第四話 針と膜の狂想曲
カラガラ横丁の東側、フウセンキノコの屋根が三つ重なり合った日陰に、モンの工房がありました。
工房の中は、いつも不思議な音で満ちています。真鍮の歯車が噛み合う「チチチ……」という小さな音、乾いたネジを回す「ギギッ」という抵抗音、そして、干したフウセンキノコの薄膜が風に揺れて鳴る「ぽん、ぽん」という太鼓のような響き。その中心で、モンはいつも頭に真鍮のルーペをひっ掛け、鼻先に油をつけたまま作業台に向かっていました。
「よし……よし、今度こそ完璧だぞ。針のしなり具合も、膜の張りも申し分ない!」
モンが愛おしそうになで撫でていたのは、新しい「振動検知器・四号」でした。
長老はダイヤモンドそのものです。その体内で起きる微細な結晶の共鳴は、空気の揺れというよりも、王女の頭骨や固い大地を伝うごく僅かな「骨伝導」に近いものでした。人間の耳では決して捉えられないその響きを拾い上げるため、モンはフウセンキノコの中でもとりわけ薄く、弾力のある膜を太鼓のように張り、そこに髪の毛よりも細い真鍮の針をそっと接触させる仕掛けを考え出したのです。
「ねえモン、なんでその針は、まるで虫さんのお髭みたいに曲がっているの?」
工房の丸い窓から、フウセンキノコの壁をぽよんと踏み台にして、スウがひょっこり顔を覗かせました。
スウの胸元にある水玉模様の青い硝子ビーズが、工房に差し込む朝日に透けて、作業台の上のネジ箱に小さな青い光の輪を作ります。
「やあ、スウちゃん! よくぞ聞いてくれたね!」
モンは嬉しさのあまり真鍮のルーペを鼻まで滑り落としながら、胸を叩きました。モンの顔には、子供に誇りある仕事を見せる職人の輝きと、隠し事のまったくできない純粋さがそのまま浮かんでいました。
「この針が曲がっているのはね、長老のダイヤの『優しさ』を逃さないためなんだ。真っ直ぐな針だと、長老の強い振動で折れちゃうだろう? でも、こうやって弓みたいに少し曲げておくと、どんなに小さくて微かな震えでも、膜がしっかり受け止めて、音を何倍にも大きくしてくれるんだよ!」
「ふーん……長老の震えって、そんなに小さいの?」
「小さいよ! だって長老は数億年もじっとしている石だからね。ほんのちょっと『あ』って思っただけでも、僕たちの体じゃ気づけないくらいの微振動しか出ないんだ。だから、僕のこの機械が絶対に必要なんじゃないか!」
モンが得意気に検知器の横にある手回しハンドルを回すと、フウセンキノコの膜が「ぽうっ」と澄んだ音を立てました。
その時です。王冠の中央、遠く離れた広場に沈座するポロット長老のダイヤの内部で、青い光がチーン……と小さく明滅しました。
長老の体から発せられた目に見えない共鳴波が、王女の頭頂部の苔を伝い、モンの工房の床へと届きます。
すると、作業台の上の「振動検知器・四号」の真鍮の針が、まるで命を得た生き物のように「プルプルプル……」と激しく震え始めました。張られた膜が振動を捉え、大きな朝顔状のラッパ口から、澄んだ鈴の音のような共鳴が響き渡ります。
「動いた! 動いたぞ! 見てごらんスウちゃん、長老が何か言っている!」
モンは大興奮で、膜の横に取り付けられた羊皮紙の巻取り装置のハンドルをクリクリと回しました。針の先についたスミが、細い羊皮紙の上に細かな波線を描き出していきます。
ところが、あまりにも精度を上げすぎたのが災いしました。
長老の微振動だけでなく、外の海でネッシー王女が「ハッカの息」を深く吸い込んだ大きな胸の膨らみまで、過敏になった膜が拾い上げてしまったのです。
「あ……あれ? 針の震えが止まらない……! 揺れが大きすぎる! バネが……バネが戻らない!」
