過去と未来と 8
それを見詰めていた椿が、小さく呟く。
「……ひどい人ですね。貴方は」
言われて、鬼が口を尖らせる。
『どこがだ。それに俺は人ではない』
「そうでした」
椿は鬼を見下ろしながら、
「けれど、彼は貴方を慕っていたのでしょう。もう少し……」
『ぐずぐずしていたら、彼奴も巻き添えになるだろう。それとも一緒に死ねと言うのか?』
「そうではありません。脱出させるにしても、もう少しやり方があるでしょう?」
鬼は軽く鼻を鳴らす。
『あれで良い。それに……いつまでも傍で泣かれてはおちおち寝ておれん』
「…………」
椿は無言でため息をついた。
鬼は焼け落ちる城を見詰めながら、ぽつりと呟く。
『……椿』
「なんです」
『俺はお前の事を愛しいと思っていたぞ』
その瞬間、椿は眉を顰める。
「今更……貴方は何を言っているのです」
すると、鬼は含み笑いを漏らした。
『今しか言えんだろう? 俺はお前と同じ所へは行けんだろうからな。言いそびれてこの世に未練を残したくはない』
「……それはまるで、他に思い残す事が無いと言っているように聞こえます」
椿がそう言うと、鬼はあっさり頷く。
『無いな。俺は好きに生きた。人を喰い、女を喰い……好き放題暴れ回った。最後のこの瞬間まで、俺は生を楽しんだ』
「…………」
椿は黙って鬼の言葉を聞いていた。
『もし……思い残す事があるとすれば……』
鬼の瞳から徐々に輝きが失われていく。
だが、彼は口を閉ざさなかった。
『俺の血を引く者と……お前の生まれ変わりと……彼奴らの行く先に何があるのか……それを見届けられんのが少し惜しい』
鬼は目を細める。
どこか遠くを見詰めるような眼差しで、
『俺達が選ぶ事の出来なかった道の先に何があるのか……見てみたい気がした。人と妖が共に生きる道があるものかどうか……』
「…………」
『もし……そんな道があるのなら……俺は……』
「……白鬼……」
小さく呼び掛けられて、彼は微笑んだ。
『名など必要無いと思っておったが……成る程……そうして誰かに名を呼ばれるのもなかなか心地よいモノだな』
「貴方は……独りの時間が長過ぎたのです」
『ふっ……そうかも知れぬ。だが、後悔はしておらん。楽しかったのは本当だ』
鬼は目を閉じる。
『……彼奴らはうまくやるだろう。奴は“俺と違って”真面目だからな。女を泣かせるような事はすまい。むしろあの娘の方が問題だな。お前の生まれ変わりというわりには落ち着きの無い娘よ』
鬼は笑いながらそんな事を口にする。だが、椿は何も返さなかった。
彼の最後が近付いている。
鬼はひとしきり笑って、目を開いた。
『俺はお前が美しいと思った。お前の曇りの無い真っ直ぐな眼に惹かれた』
「…………」
『もし、あの時……お前が名も地位も名誉も全て捨てて俺と来ると言っていたら……俺はお前から興味を失っていただろう。まぁ……可愛げはあるがな』
鬼は手を伸ばす。だが、どんなに手を伸ばしても彼女の許へは届かない。
彼は震える指先で、彼女の顔の輪郭をなぞった。
『強い意志を秘めたお前の瞳に映る事が心地良かった……妖と対峙した時に見せるあの瞳に。そんなどうしようも無いモノに俺は焦がれた……』
鬼の腕から、力が抜けていく。
「!」
『俺はもう……お前に触れる事すら出来んが……』
鬼はこの時、初めて慈愛のこもった微笑みを彼女に向けた。
『椿……俺は……お前を愛しているぞ。この先も……ずっと……』
彼が言葉を紡ぎ終える頃。
その体は、まるで砂のようにサラサラと崩れ――かき消えていった。
「白鬼!」
椿は消えていく彼の手を掴もうと腕を伸ばした。
だが、彼女の手は彼の体に触れる事は出来ず、彼女の手をすり抜けていく。
「…………」
椿は暫しその場に立ち尽くした。
やがて膝をつき、両手で顔を覆う。
「……どうして今になってそんな事を……」
体の無い椿は涙を流す事も出来ない。
それでも彼女は泣いていた。
そして、震える声音で呟く。
「だから私は……貴方が嫌いなんです……!」
崩れ落ちていく城から見える空は白んできている。
長い夜が、静かに明けようとしていた。
椿はそっと、鬼が着ていた着物を撫でる。
触れた先には布の感触はおろか、まだそこにある筈の彼の温もりすら感じない。
「……本当に勝手な人」
椿はぽつりと呟いた。
「自分の言いたい事だけ言って……私の言葉を聞きもしないで。私がどんな想いでいたかなんて……考えた事も無いのでしょう?」
椿はきゅっと唇を噛んだ。
理不尽な怒りと、どうしようもない悲しみが込み上げてくる。
「……私の声も私の気持ちも……もう貴方には届かない」
どうして、もっと違う形で出逢う事が出来なかったのだろう?
