過去と未来と 3
『……まぁ、喰う喰わぬの話はしたところで詮ない事だ。感情のある者として、親兄弟、愛する者が殺されて……相手を憎む気持ちは分からんでもない。だが、そう難しく考える事もあるまいよ。罪だ何だと偉そうな事は言わずとも、お前達はお前達の住み処を護る為に戦う。それで良いのではないか?』
鬼は両腕を広げる。
『俺は人間を喰い、土地を荒らす。お前達にしてみれば、俺は厄介者だろうな。だから追い払う。それでよかろう?』
女は強く錫杖を握り締めた。
『お前のその術……どんなモノか知らぬ訳ではない。俺を退治するつもりならば使うがいい。お前に力があれば成功するだろうよ』
「…………」
彼女は唇を噛み締める。
錫杖を持つ手が震えた。
人々を苦しめる鬼を退治する――そう思ってこの場に来た。
だが――……
『どうした? 震えているぞ?』
鬼はやんわりと言ってきた。
『こんな話で気持ちが揺らいだか? お前は妖魔に対抗する力を持たぬ者を護る為に退魔師になったのではないか?』
「!」
彼女は、はっと顔を上げる。
『俺は人の味方でも、妖の味方でもない。俺は俺の味方だ。誰の為でも戦わぬ。だが、お前は人を護る為に戦う道を選んだのだろう? ならば迷う事はあるまい』
「……私は……」
鬼は薄く笑みを浮かべ、飛翔した。
『そんな状態では満足に術を扱えんだろう。次、逢う時までに覚悟を決めておけ。その時まだ心迷うようなら……俺はお前を喰うぞ』
夜空に溶けていく鬼を見据え――彼女はただその場に立ち尽くしていた。
『……ふふっ』
鬼は含み笑いを漏らした。
『鬼様? どうかなさいましたか?』
久遠が不思議そうな表情で、鬼の顔を見上げる。
『何。少し昔の事を思い出しただけだ』
『そうですかぁ……何だか随分と機嫌が良さそうですね』
『そうだな。悪い気分では無い』
鬼は、ちらと小夜の方へ視線を向ける。
久遠もそちらを見やり、
『ところで……この娘……どうするんです? そろそろ私の術も解ける頃ですが……』
久遠の問いに、鬼はゆっくりと答えた。
妖しく口元を歪め、
『どうするかなど……決まっておろう?』
鬼は小夜の許へ歩み寄ると、まじまじとその顔を眺める。
『……黙っていれば似ていなくもないか……』
薄く笑みを浮かべ、鬼が小夜の着物に手を伸ばした――その時。
強烈な風が城壁を突き破り、すべての物を吹き飛ばす。
『!』
『鬼様ぁぁぁぁぁっ!』
風に飛ばされ転がる久遠は無視して、鬼は自身の周囲に結界を張り巡らせる。
やがて風が収まると、鬼は笑った。
『……随分と早かったな。俺と来る気になったのか? なぁ……』
瓦礫を踏み越え、その向こうに居る者に呼び掛ける。
『大和』
「……小夜を返せ」
大和は刀を構え、鋭く鬼を睨み据えた。
大和の視線を気にした様子は無く、鬼は軽く肩をすくめる。
『何だ。俺と来る気になった訳ではないのか』
「当たり前だ」
きっぱりと言い切る大和に、鬼は小さく息を吐く。
『しかしまあ……』
壊れた壁を見ながら、呆れたようにぼやいた。
『わざわざ壁をブチ抜いて来るとは……派手な奴だ』
そう言って、鬼はふっと笑い――大和を見据える。
『そういうところは俺と似ているな』
「…………」
『似てないとすれば、その生真面目そうなところか。女を抱いた事もなさそうだしな』
「なっ……」
鬼の言葉に、大和は思わず息を詰まらせた。
鬼は面白がるように笑う。
と――その時。
シャン……
「……貴方のように、手当たり次第女性に手を出すより良いと思いますけど」
『…………』
鬼の首筋に錫杖を当て、小夜が鬼を冷たく見据えている。
その光景に、大和は目を見開いて驚いた。
「さ……小夜?」
『……成る程。そういう事か』
鬼は首筋に当てられた錫杖に軽く触れ、僅かに視線を動かす。
『百年振りか……久しいな。椿』
「……そうですね。もう二度と……貴方に会うつもりはありませんでしたが……こんな形で再会する事になるとは思っていませんでした」
『だろうな』
鬼は素早く身を翻し、巨大な刀で小夜の体を薙ぎ払う。
その瞬間――小夜の体は軽やかに宙を舞い、鬼の斬撃をかわすと、大和の目の前にふわりと着地した。
「……小夜……?」
大和は小さく呼び掛ける。
彼女は振り返ると、苦笑いを浮かべた。
「小夜さん……と言うのですね。すみません。彼女の体を少し借りています」
「その……椿!?」
「はい」
小夜――いや。椿は、真っ直ぐこちらを見詰めて頷いた。
「一体どうなって……」
困惑する大和に、鬼が口を開く。
意味ありげな視線を椿に向け、
『椿がその女……小夜だったか。その娘の体を乗っ取った――だろう?』
椿は眉を顰めた。
「乗っ取ったのではありません。少し借りているだけです」
『大して違わんだろう』
ふんと鼻を鳴らし、鬼は刀を肩に担ぐ。
『お前が出て来たなら……大和がこんなに早く此処を探り当てた事も、俺の付けた傷痕が跡形も無く消え失せている事も納得できる』
「…………」
椿は、ただ黙って鬼を見詰めている。
「……体を借りるっていうのはどういう事だ?」
大和が後ろから小声で訊く。
椿は静かに答えてきた。
「精神体はあらゆる束縛から解放されますが、その存在は極めて不安定で、そのままの状態では長くこの世に留まる事は出来ません。私もあのままではじき消えていたでしょう」
「!」
「精神を支える為には器……つまり……肉体が必要なのです」
椿は視線だけこちらに向ける。
「でも……貴方の体を借りる訳にはいかなかった。貴方の中に流れている力は、私の持つ力と性質が異なったから……無理に入れば、どちらかの精神が崩壊していたでしょう」
小夜の体を示し、
「けれど……彼女は私と同じ力を持っていた……」
「小夜が……?」
「そうです。彼女は強い法力を持っています……だから私と同調した……」
「小夜はどうなる?」
「大丈夫。今は眠っているだけです……この体も勿論小夜さんに返します」
椿は錫杖を構えた。
「……ただ少しの間……私に戦う力を貸して欲しい……それだけですから」
「……戦う力……」
声も姿も小夜のものだが、その姿勢も瞳の色も、いつもの小夜とはまるで別人のようだ。
実際、精神が違うのだから別人なのかもしれないが……
だが、小夜自身にも時折こういった強い瞳の色が見える事があった。
椿と小夜は、何か通じるモノがあるのかもしれない。
『……戦う……か』
それまで黙っていた鬼が、小さく呟きを漏らした。
どこか愁いをおびた目で、椿を見る。
『やはり……お前は俺と戦う道を選ぶか』
「私は退魔師です。妖に襲われ、苦しむ人々を護るのが私の務め……」
『そうだったな』
鬼はほんの一瞬だけ顔を伏せると、刀をこちらに向けた。
『……では……俺は俺の生きる道を阻む者共を排除するとしよう』




