第八話
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「懐かしいな。ベルフェゴール、お前にしては元気そうじゃないか?」
「私をその名で呼ぶでない。私の名前は、不破怠惰だ」
「そうか、貴様もはぐれ者になったのだな。むしろ、遅いくらいだったか……」
「どういうことだ、アンドゥラス。妙とか、おかしいというレベルではない。これはもう、ゲートとは呼べん。一体何なのだ、これは?」
怠惰がゲートに落ちた先、真っ白な空間に無機質な積み上げられたブロックだけの世界に、アンドゥラスが待ち構えていた。
共に落ちたはずの面々は見つからず、側にピタリと寄っていた律花だけが、同じ空間に落ちたようであった。
「招いたのだよ、貴様たちを。最後に、話して置こうと思ってね」
「願ってもないな。どういう意味か説明してもらおう?」
律花を背に隠し、怠惰は歯を食いしばってアンドゥラスを睨みつけた。
フクロウの頭を被り、上半身は人の肉体、下半身は鳥類を思わせる鉤爪の足。その背には、鳥と蝙蝠の混合した羽を持つ、二メートルはゆうに超える強靭な肉体を持つ男性。
腕を組み垂直に立つブロックから悠然と、小さな怠惰たちを見下していた。
「先に、私も聞いておきたい。ベルフェよ、なぜ貴様は人と一緒にいる?」
「私の観察対処は、はなっから人間だよ、アンドゥラス。私が人間と一緒にいて、いけない理由がない」
「人間の方はどう思うだろうな、ベルフェ。人の結婚生活を盗み見るのが好きという悪趣味な貴様が、人間に歓迎されるのか? 我と同じように人の不仲を見るのが好きなお前が、役に立つのか?」
「今の私に、そのような趣味はないよ。今の私は、愛しあう者達の幸福を願っている」
「はっ! 悪魔の祈りか! 修道女にでもなったつもりか。一度でも七大魔王の名を冠したお前の言葉とは思えんな!」
二人は互いに酷く冷たい視線を投げ続けている。
これは比喩の表現ではない。
実在の空間を凍結させ、生きとし生けるものすべての生命活動を消失させる冷徹な空間がそこにはあった。
羊をモチーフにした厚手の衣類を纏う怠惰でありながら、その身が小刻みに震えている。
怠惰の体から、確実に熱が奪われ続けていた。
「ベルフェ、貴様が語る愛などまやかしだ。我々悪魔が、人の心に踏み込むなど不可能だよ。人は人らしく、悪魔は悪魔らしく、そうすればいい。家畜に近づこうなど、するべきではないのだ」
「なら、なぜ貴様ははぐれ者になった。人間に夢を見たから、はぐれ者になったのではないのか!?」
「違うな。それこそ、我が信じたものこそ、究極の愛だ! 種族を超えた、本当の愛! 我々は見つけたのだよ、真実の愛を!」
「酔いしれるなよ、アンドゥラス。恋は盲目という。貴様はもう、何も見えなくなっているのだ」
「ふん! そんなこと、始めっからわかっている」
トンッと、アンドゥラスの体が何かに押されたように前に揺れた。
その胸元から、3本の鉄の刃が突き出ている。
アンドゥラスの背後には、鉤爪に全体重を乗せて飛び込んだ律花がいた。
突き出た刃から、ポタポタと赤い雫が垂れてきた。
アンドゥラスは、突き出た鉤爪をそのままにぐるりと方向転換して、律花の頭を鷲掴みにした。
「――ッ!」
恐怖のあまり声が出せず、律花は相手の顔を見て硬直した。
「袋井君の中から見ていたよ。ベルフェの娘か。人間と悪魔の間の子どもとはな。可哀想に」
「その子は、いい子だよ。私には、勿体無いくらいだ」
「だろうな。この子は、親の不仲を見詰め、両親を苦しめるような事はしないだろうな。喋れるだろう? 貴様の名を聞かせよ」
首根を掴まれ、律花は苦悶の表情で相手の言葉に従うしかなかった。
「りっか――アタシの名前は、不破律花よ!」
律花は渾身の力で、相手の呪縛から逃れた。
「そうか! 不破律花か! 我の名前はアンドゥラス! 不破怠惰の父親だ!」
ぐらりと傾き、アンドゥラスは地面に落下した。
激しい音が響き、その身は大地にめり込んだ。
立ち上った土煙が収まる頃、怠惰はゆっくりとアンドゥラスに近づいた。
「満足したか、アンドゥラス?」
「ああ、満足した。――いや、駄目だ。やはり、満足できん。もうひとりの、これから生まれてくる我が子を、この手で抱きたかった……!」
