↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
60/138

1話 新シーズン開始

●主人公視点


 正式リリースの朝。


 アビス・フロンティア・オンラインの名前は、ゲームを遊ぶ人たちの外まで広がっていた。


 ニュースには、大会決勝の映像。


 動画サイトには、種族選びの解説や、初心者向けの道具紹介。


 ネクサスを用意して待っていた人たちが、開始時刻を迎えて一斉にログインしていく。


 王国の町では、武具店の前に列ができた。


 エルフの森では、初めて渡る吊り橋に足を止める人がいた。


 魔物の開始地点では、自分の脚の数を確かめる人もいたらしい。


 そんな、少々騒がしい朝。


 俺は、鍋を見ていた。


「……もう少し、水ですかね」


 木の匙で、底を混ぜる。


 肉。


 根菜。


 集落で買った、葉物が少し。


 新しいかまどの上で、鍋がことこと鳴っていた。


     ◇


 はい。正式リリースしました、修羅です。


 今日は、料理です。


 優勝賞品でもらった調理設備を、入口に近い部屋へ設置しました。


 寝床とは離れている。


 水も運びやすい。


 煙は、壁の上へついた管を通って外へ出る。


 便利。


 とても、便利です。


「……包丁を置くところがあるだけで、随分違いますね」


〈そこからなのかw〉

〈まな板もあるぞ〉

〈正式初日、最初に見る配信が煮込み〉

〈大会から来ました!〉


「どうも。今日は煮込みを作ってます」


 肉を、薄く切る。


 ガルゼンの教えは、守っています。


 ただ、薄く切ったつもりでも、一枚だけ妙に厚い。


 俺はそれを見て、少し考えた。


「……これは、俺の分ですね」


〈責任取って食うw〉

〈煮れば何とかなる〉

〈イトは?〉


「そこです」


 少し離れた棚の上。


 イトが、脚を畳んでいた。


 火へ近づかない場所に、いつも使っている平たい石を置いてある。


 今のところ、そこで落ち着いている。


〈厨房見学中〉

〈料理長〉

〈その位置、全部見えてそう〉


「材料には触らないように、お願いしてます」


 俺が顔を向けると、前脚が一本動いた。


 返事だったら、ありがたい。


     ◇


 集落で分けてもらった根菜は、思ったより硬かった。


 切るときも、結構力がいった。


 筋力はある。


 でも、勢いよく切ると、まな板まで傷つきそうになる。


 鍛冶の人が言っていた、素材に合わせた力加減。


 料理にも、必要らしい。


 俺は包丁を置き、鍋へ匙を入れた。


 根菜を一つすくう。


 端を、そっと押す。


「……まだ硬い」


〈火強くない?〉

〈ぐらぐらさせなくていいぞ〉

〈蓋して待とう〉


「なるほど」


 薪を少しずらす。


 鍋の下で、炎が小さくなった。


 蓋をかぶせる。


 音が、少し落ち着く。


「では、待ちましょう」


 椅子は、まだない。


 俺は持ってきた石へ腰を下ろした。


 台所は立派になったけど、座るものまでは付属していなかった。


〈そこで石w〉

〈椅子も欲しくなったな〉

〈初代闘技王の台所、椅子だけ未実装〉


「次の目標ですね」


 壁へ目を向ける。


 入口の向こうで、優勝旗が少し揺れていた。


 大会は、ちゃんと終わった。


 今は、鍋が煮えるのを待つ時間だ。


     ◇


〈ログインできた!〉

〈リンドベル、人すごい〉

〈武具店入れないんだけどw〉

〈小鬼で始めました。服どこですか〉


 俺は、流れてきた文字を読んだ。


「場所によりますけど……まず、周りをよく見たほうがいいですよ。町、近くにないかもしれないので」


〈早速、森です〉

〈俺も〉

〈兎いた〉

〈そいつ気をつけろ〉


「兎は、結構速いです」


 口にして、少し懐かしくなった。


 俺も、あそこからだった。


 棍棒。


 腰巻き。


 持ち物なんて、ほとんどなかった。


 今は、鍋がある。


 包丁も。


 蓋まで。


「……いい暮らしになりましたね」


〈比較対象が原始生活〉

〈ちゃんと成り上がってる〉

〈今、公式の接続数の話で盛り上がってるぞ〉

〈外、すごいことになってる〉


「そうみたいですね」


 返事をして、鍋の蓋を少し持ち上げる。


 湯気が、顔へ来た。


「熱っ」


〈気をつけろw〉

〈王者、湯気に敗北〉


 俺は顔を引き、布を探した。


 世間がどれだけ賑やかでも、鍋の蓋は熱いらしい。


     ◇


 そこで、コメントの流れが変わった。


〈おめでとう!〉

〈超えたぞ!〉

〈十万!〉

〈修羅、登録者見て!〉


「……何がですか?」


 布を持ったまま、手が止まる。


 十万。


 ゲームのお金の話では、なさそうだ。


 俺は、配信の管理表示を開いた。


【チャンネル登録者数:100,286人】


 ……ん?


