天上界へ (3)
これにて完結です。
「あ……」
その途端、微かに甘い香りに気付いた。
少し寒くて、寒さを感じたことに驚いて、両手を広げて眺めようと動いたら、髪がさらりと動いて首筋を撫でた。
「感覚が……」
「人間時代の五感とは違う。感情の在り方も違うだろう。慣れるまではゆっくり過ごすといい」
感謝の思いと、アッシュと一緒にいられる嬉しさが胸に満ちて、泣きそうだ。
アッシュに促されて退出する前に、壁際でもう一度深々とお辞儀をする。
こんなにスムーズに、こんないい待遇で新しい生活を始められるとは思わなかった。
「よかったな」
「これからよろしくたのむ」
廊下に出ると、死神達が笑顔で話しかけてくれた。
この死神達ともこれから一緒にいられるんだ。
「よろしくお願いします」
「やーね。改まらないでよ」
「知り合いの死神が相談したいって言ってるから、近々、会ってあげて」
「あ、その子が噂の成仏屋?」
死神が集まっていたから目立ってしまって、周囲の人達まで近寄ってきた。
「成仏屋って、十九人まとめて成仏させた子?」
「凄腕だな」
いつの間に私は成仏屋なんてものになったんだろう。
つか、どんな噂になっているのよ。
私だけで成仏させたわけじゃないんだけど。
「ほらほら、今はふたりの邪魔をしない。俺達は行こう」
シロが私を取り囲んでいた死神達を引き離し、じゃあまたと手を振って廊下の向こうに去っていく。
彼らに手を振り返してから振り返ったら、アッシュは少し離れた場所に立って私を見ていた。
「私はこれからどこに行けばいいのかな」
「案内する。こっちだ」
今までと同じように差し出された手を、思わずまじまじと見降ろしてしまった。
「梨沙?」
「感覚が戻ったから、今なら手を繋いだ感触もあるのよね。じっくり触ってもいい?」
アッシュの手の感触ってどんなんだろう。
「おまえが、そういう変なやつだと忘れかけていた。そうだった。太腿に抱き付いてくる女だった」
「うふふふふ」
「人目がある場所で目立つことをするな」
そうだった。
ここは明るい百鬼夜行状態だった。
「ほら、行くぞ」
「温かい。死神の手に体温がある。ごつごつしてる」
「感想をいちいち言うな」
ぐいぐいと手を引かれて、幽霊の時のように宙を浮いてふわふわとついていく。
やだ。顔が緩んじゃう。
髪がちゃんとなびいて、洋服の裾もひらひらとはためくんだよ。
当たり前のことが、幽霊の時は当たり前じゃなかったから、どんなことでも感動しちゃう。
「すり抜けるぞ」
他と色の違う場所をすり抜けて、建物の外に出た。
外は豊かに実をつけた木々や花が咲き誇る庭園だ。
石畳の通路がずっと先まで続いていて、遠くにいくつか建物が見える。
「どうだ?」
「何が?」
「感情が戻って、気分が悪くなったりはしていないか?」
「むしろ絶好調よ」
拳を握りながらアッシュを見上げたら、しっかりと目が合ってしまった。
いくぶん寄せられた眉、青い炎の瞳、顎の線ががっしりした男らしい顔立ちだ。
そっけない素振りをするけど、ずっと私を見守ってくれていた優しい死神。
「うっ」
やばい。ドキドキしてきた。
「梨沙? どうした?」
「ちょっと待って。この距離でアッシュの顔を見るのは危険だわ。口から心臓が出そう」
「心臓はないぞ」
「じゃあ何が出てくるの? やばすぎる」
「……何を出す気なんだ」
呆れた顔も最高。
五百年経って恋愛感情だったって笑い合う?
何を馬鹿なことを考えていたのよ。
これが恋愛感情じゃなかったら、なんなのさ。
「ちょっと離れてくれないかな。慣れるまで、私の身が危うい」
片手で目元を隠し、もう片方の掌をアッシュに向けて後退ろうとしたら、がっしりとその手を掴まれた。
「断る。早く慣れるためにも一緒にいた方がいい」
「ううううう」
「すぐに調査に行くことになる。そうしたら何日かは会えない」
「何日かはって、幽霊が溜まっている場所なんてたくさんあるでしょう。すぐに会えるよ。どのくらいの頻度で会う気でいるのよ」
「今までと同じくらい」
「ほぼ毎日だな」
アッシュってもっと素っ気なかったよね。
たまにぐいぐい来るときはあったけどさ。
「梨沙は、会わなくていいのか」
「そんなことは……って、近い近い近い! アップは強力すぎる!」
うわあ、腰を引き寄せられる感覚がリアルだ。
幽霊だった時にくっついていられたのは、何も感じなかったからだったんだ。
しかもこの死神、なんかエロイ。R18だよ!
「ほら行くぞ。これから暮らす部屋を見たいだろう」
「部屋? まさか一緒じゃ」
「積極的だな。もう一緒に暮らすのか」
「違います! 無理」
「無理って……」
「いやそうじゃなくて。私のよくわからない臓器が無理だと言っている」
「意味がわからない。面倒だから飛んでいくぞ」
飛ぶ?
待って。私は高所恐怖症!
「あれ? こわくない」
建物の四階くらいの高さを飛んでいるのに、いっさい恐怖を感じない。
それよりもアッシュに抱きしめられている方がやばい。
「ちょっと、自分で飛ぶから。放して」
「暴れると落ちる。今まで平気だったんだから、早く慣れろ」
「うわああ、耳元で喋らないで。吐息が。吐息? 死神って呼吸するの?!」
「あいかわらず賑やかなやつだな」
アッシュの笑い声が、すぐ近くから聞こえる。
風が心地よくて、胸の高鳴りも悪い気はしなくて。
くすぐったくて照れくさくて、そして……幸せだ。
「やはり、おまえといると楽しい。仕事ですれ違うこともありそうだから、一緒に住むのは真面目にありだな。部屋数が多い場所に住もう」
あれ? まさかこの死神、私をルームメイトだと思っていないでしょうね。
愉快な友人レベルだと思われていただけだったりしたら、私は勘違い野郎ってことよ。
「それとも寝室は同じ方がいいか?」
「ぐふっ」
こ、この死神、危険すぎる。
成仏してから寿命が縮んでいる気がする。
「どうだ?」
「処罰中で死神の仕事が出来ないうちに同居は駄目でしょ」
「……なるほど。さっさと功績をあげないといけないんだな」
マジだ。アッシュの目がマジだ。
成仏したくない幽霊は逃げて……って、逃げられちゃ困るんだけど。
「成仏屋か。悪くはないわね」
「大変だぞ」
「でしょうね。でも、あなたがいるじゃない。たよりにしているわよ」
不安定な幽霊という存在でいて、自我を失って消えちゃう魂をひとりでも減らしたい。
ひとりでも多く成仏させて、この風景を見てほしい。
あの世は想像しているより、ずっと素敵な場所だよ。
ただし善行を積んで上の階層に行けないと、和風ファンタジーのような世界には行けないよ。
「集団成仏イベントってどうかしら」
「…………ほどほどにな」
完
普段書いているファンタジー物ではないためか、読んでくださる人は少なかったのですが
更新すると読みに来てくださる人がいて、大変励みになりました。
最後まで読んでくださってありがとうございます。




