三日月
餌付けとは三日で出来るもののようだ。
仕事を終え玄関を開けると、三和土で例のラグのように長々と寝そべっていた朔が跳ね起き
「なー」とも「みゃー」ともつかない声を上げた。
「ここ、ペット禁止だから、静かにして」
苦言を呈するが、朔は首を傾げるばかり。そりゃそうだ、人語を完全に解する猫なんていないし、空気を察するにも同居三日の間柄には無理な話だ。
声帯を手術して声を抑えるという荒業もあるらしいが、気持ち的にも金銭的にも無理だ。
鞄を定位置に置き、ペットフードを小鉢に盛って玄関に取って返す。この時点で朔は脛に擦り寄りのどを鳴らしだす。フローリングを汚すと後が面倒なので、三和土が朔の食事スペースだ。ちなみに朔のトイレは、人間用のトイレの横に100均のトレーにトイレに流せるトイレ砂を入れた物だ。昨日一日トイレに缶詰になっていた成果か、トイレ以外で粗相をしている様子がないのを見て取り、ほっとする。
昨日の事を反省してトイレから玄関までを開放し、奥へ入れないよう引越しの時に使った段ボール箱で作った柵は有効なようだが、ダンボールに引っかいた跡がある。獣医がつめを切ったので大した被害はないのが、対策を考えないとまずそうだ。
一心不乱に食事を続ける朔を横目にジャケットをパイプハンガーに掛けてから、シャワーを浴びてバスルームから出たところで、満腹になった朔と目が合った。
部屋に上げるなら、洗ったほうがいいか。
下着姿のまま朔に手を伸ばすと、何かを察知したかのように逃げられた。
「食事の恩を忘れるな」
こちらの文句は理解されないが、場所が狭いので捕まえるのはあっという間だ。
………。
*
「気持ちいい」
自分も濡れ鼠になったので着替えなおしてからベッドの上に胡坐をかき、朔を膝に乗せ撫でる。
洗うだけで朔の手触りがこんなに変わるとは思いも寄らなかった。
光沢のある黒毛は更に深みを増し、さらさらといつまでも触りたい。
だが、これは朔の飼い主が見つかるまでの仮の生活だ。
ここに馴染む前に見つかってほしいものだ。
そんな思いを知る由もない朔が、くわぁ~とあくびをした。むき出しになった細い牙が、
まるで三日月のように部屋の明かりを反射した。