会談要請
誰かが髪を梳いている。もうずっと昔に死んだ母のように。
ざ、ざ、と音がする。ラジオのザッピング音に似ている。
『先日実行されたカラフ方面軍主導の反攻作戦は多大な成果を上げました。
洋上交通網が一部回復され、ヒューリック有識者委員会はこれに対し――』
『セブン・ピースライン協会は総力を挙げてカラフ方面軍を支援する事を宣言します。
今こうしている間にも、多くの人命が失われています。我々は――』
『またまたあの人がやりました! 我々フレッチャーズTVはスーパー・タッチダウン作戦に参加したイオ軍曹から――』
『シタルスキアはガルダの鹵獲に成功したが、あの敵性技術をリソースとして獲得するのは困難だ。
オーバーテクノロジーの塊だからな。
何故そんな物に貴重な技術者を投入するか疑問か? イオ軍曹。
確信があるのさ。人類の特殊な技術の一部は、元々トカゲに与えられた物だからな』
ユウセイは目を閉じたまま身を捩る。
酷く疲れている。静かに眠らせてほしい。
またザッピング音。
『行動を精査した。これまで行われた調査よりもなお入念に』
『重度のストレスによる精神疾患。軍人然とした振る舞いから唐突に飛び出る暴力性の高い言動。
これはまぁ良い。我々は貴官のカウンセリングをしたい訳では無い』
『だが、貴官の作戦中の……“勘”とでも言うべき物は、余りにも正確過ぎる。
まるで天から見下ろすかのように』
『率直に質問する。率直に答えたまえ。
お前は、トカゲの何を知っている?』
一般常識的な事しか知らない。そうとしか答えようがないだろう。
残忍で、狡猾で、タフだ。何もかも焼き払って、獲物の皮を剥ぎ、高い所から吊るす。笑いながら。
殺す。奴らが憎い。殺してやる。同じ目に合わせてやる。
だがディティールが凝ってるのは非常に良い。きめ細やかな造りは間近で眺めると大迫力だ。アレをモデリングするのは相当手間だった筈だ。
動きも何と言うか、リアリティがある。やっぱりモーションキャプチャーか? 奴ら、膝を曲げた状態で俊敏に行動するから、あの動きの元を作ったアクターは相当大変だったろうな。
『おいユウセイ、チーム名勝手に変更しただろ。
なんだよお前、“爆裂戦隊がんもちゃん”って』
『って言うかグリッチ疑惑で早速晒されてるぞ。運営から“ログ調べる”って連絡来たわ』
『いやー、俺達またもや有名人になっちまうなー。……冤罪での悪名だけどよ』
は? がんもちゃんはあの殺伐としたロボゲーに癒しを与えてくれる救世主なんだが?
がんもちゃんの名を冠す我が部隊に所属出来る事を光栄に思って欲しいくらいなんだが?
っていうかグリッチも何もあるかよ。あそこが強ポジなのは認めるが、結局――
――適切な速度、適切な兵器、適切な位置取り。俺達は勝つべくして勝った。
しかしがんもちゃん、と言うのは、確かに部隊名として不適切かも知れないな。
『貴方の判断を信じます、イオ』
髪を梳いていた何者かの手が頬に触れた。子をあやすように顔を撫でまわす。
ひやりとしている。その冷たさが妙に心地いい。
『イオ、一体、何が起きているんだ……?
いやその、我が軍が勝つのは当然喜ばしい事だが……』
『少尉、良いじゃないですか、凄い事ですよ!
