朔月
仕事を終えた頃には日がとっぷり暮れていた。
会社脇にある薄暗い駐輪場に止めた自転車の前かごに資料が入った鞄を放り込んだら
「ぶぎゃっ!!」
と鳴いた。
鞄が鳴くわけもなく慌てて鞄を除け、心許ない明かりで辛うじて視認出来たのは、黒い子猫だった。ただ赤ん坊くさくないので、成猫になるちょっと手前といったところか。突然鞄をぶつけられ不機嫌そうに見上げてくる猫に、そっと手を差し出したらくんくんと濡れた鼻先で嗅がれた。暫く様子を見た後、とりあえず敵意はないと分かってもらえただろうと、鞄を腕に掛け、こいつの脇に手を差し込んで持ち上げる。猫は二度三度身を捩るが大した力もないので、気にせず駐輪場唯一の蛍光灯にかざしてまじまじと見た。野良なのか首輪の跡もない。腹も尻尾も瞳も真っ黒の黒ずくめ。艶やかな毛が乏しい明かりを反射し、模様を描く。
どことなく不遜な面とにらめっこをした後、確認すべき事を思い出した。
「オスか」
メスよりオスのほうが貰われやすいと、小耳に挟んだ覚えがある。ならば明日にでも獣医に持ち込んだら引き取ってもらえないだろうか。
そのまま放置するには気が引ける小さめな猫をかごに戻し、自分の鞄はハンドルに掛ける。
とりあえず、今晩必要な餌を晩御飯と一緒に買おう。自宅近くのコンビニにペットフードがあったはずだ。
見上げた月のない夜空より黒い猫は、そのまま闇に紛れかごから消えそうだ。
「お前の名前、今晩だけ『朔』だから」
一晩だけだが、呼び名がないのは不都合がある気がして、仮の名をつける。
いつもより一匹分の質量が増えた自転車のペダルの重さは、いつもと変わらない。