に気付くのが遅れてしまった。既にエリオットの握る銃は、チャイムの後ろ頭に狙いが定められている。

 ほんの一瞬の攻防がとても長く感じられた。

 チャイムはエアニスの視線を感じて、後ろを振り向く。そこにはチャイムに銃口を向けるエリオットの姿。しかし、彼女が何らかの反応を示すよりも早く、彼女の体はエアニスによって真横に突き飛ばされる。そしてチャイムの目の前に、小銃を握ったエアニスの左手が伸びる。狙いは既にエリオットの眉間へと定められていた。

「駄目ぇっ!!」

 チャイムは銃を構えたエアニスの左腕に掴みかかった。チャイムの行動に、エアニスは動揺する。




 ばづっ!

 エアニスの目の前で血霧が散った。エリオットの銃弾がチャイムに当たったのだ。倒れ込むチャイムを抱えながらも、エアニスはエリオットに銃口を向けようとする。しかし、エアニスの腕をチャイムが掴んで離さない。

「このっ、馬鹿がっ!!」

 エアニスは反撃を諦め、自分の背中を盾にしながらチャイムをひきずり路地の曲がり角へと逃げ込む。その間も銃弾はエアニスを襲ったが、幸いそれが当る事は無かった。

 チャイムを抱え路地を何度も曲がりながら走り、エアニスはエリオットから距離を稼ぐ。路地の塀にもたれかかり、僅かに乱れた呼吸を整え、らしくもなく額に浮いた冷や汗を拭った。

「あなた、今エリオットを殺すつもりだったでしょ・・・!?」

 開口一番。助けられた礼も言わず、自分の怪我にも触れず、チャイムはエアニスの襟元に掴みかかった。この一言に、流石のエアニスも頭に血が登る。

「ふざけんな!!

 俺が助けてなかったらあいつに殺されてたんだぞ!!

 そんな甘い考えでこの旅に付いて来るんだったら、ここで降りろ!!

 足手まといだ!!」

 エアニスは掴み掛かるチャイムを突き飛ばす。チャイムは壁にぶつかり、そのままうずくまるように座り込んでしまった。苦しそうなうめき声が漏れる。

「・・・!!」

 我に返るエアニス。チャイムはエリオットの銃弾を受けていたのだ。慌ててチャイムの傷を確認する。銃弾はチャムの二の腕を貫き、深い傷を残していた。

 ハンカチをチャイムの腕に当て、簡単な手当てを済ませる。まだ血が流れ出しているが大きな血管が傷付いている様子は無い。弾も抜けているし大した事はなさそうだ。

「傷口押さえとけ。このくらいの傷なら出血もじきに止まる」

「さっき、あたしを助けてくれた時とかさ・・・」

「あぁ?」

「何であんな簡単に人を殺せるの・・・?」

「必要な事だからだ。ああしなきゃ、お前が殺されていたかもしれないんだぞ」

「・・・トキから聞いたよ・・・あなた、出来るだけ人を殺さないようにしてるんだって?」

「!・・・それは、」

 余計な事を、と内心舌打ちをする。

「あたしを倉庫で助けてくれた時は・・・違ったけど、さっきの路地裏の男達や、ミルフィストで遭った追っ手達は、殺さなかったじゃない・・・

 どうして? どうしてそんなに簡単に人を殺せるのに、あなたは普段"殺さない"っていう選択肢を選ぶの?

 必要に迫られれば殺せるとか、そんな理屈じゃ無いわよね?

 理由があるんでしょ?

 だったら・・・!」




 もう 誰も傷つけないで


 ビクン、とエアニスの体が震える。

 雨の降りしきる暗い森。

 目の前でじわりと広がる赤い染み。

 繋いでいた暖かな手が離れてゆく感触。

 昔の記憶がフラッシュバックで蘇り、エアニスは懐かしい声を聞いた。

 そしてその言葉はエアニスの心を深くえぐる。


 どうせ自分は、人を傷つけることしか出来ない人間だから




「・ニス・・・エアニス!

 どうしたの?大丈夫!?」

 気付けばエアニスは地面に片膝をついていた。強烈な立ち眩みに襲われたように、頭の奥が痺れている。

「・・・なんでもない」

 エアニスは息を乱し、額に汗を滲ませていた。その只ならぬ様子に、チャイムは聞いてはいけない事を聞いてしまったのだと自覚する。


「・・・先、輩・・」

 弱々しい声にエアニスとチャイムは振り向く。そこに立っていたのは、左手で銃を構えたエリオット。銃の取引でいくら貰う事になっていたのか知らないが、こうなってしまっては金を受け取るどころでは無いだろう。エリオットの表情は疲れ果てていた。

「すみません・・・今回の件を知られた以上、先輩を消さないと・・・次の仕事に移る事も、エベネゼルに帰る事も出来ません・・・先輩、すみません・・・」

 その声もどこか虚ろで、空しく聞こえた。

 ガキン!

