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闇を纏う者

見えても、見えなければ…意味はないのだろうか。


瞼を閉じると、夢が見える。


しかし、目を開けていても…見ることのできない闇は、何も見えない。


いや、闇が見えているのか。



幼き少女は、闇しか見えない箱の中で生きていた。


光が照らされるのは、ほんの数分だけだ。


1日の内…23時間以上闇で過ごす少女は、光が箱の中に灯ると、それが合図であることを知っていた。


戦いだ。


それも、人間との。


野生動物の場合…明かりが点くことはない。


人間との時だけだ。


少女は、知った。


人間とは…なんて弱い生き物なのだろう…かと。


光がなければ、動けないなんて…。


「おい、おい」


明かりが点いた20畳くらいの部屋に入った男は、肩をすくめて見せた。


「俺の相手って…このガキではないよな?」


2メートル以上ある屈強な体躯を、小刻みに左右に振りながら会われた男は、自分の半分ちょっと身長しかない少女を見下ろした。


黒のワンピースに、ぼさほざに伸びた髪が、少女の表情を消していた。


「その通りだ!」


部屋の角につけられたスピーカーから声が響いた。


「おい、おい。ガキだぜ」


男は手に持っていた刀を、床に突き刺すと、呆れかえった。


「こんなガキとやりあう趣味は、ないんだが…」


「ガキか…」


スピーカーの声は、少し笑っていた。


「おいしい仕事だが…俺にも、プライドがある」


男は、前に立ち竦む少女に背を向けた。


「ククク…。君程の男が、この部屋に入って、何も気づかないとはな」


「なに?」


スピーカーの声に、男は部屋を見回した。


明かりがついても薄暗い部屋の壁の色に、男は気付いた。


「赤か…」


最初…男は赤い壁紙だと思った。


しかし、色にムラがあることと、絵の具をぶちまけたような塊があることに気付いた。


「ま、まさか!?」


換気がよいのか…匂いがしなかったから、男は気付かなかった。


「血!?」


男は絶句した。


四方の壁についた血の量を考えると…一体どれほどの生き物を殺めたのか。


思わず、唾を飲み込んだ男に、スピーカーの声は告げた。


「約束しょう。この子を殺せたら、一億。生きて戻れても、それなりの報酬を与えよう」


「!」


男はゆっくりと振り返り、部屋の真ん中に立つ少女を見た。


「さあ…時間だよ。目の前の男を殺しなさい。なあ〜にい。心配はいらないよ。この男は、多くの人間を殺しているからね」


スピーカーからの言葉に、少女はゆっくりと顔を上げた。


前髪の隙間から、覗かれた瞳を男が見た時、彼は震えながら本能からか、床に刺していた刀を慌てて抜いた。


「さあ…殺りなさい!闇を殺すのだ」


「うわああ!」


今まで何人もの人間を殺してきた男が、叫んだ。


「約束通り、この子に武器はない。安心するがいい」


確かに、少女は武器を持っていなかった。


ワンピースだけの体に、武器を隠しているようにも見えない。


しかし、男は恐怖した。


武器を持っているのにだ。


まるで、野生動物がいる檻に閉じ込められたような感覚がした。


刀だけでは、勝てないような気がした。


そんな男の心を見透かしたように、スピーカーから声がした。


「よければ…今からマシンガンでも、ご用意するがね?」


その言葉に、男を正気に戻った。


「舐めるな!」


男は自ら突進すると、動かない少女の頭上に向けて、刀を振り下ろした。


