生霊の洋子さん (1)
当然だけど、犯人がひとり見つかったからといって、事態はそう簡単に進展してはくれなかった。
まるで岩淵の守護霊のように、彼が自宅にいる時以外はべったり張り付いて、一緒に大学に行ったり就職のための面接に行ったり、その後友達と飲みに行く席にもついていく日々が続いた。
大学生の日常が私の日常になりつつある今日この頃。いつのまにか保護者のようになっているアッシュと、今日も元気に張り込み中の幽霊です。
「もう就活だけでいいんじゃないの? 私は高校出て上京しちゃったから大学のシステムがよくわからないんだけど、この時期にまだ大学に行かないといけないの?」
「俺が知るか。あいつの名前は岩淵な」
「わかってるよ」
「今日は二月十三日」
「いつ正月が過ぎたんだっけ?」
「岩淵を見つける前だろう」
マジか。
クリスマスも正月もどうしていたか思い出せない。
たぶん毎日、飲み屋街で犯人を捜していた時期よね。
「その質問、もう五回はしているぞ」
「……アッシュさん、朝ご飯はまだかねえ」
「幽霊は飯は食わない」
「違うでしょ。そこはボケるところでしょ」
「幸奈を誘うか?」
「スルー? うわ、ひどっ。……先輩は大学が苦手みたい。つか、マネージャーと一緒にいる気分になるんだけど」
アッシュは、私が忘れがちな岩淵の名前や先輩の姉妹の名前を、必要になりそうな時にちゃんと確認してくれて、死神の仕事のある時以外ほとんど一緒にいてくれるようになった。
手を貸すと言ってくれた時には、まさかここまで徹底してフォローしてくれるとは思わなかったよ。
「おまえが消えないように協力してやっているんだろうが」
「お、おう」
「しかしあの男、あの調子で就職なんて出来るのか? 成績もよくないようだし、出席日数もギリギリ。世の中舐めているのか」
「今年は就職厳しいからね。あいつの人生がどうなってもかまわないけど、もしかしてもう、先輩を襲った時の仲間とは付き合っていないのかな。それが一番やばいわ」
そうなったら、手詰まりになってしまう。
幽霊には聞き込みなんて出来ないのに。
「あ」
アッシュが突然身を起こし、廊下の向こうにいる年配の男性に手をあげると、相手も笑顔で片手をあげて答えた。
「知り合い?」
「同業者」
「死神? 大学に?」
「あの学生についているようだな。たぶん今日中に……」
え? あの学生、今日亡くなるの?
確かに元気なさそうだけど、まだ若いのに病気?
「いや、たぶん事故か自殺だろう」
「うわー、聞かなきゃよかった。……ちょっと待って。死神って死ぬ前から傍にいるの?」
「そういう時もある」
「アッシュ、まさか私が転ぶところを見ていた?」
「……」
目を逸らすな!
あの情けない事故を見られていたの?!
恥ずかしすぎる!
