白き鬼 6
久遠はひたすら走り続けた。
(こんな所に人間……しかも退魔師がいるなんて!)
胸中で呻いて、久遠は妖気を解放する。
そして、この辺り一帯に幻術を仕掛けた。真っ白な霧が辺りを包み、この霧の中へ足を踏み入れた者に、様々な幻を見せる。
これで少しは足止め出来る筈だ。
(鬼様の所へは行かせない!)
二人ほど付いて来ているようだが、この霧の中で自分に追い付ける者などそうはいない。
『鬼様ぁぁぁぁぁっ!』
久遠は森の中心――鬼が休んでいる場所に急いだ。
『鬼様ぁぁぁぁぁぁっ!』
大声で叫びながら、茂みの奥から勢いよく飛び出して来た狐に、木の上で昼寝をしていた鬼は煩そうに顔を上げた。
『……何だ。喧しい』
訊くと、心底慌てた様子で、久遠が早口に言ってくる。
『鬼様! 大変です! 人間が……退魔師がこの森に入り込んで……こっちに向かってます!』
『……退魔師?』
その言葉に、鬼は一瞬目を開いたが、
『お前を取り逃がすような三流退魔師など……放っておいても害は無かろう。昼間は眠い。つまらん事で騒ぐな』
そう言って、目を閉じる。
『あああああ。鬼様ぁー……』
鬼は全く取り合ってくれない。
久遠はシュンと頭を垂れた。
刹那。
かっ――!
『!?』
青白い光が辺りを照らし出し、久遠の幻術が破られる。
『…………』
『わ……私の術が……』
鬼は片方の目を開く。
その退魔師が放ったとみられる力には、大して興味は湧かなかった。まだ若い――未熟な力だ。
これでは、自分には遠く及ばない。
鬼が再び眠りにつこうとした――その時。
「わっ。綺麗な湖♪」
『…………』
その場に現れた娘の姿を見て、鬼は起き上がる。
「――ん? あっ! 狐!」
湖のほとりに居た狐の存在に気付いて、清正は声をあげた。
『わぁぁぁぁっ! 鬼様ぁぁぁっ!』
狐は木によじ登ろうと、木の根元にしがみ付く。
清正が法力を込めた札を投げ付けた瞬間――
グシャ。
札は狐に届く前に、木の上から下りてきた影に踏みつけられる。
「なっ!?」
清正が驚いていると、
『ああ! 鬼様!』
『……なんだ。狐。女がいるならそう言え』
言って、鬼は何事もなかったかのように、足の裏に貼り付いている札を剥がした。
『も……申し訳ありません。女の方は気にしてませんでした』
狐はそう言うと、鬼の足元に隠れる。
「清正さん。あれって……もしかして……」
「…………」
小夜が口元に手を当て、小さく呟く。
清正は無言で目の前の妖を見据えた。
聞いていた情報と間違いない。長い白銀の髪に紅い眼。金色の角を持つ鬼。
だが――……
(……どうして何も感じないんだ……?)
清正は胸中で訝しんだ。杖を握る手に力を込める。
鬼は聞いていた通りの容姿をしていた。しかし、この鬼の妖気はそれほど大きく感じられない。
何なら、足元にいる狐の方が強く感じるくらいだ。
(……本当に……こいつが村をいくつも潰してきた鬼なのか?)
疑念を抱きつつも、清正は鬼を注視していた。
すると、鬼がこちらに視線を向けた。
ふっ……と、薄く笑んで清正を指さす。
『……お前。俺の力が感じられんのだろう?』
「何……?」
鬼の言葉に、清正は僅かに動揺する。
だが、鬼は気にした様子もなく続けた。
『もしも、お前が俺の気を読む事が出来たなら……こんな所にのこのこと来る訳が無いからな』
「……どういう意味だ」
『分からんか? なら教えてやる。何故お前が俺の力を感じる事が出来ないのか』
「!」
清正は構えた。
だが、鬼に動きは見られない。
(こいつが村を襲った鬼かどうかは関係無い! 妖魔は倒す!)
札に法力を込め、投げようとした――その時。
「……えっ?」
清正は小さな呻き声を漏らす。何も見えなかった。
鬼が何か、攻撃的な動きをみせる――その素振りも何も。
ただ分かるのは、鬼の手が自分の心臓を貫いている――その事だけだった。
『お前が俺の力を感じられない理由。それは……』
鬼は清正の耳元で囁く。
『俺とお前の力に差があり過ぎるからだ』
「あ……」
鬼は、清正の胸からゆっくりと手を引き抜いた。
その瞬間、清正の体はくずおれるように地面に倒れ――深い血の海に沈んだ。
鬼は手に付いた血を舐め、
『まあ、井戸の底から空を眺めているようなモノだ。そうしたところで空の広さは窺い知れぬ。お前ごときでは俺の力の片鱗すら見えんだろう』
倒れて動かなくなった退魔師を見下ろし、鬼は小さく息を吐いた。
『……聞こえておらぬか』
そちらにはあっさりと興味を無くし、鬼は小夜の方へ歩み寄る。
『さて……』
「あっ……や……」
小夜は目の前で起きた現実が理解出来ない。
それでも体は恐怖を感じている。
――逃げなければ。
そう思うも、小夜の足は動かなかった。




