4.触れる指先
「なにを見ているんだい、アンネリーゼ」
涼やかな美声で呼びかけられ、聖女アンネリーゼはぱっと後ろを振り返った。
見れば、扉に背を預け立っているのは、この国の麗しの王太子、ユリウスである。
アンネリーゼは、豪奢なテーブルにたった一つ載せていた水晶玉を庇いながら、にっこりと微笑んだ。
「魔王討伐を終えた今、わたくしがどこでなにをしようと、殿下に関係ないことでございますわ。小麦一粒ぶんたりとも」
アンネリーゼの微笑は、「女神の祝福」と称されるほど美しいものだ。
ふわふわと波打つ蜂蜜色の髪に、滑らかな白い肌。
明るく輝く琥珀の瞳は本来ぱっちりとあどけなく、全体が甘やかな砂糖菓子のようである。
本来は。
「なので、乙女の部屋に勝手に入らないでいただけます?」
だが今、目を細めて凄む姿は、えらく堂に入っていた。
「おや、それはどうだろうか。君は、この部屋が王城の一室――つまり、僕の所有物であるということを忘れているようだね」
爽やかな美青年そのものに見えるユリウスも、薄い唇に毒を滲ませて応じる。
彼は、アンネリーゼの圧の強めな笑みにもめげず、向かいの椅子を引いて腰を下ろした。
「ついでに言えば、君を聖女に任命したのは、この僕であるということも。つまり、君が振るう聖女の力のすべては、僕の監視下に置かれる必要がある」
「まあ。一国の王太子が、覗き見をするために権力を振りかざすだなんて、世も末ですわ」
「へえ。君は水晶玉を使って覗き見をしていたのか」
両者、しばし無言でにこにこと相手を見つめ合う。
やがて、アンネリーゼがごくごく小さな舌打ちを漏らした後、口を開いた。
「親友の安全を見守っていただけですわ。今日は二人、珍しくピクニックに出かけるとのことだったのですが、行き先を聞いたとき、魔王軍の残党を『幻視』したため、心配で」
幻視とは、アンネリーゼが持つ聖女の力の一つで、予知能力のようなものである。
意外にまっとうな理由だったので、ユリウスは毒気を抜かれたように「そういうことか。たしかに、今の浮かれたオーグでは心配だな」と水晶玉を見つめ直したが、そこに映っているのが、ゴブリンそのもののサブリナの横顔だけだったため、うっと息を詰まらせた。
「……見守るなら、もう少し引いた距離から映した方がよいのではないかい? なんというかこう……視覚の暴力だ」
「ふふ。リナの真の姿も見抜けない節穴野郎は、せいぜいそうして息を潜めていればよいのですわ。わたくしには、とってもかわいいリナの姿が見えていますので、お気になさらず」
「というか、二人の安全を知りたいのなら、オーグも映すべきだろう」
「嫌ですわ。なぜあんな汚らわしい豚を見て視覚に負荷を掛けねばなりませんの? オーグのことは好きですが、お顔はべつに見たくありません」
即座に言い放ったアンネリーゼに、ユリウスはふっと生温かな笑みを浮かべた。
「君こそ、オーグの真の姿を理解していないなんて、とんだ愚か者だ」
そうすると、傍目には、ぴったりお似合いの美男美女――金髪の王子と聖女が、にこにこと向き合っているかのように見える。
眉目秀麗、魔王討伐の偉業も成し遂げた二人は実に「絵になる」存在で、彼らの結婚も遠くないと民衆が熱心に噂するほどだ。
だが、この二人は実際のところ、犬猿、いいや、天敵同士のような関係なのである。
理由は単純、同族嫌悪であった。
「は? 愚か? 愚かと言いました? お可哀想に、二十になっても言葉の意味を知らないのですね。辞書を引き直して、ついでにママのお腹の中に戻って人生やり直しておいでなちゃいませばぶーばぶー」
「やれやれ君の気の短さには感心するよ。もっとも、ゴブリナの顔を見た時点で、呪いを掛けた君の腹黒さを見抜くべきだったけどね。あの仕上がり、どんな敵意を込めたんだいこのビッチ」
ユリウスは美貌の王子だ。
生まれた時から、どんな女だって視線が合えば頬を染めずにはいられなかった。
媚びに満ちた視線、甘えた声、張り付くばかりのいとわしい腕。
もしいずれ、自分のことをまっすぐに見つめる女が現われたなら、きっとその女にこそ自分は心を預けるのだろうとユリウスは思っていた。
だが現実には違った。
しなだれかかってこない女は「おもしれー女」?