研ぎ澄まされた刀身に、血が飛び散った。



「す、素晴らしい!」


スピーカーが、歓喜の声を上げた。


少女の腕が、床に転がり…とめどもなく血が噴き出ていた。


少女は、口でワンピースを引きちぎると、自らの腕に巻き付け、止血した。


部屋のドアが開き、看護斑が飛び込んできて、床に転がる少女の左腕を素早く氷の入ったクーラーボックスに入れた。


勝負は一瞬だった。


左腕で刀を受けると、少女は男の首を手刀で突き刺し、切り裂いていた。


「野生動物は例え、腕が千切れようが、怯むことはない。いいんだ!いいんだ!それで、腕などすぐにくっ付けてやる。だが、腕を棄てる覚悟は、なかなかできやしないよ」


スピーカーの声は、震えていた。


「いい子だ。真弓は…」


「お爺様…」


少女は、床に溜まった自ら流した血を見つめ、呟くように言った。


「あたしの血も…みんなと同じで…綺麗だね」





九鬼真弓。


七歳の時…。


彼女は、闇の中にいた。



「よい出来だ」


モニタールームで満足げに頷く老人を、部屋の角で灰色の壁に持たれてながら、見つめる男。


「…と、思わないかい?兜君」


老人は、兜の冷たい視線に気付いていた。


兜は、老人の目を避けるように少し俯くと、肩をすくめて見せた。


「研究者としては、興味深いですが…人道的には、どうですかね」


兜は顔を上げると、モニターに映る少女を見た。


部屋を出ることなく、少女はその場で、腕の接合手術を施されていた。


老人はちらっとモニターを見ると、鼻を鳴らした。


「最初は、野生動物を相手させていたのだが…」


老人は、モニターの下に置いてあるディスクに近づくと、鎮静剤だと思われるる薬の瓶を開け、錠剤を噛み砕いた。


「規制が厳しくてな。今は、人間の方が調達しやすい。なぜなら、人間は金で釣れるからな」


「先生…」


兜は、老人の横顔を見つめた。


九鬼才蔵。


兜の恩師であった。


もう70才はまわっているように見えるが、まだ50代である。


極度の激務と、闇の戦いの日々が、彼を老いさせていた。


「闇と戦う為には、赤ん坊の時から鍛えなくてはならない」


才蔵は薬を飲み込むと、モニターを見上げた。


「しかし…」


兜もまた、モニターを見上げ、肩をすくめた。


「子供の頃から…人を殺めるのは、如何なものでしょうか?」


「単なる人ではない!闇に魅せられた者だ!」


才蔵は声をあらげ、


「やつらと戦う為には!」


ディスクを叩くと、兜を睨んだ。


「闇を教えなければならない!そして、闇に墜ちた外道は、もう人ではないと!教えなければならない!」


興奮した才蔵は、ディスクの上に置いた薬の瓶を落としてしまった。


錠剤が床に転がるが、才蔵は気にしない。


「闇と戦う為には、闇とともに暮らしながら、闇に堕ちない者が必要だ!」


才蔵は、手術を受けている九鬼を見つめた。


「例え…人として、矛盾していてもな」


画面に映る孫を見ながら、才蔵は心の中で、悔やんでいた。


しかし、そんな気持ちを表には出すことはない。


「今の人間も、殺しを生業にしている!そんな者を殺して、なぜ悔いなければならない!」


だからこそ、強気に出て、才蔵は叫んだ。


「…」


兜は何も言えなくなったが、代わりに口元を緩めた。


そして、もう一度九鬼を見た。


男の子であるはずの九鬼は、どう見ても女の子のようにしか見えない。


本人も、女の子になりたいらしいが。


(しかし…)