また軍曹がトカゲをぶっ潰してきたんでしょう?!』
『パックス、すっこんでいろ! 事はそんなに簡単じゃない!』
『……イオ、我々3552に待機命令が下された。アウダーへの撤退は延期だ。
同時に、妙なエージェントからの接触があった。特務少佐を名乗っていたが……。恐らく本来の階級はもっと上だろう』
『嫌な奴だ。具体的な事は何一つ言わなかった。何が目的なのか今一つ分からない』
『だがイオ……、狙いは貴官だ。もう戦わなくたって良いだろう。……心配なんだ』
少尉に、何者かからの接触があった。
心配は要らない、少尉。俺の義務だ。
どうって事はない。いつも通りだ。どの道手遅れだしな。
少尉達に手出しはさせない。
任せとけよ、お姫様。
『必ずカラフから脱出させる』
イオは目を開き、応えた。
――
――ブルー・ゴブレット観測歴2年8ヵ月
――レベル8観測領域。“貴方の為の庭”
――作戦ID イオ・200
「……何だか最近、頭がすっきりしてんだよな。身体もよく動くし」
『それは喜ばしい事です。
エージェント・イオのパフォーマンス向上はデータにも表れています。
貴方は今尚成長を続けています』
「ははっ、俺は褒められて伸びるタイプだからな。もっと褒めてくれて良いぜ」
『貴方はブルー・ゴブレットが支援して来た中で最も優れたユニットです。
貴方は理論値すらも超えた結果を引き寄せる』
「くすぐったいな。結局やってる事は泥の中を這いずり回って鉄砲ごっこだ」
『構いません。救いましょう、世界を、鉄砲ごっこで』
「おっ、……その言い回し、俺好みだ」
イオは青い光の海の中で身を起こした。
ブルー・ゴブレットが身を寄せて来る。イオは違和感を覚えた。
ゴブレットの瞳が黄金色に輝いている。前からこんな色だったか?
しかしその違和感も直ぐに消えた。
コイツを疑ってどうするんだ。それもこんな些細な事で。
「で、俺達の当初の作戦は達成間近だった筈だが……」
『クルーク・マッギャバンはオクサヌーンで待機状態にあります。
カラフ方面軍の意図は不明ですが、エージェント・イオへの人質としての価値を見出された可能性があります』
「俺への人質? ……まぁ確かに、少尉や少年兵達を引き合いに出されるとな」
長く付き合ったキャラクター達だ。出来れば奴等全員ハッピーエンドって奴を迎えて欲しい。
「手段はあるのか、ゴブレット。少尉だけじゃない。ガキどもを纏めてアウダーに送り届けられるような奴だ」
『貴方が観測外世界での作戦を遂行中、アバターは重要度の高い、且つ有用なメッセージを受け取りました』
「作戦……? あぁ、あれか」
ジョナサン・リッジとやってたロボゲーの事らしい。ジャンルとしてはタクティカルメカアクションとか自称している。
流石アングラゲー。世界観を崩さずに上手い事プレイヤーの行動を表現に取り込んでくる。
「それはまぁ、良い。メッセージは誰からの、どんな内容だ?」
『送信者はヴィットー・クーランジェ。内容は非公式会談の要請です』
「良いだろう。サポートしてくれ、ゴブレット」
ゴブレットは黄金の瞳を大きく開いて、無機質に笑って見せた。
『介入再開。エージェント・イオ、貴方の帰還を歓迎します』
――
「イオ軍曹、出来れば次は、もっと協力的な姿勢を見せて頂きたいですね」
気付けば整った髭が印象的な紳士と握手を交わしている所だった。
視界に表示される情報にはエドモンド・リプファーとある。精神科医らしい。
「(ゴブレット、コイツは?)」
『カラフ方面軍は貴方の記憶情報の回復を試みているようです。
ここまでの作戦でトモス等の敵兵器、更にはガルダまでを鹵獲し、コントロールしました。
貴方はブルー・ゴブレットの存在を秘匿し、これらに対して適切な説明が出来ない状況です』
「(それと……イオの記憶に何の関係が?)」
『貴方の補助脳の秘密を探っているのです。イオ・200を生み出した強化兵計画は、政治的暗闘の末その資料の大半を消失させました。
しかし貴方の挙げた驚異的戦果に、強化兵計画の実績を見直そうとする動きがあります』
イオは鼻を鳴らした。見回してみればイオが今居る施設は病院のように見えなくも無い。
酷く殺風景だが非常に清潔感がある。ともすれば不気味な程に。
「あー、ドクター・エド。サイコパスの相手は慣れてるよな?」
「……どういう意図の質問か分かりませんが、心の病を負った人々の事を言っているなら、その発言には撤回を求めます」
「上司に、俺がどうやってガルダをコントロールしたのか調べろと言われているんだろう?」
「それはカウンセリング前に説明した通りです」
イオは素気なく背を向けて言った。
「頭の中に、な」
「はい?」
「青い女神が居るんだ。そいつが俺を導いてくれる。
どうだ? 宗教に嵌ってるか、頭がおかしい奴みたいに聞こえるだろう?」
エドモンドは真剣な顔でイオを見詰めている。
「俺に協力させるより、過去の強化兵計画資料を探した方が有意義だろうな。
でなきゃ、俺の頭を掻っ捌くか」
それだけ言い残してイオは歩き出す。ゴブレットが出口までのルートを示した。
受付では何人もの男達が警備部隊と睨み合っている。一触即発の空気だ。
その中に見知った顔を見付けて、イオは声を上げた。
「カーライル伍長。ヘックスとノイマンもか」
「軍曹! 無事でしたか!」
わらわらと男達が群がって来る。イオは困ったように笑った。
屈強な男達に囲まれても別に嬉しくない。
「なんだお前達、どういう集まりだ?」
「おいおい、こっちは冗談でやってる訳じゃ無いぜ。軍曹がここに連行されたと聞いたから、可能な限り掻き集めてすっ飛んできたんです」
ヘックスがいつになく真剣な顔で言う。
「ここの奴らは皆頭がおかしい。患者の事じゃない、スタッフ側の話だ。
規制値を超えた投薬を平然とやる。禁止薬物を使用してると言う噂もある」
ノイマンは忌々しそうに警備兵を睨み付けながら言う。
「(そうなのか?)」
『エージェント・イオにも分泌物質を制御する為の投薬措置が行われました。
悪影響を考慮し薬物や暗示の類は無効化してあります。問題はありません』
暗示? そんな事まで?