「あっちにいるのは幽霊よね。あそこにもいる」
大学には大勢の人間が集まるから、多くの念も集まるせいか幽霊も多い。
初めて大学に来た時、講義を受けている幽霊や、教授に恨みでもあるのか教壇に立って叫んでいる幽霊を見てしまった。
人間には見えていないけど、世の中ってカオスよ。
「最近、先輩が犯人探しに興味を示さないのよね」
「前からだろう。犯人を見つけたかったら、道の駅にずっと突っ立っていたりするもんか」
何をしているのかよくわからないけど、岩淵は事務局の窓口に行ったり、テーブルでファイルを捲ったりしている。
私とアッシュは入り口近くの壁に並んで寄りかかって、前を通り過ぎる学生達を眺めていた。
「昼間は自分の部屋にいて、夜になるとアニメを見るのが日課になっているでしょ? もうあのままでいいのかな」
岩淵の隣に住んでいるリーマンがアニメオタクで、会社から帰ると毎日アニメばかり見ているのよ。
アニメのためには苦手な男の部屋に入るのも我慢出来るらしくて、毎晩テレビの前で正座してアニメを観ている。
「いいわけないだろう」
「でも成仏出来なくても、今の生活なら悪霊にならないんじゃない?」
「弱気だな。犯人を捕まえて、遺体を家に帰してやりたいんじゃなかったのか?」
そうなんだけどね。もうひと月以上、今の状況が続いているのよ。
これで岩淵が、地元じゃ就職出来ないからって東京に行ってしまったら、たぶんもう捕まえられない。
「幸奈が落ち着いているのは、おまえがいるからだ。おまえが成仏した途端、岩淵を呪い殺そうとするだろう」
「アニメは精神安定剤か」
「移動するぞ」
「あいつ、機嫌悪そうね」
上着のポケットに手を入れて、猫背気味に歩いていく岩淵の背中を追いかける。
「カフェに行くようだな」
大学の食堂がこんなにおしゃれだと知らなかったよ。
三か所も食堂があって、それぞれメニューが違うんだって。
今は寒いから誰も使っていないテラス席の横を通って、自動ドアを通る。
高い天井の南欧風のカフェには客がまばらにしかいなかった。
「セルフサービスなのね」
テーマパークによくあるような、好きな料理をトレーに乗せて会計を済ませてから席に着く形式ね。
そりゃ、大学の食堂だもんね。
岩淵の横に並んで何を選ぶのか見ていたら、飲み物とパスタと菓子パンをトレーに乗せていた。
どういう組み合わせなのよ。
「野菜食えよ」
「待ち合わせみたいだ」
「え? ああ、あの子達か」
岩淵がきょろきょろと店内を見回していると、ふたりの男子学生が手をあげて声をかけてきた。
片方がスーツ姿で、もう片方は眼鏡をかけてジーンズとパーカーを着ている。
どちらも、ごく普通の大学生という感じだ。
「これで三人。数はあってる」
三人の隣の席が空いていたので、お行儀が悪くて申し訳ないけどテーブルに座ることにした。
アッシュは物珍しいのか、まだカウンターに並べられている料理を見ている。
そういえば死神って何を食べるんだろう。
「こいつ仕事が決まったって」
「え?」
「これでやっと、面接を受けなくてよくなったよ」
「地元か?」
「東京に本社のある会社だから、どこに配属になるかわからないんだ」
「岩淵は? 決まりそうか?」
「……いや」
ふーーん。友達はもう就職が決まったのか。
岩淵だけまだなのね。
というか、まともに就職する気なのが意外よ。
毎日飲み歩いているからさ、てっきり水商売系かフリーターになるのかと思ってた。
「前は家を継ぐなんて嫌だと思っていたけど、やってみるとおもしろいんだよ。おかげで儲かっているし、ネット通販にも力を入れてさ」
「見た見た。サイト見やすいよ」
「だろう? 岩淵もいろんな会社を調べてみたらどうだ?」
「俺みたいにネット面接受けたほうが決まりやすいぞ」
「PC持ってねえよ」
「岩淵は東京で探した方がいいんじゃないか? つか、そうすると思っていたよ」
ふたりと別れた後、岩淵の機嫌は最悪だった。
プライドが意外と高いようで、彼らが就職出来たのに自分が出来ないっていうのが気に入らないようだ。
友人とまではいかない仲なのかな。
まだ就職が決まっていない子の前で、就職する会社の話題ばかり楽しそうに話すって嫌がらせだよね。
そうしたくなるようなことをしたのかね。
「出かけるのか?」
大学を出た岩淵は自宅とは反対方向に歩き出した。
「駅に行くのかも」
「あ、電話だ」
相手から自分は見えないってわかっているのに、岩淵が足を止めるたびに、つい物陰に隠れちゃう。
さすがにアッシュは隠れたりしないで、こいつは何をやっているんだって顔で私を見ている。
「……川戸。ひさしぶりだな。……うん……え? いや、会わない方が」
会わない方がいい相手? 川戸って誰?
