地下迷宮(前編)〈2014年8月〉
――お母さん。夕方の太陽って、なんであんなに大きく見えるの?
――それはね、桐野。他の建物と比べてみるから、大きく見えるんだよ。…
――フーン……。まあ、空にポカンと浮かんでいるときは何も比べるものがないからね。
――桐野はどんどんお利口さんになっていくね。
――よしてよ……。普段、一緒にいないくせに。
――はいはい、悪うございました。おわびじゃないけど――桐野、手ェ出してみ。
――これ、ロザリオってやつ? でも、逆さまだよ?。
――その逆十字のキーホルダーはお守り。桐野が、お友だちと仲良くなれますように……。
☆
……昔よりも夕陽が小さく見えるようになったのは、気のせいだろうか。それとも、小さい頃は「何でも不思議」に見えるから、そう錯覚しただけなのだろうか。
そんなことが頭によぎってはすぐに、「考えてもしょうがないこと」と心の奥底へしまいこんだ。
地球から見える太陽の大きさなんて変わるワケがないのだから、こうした疑問を持つこと自体が馬鹿馬鹿しいのだ。
ただでさえわたしは「普通の子」と違うのだから、そんなこと考えていたら余計に気持ち悪がられるだけだ。これ以上、わたしを虐げるヤツらに弱みなんて見せたら殺されてしまう。
そんな風に常に気を張っていたら、いつの間にかそんな幼い疑問は完全に忘れ去ってしまっていた。
父親が誰だか分からないまま生まれたわたしは、未成年だった母親の許から引き離され、親戚の家で育てられた。
だけど「他人に見えないもの」が見えるわたしは気味悪がられ、たらい回しにされることになる。霊能力者が迫害されるっていうマンガとかでよくある話、よくあるパターンというわけだ。
母親が成人すると養育費が送られるようになり、わたしの待遇は一時的に改善されたこともあった。
だが一昨年、その母が行方不明になって養育費も断絶してしまう。
金の切れ目が縁の切れ目だとはいうが――元々厄介者でしかなかったわたしは、ますますひどく冷遇されるようになった。
中学一年の夏。私は家出を試みた。
街をぶらつき、ゲーセンに入る。そこで、徳長涼二先生に出逢った。
先生はわたしの「体質」を理解できる人で、こちらの世界で強い権力を持っている人の補佐役だった。
そんな先生は里親に根回しをして、わたしの保護者になった。
わたしは先生から、この不思議な力について説明を受け、コントロールする技術「魔術」を習うことになった。
だが、その先生の家――正確には先生の先生である因幡清一郎氏の邸宅には、既に先客がいた。
お調子者でうざったいサラマンガーの血が入った、超能力者である赤毛の少年。
時代錯誤な口ぶりでとにかくうるさい小さな女の子。
ひねくれもののわたしは二人と馴染めず、小さなことでケンカばかりしていた。
そんな奇妙な三人の関係が生まれてから二週間は経とうとしていた――八月半ばのことだった。
「地下迷宮? はあ?」
わたしはニンテンドー3DSを手にしたまま、不機嫌な声色で返す。
赤毛の少年――小田イソマツが、唐突に話しかけてきた。
「こないだ見つけたんだよ! 隠水の森で!」
隠水の森とは、わたしたちが住んでいる清丸町の西側、日輪山と月輪山の間にはさまれた森のことだ。
「本当か!? イソマツ! 本当に、ウワサの地下迷宮なのか!?」
長い黒髪の小さな女の子――現世が、興味津々の様子で訊いてきた。
「本当さ! 現世ちゃんの話のとおり、ケヤキの木々を超えたらざあっと景色が変わってさ! 地下に通じるお札だらけの階段が目の前に現れたんだよ!」
「おおお! まさしくそれなのだ!」
わたしをほっぽって盛り上がる二人。
何だか、イラついてきた。
「だから何なんだよ、その地下ナントカってのは」
堪り兼ねてわたしは言った。
すると、小田はキョトンとした顔でわたしに言う。
「あれ、キリちゃんにも話さなかったっけ?」
「知らねえよ。それと『キリちゃん』って呼ぶなっつってんだろ。ぶっ殺すぞ」
小田の説明は、大体こんな感じだった。
円島の地下には、閉鎖された様々な地下道が現存している。
例えば、閉鎖してしまった小さな坑道。悪どい金持ちがこっそり非難するためにつくられた非常用の地下通路。塞がれた防空壕の跡。建設計画途中で中断したトンネル。使われなくなった下水道。戦前のわずかな間だけ通っていた短い地下鉄。閉鎖された地下商店街の跡。そんな諸々の地下通路が実は全てどこかしらでつながっていて、巨大な迷宮ができあがってしまっているという都市伝説が、この島の子どもたちの間で何十年も語り継がれているそうだ。
その入り方というのも怪談じみたものが多くて「寂れた神社の古井戸が入り口になっていて、入ったら二度と出てこられない」とか、「山の向こうの学校の女子トイレが地下迷宮につながっていて、放課後に入るとすすり泣く女の悪霊に便器からつれこまれてしまう」とか、様々なパターンが語り継がれているようだ。そのなかには「ケヤキの木々を潜り抜けると目の前に突如、地下への階段が現れる」というものがあり、小田はそれを目の当たりにしたというのだ。
「堺さんも行こうよ! 夏休みの最後にさ、冒険しようよ!」
小田がぶん殴ってやりたくなるような笑顔で、しつこく誘いかける。
「やだよ、そんな得体のしれないところ。お前らだけで行ってこい」
わたしは突き放すように言った。
「Ah, Ya veo.(ああ、なるほど) 堺さん怖いんだ」
「は?」
わたしが? 怖がっているだと?