兜は、いつのまにか…唇を噛み締めていた。


そんな兜の心を読んだかのように、才蔵は言った。


「乙女ガーディアンの資格を得れば…女になれる!」


才蔵の言葉に、兜ははっとした。


「も、もしや…先生は」


「そうだ」


才蔵は肯定の言葉で、兜の言葉を遮った。


「だが…それ以上は、口にするな」


才蔵は横目で、兜を見つめ、


「闇が見ている」


これ以上の詮索を止めさせた。


兜も、口を閉じた。


今のやり取りで、兜は…才蔵の目的を知った。


その件に関して、もっと聞きたかったが、 兜はあきらめた。


もう夜…。


闇の時間だからだ。






「お爺様…。これが、世界なの?」


九鬼は初めて、部屋の外に出された。


切られた腕も、元通りになっていた。


才蔵の研究所は、人里離れた山の奥にあった。


山々の谷間にある灰色の箱。


そこから、数百メートル山を上がると、遠くの町並みが見えた。


九鬼と才蔵は、ただ朝からそこにいて…昼となり、夕焼けを迎え、夜になるまで、同じ場所にいた。


「どう思うかね?」


才蔵は、夕陽の眩しさにも目を細めずに、見つめ続ける九鬼に話しかけた。


「綺麗だと思うかね?」


自然に覆われた山々。澄んだ空気。美しき夕暮れ。


そのすべてが、九鬼に初めての景色だった。


だからこそ、九鬼は素直な感想を述べた。


「わからない…」


その九鬼の答えに、才蔵は満足げに頷いた。


「それでいい」


才蔵は、闇へと変わる世界に目を細めた。


「自然が綺麗だと思うのは、人間のエゴだ。動物が、綺麗などとは思わない。自然を忘れ、都会に住む人間の…自然を壊していく人間が、懺悔で思うだけだ」


才蔵は、九鬼の頭を撫でてやった。


「自然はあるがままだ。もし、お前が…大きくなり、自然を綺麗だと思うならば、お前の周りの自然が破壊されているときだろう。自然がそのままあれば…誰も綺麗だとは思わない」


