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略年表と登場人物(適宜追加予定)

基本的に国分は史実での天正十年段階での記録などを参考にしていますが一部豊臣政権の大名配置のオマージュもあります。


・略年表


1582年

6月 織田信長・信忠父子、本能寺より出陣。

同日、四国征伐軍が四国に向けて渡海

7月 織田軍、備中高松にて毛利軍と激突。毛利側の吉川元春・元長父子らが戦死する。

長宗我部元親、明智光秀を通して自身の隠居と阿讃の割譲を認め四国征伐軍に降伏。四国征伐軍は伊予方面に進出

8月 毛利輝元、これ以上の抵抗は無理と判断し信長に降伏。毛利家は羽柴秀吉の甥の宮部吉継を養子を養子にし防長2カ国への減封される。

11月 羽柴秀吉・三好信孝らが九州に上陸。島津、龍造寺、大友らが降伏し羽柴秀吉が北九州を与えられる。

12月 上杉景勝、春日山城にて自害し上杉家が滅亡、蘆名氏・伊達氏など東北諸大名が織田家に臣従。

1583年

3月 北条家が正式に織田家に臣従。

5月 葛西氏や大崎氏が織田家に反乱、北畠信雄が対応するも敗北し徳川家康が鎮圧する。

7月 信長、大坂を新たな本拠とし大坂城を築城。信忠は伏見に伏見城を築城。

1584年

4月 信長、征夷大将軍に就任。織田幕府が開設される。

1585年

5月 丹羽長秀、病死。

1586年

9月 滝川一益、病死。

1587年

2月 柴田勝家、病死。

3月 武井夕庵、病死。

4月 信長、朝鮮出兵及び明国侵攻を決定。羽柴秀吉に肥前名護屋城の築城を命令。

8月 惟任光秀、病死。

12月 名護屋城が完成、信長は将軍職を信忠に譲り肥前へ移動。

1588年

2月 蒲生賦秀と森長可を先鋒、三好信孝を総大将とした朝鮮渡海軍が編成される。

以下主だった大名の編成

一番隊 蒲生賦秀 宗長智 有馬晴信 松浦鎮信

二番隊 森長可 龍造寺隆信

三番隊 前田利家 大友長統

四番隊 長岡忠興 島津義久・義弘

五番隊 惟任光慶 長宗我部信親

六番隊 羽柴秀勝 毛利信吉

七番隊 三好信孝

八番隊 中川清秀 高山右近

九番隊 池田元助 筒井定次

十番隊 羽柴長秀 宮部継潤

十一番隊 織田信澄 丹羽長重 伊達政宗

水軍 九鬼嘉隆 小早川長包 池田照政 来島通総

3月 一番隊、朝鮮釜山に上陸。

5月 一番隊及び二番隊、漢城に入城。玉浦にて日本水軍と朝鮮水軍が交戦し日本軍敗北。

6月 一番隊及び番隊が平壌に侵攻。二番隊の龍が威鏡道に侵攻。

7月 錦山にて六番隊が朝鮮軍に敗北。

8月 堀秀政・菅屋長頼ら奉行衆が朝鮮との和睦交渉を模索開始。

10月 九番隊、晋州城攻略に失敗。

11月 村井貞勝、病死。

12月 平壌にて朝鮮・明連合軍に二番隊が敗れる。

1589年

1月 碧蹄館にて五番隊、六番隊が連合軍を撃退。

4月 明国の使節団が来日し信長に面会

5月 晋州城を四番隊が攻略。

6月 将軍信忠、病により急死。

7月 日本軍、一時撤退開始。

8月 信長、陣代として信孝を指名。この頃より信長も体調優れず。

10月 信孝、朝鮮への再出兵を決定。反対した松井友閑が追放される。

11月 信孝、織田姓に復帰。信長の六男、三吉が三好信秀として三好家を相続。

1590年

6月 三好信秀を総大将として朝鮮渡海軍が再編成される。

7月 日本軍渡海開始。

9月 信長、徳川家康・羽柴秀吉・池田恒興・織田信澄・柴田勝豊の五名を信孝を補佐する大老に指名。

11月 蒲生賦秀の籠る蔚山城が連合軍に包囲される。

12月 長宗我部信親・宇喜多秀家らにより蒲生勢が救出される。

1591年

2月 北条氏直が病死、信孝は北条家の反対を押し切り信長五男の源三郎を北条信氏として家督相続させる。

4月 信孝、征夷大将軍に就任。

5月 信孝、自身の側近衆を朝鮮奉行に任命。