「怖いから、行きたくないんだ。そうデショ?」
「やめとけイソマツ。嫌がっている人間を、ムリにつれていくことはない」
反応がないことに、好き勝手な解釈をする現世と小田。
「ふざけんなし。こっちは、繁華街でずっと年上のヤンキー数人に囲まれたことだってあるんだよ。ナメんじゃねえ」
「だったら一緒に行こうよ。ね?」
小田は、無垢な瞳を向けて言う。
……こいつが時おり見せる幼さというか純粋さが、イラついてしようがなかった。
「……つまんなかったら、すぐに帰るからな」
そういうことで、わたしたち三人は隠水の森へ赴くことになった。
☆
外に出ると、惨たらしいまでに太陽がギラギラとえばりくさる灼熱地獄だった。
「あづい……」
脳が暑さで悲鳴をあげている。一リットルの水筒に入れた麦茶は、もう半分くらい飲んでしまった。水筒をリュックにしまって背負い直すと、脇についている逆十字のキーホルダーがカチャリと音を立てて揺れた。
「ところでイソマツ。中の様子はどんなんだったのかの?」
「ちょっと入っただけだけどねー。すごくひんやりとしていて、昔のラムネ瓶とか瀬戸物の破片とかが散らばってたよ」
(……なんでこいつらは、この暑さでバカみてーに元気なんだよ。いや。バカみたいじゃなくて、バカそのものだったな)
目印である駄菓子屋から十五分も歩くと、わたしたちは隠水の森の入り口にさしかかっていた。
目の前には、小田が言っていたケヤキの木々が乱立している。
ざあ、ざあ、ざあ、ざあざあざあ、ざざざざざ――
林の中では蝉たちが大合唱を演じていた。
太陽の熱波に蝉の鳴き声の音波。脳を揺るがす二重波状攻撃。
わたしのイライラは頂点に達し、「帰る」という言葉が口に出かかった――その時だった。
ずうんっ。
「――!?」
妙な圧迫感が突如、わたしを襲う。
それから、信じ難いものが目の当たりにした。
ケヤキの木々が消え失せて、地下に通じる階段がぽっかりと現れている。
後ろを振り返る。さっきとはまったく違うけもの道。
わたしは、戦慄した。
さっきの圧迫感……わたしはそれを何度も経験してきた。だからこそ、寒気がして仕方がなかった。
あの感覚は――「目に見えないもの」の世界に触れたときの感覚だ。
「おおー、本当に出てきたのだ」
現世は能天気に、はしゃいだ様子で言う。
わたしはそれどころじゃなく、ただ立ちすくんでいた。
「……帰る」
わたしはつぶやいた。
小田は「えー、ここまで来てそりゃないでしょ」と言う。
地下へ続く階段。びっしりと貼られている紙は、雨風に長年さらされていたようで文字が完全に読めなくなっている。だが、それは紛れもなくお札だった。
「これはマジでヤバい」
わたしはまだ、全身の鳥肌が解けていなかった。
あれほど異質な霊波動を受けたことは、滅多になかったからだ。
「でも、僕は一回見て帰ってきたデショ? 大丈夫、大丈夫」
そう言って小田は、懐中電灯をつけて地下の階段を降りていった。
「もしかして、やっぱり怖いの?」
「……あー、わかったよ! 行けばいいんだろ!」
わたしは「ヤバイ」という直感を押し殺して、小田と現世のあとをついていった。
階段を降りると、狭いトンネルのようなところに出た。
反響する音の長さからして、先が相当長く続いていることが分かる。冷えて湿った空気が、肺の中に入り込んでくる。
わたしも、スマホのライト機能をオンにした。
二つの光は、トンネル内を照らし出す。
ラムネの瓶。ボロボロになって表紙のグラビアが判別不可能な雑誌。古そうな果物の絵が描いてある空き缶。果ては錆び付いて地名が読めないバス停なんてものまで横たわっていた。
「ねえ。こんなん落ちてたんだけど」
小田が手にしているのは、黒革の手帳だった。
「開いてみようか」
「えー。やめといたほうがいいのだ。他人の手帳を読むなんて、趣味が悪いのだ」
「手帳とかって、いかにもっぽいじゃん。この地下のヒントとか書いてあるかも」
ゲームや冒険小説じゃあるまいし。現実とフィクションをごっちゃにしてんじゃねーよガキ。
小田は手帳をパラパラとめくる。
