第55話 ある姉妹の光景
隆行たちが住んでいる街にある病院の一室。
そこには儚げな雰囲気を持つ女性がベッドに横たわっていた。
敷地の穏やかな場所に建っているこの建物は、喧騒から遠く離れた療養には適したものとなっている。
「お母さん、リンゴ剥けたよ」
「ありがとう沙織」
玲緒奈の後輩、明石沙織は街外れの病院に来ていた。リンゴを受け取った妙齢の女性がにっこりと笑う。
かつては美しかったであろう顔は痩せこけ、町一番の大和撫子としてもてはやされた自慢の黒髪も、今は見る影もなくくすんだ白髪が混じっている。
まだ42歳という年齢であるが、体に巣食う病巣が原因で身体は痩せ、顔は老け込んでしまっている。
「おかーさーん!七菜香がきたぞ!」
「こら七菜香!病院では静かにしなさいって言ったでしょ!」
「あらあら、二人が揃うとホントに賑やかね」
クスクスと笑う女性の名前は『明石 真理恵』。沙織の母であった。
「おかーさんは騒がしいくらいが好きだから問題ないもんねぇ!」
「他の人に迷惑だからッ」
そして元気な声を上げて病室に駆け込んできたのは”明石 七菜香”。
もうすぐ高校生になる沙織の妹である。
「ほっほっほ。七菜香ちゃんは今日も元気だねぇ」
「す、すみません中尾さん。騒ぎ立てちゃって」
「いいんだよ。退屈な入院生活に潤いが出来るからねぇ」
真理恵の隣のベッドにはしわがれているが人のよさそうな老婆が身を起こして微笑んでいる。
4人部屋であるこの部屋で唯一の患者で、まだ出会って一ヶ月だが、毎日顔を合わせる隣人としてすっかり顔なじみとなっている。
◇◇◇◇◇◇◇◇
”明石沙織”
隆行の義娘である玲緒奈の後輩であり友人。メイドカフェ”キングキャッスル”の人気者で、接客技術も料理も優れた万能キャストとして店からも客からも愛されている。
何事にも物おじせず一生懸命だけどちょっと抜けているドジなところが庇護欲をくすぐり、彼女は愛されていた。
しかし、彼女を取り巻く境遇は厳しい。彼女の母、真理恵は突如として謎の病魔に身体を蝕まれ、緊急入院をした。
「お母さん、今日は身体の具合、どう?」
「そうねぇ。来月には退院できそうよ」
「ほんとに!?じゃあ快方に向かってるんだね!」
「ただの過労だから。もう入院の必要もないって言ってたわ」
「おかーさんおうち帰ってくるの!?やった!これで家事から解放される~」
「こら!そういう問題じゃないでしょ」
無邪気に笑う妹を見守る沙織の瞳に陰りが見える。
真理恵が嘘をついていることを知っているからだ。
彼女が退院するのは入院費が払えないからであり、決して病気が快方に向かっているわけではない。
その事実を告げることが出来ず、不治の病にかかってしまったことを、その老婆だけが知っていた。
母の真理恵は父親が残した借金の返済に追われている。そこに来て母の急な病による入院の追い打ち。原因は過労によるものだと伝えられているが真実は違う。
実際は医者に匙を投げられているに過ぎない。
経済的にかなり厳しい窮地に立たされていた。
「お母さん、わたし、扶養控除を外そうと思うんだ」
「え、でも」
「入院費の支払いもあるし、お母さんのお給料だけだと厳しいよね。高校やめて働くよ」
「ダメよ!あと一年じゃない」
「でも、お父さんの借金もあるし、経済的にこれ以上学校も行っていられないから」
「七菜香は今度新聞配達始めるんだぞ!おかーさん助けるんだぞ!」
「え!?そんなの初耳よ」
「裏のおじさんが紹介してくれたの。中学生だからそれくらいしか出来ないけど」
沙織には分かっていた。母が無理をしていることを。
無邪気な七菜香を心配させまいと気丈に振舞っているが、立って歩くだけでも辛いはずである。
