子供達の事情 6
「……いてて。何だ? ここ……」
道があると思い、踏み込んだ先に道は無く――ほぼ垂直に、急な斜面を転がり落ちた菊助は、辺りを見回す。
辺りは暗く、殆ど視界が利かない。
見上げた先には、自分が落ちてきた穴が見えた。
そこから僅かに光が射し込む。
どうやらこの上は、木の葉や木切れで覆われているらしい。
落とし穴のようなモノだ。
「……気持ち悪い。早く登ろ……」
鼻をつく腐臭。その臭いに耐え兼ね、菊助が動いた――その時。
背後から、低い獣の唸り声が聞こえてきた。
菊助は、ゆっくりとそちらに顔を向ける。
「……な……何だよ……」
暗闇の中、一際濃い影が揺れ動く。
鋭い嘴と巨大な翼を持つ獣。
獣の嘴から、先程まで食んでいた獲物の血が滴り落ちる。
菊助の目には見えないが。
「……あ……あぁ……」
巨大な影がゆっくりと近付いて来る。
その影から逃げようと、菊助は身を捩った。
その瞬間――獣が飛び掛かる!
「う……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
菊助は悲鳴を上げて木の根を掴み、上に逃げようとした。
刹那――
「動くなっ!」
「えっ!?」
頭上から鋭い声が降ってくる。
影が菊助の足を掴もうとする――それよりも早く、銀色に輝く刃が、その影を一太刀で斬り裂いた。
「…………」
どさり……と重い音を立てて、影が二つに割れる。
菊助は無言で目の前の光景を見詰めていた。光など無いと言うのに、その少年の姿は、はっきりと見えた気がした。
――眩しいと思えるくらいに。
刀を振って血糊を払い、それを鞘に収めると、大和は菊助の胸ぐらを掴み、思い切り怒鳴った。
「そっちには行くなって言っただろうがっ! 一瞬でも俺が来るのが遅れてたら、お前……あの妖魔に喉笛喰い千切られてたんだぞっ!」
「……うっ……」
さすがに菊助も黙り込む。
大和は菊助を掴んでいた手を離した。
「……とにかく。さっさとここ出るぞ。長居しててもロクな事にならない」
大和は、先程斬った妖魔の羽を引き抜く。
「……これなら持って帰れるだろ」
「あ……あぁ」
菊助は小さく頷きながら、大和から羽を受け取る。
大和が穴から出ようと手を伸ばした時――
「……何やってるんだ……」
どういう訳か、菊助がその場を動こうとしない。
「……いや……あの……」
「…………」
ばつが悪そうに身じろぎする菊助を見て――大和は嘆息した。
「……腰が抜けたのか」
「うっ……!」
低く呻いて、菊助はそれきり口を噤んでしまう。
大和は目を閉じて、深々とため息をつく。
菊助を背負い、
「……向こうからなら上に戻れそうだな」
そう言って、歩き出す。
「……うぅ……」
大和の背中にしがみついて、菊助は喉の奥で唸る。
これほど惨めで、格好の悪い事は無い。
元の場所に戻るまで、二人の間に会話は殆ど無かった。
その沈黙を破ったのは大和だった。
黙って歩いていたが――大和がため息まじりに口を開く。
「……お前な。意地張るのは勝手だが、そのつまらん意地で、お前に付いてきてる奴らまで危ない目に遭わせるなよ」
「…………!」
その一言で、菊助の緊張の糸が切れたのだろう。
先程の恐怖と、それから救われた安堵から、菊助は大和の背中で声をあげて泣き出した。
「…………」
その嗚咽を聞きながら――大和はその後、無言で歩き続けた。
「大和と菊助……戻って来ないね……」
不安げに綾那が呟く。
「二人共大丈夫かな……」
大和に言われた通り、綾那達は、その場で二人の帰りを待っていた。
だが――……
「やっぱり探しに行こう!」
