出立
翌日。大和は朝早く村を出た。彼女には一応、世話になったので、礼のひとつも言ってから行こうかと思ったが、それはしなかった。
何故なら――朝起きた時、彼女は居なかったからだ。
こんな早くに出掛ける用事でもあったのか。それは分からないが、いつ戻るかも分からないし、わざわざ帰りを待つほどではない。
書き置きでも残そうかと思ったが、そういうのも柄ではない。
今日村を発つ事は告げてある。
朝霧の中、大和は無言で歩いた。
暫く歩いていると、霧の中に人影が見える。
「……あれは……」
道のすぐ脇にある石の上に座っている者――
「あっ!」
その者はこちらに気付くと、声をあげた。
その者――小夜は、石の上から下りて、こちらに駆け寄ってくる。
胸元に手を当て、ホッと息をつき、
「良かった。反対の方向に向かってたらどうしようかと思ってました」
「……何してるんだ? こんな所で」
「待ってたんです。貴方を」
それを聞いて、大和は首を傾げる。
「……俺を待ってた?」
「はい。あっ。これどうぞ♪」
そう言って、小夜が小さな包みを渡してきた。
「……何だ? これ」
「お弁当です♪」
「え……」
にこにこと笑顔で包みを差し出す小夜。
大和があからさまに嫌そうな顔をしていると、彼女は胸を張り、
「安心して下さい! 私、おにぎりは得意なんです!」
「……はぁ……」
握り飯に得手も不得手も無いだろうと思ったが――大和は、とりあえずその包みを受け取る。
「…………」
少し迷ったが、大和は言いそびれていた事を口にした。
「……世話になったな」
それを聞いて、彼女は嬉しそうに笑う。
「いいえ。気にしないで下さい。こちらこそ……助けてもらって……」
「それはそうと……」
大和は彼女の言葉を遮るように、口を開いた。
先程渡された包みを示し、
「これを渡す為だけに、わざわざこんな所で待ち伏せてたのか? だったら家で渡せば済むだろうに」
訊くと、彼女はかぶりを振った。
「いいえ。あっ。勿論それもありますけど……私、村を出ようと思って」
「……村を出る?」
小夜の口から出た言葉に、大和は少し驚いた。
確かに、彼女は荷物を背負っている。
「はい」
小夜は笑顔で頷く。
「……それはまぁ……アンタの勝手だが……」
大和は軽く頭を掻いた。
村人が揃いも揃って、自分の事を生け贄にしようと――殺そうと――していたのだから、村に居辛いのは分からないでも無い。
ひとつ気になった事を訊く。
「行く当てはあるのか?」
村人の話が本当なら、彼女には身寄りが無いという話だったように思うが。
すると、彼女はあっさりと答えてきた。
「いいえ。私、身寄りも無いですし」
「……行く当ても無しに村を出てどうするつもりだ」
ついでに文無しだろう。
彼女は生け贄になる前の日、金目の物は村人に譲り渡したはずだ。
大和が嘆息すると、小夜は目映い笑顔で言ってきた。
「だから私……貴方について行こうと思って」
「…………」
一瞬――大和は彼女が何を言っているのか理解出来なかった。
いや、理解を拒んだのかもしれない。
沈黙はかなり長かった。
その間も、小夜は笑顔を絶やさない。
大和は目を閉じると、こめかみに人差し指を当て――もう一度訊く。
「……何だって?」
「だから……私、貴方について行く事にしたんです」
「はぁ!? 何言ってんだ! お前はっ!」
漸く理解出来て、大和は素っ頓狂な声をあげる。
だが、小夜は笑みを崩さず、
「もう決めました。家も引き払いましたし、私には行く所がありません。だから連れて行って下さい」
にこにこと笑顔で手を広げる小夜に、大和は声を荒らげた。