 数字を、左から読む。


 一。


 ゼロ。


 ゼロ。


 その後にも、三つ。


「……十万人?」


〈そうだよ!〉

〈おめでとう!〉

〈大会から来ました!〉

〈イトの動画からです〉

〈正式リリースおめでとう&十万人おめでとう!〉


 表示を、一度閉じた。


 もう一度開く。


【チャンネル登録者数:100,314人】


 増えてる。


「……待ってください。俺、昨日も確認したんですけど」


〈だから今超えたんだよw〉

〈目の前で増えてるぞ〉

〈十万人の前で鍋煮てる男〉


 俺は、鍋を見た。


 次に、イトを見る。


 本人は、棚の上で前脚をこすっていた。


 何も、変わっていない。


 俺だけが、落ち着かなくなっている。


「……ありがとうございます」


 ひとまず、言った。


 でも、それだけでは足りない気がした。


「いや、本当に。大会だけじゃなくて、こういう配信も見てもらえるとは……」


〈見たくて来てる〉

〈むしろこれが楽しみ〉

〈強いところも生活してるところも好き〉

〈鍋!〉


「……鍋?」


 目を戻す。


 蓋が、小さく跳ねた。


 縁から、泡。


「あっ、待って、待って!」


 慌てて立つ。


 布で蓋をずらし、火を弱める。


 白い泡が、かまどへ少し落ちた。


〈記念の吹きこぼれw〉

〈十万人見てたぞ〉

〈目を離すな料理人!〉


「皆さんが、数字見ろって言うから!」


 言い返してから、笑ってしまった。


 俺が見ていたんですけどね。


     ◇


 落ち着いた鍋へ、匙を入れる。


 根菜を押す。


 今度は、すっと崩れた。


「……できた、かな」


 塩を少し。


 混ぜる。


 集落で教えてもらった香草を、指先でちぎって落とす。


 湯気の匂いが、変わった。


 肉だけではない。


 葉の、少し青い香り。


 俺は小さな器へ汁を取り、冷ました。


 一口。


「……あ」


 思わず、鍋を見る。


 もう一口飲む。


 薄い。


 店で食ったものほど、深い味ではない。


 でも、肉の味がする。


 根菜が甘い。


 ちゃんと、飯だ。


「……うまいですね」


〈よかった!〉

〈初煮込み成功〉

〈見た目もうまそう〉

〈味覚共有はまだですか〉


「俺にも、その機能欲しいです。皆さんの飯、食いたいので」


 器へ、肉と野菜をよそう。


 イトには、取り分けておいた肉を。


 熱いものや味をつけたものを、無理に渡す必要はない。


 そばの小皿へ置くと、棚の上で脚が動いた。


「飯ですよ」


 イトが、ゆっくり下りてくる。


 俺は石の席へ戻った。


     ◇


 入口で、足音がした。


 顔を上げると、ガドが立っていた。


 片手には、いつもの槍。


「何か、煮てる匂いがした」


「ちょうど、できました」


 俺は空の器を取った。


「食べます?」


 ガドが、鍋を見る。


 新しいかまど。


 作業台。


 並んだ食器。


「……いい場所になったな」


「はい。賞品、これにしてよかったです」


 汁をよそい、渡す。


 ガドは器を受け取り、入口のそばへ座った。


 一口飲む。


 少し待つ。


 俺も、黙って見ていた。


「塩、もう少しあってもいいな」


「……なるほど」


 でも、ガドはそのまま二口目を飲んだ。


 肉を食べる。


 根菜も。


「食える」


 短い一言だった。


 俺は、笑った。


「なら、よかったです」