そう言って、涼助が痺れを切らしたように立ち上がる。
「……でも……大和は動くなって……」
「けど! じっと待ってるだけなんて出来ない!」
「……涼助」
と――その時。
「あっ! 大和!」
「えっ!?」
沙月がさっと立ち上がり、そちらに駆け寄る。
綾那と涼助もそれを見て、後に続く。
「大和! 菊助!」
「良かったぁ……二人共無事だったんだ」
「菊助……どうしたの?」
大和に背負われている菊助を見て、綾那が問い掛ける。
「……あ……いや……その……」
化け物を退治すると勢い込んで奥へ進み、その化け物の巣に転がり落ちた挙げ句、妖魔に襲われ腰を抜かした――などと言えるハズもない。
口ごもる菊助の代わりに、大和がぽつりと呟く。
「……そこの茂みから足踏み外して“ちょっと”下に落ちただけだ。足を捻ったらしいが大したことない」
「…………」
「そうなの? 菊助、大丈夫?」
「あっ……ああ……」
心配そうにする綾那から、菊助は視線を逸らす。
「もうっ! 大和の言う事聞かないからよ!」
沙月が、どこかからかうような口調で言うが、菊助は反論しなかった――と言うより、出来なかった。
「……菊助。それは?」
ふと菊助の握っている黒い羽に気付いて、涼助が訊いてくる。
カラスの羽のように見えたが、その羽の先端は鈍く輝き、また鋭く針のように尖っていた。
訊かれて、菊助の代わりに再び大和が答える。
「妖魔の羽だ。元々妖魔の住む山だからな。抜けた羽の一つや二つ落ちてても不思議じゃない」
大和はそう言うと、涼助達の間を通り過ぎ、
「それより山を下りるぞ。日が暮れる前に下りないと……日が暮れてからは妖魔が活発になる。俺もコイツ背負ったままじゃ刀が抜けない。妖魔の証なら、その羽で充分だろ」
「……あ」
「そうか。早く下りよう」
先を歩く大和の後を、涼助達が慌てて付いてくる。
その後は、これといって大きな問題も起こらず、すっかり辺りが暗くなった頃――漸く町の灯りが見えた。
「……あれは」
町の入り口――その壁に凭れている人物を見て、大和が小さく声を漏らす。
「よぉ。全員無事みてぇだな」
「……斬影」
「あっ! おじさん」
「お兄さん」
斬影が笑顔で言い直す。
「……何でここに居る……?」
訝しげな表情で、大和が問い掛ける。
斬影は酒瓶を掲げ、
「何。コイツを買いにな?」
「……ふーん……」
半眼で呻く大和の背中から、菊助が口を開いた。
「や……大和。もういいから降ろしてくれよ」
「……ん? ああ」
大和は頷くと、パッと手を離す。
瞬間、菊助は尻餅をついた。
菊助は顔を上げると、思わず怒鳴る。
「いてて……いきなり離すなよっ!」
「……降ろせって言っただろ」
「こらこら。大和。もっと丁寧に降ろしてあげなさい」
呆れたようにぼやいて、斬影は菊助の前にしゃがみ込む。
「わりぃな。コイツときたら、ホントに粗雑で粗暴で……」
その瞬間。
ゴッ!――
背後から、大和が思い切り斬影を殴り倒す。
「ごぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
『!?』
「…………」
斬影は頭を抱えて転がる。
子供達が仰天していると、暫くのたうち回って――斬影はのろのろと立ち上がり、涙目で呻いた。
「……大和……っ……お前の一撃、ホント……シャレにならんからヤメテ……」
「…………」
頭をさすりながら、
「あいでで……まぁ、なんだ。おめぇら、早く帰んな。父ちゃんと母ちゃんが心配するぞ」
斬影がそう言うと、子供達がはっとする。
「あっ! そうだ……真っ暗だもんね」
「早く帰ろう!」
「うん。じゃあ大和、またね!」