才蔵は、山々を見回した。


「私は、逆に怖いよ。自然で迷えば…人間なんて脆いものだ。世界は、その場で生きる術を持たない者には、恵みを与えない。助けもしない。残酷なものだ」


幼き九鬼には、祖父の言葉は理解できなかった。


だけど、祖父から、何とも言えない切なさを感じ取っていた。



「ほら…真弓。月が出たよ」


闇が、すべてのものを黒に変える世界で、 月だけが輝いていた。


「お爺様!色がなくなったね。色がなくなることが、夜なの?」


九鬼には、自然の美しさはわからなかった。


だけど、色とりどりの個性がなくなったことは、理解できた。


そんな中、月だけが輝いていた。


「色か…。そうだね。色が個性かもしれないね」


才蔵は、隣に立つ九鬼がずっと月だけを見上げていることに気付いた。


「お爺様…。あれが、綺麗なの?」


すべてが、闇の暗さに負ける中…たった一つだけ輝く月。


「そうかもしれんな…」


才蔵は、灯りのついた町並みに顔を向け、九鬼にきいた。


「向こうも、光っておるがな?あっちの光が、どうだい?」


才蔵の問いかけに、九鬼は月から町へと視線を変えた。


しばらく町の灯りを見つめた後、九鬼は顔をしかめた。


「あっちは、自分勝手みたい。みんな…自分だけの為に、光ってる」


「そうか、そうか」


才蔵は満足げに、何度も頷き、九鬼の後ろに回ると、両肩に手を置いた。


「真弓よ…覚えておきなさい」


「はい。お爺様」


九鬼は顔を上げ、才蔵を見上げた。


「かつて…この世界に、月はなかった。すべてが、闇に包まれていた。ある日…それを不憫に思った女神が、月を作ったのだ。人々が、闇の中でも迷わないように…」


「月を作ったの?」


「そうじゃ」


才蔵は頷くと、月を見上げ、


「誰に頼まれた訳でもない。女神の優しさでな」


一度目を瞑ると、才蔵は後ろから九鬼を抱き締めた。


「お前が今やっていることは、誰の為でもない。だが、誰かの為でもある。他が為に…」


ぎゅっと力をこめて、抱き締めた。


「月のような戦士におなり。誰の為でもない…自分の為でもない。闇を照らす存在におなり…。あの月のように…無償で…」


「お爺様…」


九鬼は、才蔵が泣いていることに気付いた。


「月のような…戦士になるんだよ」


今思うと、それが人としての才蔵の最後の言葉だったのかもしれない。


月日は流れた。


数年後、九鬼真弓は十歳をこえていた。


いつもの如く…次々に部屋を訪れる者達を、相手にしていた。


「うぐ」


相手に何もさせないで、九鬼は敵を気絶させた。


毎日の死合いが、九鬼を普通の人間では到達できないレベルに成長させていた。


幼き頃のように、相手を殺すことも、腕を切り落とされることもなくなった。


野生動物は、部屋に入るだけで、戦意を失った。


そんな状況を半年間、見守り続けた才蔵は、最後の仕上げにかかる時にきたことを悟った。


「もう人では…相手できないな」


才蔵は、モニター室に備え付けている電話に手を伸ばした。





それから、また時は数日流れた。


部屋で、相手を待っていた九鬼の前に、1人の女の子が立っていた。


学生服を着た少女は、九鬼を見るなり、睨み付けた。


「あんたが…あんたなのね!」


少女は、ナイフを持っていた。


「?」


九鬼には、理解できなかった。


殺気ではあるが、少女から発するのは、今までの相手とは雰囲気が違った。


それが、怨み…憎悪、絶望の感情であることが、九鬼には理解できなかった。


今までの相手も殺気や、恐怖を向けることはあっても、怨みはなかった。


訝しげに、自分を見ている九鬼に気付き、少女はさらに発狂した。


「あんたが、いなくなれば!あたしは、今のままでいられるんだ!」


ナイフを持って突進してくる少女を、九鬼は軽くあしらった。


突きだすだけのナイフを避けると、少女の足を払った。


「きゃあ!」


転ぶ少女。ナイフは、床に転がった。


慌てて、立ち上がろうとする少女は思わず、そばに立つ九鬼を見上げた。


冷たく、射ぬくような視線に、少女は一瞬でパニックになり、


「ヒイイ!」


武器であるナイフを拾おうと、手だけで探した。


視線は、九鬼から外せなくなっていた。


だから、床に転がっているナイフを掴んだ時…そこが刃であることに気付かなかった。


「痛っ!」


刃を握り締めてしまった少女は、ナイフを離した。


血のついたナイフが、床に落ちると、少女の手からも、血が流れ落ちた。


九鬼は眉を寄せた。





「今だ」


モニター室から、その様子を見ていた才蔵は、目の前にあるパソコンのキーボードを叩いた。