〈ガド判定、合格!〉

〈おかわりしたら完全勝利〉

〈十万人記念の最初の客〉


 ガドが、俺を見た。


「何を笑ってる」


「今、これを見てくれてる人たちが、結構増えたみたいで」


「見張りか」


「……見守ってくれてる人たちです」


 ガドは、よく分からないという顔をした。


 それから、器を持ち上げる。


「そいつらは、食わんのか」


 俺は、一瞬黙った。


 コメントが、勢いよく流れた。


〈食いたいんだよ!〉

〈こっちにも一杯!〉

〈ガド、代わりにおかわりしてくれw〉


「……食べたそうには、してますね」


     ◇


 外では、新しく降り立ったプレイヤーたちが、自分の冒険を始めている。


 町へ出る人。


 森へ踏み込む人。


 最初の武器を選び、最初の魔物に驚く人。


 アビス・フロンティア・オンラインの名前は、まだまだ広がっていくらしい。


 俺の配信にも、知らない名前が増えていた。


 十万人。


 考えると、やっぱり落ち着かない。


 でも、目の前には温かい器があった。


 ガドが汁を飲み、イトが小皿の肉へ寄っている。


 鍋の中には、まだおかわりもある。


「……正式リリース初日から、いい飯ですね」


〈お前が作ったんだぞ〉

〈これからもよろしく!〉

〈十万人、おめでとう!〉


 俺は器を置き、配信用の視点へ顔を向けた。


「ありがとうございます。これからも、こんな感じでやっていこうと思います」


 かまどの薪が、ぱちりと鳴った。


 その横で、ガドの器が空になった。


「……まだ、あるか」


 俺は、立ち上がった。


「ありますよ」


 今度は、塩を少しだけ足してから。


 正式リリース最初の仕事は、おかわりをよそうことになった。



●主人公視点


 ガドが帰った後、俺は鍋を片づけた。


 残った煮込みを別の器へ移し、かまどの火を落とす。


 作業台を拭き、包丁を置く。


「……よし」


 道具を置く場所が決まっていると、片づけも早い。


 まあ、まだ置くものが少ないだけかもしれないけど。


 足元まで来ていたイトへ、手を差し出す。


 前脚が指に触れた。


 そのまま手首を越え、腕へ。


 肩でも止まらず、いつもの角の間に収まる。


「では、少し確認しましょうか」


〈ステータス?〉

〈威圧、ちゃんと読もう〉

〈大会中は読む暇なかったもんな〉


「はい。急に増えたので」


 表示を開く。


 まずは、今の自分からだ。


     ◇


【ステータス】


プレイヤー名:修羅

種族:鬼

種族Lv:35


最大HP:814

最大MP:148

最大スタミナ:672


筋力:153

耐久:143

敏捷:138

魔力:44

器用:49


称号:〈初代闘技王〉


獲得経験値:+10%【装備】


【種族特性】


〈怪力の芽〉

〈健啖〉


【スキル】


〈打撃 Lv.1〉

〈踏ん張り Lv.1〉

〈短剣術 Lv.2〉

〈斧術 Lv.3〉

〈索敵 Lv.3〉

〈鑑定 Lv.1〉

〈鬼装 Lv.2〉

〈受け流し Lv.2〉

〈踏み込み Lv.3〉


【主な装備】


主武器:黒角の大戦斧

副武器:白糸大蜘蛛の牙短剣×2


防具:岩鱗の胴当て・籠手・腰当て・脛当て

足:革靴〈鬼用〉

首飾り:始祖鬼の首飾り


【黒角の大戦斧】


〈喰命〉

この武器による攻撃で敵を倒すと、最大HPの5%を回復する。


現在の回復量:40


【始祖鬼の首飾り】


・最大HP+10%

・獲得経験値+10%


