第60話 呪いの解呪とケジメ
「これは、病気、じゃない」
「え?」
病気とは違う。
病気だったら肉体の弱い部分を強化するだけでいいけど、これは、何か別のものが彼女の生命力を吸い取ってる。
「例えるなら……悪霊、妖怪、物の怪?」
「あく、りょう?え?物の怪?」
そうだ。人じゃない何か。そう表現するしかない。
禍々しい感じがする気配を放ちながら彼女の心臓に張り付いて生命力を吸っている感じだ。
これ、排除して大丈夫だろうか。今の俺のコントロールだと完全に消し去ることは難しそうだ。
神力を込めすぎて心臓付近で暴れでもしたら彼女の身に危険が及ぶかもしれない。
「仮に名をつけるなら、”呪い”が適切かな」
とりあえず、仮に呪いとしようか。
彼女の心臓に取り巻いている呪いに神力を送り込み、周りをコーティングするようなイメージで動かし包み込んだ。
「よし、このまま身体から追い出すぞ」
イメージが崩れないように慎重に精神をコントロールしつつ、瘴気を包み込んだ神力の塊を移動させる。
あれだ。昔のテレビ番組でやってたイライラ棒みたいな感じで瘴気の塊を刺激しないように慎重に移動させる。
「え?な、なにこれ」
「静かに。刺激しないように心を落ち着けて」
「う、うん」
西野の身体から黒い塊のようなものが這い出てくる。俺の神力でコーティングされているから一つの場所に固まっているが、不定形でヘドロで出来たスライムみたいな気持ち悪い何かだった。
「よし、このまま」
俺は神力を更に込めて、呪いの塊を押しつぶした。
『ギョォオオオオオオオオオオオオォォォオン』
「ひっ!?な、なに今の」
「まさか声出すなんてな」
押しつぶした呪いは悲鳴のような、あるいは断末魔の叫びをあげながら消滅し、煙のように霧散していった。
「ふう……西野、体はどうだ?」
「えっと、あ、楽になった、かも」
「よかった。成功したみたいだな。多分もう大丈夫のはずだ。身体を衰弱させる原因を取り払ったから、肉体は徐々に回復していくはず。これから毎日俺が神力を君の身体に注入すれば更に早くなるよ」
俺は神力の特徴について話して聞かせた。
眉唾物の話だろうが、実際に起こった出来事を見て納得せざるを得なかったみたいだ。
「本当に、ありがとね篠宮君。これで娘達に苦労かけなくて済みそうだよ」
「ああ、ただ借金そのものは残ってる。君は俺が全部返済したとしても返したがるんじゃないか?」
「うん。勿論、一生かかっても返すつもり」
「心配ないさ。利息は付かないんだから。延滞金もない。このままバックレたっていいんだぜ?」
「それは私のプライドが許しません。いざとなったら貴方に身売りするわ」
「ぶほっ!?」
「健康さえ取り戻せばまだまだ情婦としても行けるわよね。風俗はゴメンだけど、あなたになら抱かれてもいいわ。これでも容姿には自信があるし」
西野はパジャマのボタンを外して胸元をチラリとのぞかせる。淡いピンクのブラが目に入り下半身に良くない血液が集まってくる。
そうだった。西野はこういう奴だったな。
「なぁ西野」
「真理恵でいいわ」
「じゃあ真理恵。念のため言っておくけど俺は君の身体が目当てで助けたわけじゃないからな」
「分かってるわよそんなこと。私に返せるものでお金以外だと身体しかないのよ?」
「うーん、でも俺恋人いるからな」
「そっか」
真理恵は何やら納得した様子でうんうんと頷いている。どうやらもう情婦だのなんだのと言うつもりはなさそうだ。
「うん。じゃあ篠宮君と愛人契約を結ぶわ!」
「ヘイマダム!Meの話聞いてたかい!?」
会話のドッジボールとはこのことだ。俺の投げかけた言葉が弾丸となって返ってくるなんて経験はしたことがない。
いや、考えてみれば昔からこういう奴だったな。彼女とまともに会話が成立した記憶が一度もない。
「大体、君は俺を異性として認識したことなんてないだろう?」
「うん、無いわね。男友達では一番親しかったけど、恋愛感情はゼロだったわ」
「分かってたけどはっきり言われるとショックだな」
「でも今は違うわ。篠宮君、とても素敵よ。抱かれてもいいって思うくらい。それとも、42歳のおばさんじゃ燃えない?」
「いや、そういうわけではないのだが、問題はそこではなくてダナ」
「じゃあ沙織はどう?ぴちぴちの女子高生よ」