「勝手に決めるなっ! 何で俺がお前を連れて行かなきゃならねぇんだ!?」
小夜はぱんっと手を打ち、
「一人より二人の方が楽しい旅になると思いませんか?」
「理由になってない!……大体、俺は観光旅行してる訳じゃねぇんだ」
「分かってます。殴りたい人がいて、その人を捜して旅をしてるんですよね?」
「……俺は今、無性にお前の事も殴りたいんだが……」
わざとなのか、それとも無意識に人の神経を逆撫でするのが上手いのか――大和は必死に感情を抑え、呻く。
「……とにかく村へ戻れ。お前は連れて行けない」
「嫌です。連れて行って下さい」
「俺だって嫌なんだよ! 何でお前みたいに面倒な――……」
言い掛けて――ふと、大和は言葉を止めた。
何か脳裏に甦るモノがある。
大和の脳裏に甦るモノ――それはあの老婆の言葉。
『数日後、とっ……ても面倒なモノを背負い込む事になる』という、あの言葉。
(……いや。まさか……そんな事……)
占いなど信じた事は無い。
だが、先に言われてしまってはどうにも気になる。
面倒なモノ――それは女で、数日後、自分の目の前に――向こうから現れた。
「……あの婆さん……そういう事ならもっとはっきり言え……!」
頭を抱えて呻く大和に、小夜が小首を傾げ訊いてくる。
「どうしたんですか?」
「……お前のせいで頭が痛いんだよ……」
大和は深々と嘆息した。
髪をかき上げながら、
「俺は妖魔を退治して、それで生活してる。俺について来れば嫌でも妖魔に狙われる事になるんだぞ」
「はい」
「……こないだの妖魔みたいに危険な奴も多くいる。そうじゃなくても、盗賊なんかに襲われたりもする危険な旅だ」
「はい」
「……何かあった時……本当に死ぬかもしれないんだぞ」
「私は一度命を落とす所でした。それを貴方に拾って貰ったんです。貴方と一緒にいて……それで万一命を落とす事になっても、それはもとより覚悟の上です」
「…………」
真っ直ぐこちらを見詰めてくる小夜から、大和は根負けしたように視線を逸らす。
彼女の横を通り過ぎ、
「……だったら勝手にしろ。何があっても俺は知らないからな」
そう言って、歩を進める。
小夜は目を弾けさせるように見開いて、大和の隣を歩く。
彼女はこちらの顔を覗き込み、にっこりと笑顔で言ってきた。
「その時は護ってくれるんですよね?」
「……知るか」
大和は半眼で呻く。
「ところで大和さん」
「…………」
大和は嘆息した。
「“大和”でいい。“さん”はいらん」
大和がそう言うと、小夜はきょとんとする。
やがて、彼女は自分を指さし、
「分かった♪ じゃあ私の事も“小夜”って呼んでね♪」
「…………」
この順応の早さはなんなのだろうか。
軽い眩暈を覚える。
大和は歩調を速めた。
「あっ。大和! ちょっと待って!」
急に早足で進む大和の後ろから、小夜も駆け足で付いてくる。
「まずは何処に行くの?」
「……まだ決めてない」
一瞬、本気で置いて行くつもりだったが、彼女はぴったりと付いて来た。
「私、村から出た事無いから楽しみで♪」
「……気楽で良いな。お前は」
「えっ? そうかな? だってせっかくの旅だし……楽しまないと♪」
皮肉を込めて言うが通じない。彼女は笑顔で大和の隣を歩く。
彼は無言でため息をついた。
この先もこんな調子が続くのかと思うと、気が重い。
「どうしたの? 大和。何か元気ない」
「……誰のせいだと思って……」
心配そうにしている小夜に低く呻いて、後はひたすら歩く。
時折、彼女が話し掛けてくるが、それはほとんど無視した。
こちらが何を言っても言わなくても、彼女は勝手に話を進める。
何にせよ。
彼女――小夜との出逢いは、こんなものだった。




