第17話 変わってしまった僕たち
「ユリウス殿下、貴族ってなんなのでしょうか」
「そりゃあ、血筋なんじゃないか」
「では、生まれた時から偉いかどうかは決まっているということですの? 何もしていなくても?」
突然どうしたんだシェルリンと思いながら、この後自分は何と答えたんだったか。
そういえばシェルリンと会ったのも、この時が最後だったなぁとユリウスは思い出す。
シェルリンはパタリと来なくなり、ユリウス自身もカールやブルーノたちと剣を振り回して遊ぶ方が好きだったからわざわざ呼ぶこともなかった。
いや、違う。
そもそもシェルリンと会っていたころはまだほんの子供でまた会いましょうねと親同士が約束していたから、会っていただけで自分の意志で会ったことなどなかったのだ。
それでもシェルリンと最後にかわしたこの会話はずっとずっとユリウスの中に残っていた。
ユリウスの言う通りに動き、時には頭を下げる大人たちを見るたびに、シェルリンの言葉がこだまする。
――では、生まれた時から偉いかどうかは決まっているということですの? 何もしていなくても?
王子である自分はただ王様である父と妃である母から生まれただけ。
何もしていないけれど、ユリウスはえらい。皆がユリウスの身を大事にし、敬う。
当たり前の日常に何かひびが入ったような気持になる。
「こんな小さい子供に仕えるのは、嫌じゃないのか」
小さな時から傍にいる護衛騎士に聞いてみた。
嫌だなんてとんでもないという騎士にさらに言葉を重ねる。
「でも、僕によくしてくれたって、僕は何もできないよ」
「はっはっは。確かに。殿下はまだ子供ですからなぁ! 出来ないことも多いでしょう。けれど、殿下は後に国を導くお方です。そのために嫌いな勉強も頑張っていると聞きましたぞ」
その騎士の答えで、どれほどほっとしたかわからない。
シェルリンに聞かれた時には何か良くわからなかったが、ざらりとした気持ちの悪い思いをした。
でも今になって思えば、あれは「お前がえらい正当な理由などない」と言われたような気がして、自分を取り巻く日常の全てが偽りの上に成り立っているような気がして居心地が悪くなったのだ。
この護衛騎士の返答は、ユリウスが感じていた居心地の悪さも吹き飛ばすものだった。
貴族はその血ゆえに貴い身分が保証される。けれど、同時に尊い義務がある。
だからまだ何事もなしていない自分たちも尊い存在でいい。
その分、大人になって何かを成すのだから。自分たちは大人になった時に、正しく世を導いていけるよう今は力をつける時期なのだ。
そう納得できてから、そんな大人になろうと努力するようになった。
シェルリンは、ユリウスと同じ答えにたどり着いているだろうか。
もし彼女がまだ悩んでいるのなら、今度は自分が吹き飛ばしてあげたい。
いや彼女のことだ。
きっとユリウスよりも先に気がついて、素晴らしい淑女になっているだろう。
そうその時は思っていた。
それから時は経ち、ユリウスは相変わらず努力した。
時にブルーノやカールと遊んだり、共に訓練をすることはあっても、課せられた課題は必ずこなした。
忙しさ、ブルーノたちと過ごす楽しさにいつしかシェルリンのことはすっかり忘れた。
ずっと会っていなかった幼馴染のシェルリンのことを思い出したのは半年ほど前。
父である王からの呼び出しの時だ。
「もうすぐ入学だな。準備はできているのか」
「はい。既に寮へ運び込む調度品の選定は終わりましたし、制服や教科書類も届いています」
「勉強の方はどうなのだ」
「家庭教師たちからは、既に一学年で学ぶべきことは全て理解しているとお墨付きをいただいています」
「そうか」
コポポと王が手元の酒を注ぐ。
どうやらここからは、父としての話らしい。
「側近や婚約者をお前はこれから選ぶことになる」
「え? 側近候補ならばもうすでにいるではありませんか。よほどのことがなければ彼らがそのまま側近になると思いますが」
「それは周りの大人が連れてきただけの子供だろう。確かに小さなころから一緒にいる者の方が気安いだろう。だが、気安いだけで決めてはならんし、そもそも幼き時は大人の影響を受けやすいものだ。お前もその者たちもその口から出たものは、大いに周囲の大人の意向を含んでいる」
