第18話 噂の的ですわ!
「初日から王子様に抱きかかえられてくる子がいるとは思わなかったよ」
足の手当てをしながら、朗らかに話すのはこの学園専属の医務官であるトビアスだ。
「冷やしてテーピングしたからもう歩いて大丈夫だけど、もう少しここにいる? ほら、そのなんていうか。その顔も少しは落ち着くでしょ」
真っ赤な顔がバレたと少し収まってきたシェルリンの顔に再びボッと熱る。
「先生ご配慮ありがとうございます。すみません、あまりこういう事態に慣れておりませんで」
「あれを慣れるほど経験することなんてないでしょ」
はははと楽しげに笑いながら、白衣の医務官は窓辺に向かう。
思い返せば、記憶喪失になってからあんなに近くに男性がいたことなんてなかった。
ライとダンスをする時だって、もう少し離れている。
「あ、紅茶飲まない? ここに常備しておこうと今日はたくさんお茶菓子も持ってきているんだ」
「今なら選び放題だよ」と茶葉の缶を見せながら、何気なく話すトビアスにシェルリンは力が抜けて、自然とふふふと笑っていた。
いつの間にか心臓の音も聞こえなくなった。熱かと思うほど熱かった顔も今は普通だ。
良かった。
トビアスに名簿を見てもらったところ、シェルリンはAクラスだとわかった。
紅茶を飲んで心も顔も落ち着いたところで、Aクラスに向かう。
「Aクラスなんてすごいじゃん」というトビアスによれば、モンクレージュ学園のクラス分けは、魔力量によるらしい。
魔力量によって使える魔術の種類も変わってくるためだ。
「それじゃ、頑張って」
トビアスの激励を受け、教室の扉の前に立つ。
ふーっと息を整え、ノック。
どうぞと言われて中に入ると、壇上には眼鏡をかけた先生と思われる人が立ち、シェルリンが入ってくるのをちらりと一瞥した。
「シェルリン・フィッツベルグさんですね。そこの空いている席に座ってください」
席に着く前に、クラスメイトとなる学生をくるりと見渡す。
ユリウスはちらりとこちらを見て、目をそらした。カールは目があった時小さく手を挙げてくれた。
その他、まだ名も知らぬ大勢のクラスメイト達はなぜだがギラギラとした目つきでこちらを見つめ、一緒に猫を助けたピンク髪の子はニコリと笑った。
シェルリンが席に着くと、シェーベルと名乗った先生がこの学園の心得を話し始める。
「モンクレージュ学園に通う皆さんは貴族です。そして貴族であるからには国王陛下を頂点に身分が存在します。ですが、ここではあまり身分に捕らわれず、一人の学生として生活してほしいと思っています」
身分は重要であるが同時に、学問の前には壁となってしまう場合があるからだそうだ。
確かに、身分を気にしていては王子であるユリウスに「その問題間違っていますよ」とは指摘などできないだろう。
「だから、私たち教師は今日からこの学園内では皆さんのことを『さん』付けで呼びます。強制はしませんが、是非皆さんも一人の学生として級友たちと接することをお勧めします」
シェーベルはその他に食堂の利用法や課外活動の案内をし、今後一年間の行事や進級の条件などを説明し、オリエンテーションは終わった。
「フィッツベルグ嬢……いや、フィッツベルグさんと呼んでいいかな?」
話しかけてきたのは、同じクラスの男の子だった。
「もちろんです」と答えかけて、また別の人に話しかけられる。
足を捻ったことが知られているようで、皆が「大丈夫ですか」と心配して声をかけてくれているからだ。
心配してくれたたくさんの人と挨拶を交わしながら、あのピンク髪の子を探す。
さりげなく周りを見渡せば、教室内は大きく二つに分かれていた。
ユリウスとカールの周囲にいる人と私の周囲に来た人。
けれど、ユリウスたちの近くにも私の周囲にもあのピンクの髪の女の子はいなかった。
同じクラスだと思ったけれど、見間違いだったのだろうか。
ぽすり。
寮に帰ってきたシェルリンは持って来たシンプルなワンピースに着替え、ベッドに倒れ込む。
今日はいろいろなことがありすぎた。
記憶を失う前のシェルリンを知るのは、たった四人。
ライに話を聞いた時は、四人なら大丈夫だと思っていた。
けれど、今はそんな風には到底思えない。
どうしよう。学園生活は始まったばかり。
このままここで三年間もやっていけるのだろうか。
そのままベッドに倒れ込みながら、だらだらとしていたらいつの間にかお昼の時間が過ぎていた。
今日は初日だから、どの学年も午前まで。寮にはたくさんの学生の声が響いている。
おそらく食堂で昼食をとっているのだろう。
お腹が空いたな。
モンクレージュ学園に入学すると誰もが寮での生活をすることになる。
王都からはるか遠い田舎の学生だけでなく、王都に住まいを構える公爵令嬢も、王子であるユリウスだって寮生活だ。
使用人の帯同は認められていない。
その代わり寮にも学園にも食堂が併設され、清掃や洗濯、その他のちょっとした雑事をこなしてくれる寮の使用人たちがいる。
だから体調が悪い時などに、彼らに頼み部屋まで料理を運ばせることだって……できる。