そして、パソコンの横に置いてあった外部マイクに向かって、叫んだ。


「研究所にいる…全職員に告げる。ご苦労だった。もし、逃げれるなら、研究所から逃げよ!」


才蔵はニヤリと笑うと、


「今から、ここは闇に捧げる」


それだけ言い、マイクを切った。


そして、はははと大笑いした。


「真弓よ!ここからが、本番だ!闇の中から、見つけよ!希望を…」


才蔵があるボタンを押すと、モニターに映る九鬼の部屋の床が、輝き出した。


「でなければ、死ぬか…取り憑かれるだけだ!」






「!?」


ずっと部屋にいた九鬼も気付かなかったが、床はタイル一枚剥ぐと、液晶パネルになっていたのだ。


光輝くパネルに、タイルを透けて、ある模様が浮かび上がった。


それは、魔法陣である。


「ハハハハ!」


才蔵は笑った。


「何年にも渡る…血が染み付いた部屋に、若き娘の生け贄!」


魔法陣は、血を流す少女を中心にして、回り始めた。


「闇が、現れる」


才蔵は、モニターに顔を近付けた。




「え…」


立ち上がった少女の足首が、盛り上がり…それは、膝から腰へと、ボンプに水が伝って行くように移動していった。


「い、いや」


少女の胸が三倍近く膨れ上がると、苦しそうに痙攣しながら口を開け、天井を見上げた。


眼球が盛り上がり、喉は膨張した。


そして、少女は吐き出した。


無数の黒い糸を。


九鬼は糸を、反射的に後ろに避けたが、全身に絡みついた。


少女の口からは、とめどめなく…糸が吐き出されていった。


糸は壁をすり抜け、研究所内から逃げようとする人々にも絡みついた。


「うわああ」


絶叫が、研究所内にこだました。


しかし、それは一瞬の出来事だった。


黒い糸に絡みつかれた人々は、すぐに落ち着きを取り戻した。


まるで、何事もなかったかのように…見えた。






「ウフフ…」


魔法陣が消え、糸を吐き出していた少女は、口を閉じると、見上げていた顔を下ろした。


「久々の…下界だ」


少女の目は血走り、声が変わっていた。


「月のやつらに、閉じ込められてから、どれ程たったのか」


話す口から、細長い舌がチロチロと何度も飛び出した。


「まあいい〜。再び下界に、出れたのだ」


少女は自分の手を見つめ、血が流れているのがわかると、舌で舐めた。


「それに、若い女の体に入れることは…運がいい」


血を舐めながら、少女は目だけで、部屋を確認した。


すると、部屋の片隅で糸が噛みついて、繭のようになっている九鬼を発見した。


「おいおい…まだ、取り憑いていないのか?」


少女は、繭に包まれた九鬼に近づき、首を傾げた。


「人間如きに、何を手こずって…」


手を差し出そうとした少女は、口から血を吐き出した。


「な!?」


絶句した少女の胸から、背中までを…腕が貫いていた。


黒い腕が…。


「ば、馬鹿な…」


腕はすぐに引き抜かれると、繭を突き破り、中から黒い物体が、飛び出してきた。


「き、貴様は!?」


血走った少女は目を見開き、その姿を確認しょうとしたが、顔が真ん中からスライドし、見ることができなかった。


繭から飛び出した者の手刀が、切り裂いたのだ。


鼻の上から、血を噴き出して倒れる少女に背を向けると、飛び出した者は蹴りで、部屋の壁を破壊した。


廊下に出ると、部屋の前には血走った目をした研究員達が群がっていた。


九鬼であるはずのその者は、研究員達を確認すると、自ら飛びかかっていった。


血飛沫が、廊下に舞った。




「どうなったんだ」


モニター室から出た才蔵は、脂汗を流しながらも、廊下の壁伝いに歩き出した。


「私の孫が、闇に取り憑かれるとは思えん!しかし…」


才蔵は、九鬼がいた部屋に近づくにつれ、血の匂いが強くなっていることに気づいた。


血の匂いを嗅ぐ度に、体が震えていくのを感じながら、才蔵は歯を食い縛った。


「まだ…待て…。最後の仕上げをするまでは…この体はやれん」


才蔵は、興奮している体を抑えようと、自らの胸を握り締めた。


その時、静かな廊下にテンポがよい足音がこだました。


「!?」


才蔵は顔を上げた。


廊下は緩やかなループになっており、はるか向こうは見えなかった。


足音は確実に、こちらに向かっており、影が…最初に姿を見せた。


灰色の壁に映る影と足音から、近付いてくるのは、1人だとわかった。


才蔵は足を止め、息を整えながら、相手が姿を見せるのを待った。


血の匂いで興奮していた体も、落ち着いていた。


いや、小刻みに震えていた。


それは、歓喜からではなく、恐れであることが…才蔵にはわかった。


だからこそ、才蔵の頭は歓喜した。


(や、闇が震えておる…!私の研究は、成功したのだ)


