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竜の咆哮と、銀の沈黙

 言語は、神から人類へ授けられた絶対の特権である。


 魔術の詠唱、精霊との契約、術技の発動――。

 この世界のあらゆる神秘を形作るのは「言葉」という触媒であった。


 それはメリクリウス教団の教えであり、この地に生きる人間にとって、疑いようのない普遍の真実。

 言語を統一し、魔法体系を確立し、武力を管理する。

 世界の均衡を司る絶対的な宗教組織――その圧倒的な実績こそが、教団が世界〈アイテリウス〉の実権を握る正当な理由に他ならなかった。


 教団は大陸中に修道院を建立し、育成という名の布教活動を続けた。

 そこには大陸中の知性が集い、文化の発展、科学の進歩、あらゆる事象の中心を担ってきたのである。


 三つの国家が存在するアイテリウスにおいて、メリクリウス教団はまさに大陸の先導者であった。

 

 そして、この大陸にはもう一つ、特筆すべき特徴がある。

 ――この地には、竜が出る。


 ――――


 大陸南部、セウロハのヴァル領に一人の悪徳貴族がいた。

 領民から搾り取った血税を私欲のために浪費し、異を唱える者は容赦なく追放する。その周囲を固めるのは、己に阿る無能な追従者ばかりであった。

 山積する嘆願を嘲笑い、苛烈な悪政を敷き続けていた領主に、真の「絶望」が降り注いだのは唐突であった。


「逃げろ! 竜が出たぞ!」


「騎士団はまだか!」


 竜の来襲。

 その報はヴァル領のみならずセウロハ全土を震撼させ、人々に底知れぬ絶望を与えた。

 報を受けた領主が取った行動は、自らが生き延びるための肉壁として、領民と騎士を戦場へ駆り立てるという暴挙であった。


 竜とは、すなわち天災の具現である。

 狡知と暴虐が翼を得たその怪物は、都市や国家を一晩で灰塵に帰すと語り継がれている。

 大陸の二大国ですら、竜の影が差せば即座に剣を収め、停戦に合意するほどに恐れられる絶対強者。

 

 さらに今回の竜害は、本来は群れることのない竜が「群れ」を成して襲いかかるという異常事態であった。

 稀にそのような事象が起こり得ることは知られているが、詳細な記録はどこにも残っていない。

 なぜなら、その光景を記録できた者は、一人残らず竜によって滅ぼされたからだ。


「さっさと行け、この下民どもが!」

「無茶です! 我々では竜の逆鱗に触れることさえ……!」

「黙れ! 私が逃げる時間を稼ぐことくらい、その命で果たせ!」


 領主は選民思想の塊でありながら、指揮能力も武芸も持たぬ凡夫に過ぎない。

 竜に対抗しうる魔術や聖剣を持たぬ一般人にとって、それは残酷な死刑宣告も同然であった。


「お嬢様、何をされているのですか! あなただけでも逃げてください!」


「いいえ。父が逃げ出した今、領主としてここに残る務めは私にあります」

 

 伯爵令嬢、アイリス・フォン・ヴァル。

 彼女は一人館に残り、領地と共に果てる道を選んだのだ。

 竜の黄金瞳がヴァル領を見据え、この地が地図から抹消されることを誰もが確信した、その瞬間――。


 天が、割れた。


「なに……?」


 虚空を埋め尽くす幾千の文字。天より降り注ぐ峻烈な光。

 奔流する雷の雨が、竜の強靭な鱗を容赦なく穿つ。

 

 本来、雷とは人が制御しうるものではない。それは神の権威そのものであり、かつて神と人が近かった時代にのみ存在した「古代魔術」の残滓であった。


「救いの……光臨……」


 人々が呆然と見上げた先には、一つの人影が佇んでいた。

 全身を黒いローブに包み、青年というには華奢で、少女というには背が高い。少年のような、しかしどこか現実離れした儚い輪郭。


 その手には一振りの魔剣。傍らには付き従う少女。

 そして足元には、場違いなほど悠然と喉を鳴らす一匹の猫。

 異端でありながら聖なる空気を纏うその姿に、人々は抗いがたい救済を直感した。


「セウロハ騎士団だ! 第一部隊、残存する竜を『慟哭の聖剣』殿と共に討て!」


 救出に現れたのは、国を守る王家の盾、王都騎士団。

 そして、その先頭に立つのは――大陸の実権を握る教団が授けた最高位の称号『七聖剣』を冠する特級騎士、アレクシス・ボルク。


 一切の言葉を発することなく、無言のまま絶大な古代魔術を展開するその姿は、神の特権を否定する禁忌の異端。

 世界の理から外れた、孤独なるドラゴンスレイヤーであった。

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