「無理だよ。始めっから、貴様にはもう寿命がないことはわかっていたはずだ。だから、最後――だったのだろう? 孫の律花を、その手で触れただけでも、あり得ない幸福だと思いなよ」
アンドゥラスの目から涙がこぼれ始めていた。
「袋井君には、本当に世話になった。もう駄目だと思った所に現れ、命を取り留めることができた。もう無理だと諦めていた新しい生命を、維持することが出来た。それだけじゃない! あり得ないと思っていたベルフェの子を、この手に触れることができた。彼にどう感謝したらいい。彼にどう謝罪したらいいんだ……」
「なにもしないことだね。素直に死ぬことさ」
「それが、最良か? 良かろう。ならば、それに従おう。それが妻の思う夫の選択だというのならばな……」
アンドゥラスは、大きく息を吐くと動かなくなった。
木の葉が落ちるようにゆっくりと律花は、降り立った。
律花は、小刻みに震えている。
「お、お母さん。こ、この人は……」
「ん? 私の悪友だよ。生まれた時からずっと一緒だったけどね。最後まで、馬が合わなかった。私と似ている所といったら、戦うのが嫌いな怠惰な奴だってことぐらいだろうね」
震える指先で口元を抑える律花は、その男の顔をのぞき込んだ。
微笑んだまま死んだアンドゥラスの目は、律花や怠惰と同じ、目頭の下がったトロンとした穏やかなものだった。
怠惰は、手を伸ばし、見開かれたアンドゥラスの目をそっと閉じてやった。
「しかし、律花ちゃん、よく奴の背後に回れたね。凄かったよ」
「お母さんが、危ないと思ったから……どうにかしなくちゃって」
「なるほどなぁ。勇気があるなぁ~律花ちゃんは。でも、私一人で十分だったんだよ、あんな奴」
「何いってんの! 震えてたじゃない! 本当は、ヤバかったんでしょ!」
「いや~あれは武者震いだよ。勝つぞって、意気込みをだねぇ――」
「いいよ、もう! そんなことは!」
「そうかぁ? では、帰ろうか。袋井君達が探しているだろうしな」
「……うん」
二人は、そっと手を伸ばした。が、その手は互いをつかみ合うことはできなかった。
律花の全身からチラチラと光の粒子が上空へと舞い上がり、その身がドット絵を削るように消えていく。
「えっ? うそ。どうして? アタシが、お祖父ちゃんを殺したか、ら?」
「ばかな! 親である私はここに居るのだぞ! 親殺しのパラドックスにも抵触しない! 私が、袋井君と一緒になれば、律花ちゃんは生まれてくるはずだ! 今ここで、消える理由はないはずだ!」
飛び込むようにして、怠惰は律花の全身を抱きしめた。
まだ残る肉体の一部で、二人は触れ合うことが出来た。
「律花ちゃん行くな! まだ早い! まだ方法はある! 安心しろ! すぐまた取り戻す! 世界の矛盾なんかに、律花ちゃんを渡さない! ずっと、私の側に居させるからな!」
「お母さん――いいよ、きっとこのままで……」
「何を言ってるんだ、律花ちゃん! いいはずないだろうが!」
「いいの――いいんだよ、これで! そうしないとお母さんが……お母さんが死んじゃう……」
律花は身を少し離し、怠惰の顔をのぞき込んだ。
あの時と同じ。涙をためて律花は、泣かないように食いしばっていた。
「何を言ってるんだ、律花ちゃん?」
「これでいいの。これは、私達の望みなの……。大切な人を守る唯一の方法なの。だから、お母さん――」
律花は、すっと息を吸い込んだ。
「ずっと大好き! 本当に大好き! ぎゅってして! 頭撫でて!」
「いいとも! 何を言ってるんだ。何だってしてあげるよ! 律花ちゃんは――律花ちゃんは、私の本当に大事な娘なんだから!」
抱き合っていたのは数秒。律花の体は、光となって消えた。
服も残っていない、虚空をじっと、怠惰は動かず抱きしめ続けていた。
◇◆◇
「さあ、どうするの。ライラ? 私を殺さないと、この娘が死ぬことになるわよ」
クピトは、震える玲那の背後から、絡みつくようにしてその頭を掴み、目の前の世那に笑ってみせた。
その身に薄いシルクの布のみを羽織、クピトは世那とよく似た顔をしている。
長い金の髪は自然に流され、瞳は金色に輝く。違うのは、その背に四枚の羽根がついていることであった。
「私を殺しに来たんでしょ?」
「違うわ。あなたを説得しに来たの。もう、こんな事は止めなさい」