だから何とか母親の入院費と借金の返済を賄おうと学校をやめて働く決意をした。
キングキャッスルは学生のバイトから社員登用を積極的に行っている。
玲緒奈も同じように進路を決めていることから、憧れの先輩である彼女と同じ道を選ぶのはごく自然な流れだった。
店長も初めは説得したが、沙織の強い決意に押されて社員登用の推薦状を書くことにした。
「そんじゃ七菜香は先に帰ってるぞ!おねーちゃん早く帰ってご飯作ってね~」
「あ、こら待ちなさい!もうあの子は」
「クスクス。七菜香を見ていると元気が出てくるわね」
「……ねえお母さん」
「どうしたの?」
「お母さんの病気、どんな名前なの?」
「……やっぱり、沙織は賢いわね。病名は、ないわ」
「どういうこと?」
「原因不明なんですって。どういうわけか身体が徐々に衰弱していってる。沙織、あなたの気持ちは嬉しいけど、やっぱり高校くらいは卒業しておいた方がいいわ」
「……」
沙織の表情はすぐれない。そこにはお金の問題以外の何かがあるのではないか。
母親の勘でしかなかったが、沙織が何か悩みを抱えていることが見て取れた。
「ねえ沙織、もしかして学校で何かあった?」
「んと、何でもないよ。大丈夫だから」
嘘だ。真理恵にはすぐに分かった。母娘はそろって気丈に振舞う。
こういうところはそっくりであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「お母さんに心配はかけたくないからね」
気を取り直して家路につく沙織。彼女を取り巻く環境の厳しさは、学生の本分、学校生活にもあった。
次の日、いつものように登校した沙織は、自分の上靴の入った下駄箱を開けようと手をかける。
「痛っ」
小さな指に痛みが走る。赤くにじみ出た血液が滴り落ち、慌てて指を押さえる。
「はは……また、なんだ」
そこには取っ手の部分に仕込まれた画鋲が落ちていた。
そして開けた下駄箱の中にあるはずの上靴は、入り口前に設置されたごみ箱に捨ててあった。
「今日は汚れてないや。まだマシかな」
これが初めてではなかった。ある時は生ごみにさらされている時もあった。
今日はまだマシな方である。
自分の教室へと入った沙織は、いつもの自分の席へと座ろうと窓側に移動する。
だが、そこにあるのは見慣れた机が無残な姿になっている光景だった。
『バカ』『死ね』はまだいい。
『淫乱ご奉仕メイド』『男に股開いて大儲け』。
目を覆いたくなるような罵詈雑言の数々が所狭しと油性マジックで書かれ、後ろからはクスクスと笑う嘲笑の声が耳に届く。
見やると明らかに遊んでそうな不良娘のグループがイヤらしい笑みを浮かべながらこちらを見ていた。
「なに見てんだよ明石ぃ」
「これ、あなた達がやったの?」
「はぁ?知らねぇよ。人に罪擦り付けんのかよ!」
センスの悪い斑ピンクに染めた髪をかき上げたヤンキー娘が沙織を睨みつける。
校内随一のワルであり、地元の不良グループに繋がりを持つスクールカースト上位の存在であった。
イジメのきっかけは些細なものであった。前にイジメられていた女の子を庇ったからである。
そのターゲットが自分に切り替わっただけだ。前にイジメられていた娘は再び自分がターゲットになるのを恐れて転校していった。沙織には何も告げずに。
だが沙織はそんなことは微塵も気にしていなかった。もともと見返りを求めて助けたわけではない。
クラスのみんなが自分を避け始めたのも自然な流れだ。誰も自分が進んでイジメられたいとは思わない。
「おはようございます沙織ちゃん」
「あ、おはよう桜子ちゃん」
そんな中、クラスの全員が避けている沙織に物怖じすることなく話しかける可憐な少女がいた。