「……いや、うん。……うん。……いいよ。今夜? あの店に行くのもひさしぶりだな」
最近会っていない誰かと、最近行っていない店。
これはもしかしてもしかするかも。
岩淵が向かったのは、駅前のゲームセンターだった。
意外と行動範囲が狭いのよね。
彼を尾行するようになって今まで、面接等で電車で移動することはあっても、飲むのは大学の友人ばかりで、しかも地元の店ばかりだった。
「こんばんは。今日はこちらでしたか」
「井上さん、こんばんは。この時間にこちらに来られたということは、娘さんは彼氏とデートですか」
守護霊の井上さんとも、すっかり顔馴染みになってしまった。
娘さんが婚約者と一緒にいる時は邪魔しないように、私達のところに遊びに来る優しいお父さんだ。
「おや、彼は荒れているみたいですね」
イライラしながらゲームをして、上手くいかなくてまたイライラして。
知り合いがいたのか声をかけられた時だけ白々しい笑顔で挨拶をして、二時間ほどでゲームセンターを出て歩き出した。
「電車に乗るみたい」
「おや、珍しい」
「ひさしぶりに会う友人と待ち合わせているみたいなのよ」
井上さんと話しながら岩淵の後ろを歩いていく。
アッシュはまたクロウの姿になって、私達の更に後ろを歩いている。
シロは死神仲間だから別にすると、彼は私以外とはあまり会話しない。
話しかけられれば答えるし、挨拶はちゃんとするのに。
実はシャイだったりして。
電車の中にも幽霊はよくいる。
たいていリーマン風の男性だ。
目が合うと話しかけてくることがあるので、気付かない振りをして窓の外に目を向ける。
会話出来る相手だと、普段話し相手がいないからか一方的に話す人が多くて、岩淵を見失いそうになるし、会話出来ない相手だと、延々と同じ言葉を繰り返したり、じーっと無言で見つめられたりして、どちらにしてもついてこようとするのよ。
アッシュを見ると、たいてい逃げていくんだけどね。
「なんだ、一駅で降りるの?」
「急行で一駅だけどね」
駅の規模や乗り降りする人の数は変わらないけど、こちらの方が商業店舗が多い街だ。
高校の頃には、よくこの駅で降りて友人と洋服を買いに行ったものだ。
でも岩淵が向かったはファッションビルがあるのとは反対側の出口で、そちらは歓楽街になっている。
飲み屋もたくさんあるしキャバクラやホストクラブもあって、女性が一人では歩きたくない通りもある地域だ。
「まだ夕方よね」
「そうですね。開いていない店もありますからね」
岩淵は慣れた足取りで通りを進み、雑居ビルの狭い階段を地下に降りていった。
看板にはアメリカンバーと書かれている。
「おお、いいですねえ」
井上さんが嬉しそうだ。
「ああ、はいはい。古き良きアメリカってやつね」
古いウッド調の店内には、足がつかないくらいに高いスツールの並ぶバーカーウンターが置かれている。
ネオンサインの看板やマリリンモンローの写真が飾られていて、店の隅にはジュークボックスが存在感を醸し出していた。
あれってまだ動くのかな。
「田所さん、彼はあっちに行きましたよ」
他に客がいない店内は、照明が暗くて幽霊にも居心地のいい感じよ。
岩淵が向かったのは店の奥の席で、そこには革ジャンを着たガタイのいい男がすでにビールを飲んでいた。
「よお、生きていたか」
「……川戸」
ごついシルバーの指輪をつけているのも、Tシャツの襟もとから刺青が見えているのも、まあいい。このタイプは東京ではよく見かけるから珍しくない。
ただし、頭を両手で鷲掴みにした女性が、すぐ横に立っている男って初めて見たわ。
「これはこれは。生霊がついているとは」
「生霊?」
長い黒髪に青白い顔。頬がこけて、唇だけが異様に赤い。
私と同じくらいの年かな。
美人だけど目つきがやばい。白目が濁って青く見える。
私よりよっぽど幽霊らしいこの人が生霊?
「あなた達、なに?」
女性にしては低めの掠れた声で生霊が聞いてきた。




