①ブラック花屋の跡取り
魔法がすべてを決定づけるこの世界で、十三歳になる俺は「無能」の烙印を押されていた。
とある王国の八男として生を受け、青い髪と翠玉の瞳、引き締まった体躯という見栄えだけは一丁前に与えられたが、ただそれだけだ。
魔法が使えない王子など、王宮ではゴミに等しい。辺境のド田舎への追放の噂も、すでに現実味を帯びている。
だが、つい先日、俺の脳内に突如として「前世の記憶」が濁流のように流れ込んできた。
そうだ、俺は転生者だ。ブラック花屋の跡取りとして過酷な労働に身をすり減らし、不慮の事故で死んだ、哀れな男の生まれ変わりなのだ。
無能の辺境送り──結構なことだ。土と肥料の臭いに塗れた前世に比べれば、王侯貴族の左遷など天国に等しいことは明白。
俺は決意した。辺境だろうが何だろうが、この異世界で可愛い彼女を作ってイチャイチャしてやる。泥まみれで花を愛でるだけの人生は、もう終わりにしよう。
「グッバイ、シクラメン」
決別を込めて、城内の立派な庭園に咲く赤い花にキザな台詞を投げかけた。
直後だった。
シクラメンが神々しい光を放ち、輪郭を歪ませる。光の奔流が収まったそこにいたのは、一糸纏わぬ全裸の少女であった。
そして俺は即座に理解した。これこそが、遅れて覚醒した俺の魔法なのだと。
「俺のハーレム人生が、今始まったぁぁっ!」
俺は天を仰ぎ、魂の底から歓喜の雄叫びを上げた。
「あ、あのう。ちょっといいですか?」
鈴を転がすような、酷く好みに突き刺さる甘い声が鼓膜を揺らす。最高だ。俺の魔法が生み出した、俺だけの少女。所有権は完全に俺にある。好きにしていいに決まっている。
「なんだいハニー。いや、君はシクラメンだから……略して『シラメ』とでも呼ぼうか」
完璧なネーミングセンスだ。彼女も喜びに打ち震えるに違いない。
「なんですかシラメって。魚じゃないですか。止めてください」
ピシャリと、冷ややかな声が返ってきた。シラメって魚だっけ。まあいい。
「すまないハニー。じゃあ、なんと呼べばいい?」
「そうですね……せめてシーラとか?」
「なるほど、シンプル・イズ・ベストだ。いいよマイハニー・シーラ。さあ、俺の胸に飛び込んでおいで」
鼻息を荒くして両手を広げる。これから始まる魅惑の人生を、俺は謳歌するのだ。
だが、俺の熱視線を浴びた彼女は、華奢な肩をびくりと震わせた。
鮮やかな赤紫の髪が、シクラメンの反り返った花びらのようにふわりと波打ち、滑らかな背中へとこぼれ落ちている。陽光を弾く肌は、陶器のように白く透き通っていた。
しかし、彼女は一糸纏わぬその肢体を、細い両腕で必死に隠している。内股になって身を縮こまらせ、純白の肌を首の根元から耳の先まで一気に朱に染め上げた。
深い翠緑の瞳が微かに潤みを帯び、上目遣いに俺を睨みつけてきた。
「恥ずかしいので、花に戻してくれませんか……?」
恥ずかしい。なるほど、花から生まれた存在であっても、人間らしい羞恥心は備わっているらしい。
素晴らしい。そういうのも、ひどくそそる。
「ならば俺のシャツを貸してあげよう。これを着れば、この世界をもっと愉しめるぜ」
俺のシャツを着る美少女シチュ。最高だ!
「そんな親指を立てられても困るんですけど。というかなぜ私を呼んだんです?」
呼んだ?