「言い方が親父クサいぞ」
「ちょ、ちょっとお母さん!」
「まさか七菜香のほうがいいのっ? さすがにあと一年は待ってちょうだい」
「話逸れてるぞ」
学園のマドンナ聖母マリエは憧れの女子最上位だった。幸運なことに俺は彼女とはよく会話をする仲だったが、いつもこんな感じで振り回されていた気がする。
でもなぁ、学校での彼女の印象はおしとやかで清楚って感じだったような。
「もしかして、俺と話す時だけ猫かぶりやめてたとか?」
「正解。篠宮君って気安いっていうか、飾らなくてもいい人だったから」
「なるほど。一緒にいると楽なタイプって奴か」
「そうそう。それよ。あぁ、懐かしいわね。よく考えたら素の自分をさらせる男子ってあなただけだったかも。旦那にもこんな顔見せたことないわよ」
俺だけが知っている彼女の素の顔ということだが、恋愛感情がゼロでは喜んでいいのか悪いのか。
「ま、それだけ元気なら話の続きをしても良さそうだな」
俺は話を切り替えて本題に戻ることにした。
真理恵の表情が引き締まる。
「いいわ。お願いします」
明石真理恵の夫は、5年以上前に失踪した。俺は深雪の雇った探偵を使って行方をくらませた夫の消息を掴むことに成功した。
「結論から言おう。君の旦那は現在、こことはかなり離れた場所にいる」
「生きてるんだね」
「ああ。それでな、ここからは心を強く持って聞いて欲しいんだが」
「いいわ。覚悟はできてる。教えて頂戴」
「沙織ちゃんも、大丈夫かい?」
「はい、お願いします」
「彼は、既に別の女性と同棲している。かなり親密な関係だそうだ」
この場合、西野は夫に対して一方的に婚姻関係を破棄することが出来ることになる。
夫が三年以上行方不明。更には妻がいるのに別の女性と不貞を働き、家族に一切連絡を寄越さない悪意のある遺棄行為。
婚姻関係を一方的に破棄するには十分すぎる理由だ。
「やっぱり、ね。どっかで覚悟はしてたんだ。本気で好きになった人だから」
「身体が回復したら会いに行くか?既に居場所は掴んでいるから俺が渡りをつけよう。向こうに誤解を与えないために女性が同行する手はずが整っている」
「……」
「お母さん」
真理恵は俯いて沈黙を貫く。
「そうね。ケジメはつけなきゃね」
「分かった。まずは退院できるくらい体力を回復させることだ」
「うん。そうね。目標が出来たらがぜんやる気が湧いてきたわ!」
「お母さん」
「沙織、心配かけてゴメンね。もう大丈夫だから。これからはガンガン働いて早く借金返しちゃうからね」
「うう、お母さん」
涙する沙織ちゃんを静かに抱き寄せる真理恵の姿は、昔見た聖母マリエの姿そのものだった。
「借金だけど、旦那の消息が掴めたわけだから旦那に返させれば良い」
連帯保証人になっている場合、債務者と同じ責任が発生しているので真理恵が返済するのは義務だった。
この場合は債務者が責任を押し付けて逃亡したわけだから裁判を起こせば勝てるかもしれないが、実はこれも解決済みだ。
◇◇◇◇◇◇◇
真理恵の一件から数日が経った。
彼女の身体は順調に回復しており、無事退院することが出来た。医者も驚いていたそうだ。
「うん、体も順調。前より調子いいくらいだわ」
真理恵は俺の神力による治療でかつての美しさを取り戻し、学園の聖母と言われていた頃の若々しさを取り戻すまでに至っていた。
もはや沙織ちゃんとは姉妹と言っても言い過ぎではないくらいだ。
俺は深雪に頼んで明石家の逃亡した旦那の元へ案内してもらった。
こういう場に男がしゃしゃり出ると話がややこしくなるので、真理恵には深雪に同行してもらい、相手方と話しをつけてもらう算段になっている。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「愛沢深雪と申します。よろしくお願いします。本日は篠宮様の変わりとして同行させていただきます」
「明石真理恵です。よろしくお願いします。あの、愛沢さんは、篠宮君の恋人なのでしょうか?」
「はい。素敵なお付き合いをさせていただいています。しかし、本日はあくまで依頼人の代わりとして同行いたしますので」
眼鏡を掛けたキャリアウーマン風のスーツに身を包んだ深雪は、真理恵の明石家借金問題の同行者として真理恵の前に現れた。