「1963年……。古ッ! 半世紀以上前の日付だよ。……えーと、なになに。ところどころ読めないな。『六月三日 工事 着手』『午後十二時 来客 視察』『計画 トンネル』『機材……』、えーと……」
わたしは横から『搬入』と言った。
書いてある内容からして、その手帳の持ち主はトンネル竣工に携わる建設業者であることは間違いなかった。具体的にどこのことをさしているのか、わからないけれど。
「ほほう。どうやら現世たちは、いきなり『当たり』のアイテムをひろったようだの」
さっきまで開くことに反対だった現世までも、今は手帳の内容に注目していた。
「『作業 難航』『トラブル多発』『原因不明』『負傷者二名』『社長おかんむり→接待の用意』『揉み消す』」
……段々不穏なワードが多くなってきたんですけど。
「『作業中断』『「人の影」が出るという作業員→意味不明。地……式術もやっているのに』」
「『地鎮儀式術』? ……この世界での地鎮祭か?」
現世が「ジチンサイってなんなのだ?」と首を捻る。
「その土地の神様に、工事の成功と建築物の維持を願う儀式のことだよ。わたしのいた世界じゃ気休めみたいなモンだけど、この世界の場合ガチで霊障が起こらないようにするためにやったんじゃないのか?」
「『調査』……『骨が見つかる 動物かそれとも妖獣か 一体何の』……『噛み千切られたあと 無残な死体』『警察立ち入り』『計画は中断してもらう』……『鳴き声を聴いた。あれは人間の――』」
バタン!
小田は、真っ青な顔をして手帳を閉じた。
「……やっぱ、現世ちゃんのいうように元のところに戻しとこうか」
わたしと現世はコクコクと頷いた。
「――ん?」
通路の先から、わずかな光が漏れている。
そこは、トンネルだった部分が自然の洞窟となっていた。
(……工事が進められたのは、ここまでだったのか)
わたしたちは、トンネルを抜けて洞窟の中に入る。
「……わあ」
そこは、せせらぎときらめきの聖域だった。
淡い光の柱が、湧き水のつくりだす川の上に立っていたのだった。
「天井が割れているのだ!」
現世が言った。
――なるほど。外から太陽光が上手い具合に注ぎ込んで、こういう風に見えているのか。
わたしは数秒ほど、神秘的なその光景に浸っていた。
そこで、違和感を覚えた。
小田が妙に静かだな……。誰よりも先に騒ぎそうなのに。さては、何かイタズラでもしようかと企んで――
周囲を見渡して、小田の動きを警戒した。
だが、杞憂だった。
「……」
小田はさっきから棒立ちして、この風景を眺めていたようだ。
目尻からは、涙がこぼれていた。
その表情はいつもの軽薄なお調子者ではない、彼のなかにいる、傷つきやすくて弱い幼子の部分が剥き出しになったかのような無防備さと純粋さを湛えている。
「――小田」
わたしは、呼びかける。
「……! キリちゃん」
「なに泣いてんだよ」
「ゴメン、ゴメン。亡くしたママやパパと一緒に、こんな景色を見たらどんな感じだったんだろうなって考えちゃって。それを今さ、新しい家族と一緒に見れていることがとてもうれしくて……ね」
……家族。
その言葉が、わたしにある人を思い出させた。
三年前に突然消えてしまった、私の母親の姿を。東京を一望できる
その幻像がわたしを――無性に腹立たせた。
「……バカじゃん」
心の中のモヤモヤを押し隠すように、わたしは小田に向かって悪態をつく。
「わたしたちは同じ家で生活しているだけだ。家族になったつもりなんてねえよ。お前の勝手な感傷に付き合わせるな」
「桐野! そんな言い方ないだろう!」
現世が怒鳴った。
だがわたしは、「フン」と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
(……見るに堪えねえんだよ。そうやって、自分の弱さをさらけ出されるのは)
「みんな、¡Tranquilo, Tranquilo!(落ち着いて、落ち着いて!) 僕が悪かったよ。さ、気を取り直して進もう!」
小田はそう言って、二つある出口の二つ目の方へ進んでいった。
わたしと現世は、険悪な雰囲気のまま小田のあとをついていった。
――(後編へ続く)




