女との喧嘩
ベイリーフ家に来て、5年が経ったある日、
俺はダフネとお使いに出かけた。
マリーおばさんの所へハチミツを貰いにいくお使いだ。
俺一人でもいけるのだが、ダフネと行くことになった。
マリーおばさんの所へ行く途中
ダフネが言った。
「もう5年が経つんだね。もう慣れた」
「うん。ありがとう。慣れたよ」
と俺は言った。
「強くはなれた」
とダフネは尋ねた。
「どうかな。剣は振れるようになったり、体も動くようになったけど、実際に戦ったわけじゃないから、わからないよ」
と俺は言った。
「そうか。お父様は直接は教えられないからと言ってたものね」
とダフネは言った。
「いや。十分だよ。よくしてもらってる」
と俺は言った。
マリーおばさんのうちでハチミツを貰い、帰路につく。
もう屋敷が見えるという所まで来た、
「ローリエって、いつもナイフ持ってるよね。
そのナイフ私にちょうだい。
代わりに私の使ってるナイフあげるから」
とダフネが突然言った。
「いやだ」
と俺は言った。
「なんでよ。いいじゃない」
とダフネは言った。
「ダメなものはダメ」
と俺は言った。
「それが欲しいの。ねぇ交換して」
とダフネは言った。
「嫌だ」
と俺は言った。
「私は命の恩人なのよ。それくらい、いいじゃない」
とダフネは言った。
俺は何も言い返せなくなり、
その場からダフネを置いて逃げた。
俺はダフネに見つからないように森の中に隠れた。
両親の唯一の形見を奪われたくなかった。
日が暮れ、他の使用人が探しに来て、ボコボコに殴られた。
ダフネの前に連れてこられて、
「ダフネ様に謝れ」
と言われた。
「嫌だ。俺は悪くない。ナイフは渡せない」
と俺をそう言った。
そこに奥様がやってきた。
事情を聞いた奥様はこう尋ねた。
「それはどういうナイフなの?」
「これは両親の唯一の形見なんです」
と俺は答えた。
奥様はダフネにこう言った。
「もし私とお父様が亡くなって、形見がこの櫛だけになったとしたら、この櫛を手放せる?」
「ごめんなさい。お母様。ローリエもごめんなさい」
とダフネは言った。
「ごめんね。ローリエ。ダフネを赦してあげて」
と奥様は言った
「ナイフを渡さなくていいのなら。平気です」
と俺は答えた。
それから、ダフネとお使いに行くことは少なくなった。
ダフネが学校に行くようになったのもあったが、
ダフネは少し気まずいような雰囲気だった。
俺はなんとかしたほうがいいのかなと思ったが、俺にはやることが沢山あった。
ちょうどその頃から、1日1時間の読み書きの練習を義務付けられた。
読み書きの練習は、30歳ほど年上の使用人が教えてくれた。
彼はこういった。
「読み書きができなくて、一方的に不利な契約を結ばされ、子供を売らないといけなくなった者も多い。剣だけ強くても、喧嘩が強くても、頭が悪かったら誰も守れない。かならず読み書きだけはできるようになれ、そして知識は必ず身につけろ。俺はこの辞書を毎日寝る前に読んでいる」
その辞書はボロボロで、彼が俺と同じ年くらいの頃に買ったものだと言っていた。
俺も欲しいと言うと、街の本屋にあると言っていた。
見ると辞書は3Gだった。
1月分の給料が必要だったが、頭が悪かったら、誰も守れないという言葉は強烈で。
俺はその辞書を購入した。
仕事は相変わらず。
稽古も相変わらずだった。
ただ俺は辞書での勉強もするようになった。
稽古は毎月丸木が1本ずつ増えていくので、ついていくので必死だった。
たぶん強くなっているのだろうが、まったく実感がわかない。
どんどん丸木の攻撃は複雑になってくる。
辞書は理解できる事を増やしてくれた。
使用人や町の人の会話の内容がよくわかるようになった。
そして、剣のこともわかるようになった。
俺は、剣の技術だけを磨いても、真に強い男にはなれないと思った。
これは大きな気付きだったと思う。
前の指導から1年が過ぎたが、 ダフネの件があったからか、旦那様からは話しかけてくれなかった。
俺はひたすら仕事と稽古と勉強に打ち込んだ。
ある日、ついに木刀が折れた。
俺はお金を持って旦那様に会いに行った。
旦那様は執務室にいた。
「旦那様。申し訳ございません。木刀が折れてしまいました。足るかわかりませんが、お金を持ってきました。どうすればよろしいでしょうか」
と俺は言った。
旦那様は、木刀を見て、目を薄めてこう言った。
「これを使え、そしてこの折れた木刀は焚き付けにでも使え。あとお金はいらん。頑張ってるな。精進しろ」
言葉はとても短かったが、俺はとても安心した。
なぜか。
赦されたような気持ちになったのだ。
そして、また俺は、稽古、勉強、仕事に励んだ。
毎日イメージの稽古もした。
強くなりたい。
大切な人たちを守れるようになりたい。
そう思った。
それでも。
たまには辛くなった。
そんな夜はあのナイフの仕掛けで遊んだ。
ナイフが引っ込む仕掛けで遊んだ。
自分の腹を思いっきりさせて、死んだ演技をして、一人笑った。
虚しい気持ちにはなったが、一瞬でも両親の心に触れれる気がした。
俺は思った。
このナイフをあの時、ダフネにあげていたら、なにかが変わっていたのかなと。
それは後悔なのか。
確認なのか。
思考なのか。
よくわからない感情だった。
学校に行くようになって、精神的な距離が遠くなったのかも、関係あるのかもな。
所詮、使用人とお嬢様だ。
子供の頃は仲良くできても、大人になると、状況は変わる。
近くにいるはずなのに、ダフネが遠くに離れていったような気がして、なんだか無性に寂しい気持ちになった、




