5-1 脳に穴が
リトは最初、ラムールの気が触れたのではないかと思った。
滅多なことでは洋服を着崩したりしないラムールが、両袖とズボンの裾をそれぞれ無造作にたぐり上げ、四つん這いになって牢の中を文字通り這いずり回っていた。 まるで目が見えないかのように指の一本一本で岩肌に触れて、けものが獲物を隠した場所を探すかのように顔を近づけて岩肌を見、匂いをかぐ。 靴は既に脱ぎ捨てられ、はいずりまわったせいなのだろう、剥きだしになった手と足には擦り傷が数えきれぬほどできている。
一つ結びにした髪も乱れ、何本かのほつれた髪が頬にべったりと血すじのように貼り付いていた。
「……ちがう、……ない、ここでも……ちがう」
まるで呪いの言葉のように低い声で呟くラムールはリトが来たことなど全く気付かぬ様子だ。
「どうだ、弓。 何か感じるか?」
佐太郎の声でリトはやっと視線をラムールから逸らせた。 見ると弓がキョロキョロと牢内を眺めている。
「弓」
リトは声をかけて弓に近付いた。 弓はこの明らかにおかしいラムールの姿を見て不安だったのだろうか、リトを見てほんの少し安心したように胸をなで下ろした。 しかしそこにリトのことなど眼中にない感じの佐太郎が再度尋ねた。
「なぁ弓。 魔法の使えないお前さんだ。 何か、ほんの少しでもいい、何か、ないか?」
弓は佐太郎の問いに、心底困ったように首を横に振る。
「弓、ラムールさま、何か探してるの?」
リトはそう言いながら腰をかがめて地面に手をはわした。 すると弓が、「リト、危ないわよ」と告げるのと、リトの指先に痛みが走ったのはほぼ同時だった。
「痛っ」
慌てて手をひっこめると、地面の岩にびっしりとついたフジツボで傷つけたようだった。
「大丈夫?」
弓が慌てて近寄りハンカチでリトの指を拭く。 そうか、このフジツボでラムール様の手足は傷だらけなのだと納得する。
「平気平気。 で、ラムールさまは何を探してるの?」
「分からないの。 見てのとおり、私達が来たことも気付いてるのかどうか……」
「服、15の祝いに来て下さったときと同じ服だよね? もしかして、あれからずっとここにいるの?」
「そうみたい」
リトと弓は二人並んでラムールを見た。 佐太郎が「見てらんねぇ」と呟いた理由がよく分かる。 目は血走り、頬は微かにこけ、まるで何かにとりつかれたかのように牢屋内をくまなく触る。 不眠不休どころの話ではない、おそらく食事もとっていないようだった。
「なぁ、ライ……ラムール、いい加減諦めろや」
困り果てた佐太郎がそう告げるがラムールは作業を続ける。
「王の印が出てきたからって、新世がここにいるはずがねぇだろうが」
その言葉に作業の手を止めずにラムールが返事をした。
「……来意の勘はイエスだったよね? なら。 ある」
「来意の勘っつっても、何に対してとか尋ねてねぇんだぞ?! ただイエスかノーかで尋ねただけだ!」
「来意がイエスを選択したのなら、それが私に与えられた答えだ。 あの子の勘は本質を捕らえる力が抜群に優れている」
「だがよ……。 分かった。 とりあえず気が済むまで探していいから、少しは休め。 メシを食え」
「それじゃ見つからないかもしれないから、断る。 ここにあるなら何か別の条件が違うはずなんだ。 それが何か分からないかぎり食事を摂らないことも可能性の一つだ」
「いや、確かに食事抜きってのは可能性としては高いだろうがよぉ……でも……」
佐太郎の心配は全くラムールに届いていないようだった。
「あの、佐太郎さん。 私達も何かお手伝いできることがあったら……」
せめて何かをしようとリトが声をかけた。 すると佐太郎はリトの顔を見た後、数秒、ぽかんとして……
「あ、そ、そうか。 リト。 お前さんも来たんだっけな」
――もしかして今まで私の存在、忘れてた?