とんでもない、単に、クソかわいげのない女だ。
「あらあら。オーグのお顔も相当だと思いますけど。あれはなに? 自分より強い男に対する嫉妬の表れ? 親友を変装させるためというなら、もっとしかるべき程度があるはずですけどねかけ算してやろうかこの野郎」
アンネリーゼも同様だった。
この美貌に惑わされず、自分を対等な人間として扱う男が現われたなら、きっとその人物にこそ心を許すのだろうと思っていたが、違った。
自分のことを崇めもしない、尽くしもしない男なんて、単なる肉塊だ。
ただでさえ男なんて生き物は醜悪なのに、女に忠誠を捧げる機能さえ搭載されていないなんて!
「ほうれい線、目立ってきたんじゃないかい?」
「そのヅラ、ずれてるんじゃありません?」
「不倫しそうな顔」
「しいたけ野郎」
「まな板」
「短足」
二人は、きらきらと音が立ちそうなほど神々しい笑みを浮かべながら、じっと相手を見つめた。
(絶殺)
ぴったり同時に心の内でそう吐き捨て、ついで、殺伐とした己の性格にうんざりする。
鏡を見ているような相手と一緒に過ごす時間は、苦痛でしかない。
短い人生、目に快い存在だけを映したいものだ。
ふと視線を向けた水晶では、ゴブリナが甲斐甲斐しく、籠からサンドイッチを取り出している。
空腹に殴りかかってくるような絵面に、アンネリーゼはほうと溜息を落とした。
「はあ……美味しそうなサンドイッチですこと。叶うなら、わたくしがリナの料理を頂きたかったわ」
「だったら、二人を小屋に残したりなんかしないで、もう少し四人一緒に過ごせばよかったじゃないか」
「なにもわかっていないのですね、殿下」
言葉を挟んだユリウスに対し、アンネリーゼは悲しげに小首を傾げた。
「リナはもはやわたくしの妹も同然。殿下は、家族がもじもじと色恋に頬を染めたり、生々しい欲求に身を悶えさせているところを間近でご覧になりたい? わたくしはごめんだわ。くっつくならさっさとくっついてしまってほしい。ヤるならさっさとヤってほしいわ」
可憐な唇から、ドスの利いた言葉の数々が漏れた。
「恋には必ず終わりがある。新婚期間は三年で終わる。ゲロ甘な日々を終え、相手を知り尽くしてしまえば、あとは互いに飽きるのみですわ。そうすれば必ず、リナはわたくしのもとへ帰ってくる。わたくしはその過程を早めたいだけですの」
「あまりにも重い」
ユリウスはぼそりと呟いた。
聖女の過去にはいったいなにがあったのだろうか。
「ゲロ甘な期間を早く終わらせる、ねえ」
だが、水晶に映る二人――なんだかんだ言って、アンネリーゼは映す範囲を広げてくれていた――を見て、ユリウスは肩を竦めた。
「この二人の進展は、かなり遅そうだけど」
見る限り、せっかくのピクニックだというのに、二人の間には一向に恋人らしい空気はなかった。
どちらも背筋をぴんと伸ばし、視線を絡めるどころか、揃ってまっすぐ前方を向いている。
(いや、オーグについて言えば、緊張で挙動不審になっているだけだろうが……。ゴブリナはお堅い女だからな。本当に、なんのときめきも覚えていなそうだ)
きっと、戦闘ばかりを共にした二人だから、並び立つと本能的に体が戦闘モードになってしまうのだろう。
デートというよりも、まるで連れだって魔王城の見張りでもしていそうな緊張感だ。
こっそりと溜息を漏らす王子の向かいで、アンネリーゼもまた密かに眉を寄せた。
(もう、リナったら緊張でガッチガチなのね。気取られまいと努力した結果、表情が無になっている。は? かわいいの塊なの? でもオーグは本当に興味がなさそうな雰囲気ね。あいつ、堅物だから。ていうかリナに興味を示さないとか何様? 処すわよ)
基本的に男嫌いのアンネリーゼからすれば、オーグがゴブリナに対して純情を見せても気持ち悪いし、一方的な獣欲を向けてきたなら殺したくなるし、かといってメロメロにならないというのも許せない。
つまり、なにをしても気に食わない。
だから距離を取ったのだ。
(それにしても、リナがこんなに緊張しているところに、万が一残党がやってきたら、大丈夫かしら。心配だわ……)
親友を案じる気持ちは、本物だ。
アンネリーゼは表情を曇らせて水晶を見つめたが、そのとき、事態が動いた。
サンドイッチを受け渡す二人の指が、触れたのだ。
(ああ、ああああっ、あアあ゛ああああ!)
