過去と未来と 1
それからどれ程の時間が過ぎたか。
大和は、ただ真っ白な空間に浮かんでいた。
何も見えず、何も聞こえない。
と――その時。
――……て……――
大和はぴくりと体を動かした。
微かに――何かが頭の中に響いてくる。
これは――
(……声……?)
大和は自問した。
声は次第にはっきりと聞こえてくる。
それは女の声だった。
――……起きて。しっかり……気を確かに……――
(……誰だ……?)
大和はその声の主に向かって問い掛ける。
だが返事はない。
声が聞こえなくなり――大和の意識はそこで弾けた。
「…………」
大和はゆっくりと目を開く。
どれくらいそうしていたのかは分からないが、自分は意識を失っていたようだ。
上体を起こし、そして自身の体を見下ろして――驚く。
「……傷が……治ってる……?」
体はどこも痛まない。
鬼に貫かれた筈の左手も、傷痕も何も残っていなかった。
「……どうなってるんだ?」
訳が分からず、大和は辺りを見回す。
夢でも見ていたのかと思う。
しかし……
小夜の姿はどこにも見えない。地面には抉られた跡や、血痕が残っている。
夢では――ない。
「……小夜」
大和が小さく呟いた――その時。
「……気が付きましたか?」
「!」
どこからともなく声が聞こえてきた。
それは先程、夢現の狭間で聞いた女の声。
だが、姿は見えない。
「……誰だ。どこにいる……」
大和は辺りを警戒しながら呻く。
「ここです。貴方の目の前……」
「!?」
声がそう言った瞬間――
純白の閃光が辺りを強く照らす。あまりの眩しさに、大和は思わず目を閉じる。
暫くして目を開けると、目の前に女が立っていた。
長い黒髪を左右で束ね、退魔師の纏う独特の着物を纏っている。
「……アンタ……誰だ?」
大和が訊くと、女は微笑んだ。
「私は椿。かつて……白き鬼を封じた退魔師です」
「何だって……?」
大和は驚いて、女――椿を見詰める。
彼女は人の形をしているが、その姿は向こうの景色が透けて見えるほど、不安定に歪んでいた。
「……人間……なのか……?」
彼女は頷いた。
「……ええ。昔は。今は精神体です」
「……精神体?」
「まあ……幽霊みたいなものですね」
「……ゆ……」
彼女の言葉に、大和は眉根を寄せる。
「私の体はとうに朽ち果て……今はこの法玉に込められた力を使って、この世に魂を繋ぎ止めているのです」
椿の周りには、彼女を護るように六つの宝石が光り輝いていた。
彼女は表情を厳しくし、
「……ですが、今は丁寧に説明している時間はありません。早くあの鬼を止めないと」
「!」
言われて――大和は、はっと顔を上げる。
「けど……奴がどこに行ったかも分からないし……」
「大丈夫です」
椿は大和の方へ視線を向け、
「私には……あの鬼がどこに居ても分かります」
椿の言葉に、大和は驚いた。
「鬼の居場所が分かる?」
「はい。出来れば今すぐにでも出発したいのですが……動けますか? 外傷はほぼ完治したと思うのですが……」
椿はこちらの顔を覗き込んでくる。
「……傷……アンタが治してくれたのか」
「はい。でも体に触れる事が出来ないので……怪我の程度が分からなくて……」
そう言って、彼女は手を伸ばす。椿の手は大和の体をすり抜けた。
彼女に触れられているハズの胸元には何も感じない。
「この体は、物に触れる事は勿論……熱さや冷たさも感じられないんです。昔はちゃんと分かったんですけどね」
椿は苦笑したようだった。
大和はかぶりを振り、
「いや……体はどこも痛まない。今すぐにでも動ける。それで……鬼は今どこに居るんだ?」
大和が訊くと、椿は少し困ったような顔をした。
「その……ここからずっと北にある小国に。昔……鬼に滅ぼされ、今は妖魔の住み処になっています。ただ……」
椿が言葉を詰まらせる。
大和は彼女を促す。
「……ただ?」
「地上を歩いて行くと時間が掛かるので……出来れば空から行きたいのですが……」
「…………」
大和は虚空を見据えた。
「……空……?」
彼女は頷いて、
「はい。それで……貴方はどの程度……鬼の力を扱えますか?」
「!?」
椿の口から出た言葉に、大和は目を見開く。
「何で……その事………」
驚く大和を見て、椿は笑った。
「私は人の体内を流れる“気”を読む事が出来ます。貴方は……あの鬼と同質の妖気を持っている」
「…………」
大和は彼女から視線を逸らす。
椿は軽く手を挙げて、付け加えた。
「ああ。勘違いしないで下さいね。鬼の力を持っているからと言って、貴方が邪な存在であるという訳ではないんですよ」
椿は微笑み、
「力は性質がどうであるかという前に、どういう使い方をするかが重要です。私達は人を護る術を“法術”、破壊や殺戮を目的として使われる術――主に妖が使う術を“妖術”と呼びますが、それらは元は同じ力なのです」
「…………」
「私達が使っているこの力は……その昔、妖から与えられたモノだと言われています」
椿の話に少し興味を引かれ、大和は顔を上げた。
「今より遥か昔……人と妖の距離はとても近かったそうです。勿論、すべてが友好的であった訳ではないでしょうが……私達の祖先には妖の血を引く者がいて、特殊な力を持つ者は皆、その特性を受け継いでいるのです」
「…………」
「今はその事を意識している者は少ないでしょうが……妖から与えられた力を、私達人間にも扱いやすいようにした術が法術なのです」
話し終えて、椿は大和を見据える。
「……少しは安心しました?」
「……何だって?」
「今の人達は、その力がどこから来たのか……殆ど知りません。妖の血を引いている……それだけで、人は貴方を恐れているのではありませんか?」
「…………」
大和は無言で椿を見返す。
「ただ単に妖は恐ろしい者だと決めつけず……その者について知る事……力も同じです。自分の持つ力について正しい知識を持つ事……それが大切なのです」
「“知る”……か」
大和は嘆息した。
自分の掌を見下ろし、
「……あの鬼もそんな事言ってたな」
「……彼の言う事は間違ってはいませんよ。極端ではありますけど」
椿は微かに笑って、
「それで……どうですか? 貴方の力は……」
訊かれて、大和は眉根を寄せた。
鬼が空に舞い上がる瞬間を思い出し、
「……俺は少しなら風を操れるけど……あの鬼みたいには……」
「あそこまで術を扱えるようになる為には、相当の年月修行しなければなりません。人の寿命では……まず無理でしょうね」
「まぁ……それでも一山越えるくらいなら……多分どうにか……」
大和がそう言うと、椿は頷いた。
「それでも構いません。では……私について来て下さい」