どうやらそれは図星だったらしく、佐太郎はその場を取り繕うように咳払いをし、懐からくしゃくしゃになった紙を取りだした。
「あ、でも、ラムールさま、お忙しそうだから別に急がなくても……」
正気を失ったようにしか見えないラムールがほんの少し怖くて、リトは口に出した。
「んにゃ。 そーゆう訳にもいかねぇ。 もしかしたらあいつもちっとは気を逸らすかも……」
そっかちかい、ってつっこみたくはあったが自重。 だがこんなに必死なラムールの姿は見たことがない。 自分ごときの検査結果でラムールが手を止めてくれるとはリトは思えなかった。
「おい、ライ、ラムール。 緊急だ。 リトの記憶に他人が混ざった件なんだが――」
佐太郎が声をかけると、意外や意外。 ラムールは動かしていた手を止めた。
「――そう。 そろそろ人格分離が起きてもおかしくない時期ですね」
そして目の前の岩肌しか見ていなかった瞳にいつもの冷静な眼差しが戻ってくる。 ラムールはよろよろと立ち上がり折り曲げた裾を元に戻し始めた。
「アリドがいるから応急処置は間に合っているとは思いますが、早めにケアしてあげないと、他にどんな副作用が出るかは分かりませんからね……」
その言い方はあくまで独り言のようで、まだリトがここにいることすら気付いていないようだった。
――ってか、副作用って何よ副作用って?!
ラムールは目を閉じて深呼吸をしてからおもむろに顔を上げて瞳を開き――
「じゃあ行きましょうか――って、リト?」
リトを目の前に置いて、言葉を失う。 本当に視界に入っていなかったようだ。
「弓も?」
続いて弓の顔と交互に見比べる。 ラムールは何度か瞬きをして事態を飲み込もうとした。
「ええと、リト」
「はい」
「……? 佐太郎、リトは平気みた――」
ボケをかますラムールの目の前に、佐太郎がシンディのくれた検査結果の紙を突き出した。
「リトの記憶の整理の検査結果だ。 何か問題があるらしーんだがよ、様式が違うから俺にはさっぱり」
リトとしても実際、その数式の羅列に何の意味があるのか全く見当がつかなかったが、やはりそこはラムールというべきか、書類を受け取りまじまじと眺める。
「ふぅむ。 シンディの意識が見事に区別されて、もともとのリトの意識に戻っている。 その前に負荷ウイルスの侵入とそれを排除した形跡――も、あって――おや?」
ラムールの視線が文字の一部で止まった。
「佐太郎。 負荷ウイルスの除去はどの方法使ったの?」
責めるような眼差しでラムールは佐太郎を見た。
「負荷ウイルスの除去って、そ、そりゃあ……」
ラムールが思いきり怪訝な表情をしたものだから佐太郎は慌てた。
「コンセパで端子使って除去したぞ、て、手際よく」
「コンセパって、また旧式な……。 で、プロテクト解除は?」
「プロテクト解除はしたさ! 幸いリトに意識があったからな、肯定ワードを引き出して深層意識へのアクセス許可も取った」
「全部、機械でやった訳? 直接、手を突っ込んでいじらなかった?」
「お前じゃあるまいし、手なんかでやれっかよ」
――おいおい。 ラムールさまは手でやるの?
些細なことが気になりながら、リトは行く末を見守った。
ラムールは腕組みをして「ふぅむ」と考える。
「っていうか、ライ……ラムール。 お前さんが今、んな事を尋ねたってことはだ」
「うん。 リトの脳に穴が開いてる」
ラムールはあっさりと告げた。
――穴あっ?
リトは慌てて自分の頭を撫で回すが、当然自分で分かるはずもなく。
「リトの脳に直接触れたのは佐太郎しかいないから、穴を開けたのは佐太郎でビンゴのはずなんですけど……変ですね」
ラムールは書類を見ながら指で文字を弾く。
「しかし、穴が空いているとなると合点がいきますね……」
強く理性が働きだしたのだろうか、ラムールの眼差しに力がこもり口調が固くなっていく。
「リト、ちょっと脳を見せてもらいますよ?」
言うが早いか、ラムールはスッと近づきリトの頭を両手で押さえて俯かせた。
頭に乗せられた10本の指が冷たくも熱い、変な感じがする。
――あ、あの、今、脳を見ちゃってるんですか?
果たしてどんな画像がそこに繰り広げられているのかリトには全く想像がつかないまま話が進む。
「やはり穴があいてます。 ふーむ」
「場所的には問題ないんだろ?」
「微妙」
――び、微妙って……
「ああリト。 そんなに心配しなくていいですよ。 潜在能力が開花しやすくなってるだけですから。 開花するかどうかは誰にも分かりませんし、開花したとしてもそれは不要な力ではありませんから」
リトの心配が分かったのかラムールが優しく告げる。
「しかしこれで謎が解けました。 リトが他人の意識に同調できた訳が」
そう言いながらラムールがそっと手を離す。 リトは顔を上げて慌てて尋ねた。
「の、の、脳の穴って、平気なんですか? 私が勉強の物覚えが悪いのは、も、もしかしたらそのせいでは??」
リトとしては本気だったのだが、ラムールは楽しげに笑った。 その穏やかな笑い声が微かに岩肌に反射する。
「――あれ?」
リトは首を捻った。 何かが、変だった。
何を変と思ったかはリト自身にも分からない。
「どうしました? リト」
「え、いえ。 別に」
気を取り直してラムールを見ると、ラムールは優しく微笑む。
「とりあえず穴は塞ぎました。 もう何の心配もいりません」
「あ、はい。 ありがとうございました」
リトはペコリと頭を下げて顔を上げた瞬間。
――あれ?