第一段階:〈鬼力〉

第二段階:〈鬼震〉

第三段階:〈鬼王の威圧〉


     ◇


「……やっぱり、称号がすごいですね」


 初代闘技王。


 自分の名前の横についていると、まだ少し落ち着かない。


〈ちゃんとつけてて偉い〉

〈本人が一番慣れてないw〉

〈鍋混ぜてた人、闘技王です〉


「鍋くらい、混ぜますよ」


 俺は首飾りの説明へ指を伸ばした。


【〈鬼王の威圧〉】


【自身を中心に半径10メートルへ威圧を放つ】


【格下の敵を怯ませ、同格以上の相手にも一瞬のためらいを生じさせる】


【消費MP:40】


【再使用まで:180秒】


【対象の精神力・耐性によって効果は軽減される】


【プレイヤーの操作を強制的に奪う効果はない】


 リュカは、一歩下がった。


 レオンは、足を残した。


 あの違いを思い出しながら、説明を読み返す。


「必ず止まるわけじゃないんですね」


〈レオン、歯食いしばってたもんな〉

〈使った後にちゃんと見ないと駄目か〉


「ですね。効いたつもりで飛び込むと、普通に剣が来そうです」


 実際、来た。


 胸へ入ったあの一撃は、まだよく覚えている。


 説明を閉じると、画面の端で小さな印が光った。


【未読の運営通知があります】


 俺は手を止めた。


「……あ」


〈やっと気づいたw〉

〈大型アップデート読め!〉

〈今、そっちも大騒ぎだぞ〉


「ログインして、すぐ台所に行ったので……」


 後で読むつもりだった。


 その後が、今です。


     ◇


【アビス・フロンティア・オンライン】


【正式サービス開始のお知らせ】


 βテストへのお礼。


 キャラクターや拠点、配下の引き継ぎ。


 修正された不具合の一覧。


 そこまでは、落ち着いて読んでいた。


 次の項目を開く。


【世界拡張アップデート】


【既存の地域に加え、東西南北へ四つの新大陸を追加しました】


「……四つ?」


 指が止まった。


 もう一度、最初から読む。


 四つ。


 町でも、ダンジョンでもない。


 大陸。


「大陸、四つ追加したんですか?」


〈そうなんだよ!〉

〈俺も二回読んだ〉

〈βの世界で十分広かっただろ!?〉

〈まだ隣町にも行ってないんですが〉


 俺も、似たようなものだ。


 森を歩いて、谷へ出て、峡谷へ通った。


 それで二週間以上遊んで、まだ見ていない場所が山ほどある。


 その外側へ、大陸を四つ。


「……一個ずつでも、よかったんじゃないですかね」


 誰に言うでもなく、つぶやいた。


 でも、続きを開く手は止まらなかった。


     ◇


【北方・霜冠大陸イスヴェル】


【東方・暁雲大陸アウレリア】


【南方・翠潮大陸ネレディア】


【西方・黄昏大陸ヴェスティア】


 名前の横に、短い紹介があった。


 北には、氷雪の地に暮らす霜晶人。


 東には、雲海の上へ都市を築いた翼人。


 南には、沿岸と海底に生活の場を持つ海人。


 そして、西。


【巨人族による独自の文明が存在します】


「……巨人」


 俺は、自分の手を見た。


 鬼になって、大きくなった。


 集落の小鬼たちより、ずっと背も高い。


 でも、巨人から見たらどうなんだろう。


 町の入口。


 店の机。


 椅子。


 全部、でかいのかもしれない。


〈西、巨人だって!〉

〈武器見たい〉

〈あそこの斧、修羅なら持てる?〉

〈まず家の階段登れるのか?〉


「……階段、一段が俺の腰くらいあったら困りますね」