ばくばくと全身が心臓になった心地を覚えながら、ゴブリナはサンドイッチを取り出していた。
この日は、いつも小屋で食事を取ってもつまらないから、外で弁当でも食べようという流れになったのだ。
言い出したのは、オーグのほうだったか。
ゴブリナとしても、日々、至近距離からオーグの顔を見つめるのにはいろいろ限界があったので、一も二もなく飛びついた。
外には、木々があり、風がある。
自然に多く触れれば触れるほど、エルフの自分は心穏やかに過ごせる。
なにより、壁という仕切りがない分、相手と大きく距離が取れるのだから。
だが今、ゴブリナは、ピクニックというものをまったくわかっていなかった自分のことを撲殺したい衝動に襲われていた。
(馬鹿者! 馬鹿者! 私はなにを考えていたんだ!? なぜシートを持ってこなかった!)
そう。
屋外では、座るためにシートを広げるのだ。
野営ばかりしていたがゆえに、そうした発想がなく、地面に直接腰を下ろそうとしたらオーグに止められた。
そうして彼は自分の外衣を脱ぎ、それを地に広げてくれたのだ。
「もう戦時中じゃねえんだ。泥にまみれず過ごそうぜ。ほら、お姫様」と。
(おひっ! おひおひおほ、お姫様って言われた! オーグに、おひ、お姫様!)
ゴブリナは当然きょどった。
きょどるあまりに、表情が無になった。
そうして無になりながら、彼女は咄嗟に、「オーグが座ってくれないか」と返してしまった。
だって、普段まったく装いに頓着していなかったオーグが、せっかく上等な仕立ての外衣を身に付けていたのだ。
それを自分が奪ってしまうなんて、あまりに申し訳なかったから。
しかしオーグがそんな事態を許すわけもなく、気付けば、小さな面積に二人が腰をおろす状況ができあがっていた。
つまり、腕と腕がほとんど密着しているわけである。
破廉恥だ。
(も、もうだめ……。体温が上がる……鼓動が速まる……絶対、絶対、こちらの興奮がバレてしまう……)
だって、軽くめくり上げた白いシャツが。
むき出しの腕が。
ちらりと見つめたオーグの横顔は、男性美のすべてを集めたような精悍さに溢れている。
軽く失神しそうになって、ゴブリナはさっと視線を逸らした。
メデューサの頭より凄まじい効果だ。
(落ち着け、落ち着くんだ。こんな時こそ、勇者時代に鍛えた瞑想法を駆使しないでどうする。心拍を落とせ……呼吸だ……血液の巡りを遅くして、仮死状態、無我の境地に……)
ゴブリナが独自に生み出した瞑想法を使えば、小一時間は仮死状態を維持することができる。
これによって毒の巡りを遅らせ、生き延びたこともあったっけ。
「オーグの魅力」という重篤な毒に冒されそうになっている今、ゴブリナは、SS級と言われるその技術を惜しみなく発揮した。
無我の境地に「入る」のだ。
(うおおおおおおおおお! ぐっ、うおおおおおおおおおおおおおっ!)
隣のオーグもまた、荒んだ目をしながら、内心で雄叫びを上げていた。
(近い近い近い近い近い! 無理無理無理無理無理!)