体とは別に、才蔵自身は感動し、涙を流した。



そして、姿を見せた者を確認すると、才蔵は喜ぶのあまり号泣した。


「や、やはり…なれたのだな!月の戦士に…」


「…」


黒い戦闘服に身を包んだ九鬼が、才蔵の前に立っていた。


両腕だけは、真っ赤に染めながら。


「真弓!」


才蔵の叫びに、九鬼ははっとした。


曇った眼鏡の為、表情はわからなかったが、どうやら意識を失っていたようだ。


九鬼は自分に起こったことに気づかずに、無意識に戦ったのだ。


「お、お爺様」


「真弓よ」


才蔵は、九鬼の姿に満足げに頷くと、大粒の涙を床に落とした。


そして、壁から手を離すと、九鬼に微笑みながら、最後の言葉を述べた。


「これが、仕上げだ」


才蔵の瞳から、一筋の涙が流れると同時に、両肩が盛り上がり、2つの口へと変わった。


「私を殺せ」


それが、才蔵の最後の言葉になった。


「うぐぐわあ!」


才蔵の喉仏が盛り上がり、唇が裂け、それから赤い表情の別の顔が飛び出してきた。


それは、生まれたばかりの胎児を思わせた。


「キイイイー!」


猿のような甲高い奇声を発すると、その頭は口から飛び出し、うなぎのようなヌメヌメした長い首をさらした。


九鬼に、ギロッリと開いたばかりの白目を向けると、襲いかかってきた。


「お爺様…」


九鬼の心はたじろぎ、その場から逃げ出そうとした。しかし、それとは逆に、体が動いた。


九鬼の黒い体が、一瞬光そのもののように輝いた。


両手が勝手に動き、クロスを描いた。


廊下に光った閃きは、才蔵だったものの横を通り過ぎた。


「乙女…シルバー…」


初めて話した胎児の頭が、口にした言葉が、断末魔となった。


無数の傷が、才蔵だったものの全身に走ると、血を噴き出しながら、細切れになった。




「お爺様!?」


単なる肉片と化した才蔵の体が、廊下の床に血飛沫とともに、崩れ落ちた時、九鬼の体と精神は再びリンクした。


光と化していた体は、黒と真っ赤な鮮血で染められていた。


「い、いい…」


九鬼は自分を手を見て、血溜まりの中、両膝をついた。そして、天井を見上げ、絶叫した。天井もまた真っ赤だったからだ。


「いやあああ!」


しかし、九鬼には狂う余裕もなかった。


血に誘われて、研究所内に残る…魔と同化した人々が集まってきたからだ。





「ま、まさか」


胸騒ぎを感じ、研究所を訪れた兜は、異様な光景に絶句していた。


夜の戸張の中で、研究所は闇に包まれ、抱かれているように思えた。


「捧げたのか」


兜の全身に、悪寒が走った。


「闇に…肉体を」


兜は無意識に、親指の爪を噛んでいた。研究所までは、あと数十メートル。


近づいていいのか…躊躇してしまう。


しばらく、考えて…兜は車のエンジンを切った。


心を静めながら、車から降りることを決意した。


その時、山の谷間にある研究所から、声にならない悲鳴が周囲の木々を震わせた。


その悲鳴の振動が、車を降りたばかりの兜の全身を震わせた。兜は思わずよろけながら、ボンネットに手をついた。


「何だ?」


研究所の真上にあった月は、分厚い雲に隠されていたのに…突然穴が開き、そこから月が見えたと思った瞬間、一筋の光が月から、研究所に向かって伸びた。


「あの光は!?」


目に全然眩しくない光は、研究所内にある何かに、導かれているように見えた。


兜は唾を飲み込み、


「あれは…ムーンエナジーか」


唇を噛み締めた。


「しかし…あれほど、集束されたムーンエナジーを見たことがない」



研究所を覆っていた闇が、苦しそうにもがき、拡散した。


そして、今度は目映い光が研究所を包むと、一瞬で輝きは消えた。


「な」


その代わり…新たな光が研究所を包んだ。この光は、研究所に居座った。


「せ、先生!」


兜は走り出した。