つややかな黒髪。手入れの行き届いたキメの細かい肌。上品な立ち振る舞い。
どう考えてもいいとこのお嬢様である沙織のクラスメートで桜子と呼ばれた女子生徒は、沙織の机の惨状を見て眼をしかめる。
「まあ、酷いですわ。なんですのこの下品な落書きは!あなた達ですわね!!」
「おいおい決めつけるなよお嬢様ぁ。証拠でもあんのかよ」
桜子は斑ピンクをジッと睨みつけ全身を見つめる。そしてツカツカと歩き出してその手をグッと掴んだ。
「な、なんだよ」
「この机からあなたの使っている香水と同じ匂いがしますわ。この香りは期間限定のオーダー品で持っている方はそう多くないはず。机についた強い匂いとあなたが付けている数の少ない香水。十分ではなくて?」
「けッ、状況証拠だろ!」
「我が家が誇る化学班がにおい成分と指紋検出を行っても構いませんが?」
「な、なんだそりゃ!?」
「桜子ちゃん、もういいよ。私は気にしてないから」
「沙織ちゃん」
「けッ。行こうぜ」
斑ピンクは取り巻きの数人を引き連れて教室を出ていく。教室の張りつめた空気から解放されたクラスはホッと一息ついた。
「まったく。あんな連中ガツンといってやらねば調子づくだけですわ。沙織ちゃんは優しすぎます」
「うん。でも学校で問題行動起こすわけにはいかないから」
「……そう、ですか。うん!じゃあイヤなことは忘れて、今日のお昼は屋上でご一緒しましょう。うちの”婆や”が作ってくれたお弁当ですの。おかずの取り換えっこいたしましょうよ」
「ホントに!?桜子ちゃん家の婆やさんの卵焼き、美味しいんだよね♪」
クラスメートである桜子はいつも沙織をイジメからかばっている。
クラスの中で彼女の味方でいるのは桜子だけであった。一年生の頃から同じクラスであり、近寄りがたいお嬢様である桜子に積極的に話しかけたことが仲良くなるきっかけであった。
今では二人は親友同士となっており、仲睦まじく互いを支え合う間柄である。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「はい、どうぞ」
「ありがとう。うわぁ、やっぱり美味しい」
「気に入っていただけて婆やも喜びますわ」
昼休みの屋上。仲良しの二人は互いのお弁当を交換し合い、友人同士のおしゃべりに興じていた。
家のことで気苦労の多い沙織にとって癒しとなる時間の一つであった。
「沙織ちゃん、あなたの家の借金、少しは減りまして?苦しかったら……」
「もう、またその話?何度も言ってるじゃない。大丈夫だって」
「そうは言いますけど、簡単な金額じゃないんでしょう?わたくしのポケットマネーからなら利息は付きませんわ。ゆっくり返してくださればいいと」
「だから。それをしたら私たちは対等な関係じゃなくなっちゃうよ。桜子ちゃんは良くても私はダメなの。気持ちは凄く嬉しいけどね」
「もう、本当にあなたは意地っ張りですわ。まあ、そこが沙織ちゃんらしいですけど。でも、苦しくなったら本当にいってくださいまし。家族の家計も大変でしょうし。妹さんやお母さまに苦労を掛けてはいけませんわ」
「それを言われると辛いね。うん。どうしても辛かったら、いうね。ありがと、桜子ちゃん」
5年前、明石家の大黒柱であった父親が多額の借金を残して蒸発した。
沙織の記憶では父親にいい思い出はない。酒におぼれ、暴力をふるってはギャンブルにいそしむ典型的なクズだったことは確かだった。
その借金はいまだ返しきれておらず、利息のふくらみと相まって明石家の家計簿はドンドン赤字を重ねている。
そんな明石家の事情を学校で知っている数少ない人物。それが親友の桜子であった。
沙織と桜子。
この二人の関係から、今回の一連の事件は始まる。