やれやれ。嫌な話だ。
「俺にその手の薬は効かない。暗示の類も」
「どうしてそんな事が分かるんです」
「さてな。何にせよ、もうここに用は無い」
ヘックスは何度か頷くと今まで睨み合っていた警備兵に向かって首を掻き切るモーション。
いつもは窘めるカーライルも止めようとしない。鼻を鳴らすとイオを守る様に取り囲んで外へと促した。
「おい止せ、あんまりひっつくな」
「軍曹、どういう事なんです」
オクサヌーン市街に出た瞬間からカーライルはいきり立っている。
「きな臭い話ばかりを聞く。オクサヌーンは今、何と言うか……おかしな事になっています」
「それはそうだろうな。俺達はカラフから叩き出される寸前だ。可笑しくならない訳が無い」
「そういう事じゃない。軍曹、アンタは英雄なんです。そう呼ばれるのは好きじゃないみたいだが。
なのに、この扱いはなんだ? まるで政治犯でも相手にするような遣り方じゃないか」
不満を露わにするカーライル。寒々しい曇天を見上げて、イオは言った。
「ウィードランとの戦いよりも大事な事があるんだろうよ。
……いい加減そいつらを帰せ。どこまで護衛任務をやらせるつもりだ?」
ヘックスと顔を見合わせたノイマンが渋々男達を解散させる。
好かれたモンだな、小さな笑いが出てくる。
「伍長、3552のカラフ撤退が延期になったのは聞いたか」
「……えぇ、少尉から連絡がありました。そこら辺の関係も全く訳が分からなくなってると」
「ナタリー・ヴィッカーから連絡はあったか?」
「彼女とは連絡が取れなくなった。フレッチャーTVに問い合わせても社外秘の一点張りだ」
ゴブレットが補足してくる。
『ナタリー・ヴィッカーはヴィットー・クーランジェとのコンタクトに成功しました』
「ナタリーは事情があって身を隠している」
「身を隠す?」
「軍の不都合な情報に関わった。安心しろ、彼女を死なせるつもりは無い」
カーライル達に緊張が走る。少ない遣り取りの中から事の重大さを感じたようだ。
「それは……俺に投与したカラフ・ウィルスの治療薬が?」
「それもある。だがそれだけじゃない。
身の危険がある。易々と話せない。……伍長には、ディナーに招待してもらう約束だからな」
家族の事を思うなら、深入りするな。はっきりとそう言ったつもりだった。
この戦闘工兵三羽烏ともそれなりの付き合いになった。こいつらもハッピーエンドが良い。
「いずれ、話せる時が来るさ。今は何も聞かないでほしい」
カーライルは酷く迷った末に頷いた。
残して来た家族を思う男の苦悩がよく表現された表情だった。良いキャラだ。
「(ゴブレット、会談とやらは、どうすれば良い)」
『秘匿回線をブルー・ゴブレットが保護します。十分後、こちらからコンタクトを』
「(最適な場所を教えてくれ)」
『任せて下さい』
こいつも段々、受け答えに感情が乗る様になってきたよな。