再び、何かが気にかかった。
ラムールはひとつ頷いて再び袖をまくりだした。
「さて。 それじゃあ佐太郎。 リト達をきちんと送っていって下さい。 ここまで連れてきてくれたからこの場を離れずに済みました。 ありがとう」
「おいおい、お前、まだ探すつもりなのか?」
佐太郎が慌てたがラムールは気にもせずに宙にうき、今度は天井に貼り付くように何かを探し始めた。
「あと、早々にこの牢を出てくれたら嬉しい」
穏やかな口調だが、限りなく命令のようだった。
「……ったく……」
佐太郎は頭をボリボリとかき、リトと弓の肩を軽く突いて外に出るぞと促した。
外といっても出入り口は土で埋まっているので外に面した柵側から出るしかない。
当然、真っ先に佐太郎に登ってもらう。 次に弓、最後にリトが登ることになった。
「リトのことで手を止めるんなら、白の館にでもリトを置きっぱなしにしていた方がよかったかなぁ」
3人とも登りきると、再び陽炎の館に帰るべく科学魔法の札を出しながら佐太郎が呟いた。
リトは閉ざされた地下牢のある方角を見ながら尋ねた。
「佐太郎さん。 ラムールさま、何を探していらっしゃるんですか?」
佐太郎は一枚の札のシワを伸ばしながら口を開く。
「新世の移動羽だ」
「新世さんの移動羽?」
「ああ。 あそこには王の印があった、ということは、時々、新世はそこに来ていたということだ。 移動羽をこの科学魔法の札と同じように使っていたんだろう」
「でも、どうしてあの牢に新世さんが?」
弓の疑問に佐太郎は手を止めた。
「新世は完全覚醒することを望まなかったから、王の印を自分と離れた場所に置きたかったんだろう。 だけど新世が自由に行き来できる場所は限られていたし、翼族も人間も寄りつかない所、となったら、確かにあの牢はベストな場所だったんだな」
「……で、その羽がどこかに隠されているからラムールさまはずっと探している訳ですね。 でも、あんな狭いところ、どこをどう見ても何もなさそうでしたけど……」
「まぁ、な。 おそらく純粋な翼族の羽でもありゃあ、共鳴起こして姿を現すかもしれねぇけど、人間が普通に探そうとしても、まず無理だ」
「でもラムール様は探そうとしているんですか?」
「――ああ」
佐太郎は悔しそうに呟き札を壁に貼り、そして。
「……まてよ?」
何かにひらめいたようで動きを止める。
「リトの脳に穴が開いたのはいつだ?」
「はっ?」
ポカンとするリトとは正反対に鋭い眼差しになった佐太郎は勢いよく振り向いた。
「あいつ、人格分離って言ったよな? 同調っても言ってたよな、確か」
「は、はあ」
「お前さん、まさか同調したのか? 同調が無ければ人格分離しようがないんだが……。 あ、同調ってのは意識をほぼ完全に奪われることだ」
――佐太郎さんはレセッドとのこと知らないんだ。
それに気付いたリトは、先日、委員会メンバーの誘いに乗って巳白と一緒に検査を受けに行ったことを話した。 そしてその途中、リトの意識がシンディに飲み込まれそうになったことや、逆に彼女の記憶を得たことによりレセッドを発見できたことも。 そして今日、カフェで委員会メンバーに絡まれた少女達を助けたいと思った時に意識がぷっつり無くなったことも。
「そうか。 同調は起こったんだな。 今日のはクラッシュしただけで人格分離の一歩手前で済んだのか。 つまりどういうことかというと、――変だ」
「変?」
「リト。 お前さんに確認したいんだが、洞窟で巳白の記憶を見た時、それに委員会の奴らの過去を見た時、どんな風に見えた?」
「……どんな風にって」
「他人が演じる劇を見るように第三者のリトとして見たか、出演者、つまり巳白や委員会の奴らそのものとして見たかってことだ」
「それは……全部、巳白さんやシンディさんになった感じで見ました」
「だよな?! 寂しい感じがした、とか言ってたからな。 とすると一番最初に同調が起こったのは洞窟の中、巳白の記憶でだ」
佐太郎の目が輝いた。




