二日月
定時に仕事を終え、まっすぐ帰りトイレのドアを開けると、床に朔が寝そべって顔だけこちらに向けてきた。音や臭いでばれてはまずいとトイレに缶詰にしたのだが、少し考えれば退屈だったろう事も、換気扇を付けていても暑かった事も分かりきった事だ。だらりと伸び切って毛皮のラグのような有様に、申し訳ないと思いつつ、つい苦笑がもれた。
「飼い主を探しにいくよ」
仕事の鞄を部屋の入り口に置き、財布だけポケットに入れてから、片手を腹の下に差し込み掬い上げる。
ペット禁止のワンルームマンションの廊下に人気がないのを良いのに、堂々と朔を抱えて駐輪場に出る。誰かに見咎められたら迷い込んできたので適当なところに逃がしてくると言えばいいだけだが、幸いな事に誰にも会わなかった。
昨日と同じように前かごに入れた朔がくるりと丸くなるのを確認し、動き出す。日が沈みつつある街中を自転車で20分かけて進むと、ペットホテルを兼ねた動物病院が見えてきた。
昨日調べたところによると、ホテルと病院の受付時間が20時までとのことなので、時間に余裕がある。多少粘れば何とかなるだろうと意気揚々と動物病院に入り……すっかり夜になった頃、ビニール袋一杯のペットフードの試供品を片手に、もう片手には朔を抱えて動物病院を出た。
獣医が慈善事業ではない事は分かる。たまに私財を投げ打って保護活動をする人もいるが、ここの獣医兼オーナーはそこまではいかないものの、悪い人でもなかった。引き取り手を捜そうとデジカメで写真を撮り即席のポスター(こちらが一人暮らしだと知った獣医が、病院を連絡先にしてくれた)を作って待合室に張ってくれたし、朔を一通り診察し、健康であると太鼓判を押してくれたのだから、むしろ良い人の部類だと思う。ただ、無料で預かる事は出来ないと言いながら申し訳なさそうに差し出されたペットホテルの料金表に、絶句した。
「一度受けると際限ないから、どこかでラインを引かないとこっちもやってけないんで」
一割引でどう?と言われたが、いつまでとも目途がつかないものに際限なくお金を使えるほど懐事情が良いとは言えない。
「そのまま放り出すのもなぁ」
すごすごと病院を出て、自転車の前かごにビニール袋を入れ、隙間を作り朔を下ろす。朔は自分の場所を整えるために暫く身じろぎした後、黒い塊と化した。
果たしてこいつの飼い主は見つかるのだろうか?
この図太さからして、光明は二日月より薄そうだ。
なんとなく、そう思った。




