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フェアリーリング・ダイアリーズ  作者: Cigale
現世・桐野・イソマツ(2014-2017)
8/15

地下迷宮(後編)〈2014年8月〉

 カツーン、カツーン……。

 三つの足音が、暗闇に反響する。

 小田が、天井のバカでかい蜘蛛の巣を見て声をあげた。


「¡Mirad(ミラド)!(見て!) こんな立派な蜘蛛の巣、初めて見たよ。堺さん、現――」


 小田は、そこで言葉を止めた。

 わたしと現世がまとうギスギスとした雰囲気を鑑み、「いまは何を言っても無駄」と悟ったからだ。これ以上、場を取り繕おうとして何か言いようものなら、わたしは鉄拳を食らわしていただろう。

 それから小田は黙り込んで、前を進んだ。


 わたし達は狭い通路から、広いトンネルに出た。

 天井は高く、目算で10メートル近くありそうだ。至るところの作業が途中までしか進んでおらず、鉄筋が剥き出しになっている。討ちっ放しのコンクリートには、ところどころチョークの粉がこびりついている。作業に必要なことが書き込まれていたのだろうが、文字は完全に判別できない状態になっている。

 トンネルは曲がっていて、50メートルほど進んだあたりのことだった。


「……ううむ。寒くなってきたぞ」


 現世が言った。半ズボンのオーバーオールに半袖のシャツ姿で、互いの手で互いの一の腕をさすっている。

 たしかに寒い。わたしなどフレンチスリーブなので、冷気が腋の下から入り込んでくる。この酷暑に、上着など用意しているものは誰もいなかった。


「さすがに、そろそろ戻ろうか……。これ以上奥に進むとわからなくなるし……」


 小田が振り向いて言った。

 全員がその提案に賛同しようとした、その時。


 ……お、お、おおん。


 「それ」が聞こえた。

 背後の暗闇からかすかにだけど、何かが鳴り響いた。


「……今の、何?」


 わたしは訊く。


「風……であろうか?」


 現世は首をひねって言った。

 小田の顔が、見る見る青ざめていく。


「まさか。あの手帳の……」


 鳴き声を聴いた。あれは人間の―― 


 ……おお、おおおん。

 

 音が大きくなっている。

 それからさっきまで聞こえなかった、何かが張り付くような音まで聞こえてきた。


 ……ぺた

 …………ぺた

 ……ぺた……ぺた……ぺた


 ――近づいてきている。

 わたしたちは顔を見合わせ、全力で前に走り出した。

 コンクリートの塊が、ごろごろとしている。

 嫌な予感。崩れていたら。道が塞がれていたら――

 頭に浮かぶ最悪のケースのイメージ。

 首をぶんぶんと振って、振るい落とす。

 ――余計なことは考えるな。とにかく、こいつらから逃げなきゃ。

 ガチリ!


「えっ――ああっ!」


 リュックサックを引っ張られて、わたしは尻餅を突いた。

 逆十字のキーホルダーが、飛び出す鉄筋に引っかかったのだ。


「桐野!」


 現世とイソマツがこっちに駆け寄る。


 ……おおん、おおおおん。


 声が、大きくなる。


「来るなッ!!」


 わたしは叫んだ。

 しかし現世とイソマツは、こっちにやってくる。

 キンッ。

 その時、キーホルダーが鉄筋から取れた。

 