 エアニスが石畳に剣を突き刺し、ゆっくりと立ち上がる。全身には今だ虚脱感が残っていたが、エリオット達に対狩る苛立ちがそれを上回った。

「カス野郎が・・・目障りだ、」

 しかし、チャイムがエアニスを制する。

「お願い。この子の相手は、あたしにさせて」

「嫌だね」

「お願い、エアニス」

「・・・わぁったよ・・・クソが・・・」

 エアニスは大きな溜息を吐いて剣を鞘に収めた。苛立ちをぶつける捌け口を奪われ、彼は不機嫌そうに対峙する二人を眺める。


 チャイムの武器は剣に対し、エリオットは銃である。二人の間合いはそれなりに開いており、チャイムの勝てる要素は一つも無かった。エアニスは懐に手を伸ばし、チャイムに気づかれないように胸元の銃の撃鉄を上げ、対峙する二人を見守る。必要であれば、これでエリオットの頭を打ち抜くつもりだった。

 彼女の目の前であろうと。


「あなたがこんな事する子とは思わなかったわ・・・本当に、これはあなたの意思なの? 誰かの差し金だったり、するんじゃないの?」

 この後に及んで、まだ後輩を信じようとするチャイム。

「言ったじゃないですか。こうでもしないと、家族を生活させる事ができないって・・・その為に必要な事だと思い、僕が選んだ道です」

 チャイムはやるせない気持ちに目を伏せる。それはエリオットなりの答えなのだろう。エリオットにとっては家族を守ることが全てであり、それを成す事がエリオットのすべき事なのだろう。

 正しいと思う事が、チャイムとエリオットで違っていたという、ただそれだけの事だ。

「あなたの家族が助かる事で、その銃がこれから沢山の人の命を奪う事になるのであれば、あたしはあなたを見過ごす事は出来ないわ・・・」

「そうですよね。先輩は特定の一人より、不特定の多数を大切にする人でしたからね」

「っ!」

 エリオットの言葉がチャイムの胸を抉る。それについて彼女は何も言わず、その代わりにゆっくりと大剣を構え直した。エリオットも腕を伸ばし、チャイムの胸に銃の狙いを定めようとする。

 そのエリオットの表情が、驚愕の色に変わる。

「!!」

 そしてエアニスも。

 いつの間にかエリオットの体に、幾本もの"糸"がまとわりついていた。ふわりと風になびく、淡く光る蜘蛛の糸。

「なっ・・・拘束術!!?」

 今のエリオットは体を動かす事も、銃の引き金を引くことも出来なくなっていた。怪我をしてぶらりと垂れ下がるチャイムの右手には、リオットにまとわり付く糸と、同じ色の光が輝いている。

