監禁
「なかなか目を覚まさないから、正直焦っちゃたわよ。」
そう言って、田中優子が知世を見下ろして立っていた。
(ここは‥‥、ああ、そうか‥‥彼女のマンションだ。私は帰り際に‥‥恐らくは花瓶の類で後頭部を叩かれた‥‥。そして、今まで意識を失っていたんだ。あれから何日‥‥)
自分が置かれている状況確認を知世はしていた。
「ちょっと、何か言いなさいよ。」
なかなか喋ろうとしない知世に、田中優子は少々苛立っているようだった。
(ベッドの上‥‥、ロープで何カ所も固定されている。動けない‥‥。幸い、叩かれた頭には痛みは殆どない。手当てはしてくれたのね。)
自分が監禁された事を確信した知世は、顔を田中優子の方に向け‥‥彼女の顔をジッと見た。
「‥‥何よ。」
「貴方‥‥、これからどうするつもりなの?」
それが知世が最初に発した言葉だった。
彼女がようやく口を開いた事に、多少ほっとしたのだろう。田中優子の表情には、若干の安堵感が浮かんでいた。
「それは‥‥、貴方次第よ。」
口元に故意に笑みを作ってそう答える事で、田中優子は自分がイニシアティブを握っているのだという事を、知世にアピールしていた。
「私‥‥何日寝ていたの?」
「8日間よ。」
(そんなに‥‥)
田中優子が、先程見せたほっとした表情の理由を、知世はなんとなく理解した。
「それで‥‥、私にどうしろって言うの?」
田中優子が待っていたであろう質問を、知世は意図的にした。
「簡単よ。‥‥これまで通りにしてくれればいいのよ。」
「いつまで?」
「私がいいっていうまでよ。」
「ふーん‥‥。でも、それは無理。‥‥っていうか嫌よ。」
「なっ‥‥」
知世の口調も、答えも‥‥田中優子の想定していたそれとは大分違っていた。
自分が相手を拘束してる。相手の自由‥‥いや、ある意味命だって自分の手の内にある状況の筈‥‥なのに。
(こういう状況下では‥‥普通、助けてくれと懇願してくるものでしょ。怖くないの?‥‥馬鹿にしてるの?)
そんな田中優子の混乱を他所に、知世が問いかけてきた。
「ねえ貴方、私を殺せる?」
「‥‥」
「無理よね。」
「‥‥」
「そんな事したら、女優どころか人間として終わりだものね。」
「‥‥」
「大体、いつまでもこうしてたら警察とかが捜査し出すに決まってるじゃん。私、人と会う約束もしてたし‥‥不信に思った知人が既に探偵とかに調査依頼しているかもよ。」
「‥‥」
「今なら、私は何も無かった事にしてあげてもいいのよ。
貴方もパニック状態で、咄嗟に私を殴打して監禁しちゃったんだろうし‥‥。
まだ、やり直せるわ。女優としてだって‥‥貴方はもう十分な実績と認知度を持っているんだから。」
田中優子は、反撃する言葉が見つからないでいた。
ほんの少しのやり取りで、既に精神的に追い込まれてしまっていた。
「まったく、なに相手の演技に飲まれちゃってるのよ。
だらしない‥‥、それでも女優なの。」
突然、隣の部屋のやや開いていた扉の向こうから声がした。
それは知世にとっては数年ぶりに耳にした‥‥聞き覚えのある声だった。
直後に開かれた扉‥‥。そこから現れた声の主は、知世が意識を失う直前見た人物‥母だった。
「その子だって、本当は怖いのよ。
自分の運命が他人に握られているっていう現実から、目を背けて演技してるだけなのよ。
実際、自分が今どれほど危険な状態なのか‥‥教えてあげればいいのよ。」
母の眼差しは冷徹なものだった。
数年前に見た時のような痩せこけた風貌ではなく、キチンとした身なりはしていた。
だが、母の口調、表情からは実の娘への慈愛のようなものが一切感じられなかった。
「そうそう、さっき探偵がどうとか言ってたわよね。
そう言えば、それっぽい男がいたわ。
確か‥‥昨日の昼前だったかしらね。
まあ、でも‥‥、何も問題はなかったんだけどね‥‥」
その時、知世は気付いたのだった。
饒舌にスピーチする母の足元‥‥そこに、横たわっている人物がいる事に。
見えているのは膝から下で、その人物はグレーのスラックスをはいていた。
「優子、言ってあげなさい。
その男、なんて言ってここにやって来たんだっけ?」
「今度5005号室に引っ越ししてきたので‥‥挨拶に来たって。」
「そうそう、でも‥‥馬鹿よね。
だって、5005号室には私が住んでるんだから。
私に同居者はいないのにね。」
知世はショックだった。。
知世が自ら閉ざした芸能界での道。
其所への異常な執着によって、母は人間として超えてはいけない一線を‥‥、超えてしまったのかもしれない。
そんな母に対して、かける言葉を失っていた‥‥。
「どうしたの?
あらあら、ようやく自分の立場が分かったのかしら。
それとも、鈍感な貴方にも‥‥ようやく怖いって気持ちが芽生えたのかしら。」
知世にもはや母の言葉は届いていなかった。
怖いという類の感情も無かった。
唯々母が哀れで‥‥空虚感に覆われていた。
その時だった。
ピンポーン
一瞬静まり帰っていた部屋内に鳴り響いたインターホンの音が、新たな来客の出現を知らせた。