 ――ぺた、ぺた、ぺた、ぺたぺたぺた


 だが、遅かった。

 音の主は、カーブの向こうから既にその面妖な黒い影を見せていた。

 四つん這いのようだが、頭にも腕のような影がある。人の形を部分的にしていながら、明らかに人ではないそれに、わたしは怖気を抑えきれなかった。


「¡Fo(フォッ)!(チッ!)」


 直後――オレンジ色の光弾(こうだん)が宙空を切って、炸裂した。

 ピストルの形にされた小田の右手の人差し指から、チリチリと煙が出ている。

 イソマツの持つ、超能力〔バクチク〕。

 埃まみれの通路の中、火花が散って煙が上がる。


「ケホケホッ……」


 私は二、三回咳き込んだ。


「――おおおおおおおおおおおおん」


 煙の中から、影が突き出る。

 ぬらぬらとした灰色の皮膚。海草のような体毛。

 正面には、逆さについた人の――


「ああああああっ!!」


 わたしは無我夢中で、ベルトに括り付けているケースから杖を取り出した。

 霊力場の安定は、一度として成功したことがない。

 だが、四の五の言っていられなかった。


「《展開(エクスパンド) expand》!」


 霊力場を展開すると、杖の先からパッと激しい光が噴出した。

 どうやら力場の展開と同時に、呪文によって何ら形を規定されていない純粋な霊力が漏れ出したようだ。

 こんなものは、霊力場をコントロールできていないが故の暴走だ。

 だが、それは目の前まで迫っている敵にとって、脅威だったらしい。


「……お、お、お」


 影は動くことなく、その場に留まっている。


「こっちだ! 早く!」


 小田が叫ぶ。

 それは、塗装が完了している横穴だった。

 キーホルダーは、とっくに鉄筋から外されている。


「立って!」


 ショック状態だった現世は正気に戻り、「お。おお、スマン」と声を上げる。

 まだ足がおぼつかない現世を引っ張って、わたしは走り出す。




   ☆ 


 どれほど走ったことだろうか。

 横穴は奥へ奥へと続いていた。曲がりくねった細い道を、延々とわたしたちは走り抜けた。息が切れて歩けなくなるまで走り続けた。


「熱じゃなく、光が苦手だったようだね」

「ハァハァ……、もう大丈夫なようだの」


 三人とも、地面に膝を曲げている。

 息をする度、のどや鼻に埃が張り付いて咳き込んだ。


「礼を言うぞ桐野。おぬしのおかげで、皆助かったのだ」

「別に……お前らを助けようとしたわけじゃない。無我夢中だっただけだ」


 率直に礼を述べる現世に対し、わたしは肩で息をしながらハネつけるように言う。。


「お前らこそ……、なんで戻ってきたんだ。わたしなんかのために」

「――ばかもの!」


 一喝。

 現世の大音声が、通路の中で反響した。


「……るせ」

「人が人を助けるのは、あたり前のことなのだ! ましてや、それが――家族なら、なおさらなのだ!! おぬしだって、そうであろう?」


 率直に、あまりにも率直に、現世はそう言ってのけた。


「……」


 その時のわたしは、何とも間の抜けた顔をしていたことだろう。

 それから五秒ほどして「フン」と鼻を鳴らしても遅過ぎた。


「……そんな恥ずいこと言えるのは、ガキのうちだけだよ」

「おお、ガキだ。現世もお前もイソマツも、みんなガキだ。だから、言いたいことははっきりと言えばよいのだ」

「意味わかんね」


 わたしはそっぽを向く。

 現世の言葉は余りにもキレイゴト過ぎて、反吐が出そうだった。

 他の奴だったら、悪態をついて蹴りの一つでも入れることだろう。

 だが、現世に言われると何故か――素直に受け入れてしまっている自分がいた。

 そんな風に絆される自分を認めたくなくて、わたしは現世と顔を合わせることができなかった。


「堺さん! 現世ちゃん! こっち来て!」


 小田が叫んだ。

 わたしと現世は、小田に言われるまま近寄る。

 小田が指差す曲がり角の先。そこからは、黄色い光が差し込んでいた。


「……出口なのだ!」


 現世の顔が綻んでいく。

 三人は、疲れ切った足で走り出す。