 チャイムは振り上げた大剣を肩に担ぎ、駆け出した。

 「アタマ冷やしてきなさいっ!!」

 そして、エリオットの脇腹に大剣の一撃を食い込ませる。

 体を動かす事も出来ないまま剣の重みに突き飛ばされ、エリオットは石畳の上に転がり気を失った。

 チャイムがその気になれば、呆気ないものだった。



 がらんっ・・・

 重たい剣を取り落とし、チャイムは歪に切り取られた夜空を見上げる。

 どうしようもなく涙が溢れる。涙がこぼれないように空を仰いでみたが、そんなことでは誤魔化しきれず、次々と涙が流れて落ちる。

「・・・おつかれさん」

 エアニスは優しく、彼女の頭に手を置く。

「う・・えぇぇぇーーん・・・グスッ・・・・」

「泣くなよ・・・。お前もあいつも、悪くない。

 お前らなりの正義だったんだろ。この世に2つ以上の価値観がある以上、こういう事は仕方ない。

 こんな事でヘコんでるようじゃ、今の時代、しんどいぞ」

 チャイムはグスグスと鼻を鳴らしながら涙を拭うと、キッとエアニスを睨みつける。もう、いつも通りの彼女の顔だった。

「何よそれ。慰めになってないわよ・・・バカ」

「慰めてねーよ。これは説教だ」

 素っ気無く、エアニスは言った。

「・・・魔導が使えるなんて、聞いてなかったぞ」

「言ってなかったからね。

 エリオットも、知らなかった筈よ。だから、あんな簡単な術に捕らわれちゃったのね」

 チャイムは口をへの字に曲げ、何かを呟きながらエリオットに撃たれた傷口を軽く撫ぜる。傷口に巻かれたエアニスのハンカチをほどくと、既にそこに傷は無くなっていた。

 治療の術だ。それも、ろくに呪文の詠唱もなく、あれだけの傷を一瞬で治してしまった。

「ハンカチは洗って返すから、文句は言わないでよね」

「・・・へ」

 エアニスはバツの悪そうな顔で頭を掻く。

「足手まといって発言は取り消しとくよ」



 真夜中の港街を、大きな買い物袋を抱え、二人は歩く。

 街外れの倉庫街とはいえ、あれだけ暴れ回ったのだ。エリオットを倒した後、すぐに街の方角から警備兵がやって来て、エアニス達はこっそりとその場を後にしたのだ。

 今頃、エリオットと密売組織の男達は捕らえられているだろう。

「・・・今はエベネゼルの聖騎士なんだけど、元々は宮廷や軍の病院で、魔導医やってたんだ。私」

 ずっと続いていた沈黙に耐えられなかったのか、チャイムがぽつりと、自分の過去を話し始めた。

「魔導医から剣士へ転職か。また極端だな」

 まぁね、とチャイムは笑い、

「こう見えても、エベネゼルじゃ天才ーって呼ばれる程の魔法医だったんだから」

 芝居がかった素振りで鼻を鳴らすチャイム。

「騎士も魔導医も・・・お前には似合わないけどな」

「なんですって・・・?」

 じろりとチャイムに睨まれ、わざとらしく肩を震わせるエアニス。

 エリオットを術で束縛した時も、自分の銃創を塞いだ時も、チャイムは呪文を口にしていなかった。それには一流の魔力と集中力が必要であり、その理屈はエアニスも熟知していた。これまでのチャイムのイメージからすれば信じられない事だが、それだけの技術を見せられては、彼女の腕の良さを信じるしかない。

「何で医者辞めて騎士なんかやってるんだ?」

 チャイムは空を仰いで息を吐くように答えた。

「魔法医じゃ、傷付いていく人を守る事ができないから・・・」


 チャイムの端的な答えに、エアニスは首を傾げる。

「魔法医はね、傷ついた人しか助けてあげる事ができないの。

 でも、体の傷を治す事が出来ても、消えない傷はいっぱい残るの。

 心に、ね」

 トン、とチャイムは自分の胸を叩く。エアニスは黙ってチャイムの言葉に耳を傾けた。

「じゃあ、どうすれば誰も傷つかなくて済むのかなって考えたら、やっぱり、傷ついてゆく人を守れるようにならなくちゃって思って。

 魔法医は傷ついた人しか助けられないけど、騎士は傷ついていく人を守ることができる。

 だから、今は騎士として、人助けをしながら旅をしてるの」

 そこで彼女は一度言葉を切ると、

「もう、傷付いてゆく人達を見ているだけなのは・・・嫌なの」

 憂鬱な声で、そう呟いた。

 彼女もこれまで、色々な物を見てきたのかもしれない。

 これは、元々魔導医であったチャイム故の選択なのだろう。エアニスは何故チャイムが他人の厄介ごとに無闇に首を突っ込みたがるのか理解が出来なかったが、今の彼女の話を聞いて、彼女のことが少しだけ理解出来たような気がした。

「でも、ま・・・

 そんなに上手く行くもんじゃないんだけどねー・・・」

 チャイムは空を仰ぎ、苦笑いを浮かべながら呟いた。自分の無力さを痛感しながら。悲しそうに呟いた。



「・・・へっ、」

 エアニスは鼻で笑ったような、短い息を吐いた。

「何よソレ。馬鹿にしてんの・・・」

「いいや。

 感心してんだよ」

「やっぱ馬鹿にして・・・」

「大した奴だよ、お前。

 いい信念だと思う。聖騎士を名乗る資格は十分にあるんじゃないのか?」

 チャイムの目をしっかりと見てエアニスは言う。いつものように茶化している訳でも、お世辞を言っている訳でもない。思ったままの事を素直に彼女へ告げた。

「む・・・。

 ・・・ありがと」

 なんとも微妙な気分だったが、チャイムは大人しくその言葉を受け取った。


「あ、でもあたしの魔法医としての腕は頼りにしないでよ」

「え? どうしてだ?」

「あたしは今は騎士なんだから。騎士としてのあたしを頼りにしてほしいって事よ」

 その言葉を聞いた途端、エアニスは興味を無くした様にそっぽを向く。

「・・・じゃあ、やっぱ足手まといか」

 どがぁっ!!

 チャイムに買い物袋を思いきりぶつけられ、エアニスは石畳の上に転がった。

「あんたはケガしても治してやんないっ!!」

「ハッ、頼みゃしねーよ!

 俺に傷を付ける事が出来る奴なんて、そうはいないからな!」

「じゃあ今転んで擦りむいた、その手の傷は何よ?」

「これとソレとは話が別だ!」

「同じよ」


 二人は飽きもせずに不毛な口喧嘩を始める。仲裁するトキとレイチェルがいないので、言い争いはとどまる所を知らず、寝静まった街に二人の悪口が響き渡る。

 港街の空は徐々に白じみ始め、少しだけ長かった夜がようやく明けようとしていた。

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