これはいったいどういう拷問なのだろうか。
あと何刻耐えればこの愛らしい女性を押し倒しても許されるだろうか。
すぐ隣から、ゴブリナ特有のふんわりと甘い香りが漂ってきて、オーグは軋みそうなほどに拳を握り締めた。
だいたい、室内ではゴブリナの「香り」が漂いすぎるから、外での食事を提案したというのに。
これまでになく密接してどうするのだ。
ピクニックでは女性の座る場所を確保するエスコート術が必要、とユリウスから教わっていたので、衣を差し出す仕草と台詞だけは三日猛練習したが――さりげなさを演出するために、前腕の動きを鍛えまくったのは秘密だ――、その先までは考えが及んでいなかった。
ゴブリナがサンドイッチを取り出してくれていたが、正直なところ、オーグの空腹はそんなものでは収まりそうにない。
「はい、オーグ。お腹が空いただろう。よければ、これを」
だが、ゴブリナはこちらの懊悩なんて知らぬげに、淡々とサンドイッチを差し出してくる。
その顔は赤らみもせず、むしろ死人を思わせるように白く、かつ、緊張感を孕んでいるような気がして、オーグはふいに悲しくなった。
なんだかこれでは、魔王城の見張り中、そそくさと栄養補給をする戦士同士みたいだ。
でもきっと、ゴブリナからすれば、その通りなのだろう。
だって彼女は、この日のために新調した白シャツにも、計算し尽くして露わにした腕にも、なんの反応も示さないのだから。
彼女にとってこれはデートなんかではなく、単に、集団戦闘行為の延長なのだ。
(おいユリウス! 女性は清潔感のあるシャツと、そこから覗く、血管の浮き出た腕が好きっつったじゃねえか! この大嘘つき!)
この日のため、マイベスト血管が見える角度まで研究し、鍛えたのに。
オーグは内心で血の涙を流した。
「オーグ?」
が、なかなか受け取らないオーグを不審に思ったのか、ゴブリナが不安そうに首を傾げる。
(馬鹿おまえ馬鹿おまえ馬鹿おまえ! せっかくゴブリナが作ってくれたメシを即座に受け取らねえ俺なんて、馬に蹴られて死んじまえ! っつーか上目遣いかわよ!)
オーグは情緒を爆散させながら、慎重に腕を持ち上げた。
「はは、悪ィ悪ィクイ」
サンドイッチ?
馬鹿野郎、そんな小さいものを受け渡したら、下手を打てば指先が触れてしまうではないか。
そして、体の一部が触れてしまえば、オーグにもはや衝動を堪えられる自信はなかった。
今は、腕がぴったりとくっついていると見せかけて、その実、薄皮一枚の距離をかろうじて維持しているのである。
これは、白刃取りをするときなどに使用する裂傷回避術の、実に高度な応用であった。
(指に触れない。指に絶対触れない。触れたら待つのは死だと思え)
これはあれだ、魔王の残した特級呪物を扱う要領で行くのだ。
一歩間違えれば死、だが正しい部分を押えれば、呪物は効力を発しない。
呼吸を整え、精神を練る。
指先に世界の命運を託し、その軌跡を髪一筋分とてずらさない――
――ぴとっ。
(触れちゃったァアアアアアアア!)
オーグは白目を剥きそうになった。
手が、手が勝手に動いてしまったのだ。
だが、
「ゴブリナ、これは――」
――どごお……っ!
オーグがゴブリナに言い訳をするよりも早く、轟音が一帯に響き渡る。
はっとして顔を上げれば、サンドイッチを宙に投げ上げたゴブリナが、鋭い目で前方を見据えたまま、背後に向かって剣を構えていた。
いや、これは構えたのではない、後方に向かって、すでに聖剣から衝撃波を放った後だ。
振り返りもせずに。
「な……」
「背後に怪しい気配を感じたのでな」
ゴブリナが低く呟く。
「別に、どっきりして飛び上がったわけではない。居住まいを正したのだ。興奮をうっかり解放してしまったわけではない。あくまで敵を駆逐するために、衝撃波を放った」
「お、おう……」
彼女の発言を疑うはずもない。
妙に言い訳がましい態度を不思議に思いつつも、オーグは彼女の剣技に圧倒される心地だった。
聖剣から閃光を放つほどの攻撃波を放つためには、常人の五百倍ほどの強い感情と意志の力が必要だというのに、まさかそれを一瞬で練り上げるだなんて、と。
(なにその言い訳ええええ!?)
