第61話 こんなところにもいましたわ!
あまり眠れずぼんやりした頭を振り払うよう冷たい水で顔を洗う。
朝早くに起き出してきたシェルリンたちに宿屋の主人は嫌な顔一つせず、朝食を準備してくれた。
「朝のラゴプルノの方が綺麗だからなぁ。兄ちゃんたちよくわかっている! 大体の旅行者は昼に着いたらそのまま湖に行って、夜頃帰ってきて1泊したら翌朝にはもう旅立ちだ。最近は誰も彼も忙しいから仕方ないけれど、せっかくの旅なのにもったいなくてねー。兄ちゃん達みたいにしっかり見てもらえると嬉しいってもんよ」
目の前に出来立てのオムレツ、サラダ、この地の名物だというアカイーのジュースが並べられる。
オムレツには、小さく刻んだ玉ねぎ、パプリカ、ほうれん草にベーコン、チーズが入っているようでナイフで切ると湯気と共にチーズがとろーりと溶けだしてくる。
「美味しい」
シェルリンがぽつりとこぼした言葉を宿屋の主人は、ニヤリと口元を緩めて「だろ」と答えた。
「あ。あと、この時間は大丈夫だろうが最近変な物売りがいるから気をつけろよ」
厨房へ戻り際、主人が思い出したように言う。
なんでも湖の水を聖水だと言って売っているようだ。
「まぁ、聖なる湖って呼ばれているからな。聖なる湖の水、聖水って言えばそうなんのかもしれないけどよ。何の効果もないただの湖の水だからなー。記念に買うなら止めねぇが、何か効能を期待してんなら買わないこった」
親切な宿屋の主人にお礼を言って、徒歩で聖なる湖へ向かう。
町から湖は大して離れていないらしい。
歩きながら、ライの顔をちらりと見る。
今日のライは、少し言葉少なだ。心なしか表情もこわばっているような気がする。
そう思うのは、昨日の変な夢のせいか……。それとも朝早くてライも眠たいのだろうか。
町を出て、周囲の森の中の小道を歩き続けると、突然視界がばぁっと開けた。
青い湖の湖面がキラキラと輝いている。
「これが聖なる湖ですか」
フリッツの言葉に、「えぇ! これがかの有名な聖なる湖ラゴプルコ!」と軽快に返事を返してきた人を見て、シェルリンは驚いた。
「レイメメじゃない!」
「おやおや、よくお会いしますね。フィッツベルグ家のお嬢さん」
家名を名乗ったことがあっただろうかと思いつつ、「久しぶりね、こんなところで何をしているの?」と挨拶を交わす。
「仕入れですよ! 仕入れ! ある時はストリートアーティスト、またある時は衣裳屋、またまたある時は伝説の商人をやっていますとね。いろいろなものが必要なんでございますよ、お嬢さん」
「自分で伝説って言ってるわ」とベルとベラがコソコソと突っ込みを入れている。シェルリンも同じことを思っていたので、つい笑い出しそうになった。
「それで、何を仕入れに来たのかしら?」
「よくぞ聞いてくださいました! こちらはこのラゴプルノで早朝に汲みました聖なる水!」
どこから取り出してきたのか、レイメメが青い水が入った瓶をこちらに向けてくる。
光が当たると青だとわかるが、一見紺色を通り越して黒色に見えなくもない。
聖水という名前からはかけ離れた水の色に、シェルリンは内心驚いた。
もっと透き通ってキラキラしている感じをイメージしていたのに。
「いくらで売っていますの?」
宿屋の主人が言っていた変な物売りとはレイメメだったのかと思いつつ、値段を聞く。
効能はないとのことだったので、あまりに高かったら話をしようと思ったのだ。
結局レイメメは具体的な数字は言ってくれなかったが、何やらレイメメの販売する商品の中でもかなり重要な品物らしいことは分かった。
「騙して売るようなことするなよ!」とフリッツが言えば、「まさか! これほどの物をそこらの物売りのようにぽいぽい見境なしに売ったりしませんよ」とレイメメは返す。
「それよりも……お兄様は具合が悪いのですか?」
レイメメが私たちの一番後ろにいたライを見て聞く。
湖に来る途中から言葉少なだと思っていたが、そういえばライは湖に到着してから一言も話してはいなかった。
「ライ兄様?」
「お兄様ここでお会いできたのも何かの縁! この聖水……」
「ありがとう。少し疲れが出ただけだ」
レイメメの営業トークをぶった切って、ライが微笑んで言った。
その時……。
ぽたり。ぽたり。
どこかで何かの雫が落ちている。
ざわざわと木々がざわめき、風がシェルリンの髪を舞い上げる。
ふわり、ふわり。
突然帰ろう! とそう思った。
帰ろう、帰りましょう。
身体が軽い。
行こう、登ろう!
足も軽やか。
ほとんど足が地に着いていないように、風を受けた鳥たちがひゅーんと高く昇っていくように、シェルリンの足はひらり、ふわり、と飛び跳ねた。
帰ろう! 帰ろう! もといた場所へ。
「……リン!」
遠くで何かが聞こえる。
良いじゃない、とにかく行きましょう。
「……ルリン!」
誰かしら。この声知っている気がするわ。
でも帰らなくちゃ。もっと高いところへ。
「シェルリン!」
風が止まる。身体が止まる。
引き止めている人は誰?
帰れなかった。悲しい。涙がツーっと頬を伝う。
「シェルリン、しっかりしろ!」
突然何もかもがクリアになった。
目と鼻の先にライの顔があった。
ギャーギャー、ギャーギャー!
ものすごい声に気がついて周りを見渡すと、おびただしい数のアオリリスがまっすぐ上を向いて、飛んでいる。
「シェルリン。私だ。ライだ、わかるか」
ライはものすごく心配そうな顔をしている。
「ライ兄様……あの私……」
それだけしか言葉を発していないのに、ライの目が緩んだ。
「いい、もう大丈夫。大丈夫だ」
ライは空中でシェルリンを抱え込みながら、幼子に言い聞かせるように大丈夫だと繰り返した。