研究所が燃えていた。


炎は研究所を赤と黒だけで、染め上げた。その勢いは、異様に速い。


兜はそばまで来たが、近づくことはできなかった。


「中は…どうなっているんだ!」


炎の熱気に、兜が目を細めていると、燃えたかる研究所の中から、ゆっくりとこちらに近づいてくる黒い影をみつけた。


それは、炎に燃やされることはなく…いや、炎よりも熱く思えた。


「人…か?」


兜は、崩れ落ちる研究所から、何事もないように歩いてくる人を凝視した。


「せ、成功したのか」


兜は一瞬で、事態の終息と、原因結果を理解した。


「魔を召喚させ…あれを見つけだせたのか…」


兜は、炎を従えているように見える人影を目を細めて、じっと見つめた。


かつて、才蔵は兜に語っていた。


月の戦士を復活させる方法を。


「無理だ」


それをきいた兜は、首を横に振った。


「その方法は、危険過ぎる!」


だけど、才蔵は口元を緩めるだけだ。


兜は声を荒げ、


「あわよく…戦士になれたとしても、周りは化け物ばかりだ!勝てるはずがない!」


「フン!」


才蔵は鼻を鳴らした。そして、兜に背を向けると、虚空を睨みながら、こう言った。


「周りにいるすべての魔を皆殺しにできないやつに、月の戦士を名乗る資格はないわ!」


才蔵は、振り返り、


「月の光は、すべてを照らす!ならば!月の戦士は、すべてを駆逐しなければならない!」


兜を睨みつけた。


「その程度もできない戦士ならば、いらぬわ!」





兜は炎の中から、燃えることもなく、平然とでてきた者を見据えた。


(この様子だと…魔は駆逐したか…しかし!)


兜は、恐れていた。魔を倒す力を得る事ができたとしても、闇に囲まれた人間は、人間のままでいられるのか。精神的に大丈夫なのか。


兜は震える手で、着ている上着の内ポケットから、リモコンをとり出した。


(し、試作品の…ロボで勝ってるか)


兜はもしもの為に、戦う兵器を開発していた。


ムーンエナジーを使える兵器だ。


しかし、目の前にいるのは、そのムーンエナジーを使う戦士だ。


兜の額に、冷や汗が流れたとき。脳裏に才蔵の言葉がよみがえった。


(そんなに…やわに鍛えておらぬは、うちの孫は!)


炎の照り返しから逃れ、姿を見せた戦闘服に身を包んだ戦士の瞳から、一筋の涙が流れたことに、兜は気付いた。


涙とともに、戦闘服は消え、変身が解けると、九鬼へと戻った。


九鬼の手の中に戻るはずの乙女ケースはこぼれ落ち、前に転がった。


「お爺様…」


崩れ落ち、両膝を地面につく九鬼。


「…」


兜は無言で、地面に転がったシルバーの乙女ケースを拾い上げた。


「乙女…シルバー…」


兜は、少し煤けた乙女ケースの表面を手で拭った。


かつて月の軍勢は、闇の勢力を押し返し、その身を封じた。


この戦いで、活躍した4人の最強の戦士。


それが、乙女ダイヤモンド、乙女プラチナ、乙女ゴールド…そして、乙女シルバーであった。


戦いの終結後、残った闇を封印する為、ダイヤモンドとプラチナとゴールドは、御神体として、各地に奉納された。


しかし、シルバーだけが行方不明となっていた。


その理由は簡単だった。


シルバーはすぐに、闇と同化することができた。


それは黒く酸化するよりは、闇化と言われた。


乙女ダーク。


その為、乙女シルバーは月と闇の力を使うことができる。


しかし、闇の影響力は凄く、乙女ダークと化した戦士は、精神を蝕まれる危険性を伴っていた。


事実、先代の乙女シルバーは闇との戦いの中で、行方不明となり…シルバーの力は闇に消えた。



(だから、先生は)


兜は乙女ケースを握りしめた。


(闇に堕ちぬ…戦士を育て…闇の中から、シルバーの力を探した)



そして、泣き続ける九鬼を見つめた。


(闇に囚われない心)


