第85話 CEO就任
夜のオフィスに、パソコンのキーを叩く音だけが響いていた。
「……隆行さん、こちらの契約条項、再確認をお願いします」
落ち着いた声で差し出してくるのは深雪。
長い黒髪を後ろでまとめ、眼鏡越しに書類を睨んでいる姿はまさしく“切れ者”の副社長だ。
「ありがとう。ほんと、頼りになるな」
「私は陰で支える役目ですから」
深雪はそう言いながらも、わずかに唇を緩めた。
一方、机の反対側では――
「隆行さん! こちらのプレス用コメントも完成しました!」
紗綾が胸を張って書類を掲げている。
スーツ姿なのに、疲れ知らずの笑顔。前社長令嬢でありながら、今は俺の秘書として常に走り回ってくれている。
「おお、ありがとう。……でも紗綾、徹夜で顔が少し赤いぞ」
「だ、大丈夫です! だって、隆行さんのためですから!」
「はぁ……無理はしないでくれよ」
思わず苦笑する俺の隣で、深雪が呆れたように肩をすくめる。
「全力で尽くしてしまうのは、彼女の長所であり短所でもありますから」
机の上には、山積みの資料。
株主総会に向けた合併書類、就任演説の草案、各国支社への通知――どれも一つでも抜かせば大問題になる代物だ。
「水無月と奉龍院の合併は、歴史的な出来事です。あなたが社長に就任することで、両者が一つにまとまる。……絶対に失敗は許されません」
「わかってるよ、深雪。けど――」
俺は視線を二人に向ける。
「紗綾と深雪、こうして支えてくれるお前たちがいるなら大丈夫だ。俺はもう一人じゃない」
その言葉に、二人の表情がわずかに揺れた。
紗綾は目を潤ませ、深雪は眼鏡の奥で小さく頷く。
「……さぁ、もうひと踏ん張りしましょう」
「はいっ!」
夜明けまで続いた書類作成。
俺は二人と共に、CEO就任の準備を整えていった。
ホテルの最上階、豪奢なシャンデリアが輝く大会議室。
水無月コーポレーションと奉龍院グループの株主達が一堂に会し、重苦しい空気が漂っていた。
「本日の議題――新社長人事案、および両社合併の承認について」
司会役の弁護士が宣言すると、会場はざわめいた。
壇上に立つ俺の視線の先には、数百人の株主たち。
その多くは政財界の大物や海外投資家だ。彼らの一票が、今後の未来を決定づける。
隣には紗綾。緊張した面持ちで、しかし堂々と俺を見守っている。
深雪は議事運営のサポートとして冷静に立ち回り、必要な資料を次々と配布していく。
「篠宮隆行氏の経歴について説明します」
スクリーンに映し出されるのは、俺がこれまで歩んできた実績。
水無月の経営立て直し、海外事業部の業績向上、奉龍院との関係改善――。
そして何より、「神力を宿す男」としての不可思議な力が、彼らに“この人物なら未来を託せる”という確信を与えていた。
「……以上が、篠宮隆行氏の経歴です」
司会が締めくくると、重役席の一角から声が上がった。
「質問だ!」
立ち上がったのは海外ファンドの代表。
「これまで数々の奇跡的成果を挙げてきたのは認める。しかし、実際にあなたがCEOとなり、我々の資産を預けるに足る人物なのか――」
会場の視線が一斉に突き刺さる。
俺は深く息を吸い、マイクを握りしめた。
「俺は特別な経営者じゃありません。ただ――」
隣の紗綾と目を合わせる。彼女は小さく頷いた。
「俺には、命を懸けて支えてくれる仲間がいる。彼女たちがいる限り、どんな困難も必ず乗り越えられる。だからこそ――俺はCEOとして、この会社を未来へ導く覚悟があります!」
沈黙のあと、会場の一角から拍手が起こった。
それは次第に広がり、やがて会場全体を包み込む。
「では、採決に移ります」
投票ボタンが押され、数秒の緊張の後――スクリーンに大きく映し出された。
賛成:93% 反対:7%
「……可決!」
司会の声に、俺は拳を握りしめた。
会場のあちこちから「おめでとう!」「篠宮新社長!」と声が飛ぶ。
俺の両隣で、紗綾は涙ぐみ、深雪は静かに目を細めていた。
「隆行さん……っ」
「やりましたね」
こうして、俺のCEO就任は正式に承認された。
水無月と奉龍院――二つの巨頭が一つになる歴史的瞬間だった。
◇◇◇
翌日。
水無月コーポレーション本社ビルの講堂には、数千人の社員たちが詰めかけていた。
国内外の支社からも中継がつながり、世界中の社員が固唾を呑んで画面を見つめている。
俺は壇上に立ち、目の前に広がる光景を見渡した。
幾千もの視線が俺一人に注がれる――この重みは、どんな戦場にも勝る。
隣には紗綾が立ち、手元の資料をさりげなく整えてくれている。
深雪は舞台袖で、俺の演説を支えるように冷静な視線を送っていた。
「本日より、私は水無月コーポレーションのCEOに就任いたしました――篠宮隆行です」
最初の一声がマイクから響き渡ると、会場全体が水を打ったように静まり返った。
「水無月はこれまで数々の困難を乗り越えてきました。国内外の競合、予想もしなかった市場の変化……その中で、皆さん一人一人の努力が、この会社を支えてきた」
社員たちの表情が動く。前列にはベテランの管理職、後列にはまだ若い新入社員。
誰もが緊張した面持ちで俺を見つめていた。
「これから私たちは、奉龍院グループと手を取り合い、さらに大きな挑戦に臨みます。
だが、忘れてはいけません。会社を動かすのは“数字”ではない。人です。
皆さん一人一人の力こそが、この企業の最大の財産です」
会場の空気がじわりと変わっていく。
ざわめきが期待と熱に変わり、社員たちの目に光が宿っていくのが分かる。
俺は一呼吸置いて、最後の言葉を告げた。
「私はCEOとして、この会社を必ず未来へ導きます。
――なぜなら、私には“最強のパートナーたち”がいるからです!」
背後のスクリーンに、紗綾、深雪、そしてこれまで共に戦ってきた仲間たちの姿が映し出される。
その瞬間、会場全体がどよめきに包まれた。
割れんばかりの拍手が起こり、立ち上がる社員まで現れる。
歓声とともに、「新社長!」「篠宮!」という声が飛び交い、熱狂は会場を揺るがすほどだった。
壇上に立ちながら、俺は心の中で呟く。
(これが……俺の新しい戦場だな)
そして、俺のCEOとしての一歩が、ついに始まった。