下まで降りて食堂でご飯食べるのはちょっとめんどくさいなぁ。
かといって、部屋を出て使用人を探すのも手間だ。
あぁベッドでゴロゴロしちゃったから、食堂に行くにしても、使用人を探すにしても、少し髪を整えてからにしなくちゃ。
外食をするわけでも、自分で料理を作るわけでもないが、今シェルリンの心はこの先ちゃんとやっていけるだろうかという不安が占めていて、頭も体も重く動けない。
「あぁ、捻った足はあんまり動かさない方が良いんだよね」と面倒くさくて動きたくないシェルリンはすぐさまそんな言い訳を思いつく。
けれど、同時に真面目な自分が自分に言う。
トビアスだってもう歩いていいって言っていたでしょ、と。
シェルリンは、ベッドの上で溜息を吐く。
屋敷ではアンジーたちが「昼食の時間ですよ」「お風呂に入りましょう」などと言って管理してくれていたから、健康的な暮らしができていたのだと今更ながらに気がついた。
ユリウスたちがいる学園生活も不安だけれど、寮生活にも不安を覚えた。
もう一度大きくため息を吐いて、体を起こす。
だるい。
だるいのはお腹が空いているせいよと真面目なシェルリンが心の中でなまけたい自分を励ました。
のろのろとドレッサーに向かい、髪を梳く。
学園では簡単に一つにまとめていたが、寮内の食堂に行くだけならそのままでもいいだろう。
髪は結わずに降ろしていくことにした。
部屋の鍵を持ち、扉を開ける。
するとそこに女の子が一人立っていた。
猫を助ける時に一緒にいたピンク髪の女の子。
彼女には先ほどユリウスに抱えられているところを見られているので、少し気恥しい。
「あ、あの、私、アメリアっていいます。さっきは猫ちゃん助けてくれてありがとうございました」
アリシアと名乗ったピンク髪の子ががばりと頭を下げる。
ま、また九十度直角……。
自分も直角のお辞儀をした方がいいのだろうかと少し悩みながら、シェルリンは結局ワンピースの裾をちょこんとつまんで挨拶し、片手を出した。握手がしたいって言っていたから。
「はわぁ~。シェルリンさん、ありがとうございますっ」
アメリアがぎゅっとシェルリンの片手を握る。そしてハッとしたように口に手を当てた。
「わわわ! すみません。 勝手に名前を呼んではダメなのでした。えっと、フィッツベルグさん……と呼んでもいいでしょうか」
再び直角にお辞儀をしそうになるアメリアを押し留めて、「シェルリンと呼んで」と言った。
青くなったアメリアの顔がパッと華やぐ。
アメリアのころころ変わる顔を見ていると、さっきまでの重苦しい気持ちが晴れていく。
ふふっとこみあげてくる笑いをこらえ、ハタと気がつく。
私が外に出ようと扉に近づいたとき、扉の外では物音なんかしていなかった。
もしかしてアメリアは少し前からずっとここに立っていたんじゃなかろうか。
だとしたら、お昼食べていないわよね。
アメリアを昼食に誘うと、「是非!」と返事が来た。
二人で食堂に向かうと既に大部分の人が昼食を食べた後だったようで、食堂には何グループかが残っているだけだった。
空いているテーブルに腰掛ける。
……が、なんだか落ち着かない。シェルリンだけでなく、アメリアも居心地が悪そうだ。
「なんだか……見られている気が」
「えっとその、シェルリンさんを医務室に連れていく様子を見た人がいたようで……」
アメリアの言葉で顔に再び熱が集まり始める。
落ち着くのよ。大丈夫、落ち着きましょう。
ってそんなの無理!
あの光景見られていたの!? 恥ずかしすぎる……。
「シェルリン様を抱えていく姿、本当に素敵で。まるで恋愛小説の一場面みたいで。噂になってしまうのもよくわかります!」
内心頭を抱えているシェルリンにアメリアが言う。
とてもわかる。シェルリンだって、当事者でなければアメリアと一緒に素敵よねってはしゃいでいたに違いないから。
コツン、コツン、コツン。
一人の女子学生を先頭に、三人の女の子がこちらへ歩いてきた。
一番前を歩く彼女は二つに結んだ赤ワインのような髪が印象的だ。
三人はシェルリンの前まで来るとピタリと止まった。
なんだろうかとぼんやり顔をあげると三人がギッとシェルリンを見ていた。
睨まれている? と思っていたら、一番前の女の子が意を決したように口を開く。
「カリーナ・ロケティアと申します。談話室で一緒にお茶でもいかがでしょうか」
豪華なワンピースの裾を持ち上げ、正式な挨拶をしてくれる。
座って挨拶は受け取れないと、シェルリンも立ち上がってワンピースの裾をつまんだ。
「ご丁寧にありがとうございます。シェルリン・フィッツベルグと申します。生憎今は彼女と食事の約束をしておりますので、またの機会に是非お話ししましょう」
カリーナとはその挨拶だけで終わったが、カリーナの挨拶を皮切りにその後シェルリンはひっきりなしに挨拶を受けることになった。
疲れた……。
それにしても……やっぱり九十度直角で挨拶する人はいなかったな。