兜はゆっくりと近づき、崩れ落ちている九鬼を見下ろしながら、言った。


「泣くな!これは、試練だ」


「え?」


九鬼は涙を拭わずに、顔を上げた。兜の顔を見つめた。


会う人間は、才蔵以外ほとんどが戦う相手だった九鬼は立ち上がると、回し蹴りを兜に叩き込んだ。


「闇にのまれていたが…狂犬だな」


「!?」


九鬼の鋭い蹴りを、兜は乙女ケースで受け止めていた。


そして、左手で九鬼の足首を捻ると、そのまま関節を決めようとしたが、九鬼は回転することで、兜の手を弾いた。


驚きの顔で、距離を取った九鬼は、再び兜の顔を見つめた。


「フン」


兜は鼻を鳴らすと、眉を寄せ、


「才蔵先生から…もしのことがあったらと頼まれていたが…」


燃えている研究所をちら見すると、九鬼をまじまじと見つめた。


「今が、その時のようだな」



九鬼は思考を巡らし、考えた。目の前にいるのは、自分に殺気を向けてもいないし、才蔵に何か頼まれているようだ。


「お前に、渡すものがある」


構えを少し解いた九鬼を見ながら、兜は上着の内ポケットから、封筒を取りだし、九鬼に投げた。


封筒は縦に回転し、九鬼の指の間に挟まった。


「ここに、学校の転入届けがある。お前はまず…人としての生活をおくれるようにならなければならない。この学校の校長は、お前の身の上を知っている」


そう言うと、兜は九鬼に背を向けた。


「これは…預かっておくぞ。まだ必要ではないだろうからな。二年後…大月学園で会おう。そこに、お前が今まで育てられた意味がある」



「ま、待って!」


九鬼は、去っていく兜の背中を呼び止めた。


「あ、あたしが学校に!?」


兜は足を止め、振り返ることなく、こたえた。


「お前の名前で、今まで学校に通わされ…生きていた傀儡がいた。戸籍もない娘がな」


「その子は!」


「知らんが…処理はしたと思うが」


「!」


九鬼の脳裏に、闇を吐き出した少女の姿が浮かんだ。


「お前が今…いる意味を、二年間考えればいいさ」


兜はまた、歩き出した。


また崩れ落ちそうになる九鬼に向かって、最後の言葉を残して。


「闇は…自分の肉親や、恋人…親友など親しい者に、憑依することが多い。だから、才蔵先生は仕上げに、自分の体を使って、お前に教えたのさ」


「え?」


「自分と同じことに、ならないように…」


兜は振り返り、研究所を見た。


「闇に食われた…娘や家族達を見て、狂った自分と同じにならないようにな」


兜は、研究所に頭を下げた。


「闇に立ち向かう…戦士。いや、闇すら従える戦士を…作り出したかったのだろう。自分の孫を使ってな」


「え」


「道具だと思えば、やめたらいい。高校は別の学校にいけば、お前はこの日々から、抜け出せる」


兜は、停めていた車のドアを開けた。


「最後の選択は、お前が選べるようになっている」



静かに、発車した車のエンジン音を聞きながら、九鬼は…月を見上げた。


そして、ゆっくりと顔を下ろし、今度は両手を見つめた。


血塗られた手。


どこほどの命を断っただろうか。


九鬼は自由になり…そして、魔と化した才蔵を殺したことで、初めて実感した。


命を闇を…己の罪を。


例え、その意味を知らなかったとはいえ、そうしなければ、生きれらなかったとしても。


(あたしは…なんだ?)


月に照らされながら、九鬼は今すぐには出せない答えを探した。



「お爺様…」


ただ…今わかることは、自分が大きな犠牲のもとで存在しているということだ。



「月の戦士…」


九鬼はもう、崩れ落ちることはなかった。


まずは、自分が存在する意味を探ろう。


九鬼は歩きだした。


ただ戦士を育てる為に隔離させた…血が染み付いた場所…自らが、生まれ育った箱から歩き出した。


これまでの…そして、これからの意味を求めて。

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