8月 日本軍の兵糧が枯渇し始める。この頃より信長の体調が更に悪化。

10月 織田信長、病死。信孝は全軍撤退を命令。

1592年

2月 文禄に改元。

3月 三法師改めて織田三郎、近衛前久を烏帽子親に元服し信久と名乗る。

5月 日本軍、蒲生賦秀・森長可・長岡忠興ら先鋒部隊を残し全軍撤退完了。

6月 信孝、帰国した諸大名らを大坂に招集。



・登場人物


織田信孝 従三位左近衛中将 征夷大将軍

現織田幕府征夷大将軍で信長の三男。

西国平定後に三好家の養子として阿讃2カ国を与えられ、朝鮮出兵では総大将を務めていたが信忠の急死に伴い、その功績を認められ三法師が成人するまでの間、三代将軍を任せられ、摂津大坂城に鎮座する。

しかし三法師成人後も将軍の座を譲ろうとせず、奉行衆との対立を深めていくことになる。


織田信久(三法師) 正四位上 参議

二代将軍織田信忠の嫡子で織田家の正当な後継者。

信忠の死の時点で幼年だったが信長病死の直後に近衛前久を烏帽子親として元服。

父の旧領であった濃尾より信孝からの天下奪還を目論む。


北畠信雄 正四位上参議 鎮守府将軍

信長の次男で陸奥寺池城主。

信孝の将軍就任を快く思っておらず、奥羽より自身の権威復活を目論む。


羽柴秀勝 従四位上 左近衛少将 鎮西将軍

信長の四男で羽柴秀吉の養子。


北条信氏 従四位上左近衛中将 関東管領

信長の五男で北条氏直死後に養子として北条氏に入り相模小田原城主となる。


徳川家康 従四位下侍従 大老筆頭

遠江浜松城主で東海三カ国を治める大大名。

信長の義弟として信孝を補佐する老中となる。


羽柴秀吉 従四位下侍従 大老

羽柴家前当主、事実上の西国の支配者。


柴田勝豊 従四位下侍従 大老

柴田勝家の養子で越後春日山城主。

上杉家滅亡後に亡くなった勝家の跡を継ぎ宿老の座を引き継ぐ。

百戦錬磨の秀吉と家康に挟まれることになる。


池田恒興 従四位下侍従 大老

信長の乳兄弟で播磨三木城主。

本来なら宿老の家格ではないが丹羽・明智・滝川の嫡子が若年の為、繰り上げで宿老となる。

信孝の右腕。


織田信澄 従四位下侍従 大老

丹波亀山城主、明智光秀の娘婿。

信長の甥として信長・信忠二代に仕えるが信孝と折り合いは悪い。

織田家武断派のまとめ役。


菅屋長頼 正五位上形部少輔 奉行衆

越前府中城主で奉行衆筆頭。


堀秀政 正五位上治部少輔 奉行衆

近江長浜城主。

奉行衆の中でも戦上手であり、大名たちからの信認も厚い。


長谷川秀一 正五位上民部少輔 奉行衆

近江肥田城主。

徳川家康の取次担当。


長尾一勝 正五位下 隼人正

新奉行衆と称される信孝の家臣団の筆頭。

奉行衆と対立する。


幸田孝之 駒井重勝 岡本良勝

新奉行衆、信孝家臣。


惟任光慶 正五位下日向守 若年寄

出雲松江城主で惟任光秀の嫡男。


丹羽長重 正五位上侍従 若年寄

近江若狭城主で丹羽長秀の嫡男。


森長可 正五位下 信濃守

信濃川中島城主で元信忠家臣。

織田家最強の武将で朝鮮でも奮戦する。

武断派。


蒲生賦秀 正五位下 肥後守

肥後隈本城主で信長の娘婿。

朝鮮渡海軍の先鋒を務めた。

武断派。


長岡忠興 正五位上 侍従

肥後宇土城主で光秀の娘婿。

武断派。


佐々成政 正五位下 越中守

越中富山城主で元黒母衣衆。

大老就任を狙っている。

武断派。


前田利家 正五位下 能登守

能登七尾城主、前田家前当主。

秀吉の盟友。

武断派。


中川清秀 正五位下 安芸守

安芸吉田郡山城主。。

信孝派閥の重鎮。


黒田官兵衛

秀吉の軍師。


物語開始時の勢力図


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)




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