ギギギ、と嫌な音が工房に響きました。
フウセンキノコの膜がパンパンに膨らみ、真鍮の歯車が悲鳴を上げます。モンが大慌てで圧力を逃がすネジを回そうとしましたが、焦れば焦るほど油のついた指が滑り、ネジは固く噛み合ってしまいました。
「モン、それ爆発するの!?」
「爆発はしない!……と思うけど、スミが飛ぶー!!」
次の瞬間、パーン! と軽やかな音が破裂し、蓄音機のラッパ口から、記録用の黒いスミと、フウセンキノコのアラザンのような小さな木の実の粉末が、豪快に吹き出しました。
パンッ! とスウとモンの顔に、黒い小玉の雨が降り注ぎます。
「うわああっ! ごめんなさい! ごめんなさいスウちゃん!」
顔中を黒いスミだらけにしたモンは、飛び散った歯車と破れた膜の真ん中で、即座に正座をして頭を床にこすりつけました。彼の顔には、自分の見栄や失敗を隠そうとする卑屈さは微塵もなく、ただただ「失敗してスウちゃんを汚してしまった」という純度百パーセントの申し訳なさだけが広がっていました。
「僕が……僕が長老の言葉を早く聞き取りたくて、膜を張りすぎちゃったんだ! 僕の欲張りです! 嘘じゃありません、僕の調子乗りです!」
あまりにも真っ直ぐなモンの白状に、スウは自分の鼻の頭についた黒いスミを指で拭いながら、思わず「あはは!」と声をあげて笑い出しました。
「モン、お顔が真っ黒だよ! 街のクロクマみたい!」
「えっ……クロクマ? 僕、クロクマになってる……?」
二人が顔を見合わせて笑っていると、工房の入り口のカーテンが静かにめくられました。
大きな眼鏡のレンズを光らせたマダマダが、呆れたような、けれどどこか優しげな顔で立っていました。マダマダの手には、長老のダイヤから直接届いた光の屈折を書き留めた羊皮紙が握られています。
「まったく……相変わらず賑やかな機械ですね、モン。長老の振動は、機械を壊すためのものではありませんよ」
「マダマダさん……ごめんなさい。長老は何て言ってたんですか?」
モンが黒い顔のまま尋ねると、マダマダは眼鏡をクイと押し上げ、手に持った羊皮紙を朗読するように読み上げました。
「『モン、急ぐ必要はないよ。わしの声は、いつでもお前の真心のすぐそばにある。破れた膜は、また明日スウと一緒に乾かせばいい』……と、長老はおっしゃっています」
マダマダの声が響き終わると同時に、工房の外、少し離れた「ひっくり返した船のテント」の方から、ふわりと薄紫色の煙が流れてきました。
テントの庇の下で、長管の煙管を手に座っていたカタメが、目深にかぶった帽子の下から、静かに片目を閉じました。
胸元の唐草模様の硝子が青く波打ち、スウと、そして黒焦げならぬスミだらけのモンの胸の中へ、直接カタメのハッカのような声が届きます。
『……モン。失敗した機械の針はな、次はもっと強い風にも耐えられるようになる。不器用な針ほど、いい音を拾うものさ』
頭の中に届いたカタメの静かな言葉に、モンは黒い袖で目元をぐっと拭いました。
「カタメさん……! はい! 僕、この破れた膜を直して、もっと優しく長老の声を拾える機械を作ります!」
嘘のつけない発明家の不器用な情熱は、決して折れることがありません。
スウとモン、そしてマダマダは、工房の前に出て、バケツに汲んだキノコモドキの真水で顔を洗いました。木栓を抜く「トコトコ」という心地よい音が、青空の下に響き渡ります。
誰の失敗も責められず、誰の不器用さも置き去りにされない。
モンの壊れた機械の歯車が、朝の光を受けて、苔の上で小さくキラリと輝いていました。ネッシー王女のゆっくりとした揺れに包まれながら、カラガラ横丁は今日も、愛おしい失敗と微笑みとともに、穏やかな時間を重ねていくのでした。