「こんな状況でも、まだ、そんなこと言ってるの? 口なんかで私を止められるなんて、ホントに思っているわけ? 馬鹿じゃないの?」
世那は身動きせず、じっと正面を捉え続けている。
アンドゥラスがいた所以上に、何もない空間。だだっ広い真っ白な空間で、二人は対峙していた。
動きを見せない世那に、クピトは舌打ちをした。
「玲那ちゃん、ママは玲那ちゃんのこと見捨てるって。大事な玲那ちゃんより、出来の悪い妹を選ぶそうよ」
クピトの手にじんわりと力が入り、玲那が表情が歪む。
それでも世那は、眉ひとつ動かさなかった。
「クピト、あなたの人形遊びに付き合うつもりはないの。玲那はどこ?」
「……」
クピトは急に表情をなくし、自分の背後に視線を向けた。
そっと、その後ろから現れたのは、紛れも無い玲那だった。
クピトが抱きかかえていた方の玲那を離すと、それは糸の切れた人形のようにドサリと倒れた。
袋井のコピーと同様に造られた偽物であった。
クピトは視線だけで、玲那にあっちへ行けと命令し、泣きそうな表情の玲那は怯えながらも小走りで世那の前に立った。
「ママ、あのね。レナは――」
パチンッと激しい破裂音がした。
世那の右手が、玲那の頬を捉えていた。
フッと玲那の目に涙が浮かびかけた所で、世那はその体を抱きしめた。
「怖かったのね。ごめんなさい。ずっと一緒にいるって言ったのに、私が妹のことを話してたから、寂しかったのよね。私が駄目だった。本当にごめんなさい」
強く抱きしめられると、玲那は本格的に泣き始めた。
ぎゅっとその顔を世那の胸に押し当て、鳴き声をくぐもらせていた。
「クピト」
「なに?」
「ごめんなさい」
「なんで、私に謝るの」
「私は弱いから。あなたを殺してあげられないわ」
「チッ! まだ、そんなこと言ってんのあなたは!」
クピトは自分の、平べったくなったお腹を撫でた。
そこには、見て取れていたはずの妊婦の特徴はなく、ほんの少しお腹周りに伸びた皮目が見えた。
世那が酷く辛そうに目尻を下げ、泣きそうな表情でクピトを見詰めた。
「残せたの?」
「まだよ。まだ、出来てないのよ! 時間が足りないのよ……」
へたり込みクピトは、さめざめと泣き始めていた。
「なんでよ、なんであなたには子供がいるのに、私の子は許されないの……なんで、抱きしめてあげられないの!」
「大丈夫……懐妊の天使である私が保証する。きっと、あなたの子供も生まれてくる。何処にいるの?」
「ゲートのコアに――直接エネルギーを供給できるようにしてあげれば、私の母体にいるよりは安全だと思ったから……」
「なんで、そんなことしたんですの……?」
世那の胸に顔をうずめていた玲那が、クピトに顔を向けていた。
「それは――もう、クピトの肉体が限界だからよ……」
顔を上げたクピトの表面に亀裂が走っていた。
「ひっ!」
「袋井に寄生してエネルギーを蓄えたといっても、身籠った肉体を維持するほど精神吸引出来ないからね。もし、吸引しすぎて袋井を殺してしまったら、クピト達は逃げ場を失うから。後は出来る事といったら、自分の身を削って、維持するしかない。ゲートを作るのだってギリギリだったんじゃないかしら……」
「なんでも、お見通しって感じね」
「どうして、そこまでして?」
「産みたかったのよ。愛を司る天使として、誰かの事を本気で愛しいと思いたかった。愛を語るものが、愛を知らないわけにはいかないと思ったの」
「堕天して、やっと呪縛から開放されたのにどうして?」
「堕天したからよ。誰にも束縛されない本当の愛を知りたかった。それを叶えてくれたのが、アンドゥラスだった」
「天使が悪魔を愛するだなんて、最高の背信行為ね」
「だからこそ、本当の愛とも言えるわ。――お願い、ライラ。もう少しで生まれるの……あの子を守って」
「ごめんなさい。できないわ。あなたのゲートは、人を傷つけるもの……人を守るのが、天使の役目だから」
「嘘つき! 生まれてくるって言ったじゃない! だから、人間側に付く奴は嫌いよ……」
クピトの体は砂のようになり崩れ去った。
フッと、体が軽くなるような感覚を覚えた。
ゲートを守護する天魔が消滅してことによる、結界の消失を感じた。
「玲那ちゃん、じゃあ一緒に帰ろ――」
玲那の体が消えかけていた。
しがみついたままの玲那が、何も言わずにじっと掴み続けている。
