第二話 木栓とトコトコ音
ト コ
コ ト コ ト コ ト
ト コ コ
ト コ ト
陽が少し高くなると、カラガラ横丁の風は一層澄んで、ハッカの香りにほんの少しだけ潮の塩気が混ざり込んできます。
ネッシー王女の首がゆらりと大きく横に傾くと、フウセンキノコの家々は「ぽよん、ぽよん」と優しく撓み、住人たちの体を包み込むように揺れを逃がしました。どこかの家で落ちたスプーンが木床を転がる乾いた音がして、それに続いてスウの弾むような足音が聞こえてきます。
スウの手には、フウセンキノコの柄をくり抜いて作った小さな木桶が握られていました。彼女が向かったのは、街の中央広場にどっしりと根を張る、一番大きなキノコモドキの傍らです。
ひっくり返った大きな傘の下、太い幹には硬い竹のような茎で作られた筒が何本も差し込まれており、その先端は柔らかい木の皮を削った木栓でキュッと頑丈に塞がれていました。
「ねえカタメ、なんでこの木栓は、抜いたらすぐ塞がなくちゃいけないの?」
スウは筒の先の木栓を小さく指で弄りながら、すぐ近くに立つ「ひっくり返した船のテント」の影へ向かって声を張り上げました。
船底を空に向けたテントの庇の下で、カタメは静かに長管の煙管をくゆらせていました。目深にかぶった帽子の庇から落ちる影が、彼の深く閉ざされた片目を覆っています。カタメは煙管の吸い口からふわりと薄紫色の煙を吐き出し、遠くの水平線を見つめたまま、言葉を口にはしませんでした。
代わりに、カタメの胸元にある唐草模様の硝子が月光のような冷たい光を放ち、スウの胸元にある青い水玉硝子がぽっと温かくなります。
『……外の広い世界にな、スウ。はるか南の、草も木も干からびるほど乾いた大知を旅する人々がいる。彼らも同じように木々に筒を差し込み、使わないときは指や木栓でキュッと塞ぐんだ。一滴の恵みも、無駄に流さないためにね』
頭の中に直接響くカタメの静かな声に、スウは「ふーん」と呟いて、自分の小さな人差し指で筒の穴を試すようにキュッと塞いでみました。指の腹に伝わる、筒の奥の冷たい水の圧力。そして、キノコモドキが空の雨と海から汲み上げた命がトクトクと脈打つ、微かな鼓動。
「指で塞ぐと、お水が『ここで待ってるよ』って言ってるみたい」
「そうなんだよ、スウちゃん! 水はね、待っててくれるんだ! だから僕が作ったこの機械があれば、手で塞ぐ手間すら要らなくなるんだよ!」
威勢のいい声とともに現れたのは、発明家のモンでした。モンの背中には、無数の真鍮製のバネと歯車、そして大きなゴムの弁が複雑に組み合わされた、奇妙な仕掛けが担がれていました。
「見なさーい! 『全自動圧力感知式・木栓いらずの水汲みバルブ一号』だ!」
モンは汗を拭いながら、胸を張って言いました。相変わらず彼の顔には自慢気な笑みが浮かんでいるだけで、たくらみも嘘も一切ありません。
「桶を筒の下に置くだけで、重さを感知して自動で弁が開くんだ。桶がいっぱいになれば、バネの力でカチャン! と勝手に閉まる。これでもう、木栓を抜き差しして手を濡らすこともない!」
「ええっ、本当? モン、すごい!」
スウが目を輝かせると、モンは得意満面でその仕掛けをキノコモドキの筒へガチリと取り付けました。
ところが、その時でした。王女が深く息を吸い込み、胸が大きく膨らんだことで、頭上のキノコモドキに強い水圧がかかりました。さらに、塩風を浴びていたバネの金属部分が「ギギッ」と妙な音を立てて錆びつき、固まってしまったのです。
「あれ? おかしいな、弁が閉まらな……うわああっ!?」
パーン! という弾けた音とともに真鍮のバネが跳ね飛び、筒の先から冷たく澄んだ真水が、まるで小さな滝のように勢いよく噴き出しました。
「大変だ! 水が止まらない! キノコモドキの大切なお水が溢れちゃう!」
モンが大慌てで手で穴を塞ごうとしますが、勢いよく吹き出す水に押し返され、顔から全身びしょ濡れになって跳ね飛ばされます。水飛沫が朝日を受けて虹を描き、フウセンキノコの家々の屋根をぽよんぽよんと叩いて跳ね返りました。
住人たちが「なんだなんだ!?」と集まってくる中、ひっくり返した船のテントからカタメが足軽やかに歩み出ました。
カタメは慌てることなく、腰の袋から予備の古い木栓を取り出すと、水飛沫の上がる筒の口へ迷いなく突き差し、手のひらで「ガチッ!」と力強く打ち込みました。
一瞬で水が止まり、あたりに静寂が戻ります。
水滴を滴らせ、濡れねずみになったモンは、ひざから崩れ落ちて頭を下げました。彼の顔には、言い訳や誤魔化しの色はひとかけらもありませんでした。
「ごめんなさい! バルブのバネを複雑にしすぎて、塩風で錆びるのを計算に入れていませんでした! 水を無駄にしかけました!」
真っ直ぐすぎるモンの白状に、周りの住人たちから思わずクスクスと温かな笑い声が漏れ聞こえます。
その時、王冠の中央に鎮座するポロット長老のダイヤモンドの体の中から、重く澄んだ音が響き渡りました。
ボロッ……
それは、長老が溜め息をつくとき、あるいは深い苦笑いを浮かべたときに放つ、ダイヤ特有の響きでした。幾何学的なカット面がやさしく緑色に明滅し、七色の光が濡れた苔の上に広範囲に乱反射します。
大きな眼鏡を指で押し下げながら、学者マダマダが羊皮紙から目を上げて通訳しました。
「『怪我がなくてよかったよ、モン。手で穴を塞ぎ、手で栓を打つ。その手ごたえの確かさこそが、私たちがここで生きている証なのだからね』……と、長老はおっしゃっています」
「長老……! はい! 僕、散らばったネジと木栓を全部拾い集めて磨きます!」
モンは嬉しそうに立ち上がり、スウと一緒に弾むように散らばったパーツを拾い始めました。
カタメは、煙管の吸い口をトントンと木栓に当て、異常がないか確かめると、静かに自分のテントへと戻っていきました。
スウは胸元の水玉硝子をぎゅっと握りしめながら、木栓がガチッと打ち込まれたキノコモドキの筒を見上げました。
「手ごたえの確かさ……」
スウが呟くと、遠くのテントの陰から、硝子の通信を通じてカタメのハッカのような声がそっと添えられました。
『そうさ。便利な仕掛けよりも、自分の手で確かめた一滴のほうが、ずっとあたたかいんだ』
王女が静かに海を掻き分ける音が、遠くでゴロゴロと鳴っています。カラガラ横丁の昼下がりは、キノコモドキから溢れた真水の匂いと、ハッカの風に包まれながら、どこまでも穏やかに過ぎていくのでした。
ポ
ロ
ッ