 想像して、少し笑った。


 続きを読む。


【各大陸には、固有の種族・国家・文化が存在します】


【これらの固有種族は、キャラクター作成時の初期種族として選択できません】


【プレイヤーの初期出現地点も設けられていません】


 俺は、表示へ顔を近づけた。


 プレイヤーが、そこから始めることはない。


 ということは。


 そこにある町も、暮らしも、まだ誰も見ていない。


 どんな言葉で話すのか。


 何を食うのか。


 どんな魔物がいるのか。


 公式の紹介には、それ以上書かれていなかった。


     ◇


【新大陸への定期航路・転送先は存在しません】


【到達には、プレイヤー自身による探索、移動手段の確保が必要です】


「……船も、ない?」


〈ない〉

〈自分で行けって〉

〈海、どうやって渡るんだよw〉

〈船大工の出番来た!〉


 コメントが、急に速くなった。


〈うちの領地、海沿いなんだけど〉

〈港整備してる人、今どんな気持ち?〉

〈造船できる職人探してる〉

〈食料と水、何日分いるんだ〉

〈まず海岸までの道がない〉


 俺は、しばらくそれを読んでいた。


 大会では、強い相手を倒せば先へ進めた。


 でも、海の向こうへ行くなら。


 斧だけ持っていても、たぶん駄目だ。


 船。


 食料。


 道を調べる人。


 作る人と、運ぶ人。


「……みんなで準備しないと、難しそうですね」


〈遠征隊だな〉

〈領主プレイヤー、資金出せ!〉

〈金は出すから船作れる人来てくれ〉

〈この配信で募集すんなw〉


 俺の鍋を見ていたはずのコメント欄で、船を造る話が始まっていた。


     ◇


 次に開いたのは、地図の説明だった。


【地図機能を更新しました】


【未踏破・未確認の地域は、黒く表示されます】


【地図情報は、自身による探索のほか、踏破経験のあるNPC・プレイヤーから取得できます】


 俺は世界地図を開いた。


 森。


 水場。


 南の集落。


 西のダンジョンと、東の谷。


 黒角の峡谷まで、見慣れた場所がつながっていた。


 そこから、縮める。


 もう一度。


 さらに、もう一度。


「……うわ」


 真っ黒だった。


 俺が歩いたところだけが、小さく見えている。


 その周りには、輪郭も、海岸線もない。


 四つの新大陸の名前は、方角を示す案内として並んでいた。


 でも、形も、大きさも、正確な場所も分からない。


 ただ、黒い。


〈俺のもほぼ黒だぞ〉

〈世界地図という名の暗闇〉

〈これ埋まる日来るのか?〉


「……一人じゃ、無理ですね」


 言いながら、少し笑っていた。


 黒いところには、まだ行っていない場所がある。


 そこを歩いた人に会えば、道を教わることもできる。


 俺が歩いた森の水場だって、これから来る人には役立つかもしれない。


 説明を、もう少し読む。


 相手の許可を得て、地図の一部を共有する。


 紙に描かれた地図から、情報を写す。


 実際に旅をした人から、道順や目印を教わる。


 ただし、名前を聞いただけで周囲まで見えるわけではなかった。


 道を知る人からは、道。


 山へ登った人からは、山で確かめた範囲。


 自分の足で歩いた記録と、教わった情報は、区別して残るらしい。


「これ、ガドに聞いたら……」


 俺は立ち上がった。


 頭の上でイトが少し揺れたので、慌てて角へ手を添えた。


「すみません。ちょっと、集落まで行きましょう」