「そっか、あたしにも天罰が下るのね。――畜生! 世界が何だってのよ! みんな至っていじゃない……あたしは弱いんだから、誰かを守らせてよ。自分が、強いって思わせてよ」
「ママは、強い人ですよ。レナが保証します!」
顔を出した玲那が笑った。
その顔に、世那が微笑み返すと、その姿は陽炎になって消えた。
◇◆◇
「もう、始まったみたいですね」
光信機に耳を当てていた夜人が音だけで、娘たちに起こっている状況を理解していた。
原因の見えない理不尽な消滅は、夜人の身にも近づこうとしていた。
「夜人くん! なかと連絡は取れた!?」
光信機を耳に当てていた夜人を見て、美月が声を掛けてきた。
だが、夜人は笑顔で、首を横に降った。
「ゲートの方には入れそうですか?」
「駄目だって……なぜ現れたのか原因不明だし、なかがどうなっているかわからないのに、近づけさせられないって」
陽報館より退去させられていた美月達は、離れた場所でゲートの様子を見ていた。
突如現れたゲートは、不確定要素が多すぎるため、すぐに侵入することは許されない。まして、学園の敷地内での発生など、あり得てはいけない事態である。
生徒会などが集まって、今後の取組を相談していた。
「袋井君が寄生されていただなんて話せないし、どうしたら良いんだろう……なかが安全ならいいだけど……」
「人の寄生する天魔などという異質な存在ですからね。そんな奴が作ったゲートとなると、どうなっているか」
「ちょっと、夜人くん! 不安にさせること言わないでよ!」
「すみません、つい――」
夜人は、頭を掻いていた。
フッと身の軽くなる感覚があった。
美月も感じ取ったらしく、夜人の顔を見返した。
「恐らく、ゲートの結界が消滅しました。維持していた天魔が倒されたものと思います」
「やった! じゃあ、あのゲートはもう安全ってことなんじゃないの!?」
「いえ、まだわかりません。ゲート自体は残ってますから、一言で安全とは――それより、少しお話をしたいのですがいいですか?」
「えっ? なに、こんな時に、改まって……」
目をパチクリさせる美月に、夜人は微笑みを返した。
ゆっくりと歩いて美月から少し離れた夜人は腕を大きく広げた。
「実は僕、悪い奴なんです。他の子供達には不安を煽ることばかり言って、嫌な思いをさせて。自分たちじゃあ、未来は変えられない。自分たちは役立たずだって散々貶して。そのせいで、玲那の奴は取り乱すし、律花は馬鹿みたいにベッタリにくっ付くようになるし、凌雅は母親のことに必死になっている。僕一人のせいでみんな揺さぶられて、みんなホント馬鹿ですよ。みんな、生きている価値ないですよね。きっと、僕達が居なかったら、他の子達はみんなもっと幸せに暮らして行けたのになぁとすら思います。だからね、僕は生きている価値なんか、な――」
飛び掛るように美月は、夜人を抱きしめていた。
「自分でそういうこと、言うべきじゃないにゃ~。他人に言われるべきでもないし、他人に言われるような役回りを、自ら買って出る必要もないよ。夜人くんは、無理し過ぎだねぇ。人間かっこ良くなくっていいんだよ。駄目な時は、駄目でいいんだよ」
抱きしめられた夜人はガクガクと震え始めていた。
「だ、駄目ですよ、母さん。僕みたいなクズは、いてはいけないんです。僕みたいな奴のことを、覚えて置いては――」
「私は、夜人くんの母親ですっごく嬉しいなぁ~」
夜人の吐く息がヒイヒイと荒くなっていく。
「駄目だよ。僕は悪い子だよ。お母さんのなんの役にも立たない、要らない――」
「お母さんは、大好きだよ~」
ぼたぼたと夜人の目から涙が溢れていた。
美月の背中をギュッと掴み、夜人は声を殺して泣いている。
「お母さんには、どうしても必要な子だよ。嫌われても、嫌いになるように仕向けても、大好きになっちゃうよ、ね!」
もう何も夜人は口に出せなかった。
美月の背中を掴んだまま、夜人の影は薄くなり、空気となって消えた。
カラの空間に美月は頭からドスンと、突っ伏した。
「ヤッバイなぁ、これ……。めちゃくちゃ痛いじゃん」
美月は胸元を押さえ、意識を保とうと必死に格闘をしていた。
「こんなの2回も受けて、恋音ちゃんピンピンしてんのかぁ……。すごいなぁ、あの子ホントはめちゃくちゃ強いんじゃん」
苦笑いを浮かべた美月の、意識が遠のいて行った。