なるほど。俺の魔法は花を「人として喚び出す」ものらしい。ならば別の花を喚べば、別の美少女が現れるということか。素晴らしい。試す価値はある。
「君を呼んだのは他でもない。俺と楽しい時間を過ごすためだよ」
「楽しい時間?」
「そうだ。人の姿でしか味わえない、肌と肌が触れあう甘美な時間さ」
「肌と肌が……」
シーラは、自身の白い両手をまじまじと見つめた。初めて得た人間の肉体に戸惑い、そして感動しているのだろう。
「それは、確かに魅力的ですね」
「そうだろうとも。さあ、こっちへおいで。手取り足取り教えてあげよう」
周囲を見渡す。城の庭だが、この時間は人目がない。事を起こすなら今だ。
「こんな姿で人に触れられるのは初めてなので……どうか、痛くしないでくださいね」
上目遣いの健気な懇願。俺の全身の血が沸騰した。
「う、うん。優しくするよ」
震える手でシーラの華奢な肩に触れ、ぐっと腕の中へ引き寄せる。
その瞬間だった。
「ん? これは……」
乾燥している。
俺の掌が、彼女の肌から危険なサインを感知した。このままでは根腐れを起こす。城の水やり係は素人か。シクラメンは適切な水分管理が命だろうが。
思考が、泥に塗れた前世の記憶に支配されていく。
根腐れ防止には、まず茎の根元を揉みほぐす。そして霧吹きで微細な水分を与え、自然光を当てる。
違う。
俺が求めているのは、そんな労働ではない。
柔らかな肌を堪能し、甘美な吐息に酔いしれるはずだった。
しかし、俺の右手はすでに彼女のうなじから肩甲骨へと滑り降りている。そこにエロティシズムなど微塵もない。長年の酷使で固まった土壌をほぐす、熟練の職人の手つきだ。
「ああっ、そこ……すごく、いいです……」
シーラが身をよじり、艶っぽい声を漏らす。
俺の親指が、彼女の肩の付け根──茎と球根の境界にあたる最重要部位を、完璧な力加減で揉みほぐしていた。
頭の奥で、親父の怒声が響く。
『シクラメンの乾燥は命取りだ! 葉水を怠るな!』
やめてくれ、親父。俺は今から、異世界で念願のハーレムを築いていくのだ。
心の中で血の涙を流しながらも、俺の左手は庭の隅にあった水差しを掴み取っていた。
指先で水を弾く。極めて微細な飛沫が、シーラの白い肌を真珠のように濡らしていく。
「ひゃっ、冷たい……でも、なんだか、すごく満たされて……」
潤いを帯びた肌に、俺の掌が吸い付く。
血流を促し、水分を隅々まで行き渡らせる。無駄のない流麗なストローク。脳は必死に淫靡な妄想へ縋り付こうとするが、肉体は完璧な園芸メンテナンスを遂行してやまない。
「はぁっ、主様っ。指が、そんな深く……っ」
「いいぞ。その調子で水分を吸収しろ。冬の乾燥は最大の敵だ」
口から飛び出したのは、甘い囁きではなくガチの園芸アドバイスだった。
陶酔しきったシーラの顔を見下ろし、俺は絶望の淵に立つ。
俺の青春は。俺の煩悩は。親父のスパルタ教育の前に、無惨にも敗れ去っていく。
その時だった。
背後で、氷のように冷たい風が吹いた。
「……何をしているのですか、ハナ兄さん」
振り返る暇もなかった。
鈍い破裂音。後頭部に凄まじい衝撃が走る。
視界が激しく揺れ、俺はそのまま芝生の上に突っ伏した。
「ぐあ……っ」
頭を押さえ、呻き声を上げる。薄れゆく意識の中で見上げた先。
そこには、分厚い装丁の魔導書を片手に仁王立ちする妹・エミリーの姿があった。
一糸の乱れもなくキッチリと編み込まれた、烏羽のように艶やかな黒髪のおさげ。
豪奢な意匠のドレスを身に纏っているが、首元まで隙間なくボタンを留めた着こなしには、彼女の神経質な気性が表れている。透き通るような白い肌と、酷薄に真一文字に結ばれた薄い唇。
そして何より、見下ろしてくるその瞳だ。
俺の翠玉とは異なる、氷河を思わせる冷徹な蒼。
「全裸の女性に水を振りかけ、息を荒くして揉みしだく姿。完全に手慣れた変質者です。今すぐ死んでください」
「ちが……これは、乾燥対策で……」
「黙りなさい。言い訳がさらに気持ち悪いです」
ピシャリと一蹴する。エミリーは氷のような視線を、びくつくシーラへと向けた。
「そして、そこのあなた。服も着ずに外で何をしているのです。すぐに着なさい」
「は、はいぃっ!」
エミリーの尋常ならざる迫力に圧され、シーラは慌てて俺のシャツを羽織った。