父が回していたグラスからお酒を一口飲む。
しばし沈黙が続く。
父が何を言いたいのかわからず、ユリウスも押し黙っていた。
父は今の側近候補に不満があるのだろうか。
「だからこれからの三年間は貴重だぞ。帰ろうと思えば週末や長期休暇に帰宅できるとはいえ、お前たちは三年間学園という今まで身を置いてきた場所から隔絶された場所で生きるのだから」
父がジッとユリウスの目を射抜いた。
「人は三度生まれ直す」
「え?」
父が突然言った言葉の意味が分からなかった。
人生は一度きりだ。生まれ直すなんてそんなことはない。
ユリウスの怪訝な顔に気がついたのかどうかはわからないが、父は静かに話し始めた。
父が言うには、一度目はこの世におぎゃあと産声を上げた日。
一人で生きていけぬ赤子は必死に周囲を観察し、周囲に馴染もうと、周囲の反応を気にして生きる。
二度目は青年期に。
今まで当たり前だった周囲と内なる自分との差に戸惑いながら、まるで木彫りの熊のように彫って、彫って自分の形を作っていく。
そして次の世代を育てるようになってから三度目の人生が始まる。
「三度目はまだ先だからいいだろう。だが言いたいことは分かったな。お前たちは今二度目の人生のスタートラインにいる。今までは心地よい関係が築けていた者たちとの関係も変わる。各々考え方も変わってくる。お前自身も変わる。だから、よく人を見るのだ。ユリウス」
「はい。父上」
「して、婚約者の方はどうなのだ」
突然話題を変更した父の言葉に言葉が詰まる。
婚約者候補ももちろんいる。
王家で開かれるユリウスの誕生日会では、女の子たちがたくさん寄ってくる。
だから伯爵家以上の家の令嬢は皆見知っている。
その時ふと思い出した。
フィッツベルグ家は毎年フィッツベルグ公爵自身は祝いに来るが、シェルリンは来たことがないなと。
「そちらもよく見極めることだ。噂など当てにならない。自分で確かめろ。一生がかかっているのだからな」
何も言えないでいるユリウスに父が最後の言葉をかけた。
これで話は終わりだ。
席を立つユリウスに父がもう一声かける。
その日からユリウスは度々シェルリンに思いを馳せた。
誕生日会で寄ってくる女の子たちは、可愛らしい恰好をしているし、マナーもできている。
けれど、誰とどんな話をしたのかまるで覚えていなかった。
これだけ長い時間会っていないというのに、どの女の子の言葉より幼き日のシェルリンの言葉の方がユリウスの心に残っていたことに驚いた。
――ユリウス殿下、貴族ってなんなのでしょうか
幼い時から自分の置かれている立場を当たり前とせず、どうあらねばならぬか考えるシェルリンはいづれ王位を引き継ぐユリウスに相応しいと思うようになっていた。
ユリウスは脳内で婚約者候補リストの筆頭になっているシェルリンに会えるのを心の底から楽しみにしていた。
なのに……。
ユリウスの脳裏にちらりと先日の情景がちらついた。
入学式の日、一人講堂裏へ走る女子学生をシェルリンが追っていった。
カールとユリウスはそのままブルーノに連れられ教室に着いた。
すぐさまブルーノがシェルリンを迎えに行くというのを聞いてひらめいた。
自分が行けば、彼女と二人で話せるのではないかと。
それにシェルリンには婚約者になってほしいのだ。
たとえ学園内という近い場所であっても、婚約者を他の男に迎えに行かせるわけにはいかない。
なんて意味もない言い訳を心の中でつぶやいたが、ただもっとシェルリンと話したかっただけだというのはユリウスにもわかっていた。
そしてブルーノに断りを入れ、心を弾ませてシェルリンを迎えに行ったユリウスが見たのは、二人の女子学生がシェルリンへ腰を直角におりお辞儀をしている姿だった。
服従のお辞儀……。
裏切られたような気持だった。
そこからはどこか心あらずだった。
足を捻ったシェルリンを自ら医務室に連れていくことで、お辞儀していた二人をシェルリンから引き離した。
かつて貴族とは何なのかと真剣に悩んでいた彼女が、誰かにそんなお辞儀をさせていたのがショックで、今まで努力してきた自分を裏切られたようで。
そして、幼い頃にした会話一つで未来の婚約者だと浮かれていた自分も恥ずかしかった。
父上、本当ですね。
人は生まれ変わるというのは本当のようです。