ついでに、水晶の向こうでアンネリーゼも圧倒されていた。
彼女は見たのだ、指が触れるや、びっくりして飛び上がり、うっかり興奮を衝撃波に変換して聖剣から放ってしまった親友の姿を。
(初心すぎるにもほどがあるわ、リナ!? うっかり自然破壊とか、ほんと落ち着いて!? こんな精神の乱れた状態で魔王軍の残党に遭遇したら、本当にまずいわ!)
だが、さらなる衝撃がアンネリーゼを襲った。
『く、くそおお! 特級呪物を使って気配を殺したというのに、なぜ我の存在に気付いた!』
ゴブリナたちの背後の茂みから、衝撃波をくらったヒュドラが、身をくねらせながら出現したのである。
(ええええ!? なんかホントにヒュドラ攻撃しちゃってたーーーーー!?)
ゴブリナもこれには驚いたのだろう。
炎を吐き出す怪獣を見て取り、「えっ」と目を見開いている。
「おい、まずいな。あれはSSS級魔獣じゃないか。至急、応援を飛ばさないと」
突然現われたヒュドラに、さしものユリウスも腰を浮かしていた。
「くそ、オーグのやつはなにをぼんやりしてるんだ。前のあいつだったら、ゴブリナより早く気付いて対処してただろうに。色ぼけしすぎだ」
舌打ちせんばかりの形相で、水晶を睨みつけている。
「色ぼけ? べつに、オーグはいつもと変わらない様子に見えますけれど」
アンネリーゼは怪訝に思って首を傾げた。
オーグスト・ホルムといえば歴戦の戦士。
どんな敵相手にも怯えることなく、また、過剰に殺意を滲ませることもなく、最小限の殺戮で勝利を収める。
その泰然とした佇まいはいつもと変わらず、特に、デートだからと鼻を伸ばしきっていたようにも、なんなら、心を動かしているようにも見えなかったが――。
『――おい、ヒュドラよ』
だが、水晶から響いたオーグの声を聞いて、二人はぎくりと顔を強ばらせた。
『今の炎で、サンドイッチが燃えたんだが』
水晶越しにも、殺意が滲んでいるとわかる、低い声。
『ふははは、だが、ここで会ったが運の尽き。この我のブレスで、世界中を燃やし尽くして――』
『ゴブリナの、作ってくれた、サンドイッチが、跡形もなく燃えたんだが』
低い低い、憎悪と呼んで差し支えない感情の渦巻く声。
――ぐちゃあ!
「ひっ!」
次の瞬間、水晶いっぱいに広がった赤黒い映像に、アンネリーゼは咄嗟に聖術を打ち切った。
放映規制。
短い人生、目に快いものだけを映したい。
一応、音声だけしばらく残しておいたが、ものの数秒でオーグがヒュドラを仕留めたことは明らかだったため、最終的には音声も含め、アンネリーゼは水晶玉の使用を終えた。
居室に、しばし沈黙が満ちる。
「……オーグはさ」
やがて、ユリウスが頬杖をついたまま、静かに切り出した。
「ああ見えて、この婚約に結構浮かれていたみたいだから、戦士として大丈夫なのかなって、少々心配していたんだけど」
「ええ。わたくしも、ゴブリナがああ見えて、婚約に浮かれているように見えたから、隙ができてしまわないかと心配しておりましたが」
アンネリーゼも、ふっとアンニュイな笑みを浮かべて応じる。
二人はそれから、ぴったり同じタイミングで呟いた。
「大丈夫っぽい」
ついで、同時に顔を覆った。
「……し、だいじょばないかもしれない」
興奮由来の戦闘力が向上するのは結構だが、それにしたって感情を爆発させすぎである。
すっかり情緒不安定になってしまった親友たちの今後を憂い、王子と聖女は静かにうなだれたのであった。
次のネタ&時間が確保できるまで、完結表示とさせていただきます。
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それでは、またいつかお目にかかりましょうー!