 壁にかけられている錆びついた梯子を登る。

 出口だ。

 外へと駆け出すわたしたち――


「……!」


 空を覆い尽くすような、でっかいでっかい夕陽がわたしたちを迎えてくれていた。


「……大きな……夕日」


 ――いや。そんなワケがない。

 自分でつぶやいた言葉に、心の中でツッコむわたし。

 あの太陽が大きく見えるのは、眼下に広がる清丸町や、隠水の森より奥の水平線と比較してそう見えるだけだ。


「おおお! 絶景かな、絶景かな!」

「¡......que(ケ・) hermosa(エルモサ)!(きれい……!) 誰も知らない、僕たちだけの展望台だっ!」

「……」


 現世たちは歓喜の声をあげる。

 ふと、わたしの脳裏にある光景が蘇る。


  ――お母さん。夕焼け、キレイ。


  ――そうだねえ。このビルの展望台で見る夕陽は、私が子どものとき見たのと変わらないわね。


  ――毎日、お母さんと一緒に見られたらいいのに……。


  ――ん? 桐野、何か言った?


  ――何でもないッ。


 それは在りし日に、わたしと母がとある高層ビルの展望台でした会話だった。


「キリ……堺さん! もっと前に来て見なよ!」

「いってーな。手首引っ張るんじゃねーよ」


 わたしは小田に対して、憎まれ口を叩く。 

 それでも、自分でもわかるくらいにこの口調は柔らかくなっていた。


「日輪山の中腹辺りだね。こんなところで、こんなすごい景色が見られるなんて思わなかったよ。ねえ、キ――堺さん」

「……好きに呼べよ。まだるっこしい」


 崖に近づくわたし。

 隣の現世が、わたしの顔を見て満面の笑顔を浮かべる。


「な? 来てよかっただろう?」


 わたしは、コクリと頷いた。

 ここまで辿り着いて、わたしの疑問はようやく氷解した。


 夕陽が大きく見えるのは「この素晴らしい景色を一緒に見たい大切な誰か」がいるからだったんだ。……




   ☆


「……それで? 夕陽見た後、どうしたんですか?」


 わたしたちは、客間で正座させられていた。

 夏紬(なつつむぎ)の和服を着込んだ徳長先生が、わたしたちの前に立っている。その涼しげなスッキリとした奥二重の目は、怒気をはらんでいた。


 あれからわたしたちは、山中を延々とさまよった。

 家に着く頃にはとっくに日が暮れていて、時計の針は九時を示していた。


「ええと。……日輪山の中って思いのほか複雑で……。迷っちゃった」


 小田――イソマツが、こわごわと釈明をする。

 なお、あの地下の存在は伝えていない。あくまでも、山の中で遭難しかけたとだけ説明した。

 目をキッと閉じる涼二先生。

 それからくわっと見開いて、一喝。


「――大馬鹿者! だから山に入るときは気をつけなさいと、いつも言っているでしょうが!!」


 客間一杯に響く大音声。

 それから大きな一息をつく。

 声のトーンを落として、諭すように言う。


「今後少しでも見慣れない道に入ったら、すぐに引き返すとここで誓いなさい。――もし破ったら、今日の冒険よりもずっと怖い目に遭わせますからね?」


 ゾゾゾッ。

 わたしは肩をぴくりと強張らせて、力なく「はい」と答えた。

 この人は、普段は穏やかだが、怒るときは誰よりも恐いのだ。


「……それじゃ、手と顔を洗って着替えてから台所に来なさい。夕餉(ゆうげ)を温めなおしますよ」


 そう言って、徳長先生は席を立った。

 ハア……。蔑まれたり詰られたりするのはしょっちゅうだったけど、こんなに正面から叱られたのは久しぶりかもしれないな。

 ――ツンツン。

 イソマツが、わたしの肩をつついた。


「また、冒険しようね」


 そう小声でささやいた。

 隣で現世は、満足そうな笑顔を浮かべていた。


(……懲りてないなコイツら)


 わたしは苦笑を浮かべて、応答した。

 遠くからスズムシの羽音が、かすかに聞こえる。残暑も、もうすぐ終わりを告げるのだろう。

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