第87話 支えてくれる恋人達
怒涛の記者会見を終え、控え室に戻った俺は大きく息を吐いた。
紗綾は秘書として冷静に対応してくれたが、正直、あのフィルの爆弾発言には肝を冷やした。
「隆行さん、お疲れ様です」
控え室の奥で、深雪が湯気の立つ紅茶を淹れて待っていた。
黒髪をまとめ、知的なスーツ姿に身を包んだ彼女は、記者会見の場には出ず、あくまで裏方に徹していた。
「深雪……。助かったよ。お前が事前にまとめてくれた資料がなければ、質問攻めに耐えられなかった」
「当然のことです。私は隆行さんを表で輝かせるためにいますから」
そう言って、深雪は柔らかく微笑んだ。
その姿はどこか儚げで、それでいて凛とした強さを秘めている。
「……でもな、陰でばかり支えているのはつらくないのか?」
俺が率直に問うと、深雪は少しだけ視線を伏せ――そして静かに首を振った。
「私は上乃介様に拾われたあの日から、誰かを支えることでしか自分を保てない女です。だからこそ、隆行さんを支える“今”は幸せなんです」
その言葉には迷いがなかった。
上乃介氏を失って心に空白を抱えた彼女が、俺と出会い、再び歩みを始めている――そう実感できる声だった。
「私は……隆行さんを上乃介様の代わりにしているつもりはありません」
「……ああ、分かってる」
俺はその手をそっと握り、安心させるように言葉を返す。
「ありがとう、深雪。お前が隣にいてくれるから、俺はどんな無茶にも立ち向かえる」
「……はい」
彼女の頬がわずかに赤らみ、握った手を少し強く握り返してきた。
その細やかな力に、俺は胸が熱くなる。
陰で支える覚悟を持ちながら、実際には俺を最も支えてくれている存在。
それが深雪なのだ。
翌日。
社長室のドアを開けると、既に紗綾がデスクに向かって山積みの資料を整理していた。
白いブラウスにタイトスカート、きっちりと結い上げた髪。
“水無月コーポレーションの社長秘書”としての顔は、誰よりも誇らしく、美しい。
「おはようございます、隆行さん」
「おお……もう出勤してたのか。昨日は夜遅くまで付き合わせたのに」
「当たり前じゃないですか。私は秘書ですし……それに、あなたの恋人ですから」
言い切る姿は、彼女の揺るがぬ覚悟そのものだった。
俺がCEOになってからというもの、彼女は一日の大半を社長室で共に過ごしている。
議事録の作成からスケジュール管理、書類の取捌きに至るまで、全てを完璧にこなしてくれる。
まるで俺のもう一つの頭脳のように。
「でも、無理してないか? たまには休んでも――」
「嫌です。だって、隆行さんが頑張ってるのに、私だけ休んでなんていられません」
真剣な瞳。
それは、ただ仕事の責任感からくるものじゃない。
彼女の深い愛情が、そのまま形になっていた。
「……あの時、絶望していたあなたを救いたいと思った。
あの日からずっと、私の願いは変わっていません。私は“社長の娘”じゃなく、ただ一人の女として――あなたの隣にいたいんです」
胸の奥に熱が広がる。
社長令嬢として育てられ、周囲から持ち上げられることに疲れていた彼女が、俺を信じて支えてくれる。
その一途さは、何よりも心を打つ。
「紗綾……ありがとう。お前がいるから、俺は社長になれたんだ」
「……ふふ、そんな大げさに言わなくても」
「いや、本当さ。だから――これからも頼りにしてる」
彼女は小さく笑い、俺の胸に顔を寄せる。
ほんの数秒の抱擁。
それだけで、心の疲れが不思議と溶けていく。
恋人であり、秘書であり、そして生涯のパートナー。
彼女こそ、俺が最初に誓った“正妻”なのだと、改めて実感する瞬間だった。
朝から晩まで会議と書類で埋まる日々。
だが俺の社長室は、普通の会社のそれとは少し違う。
そこには常に“家族の気配”があった。
秘書デスクには紗綾。
彼女は俺のスケジュールをにらみながら、手際よく電話対応をこなしている。
いつも凛とした姿は、社員達の憧れそのものだ。
「隆行さん、午後三時からの会見準備が整いました。あと、この資料にサインをお願いします」
「ありがとう。助かるよ、紗綾」
彼女の差し出す書類に目を通し、ペンを走らせる。
すぐそばで支えてくれる恋人がいる安心感――これが俺の最大の武器だろう。
そして、ソファスペースでは深雪が資料を整理していた。
奉龍院で鍛えられた経営の目は鋭く、俺の判断を補強してくれる。
「この契約書ですが、細かい条項に注意が必要ですね。もし問題があれば私の方で調整しておきます」
「頼もしいな。深雪がいれば百人力だ」
「ふふ……私は陰の参謀ですから。あなたが前に立つなら、私は後ろで支えます」
そう言って微笑む彼女は、昔の傷を乗り越え、いまや揺るぎない自信を纏っていた。
そこへ突然――。
「たーかゆきサンッ! お昼休憩デース!」
社長室のドアを勢いよく開けて飛び込んできたのはミルフィミー・アーガス。
褐色の肌に金髪ロングを揺らしながら、両手いっぱいにランチボックスを抱えている。
「おいおい……ここは会議中だぞ」
「ノープロブレム! 仕事は大事、でも愛も大事デース!」
「……はぁ、仕方ないな」
彼女の明るさに、室内の空気が一気に和らいだ。
深雪も苦笑しながら、書類の束をテーブルに置く。
「……ほんと、にぎやかですね」
さらに今日はフィルまで現れた。
「フィルは社長室でリモートワーク。問題ない」
そう言って当然のように俺の椅子の下に潜り込み、膝に抱きつく。
「お、おい……社員が見てるだろ」
「気にしない。フィルはマスコット」
紗綾が咳払いをして、にっこり笑う。
「……社長、そろそろ午後の会議に向けて集中していただけますか?」
「は、はい……」
結局、俺の社長室は仕事場でありながら、恋人達との日常を共有する“家族のリビング”のようになっていた。
だが、不思議と嫌な気分にはならない。
むしろ、この空気こそが俺の原動力なのだ。
「……これが俺の日常か」
書類に目を落としながら、思わず口元が緩んでしまった。