     ◇


 ガドは、槍の手入れをしていた。


 俺を見ると、顔を上げる。


「どうした」


「道、聞きたくて」


 隣へしゃがみ、地図を共有表示にする。


 黒い範囲を見たガドが、眉を寄せた。


「ずいぶん、何も知らんな」


「……そうなんですよ」


〈辛辣w〉

〈事実だけど!〉


 俺は黒角の峡谷を指した。


「ここより先、行ったことあります?」


「ある」


「町とか、ありますか」


 ガドが、布を置く。


 俺の地図へ指を伸ばした。


「ヴァルグだ」


 名前を聞いた瞬間、黒い範囲に小さな印が浮かぶ。


【地名情報を取得しました】


【魔都ヴァルグ】


 峡谷の、ずっと先。


 周りは、まだ黒い。


 町の場所だけが示されていた。


「……魔都」


「いろんな種族がいる。物も、人も多い」


「鬼も?」


「いる」


「店も?」


「ある」


 俺は、地図の印を見た。


 大会会場で会った、いろんな姿のプレイヤー。


 あんなふうに、違う種族が同じ道を歩いているんだろうか。


 見てみたい。


 ガドの指が、峡谷の奥へ戻った。


「ガルゼンの砦を越えろ。その先に古い街道が残ってる」


 細い線が、黒の中へ伸びていく。


「途中に橋がある。俺が通ったときは使えたが、今は知らん。水を取るなら、こっちだ」


 橋。


 水場。


 休める場所。


 説明されたところだけ、道の周辺が見えるようになった。


【ガドから地図情報を取得しました】


【取得範囲:黒角の峡谷以東・魔都ヴァルグへの旧街道】


 俺は、少し身を乗り出した。


 さっきまで、何もなかったところだ。


 今は、行けそうな道がある。


「……ありがとうございます」


「行くのか」


 ガドが聞いた。


 俺は、うなずいた。


「準備してから、行ってみたいです」


 ガドは俺の袋へ目をやり、それから頭の上を見た。


 イトが、角の根元から前脚を伸ばしていた。


「そいつもか」


「はい。今度は、一緒に」


「なら、水と飯を余分に持て。道の途中で、都合よく手に入ると思うなよ」


「分かりました」


     ◇


 拠点へ戻り、俺は地図をもう一度開いた。


 世界は、相変わらず黒かった。


 東西南北には、新しい大陸。


 翼を持つ住民。


 海の中の町。


 巨人の国。


 考えれば、いくらでも気になる。


 でも、その前に。


 黒角の峡谷から伸びた道を、指でたどる。


 魔都ヴァルグ。


 まずは、ここだ。


〈次は旅だな!〉

〈地図広がるの楽しみ〉

〈ガルゼンに挨拶していこう〉

〈巨人の斧、いつか見に行ってくれ〉


「見たいですね。……持てるかは、分かりませんけど」


 俺は笑って、表示を閉じた。


 台所へ戻る。


 鍋は、きれいに洗ってある。


 作業台も空いている。


 旅の準備をするには、ちょうどよかった。


「では、保存食から作りましょうか」


〈結局、料理に戻ったw〉

〈でも今度は旅支度〉

〈干し肉いっぱい作ろう〉


 頭の上からイトを受け取り、いつもの石へ下ろす。


 小さな脚が、俺の指へ触れた。


「知らない町、行きますよ」


 イトは少し歩き、作業台のほうへ向き直った。


 俺も袋から肉を出し、包丁を手に取る。


 世界が大きくなった。


 行きたい場所も、増えた。


 だから、まずは薄く切るところからだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。