どうして、人と妖として出逢ってしまったのだろう。
人――それも退魔師。
彼を討った事に後悔は無い。戦う道を選んだのも己自身。
自分は退魔師だ。妖魔と戦う力を持たない人を護るのが退魔師の務め。
……だが。
今は後悔している。
彼の気持ちを知った今は。
本当に、戦うしか道は無かったのだろうか。共に生きていく道は無かったのだろうか……
人と妖が共に歩む道。
もしかしたら、見付けられたかもしれない。
あの鬼となら。
「……貴方はきっと……何処へ行っても変わらないのでしょうね」
そう呟いた椿の体が淡く光り始める。
彼女にも最後の時が近付いているのだ。
椿は薄く笑んで、
「もし……もう一度巡り逢う事が出来たなら……」
その時は伝えたい。
私の気持ちを。
私の声で。
私の言葉で。
――だから。
どうか笑わないで聞いて欲しい。
「白鬼……私は……」
椿が口を開いた瞬間。
その言葉は最後まで紡がれる事なく、彼女の体はまるで朝日に溶けるように消えていった。
◆◇◆◇◆
「…………」
大和はただ黙って目の前の光景を見詰めていた。
鬼の妖力で生み出された炎は、燃え広がる事なく鎮火する。やがて、焼け落ちた城から鬼の妖気が完全に消失した。
と――
「……ん……」
「小夜」
大和の腕の中で、小夜が意識を取り戻す。
「……大和……私……」
「あまり喋るな。すぐ医者に……」
「……大丈夫。それより……椿さんは……」
小夜の問いに、大和はかぶりを振った。
「……出て来なかった。もう力が残ってないって言ってたからな」
「……そっか……」
小夜が体を起こそうとするのを察し、大和は小夜の体を支えて起こしてやる。
ふと、気付いたように小夜が呟く。
「大和……角が……」
「ん?……ああ。どうすれば戻るのか分からなくてな」
言いながら、大和は自身の角に触れた。
「おかしいか?」
訊くと、小夜は首を左右に振る。
「ううん。全然。どんな姿でも……大和は大和だもん」
「……そうか」
「大和……怪我してる」
「ん?」
小夜は大和の頬に触れる。
殆どの傷は鬼に変化した時に塞がっていたが。
「別に大したことない。こんなのかすり傷だ」
大和がそう言うと、小夜はくすりと笑う。
「村で私を助けてくれた時も……大和そう言ってた」
「…………」
大和が沈黙していると、小夜の手から温かな光が溢れ出す。
そして、その光はみるみるうちに傷を癒した。
「!」
「椿さんが教えてくれたの。まだうまく使えないけど……私も……大和の役に立てるよ」
「……小夜」
にこっと笑って――小夜はふらりと体勢を崩す。
大和は慌てて抱き止めた。
「小夜!」
「あは……大丈夫。だいじょうぶ……」
「無理するな」
「……うん。でもホントに大丈夫だから」
小夜は暫く大和に体を預け、
「……ねぇ。大和」
「ん?」
「椿さん……今度は一緒になれるかな」
「…………」
一瞬、何を言っているのかと思ったが、ふいに悟り――大和は空を見上げた。
「……さぁな」
「大和は」
曖昧に呟く大和に、小夜が問い掛けてくる。
「一緒に居てくれるよね?」
真っ直ぐこちらを見詰めてくる小夜から視線を逸らし、大和は呻いた。
「……つまらない事訊くな」
二人は並んで歩き出す。
朝日が辺りを照らす頃――大和の顔に刻まれていた紋様は消え、角も引っ込む。
それを見た小夜が声をあげた。
「あっ。角が引っ込んだ!」
「……ああ。そうだな」
「朝になると元に戻るのかな?」
「……さぁな」
適当に返して、大和は歩を進めた。
陽の光は世界を明るく照らし出す。
二人の歩く道。そして。その先も――
明るく照らし出していた。