目の前に現れた愛沢という女性は、年齢が近いにも関わらず自分よりも遥かに高貴で美しい感じがした。
深雪の案内で移動した先は住んでいる場所からはかなり離れており、新幹線での移動となった。
その間に探偵を通じて調べ上げたことを深雪から詳細に聞いた真理恵は、自分がいかに愚かな男に入れあげていたのかを痛感した。
真理恵と夫の出会いは学生時代である。当時大学生だった真理恵は、先輩であった夫と交際し、妊娠をきっかけに結婚することになった。
彼女なりに家庭をもり立てていこうと頑張っていたのだが……。
「真理恵さん、つまらない男のために人生を棒に振る必要はありませんよ。過去は取り戻せません。でもあなたには大切な家族がいるのではありませんか。沙織ちゃんも七菜香ちゃんも、とても素敵な女の子です。あなたの結婚は、素敵な宝物を授かるためであったと、私は思います」
「ありがとうございます。確かにその通りですね。私も見る目がなかったのかもしれませんけど、沙織も七菜香も、大切な子供たちです。そのことを否定するべきではありませんよね」
「ええ。その通りです。それに、新しい恋だって見つかりますよ」
「そう、ですよね。はい。ありがとうございます」
深雪の言葉に真理恵は救われた。心に引っかかっていたわだかまりが溶けていく不思議な感覚に心地よさを感じていると、目的の駅へと到着する。
逃亡した夫との面会は真理恵にとって不快の極みであった。
「ま、真理恵」
「久しぶりねあなた」
久しぶりに会う夫は自分の記憶からは随分と老けて見える。
たった5年で人はこうも変わるものなのか。
(私も人のことは言えない、かな)
つい先日までの自分を思い出して自嘲する。真理恵はここ数日の神力による治療ですっかり全盛期の肉体を取り戻しており、42歳と思えない美しい容姿をしていた。
再会した真理恵の美しい容姿を見た男は鼻の下を伸ばして雄弁に当時の言い訳を並べ立て始めた。
そのことが真理恵の疑惑を確信に変えていく。深雪に伝えられた話を心のどこかで信じたくはなかった。
だが目の前で口を開く"何か"は、真理恵にとって不快な音を発し続ける。
曰く……
『君の前から姿を消したのは借金返済の目処を立てるため』
『子供たちを含めて今でも君を愛してる』
『準備が整ったら戻ってくるつもりだった』
事実を確認した真理恵の心は急速に冷めていった。
(なんだこれは……? 私は何に夢中になっていたんだろう)
口を開いてのたまう目の前の男に段々と不快感が強くなっていく。
真理恵は自分がお金で甘やかしたせいで夫は歪んでしまったと思っているが実際は違う。
その男は当時から複数の女性と付き合っており、真理恵が妊娠した事実を知るとすぐ逃亡を謀ろうとしていたのだが、真理恵の実家の土地が手に入ることを知るとすぐに態度を急変。
土地の権利を手に入れるために優しい夫を演じ続けた。だが、土地を担保に借金をし、現金を手に入れたその男はすぐさま逃亡したのである。
これが明石家の夫婦生活の実態であった。それを知った真理恵はショックで再び寝込みたくなる気分だった。
そしてそんなものに対して恋慕の情を抱いた過去の自分を恥じた。沙織と七菜香を授かったことは後悔していないが、それを差し引いても怒りが沸き起こるには十分すぎるクズっぷりだった。
「それは大いに身勝手な理論ですね。あなたが借金を返済する意志があるのなら、何故わざわざ姿を消す必要があるのですか?まずあなたは真理恵さんの前から姿を消した後……」
深雪が取り出した書類にはその男が真理恵の前から姿を消した後の消息が事細かに記されていた。
それを目の前で並べられると、男の顔がみるみる蒼褪めていき、それらの事柄が事実であることを教えてくれる。
そして話は相手の女性側がその裏付けとなる事実を確認することで決着がついた。
騙されていたことに気が付いた相手の女性は『よし、こいつ殴ろう』と言い出し、真理恵と共に繰り出した鉄拳制裁によって婚約を解消することになった。
「わたしは何も見ていませんわ」
二人の女性からグーパンを喰らった不貞男は、自業自得の罰を受けたのであった。
日本では重婚は犯罪である。そこら辺をどうするつもりだったのかは定かではないが、真理恵は男との婚姻関係を解消することで明石家の問題は解決を見せた。




