22.ミカエルと詩集
馬車に揺られて二時間以上、帝都郊外にわたくしたちは出ていた。
帝都郊外の山に入って行く前に、馬車の中で昼食を食べる。
昼食はサンドイッチだったが、ミカとわたくしの分は小さく作られていて、小さな口でも無理なく食べられる。お母様のサンドイッチも控えめな大きさだったが、ラファエルお兄様とお父様のサンドイッチは大きく、数もたっぷりと入っていた。
「おいちいね。ねぇね、こえ、ジャム!」
「このジャムのサンドイッチがほしいのですか?」
「あい!」
「次に食べましょうね」
ミカはこれくらいの量だったら問題なく完食するので甘いジャムのサンドイッチも順番は関係なく食べさせていたら、上機嫌で食べている。お母様が紅茶をカップに注いでミカとわたくしに飲ませてくれた。
美味しい昼食が終わって一休みすると、再出発だ。山道は馬車が揺れて気分が悪くなりそうだったが、わたくしたちはどうにか山の中の別荘に辿り着いた。
山の中の別荘は広くきれいで、侍女も執事も揃っている。
普段はこの別荘を維持するために働いてくれているようだ。
「皇帝陛下、皇后陛下、ラファエル殿下、セラフィナ殿下、ミカエル殿下、ようこそいらっしゃいました。ゆっくりと寛いでくださいませ」
「帝都から運ばれてくる執務の書類はわたしの部屋に運ばせてくれ」
「心得ました」
執事から声をかけられて、お父様は執事に命じていた。
部屋はお父様とお母様が同じ主寝室を使って、わたくしとミカが同じ部屋、ラファエルお兄様が一人部屋だった。
「せっかく別荘に来たのに一人部屋は寂しいよ。わたしも父上と母上に言って、セラフィナとミカエルと同じ部屋にしてもらおうかな」
「にぃに、おんなじ?」
「お兄様、この部屋にはベッドは二つしかありませんわ」
「床でもいいからセラフィナとミカエルと寝たい!」
ラファエルお兄様の強い要望によって、ベッドがもう一台運び込まれてラファエルお兄様も同じ部屋になった。
兄弟三人で同じ部屋になるのは初めてかもしれない。
「にぃに、えほん」
「どの絵本を読む?」
「こえと、こえと、こえ!」
荷物に入れて来た絵本を引きずり出してミカがさっそくラファエルお兄様に甘えている。ラファエルお兄様も甘えられてまんざらではない様子だった。
絵本を読んでいるラファエルお兄様の声が聞こえる。
「『あぁ、愛しのあなた。わたくしの心は千々に乱れ、胸の中に咲く薔薇の花は花弁を散らしてしまうのです』……ミカエル、これは詩集かな? 楽しいの?」
「ちゅづき、よんで!」
「えーなんか、わたしはこれ、嫌だなぁ」
「にぃに!」
「あ、はい」
珍妙な響きのする詩集を読まされているラファエルお兄様に、わたくしはミカが心配になってしまう。
こんな詩を読んで育っていたら、年頃になったら好きなひとに詩を書き出すのではないだろうか。
「『わたくしの愛は薔薇の蕾の中で眠っていて、花開く日をずっと待っているのです。風さん、虫さん、どうかわたくしの薔薇の花を散らせないで。あのひとに心が届くまで』……これ、本当に面白いの」
「ふー……しゅごーい!」
読み終わってラファエルお兄様が愕然としているのに、ミカはぱちぱちと拍手までしている。
ミカは感性が独特なのだろうか。
何より、この詩集を絵本に混ぜたのは誰なのだろうかとわたくしは訝しく思っていた。
奇妙な詩集が終わると、ミカは「もういっかい!」と指を一本立てて、もう一度読むことを要求していた。ラファエルお兄様はミカのかわいさと、詩集の珍妙さを秤にかけて、ミカのかわいさが勝ったようだ。渋い顔で詩集をもう一度読んでいた。
夕食のときに詩集の話になった。
「ミカエルの絵本の中に詩集が入っていたのですが、内容が……その、芸術を理解できないわたしには難解で、どうしてあんなものがミカエルの絵本に交じっていたのか……」
「それは、ストラレイン王国の王族がミカエルの三歳の祝いにくれたものだな」
「ストラレイン王国では流行っていると聞いていたのですが、わたくしもミカエルに与える前に読んでみましたが、よく意味が分かりませんでした」
「ミカエルは、それを気にいっているようなのです! ミカエルが将来、あんな詩を書くようになってしまったらどうすればいいのでしょう……」
絶望的な顔になっているラファエルお兄様に、お父様とお母様も困り顔になっている。
「一度与えてしまったものを今更取り上げるのはかわいそうだしなぁ」
「ミカエルが気に入っているのならば取り上げるのはよくないですね」
「ミカエルにはこれはお話の中の世界だと言い聞かせて与えるのはどうだろう?」
「現実と混同しないようにですね」
現実と混同しないようにと言っても、ミカはまだ三歳なのである。
そんなことができるかは怪しい。
わたくしとラファエルお兄様は心配していた。
翌日は川に釣りに行った。
護衛たちがついてくる中、お父様とお母様とラファエルお兄様とミカとわたくしで仲良く歩いて川べりまで行った。
川でお父様とラファエルお兄様が釣りポイントを探している間に、わたくしとお母様とミカは石をひっくり返して虫を探す。じめじめとした場所にある大きな石をひっくり返すと、その裏にうじゃうじゃと虫がついていた。
「おかあたま、むち!」
「そうですよ。この虫を餌に釣るのです」
「わたくし、虫に触れます」
「わたくしも平気です。ミカエルは?」
「むち、へいき!」
お母様も平気で虫に触って用意してきたバケツの中に入れているし、わたくしも虫を摘まんでバケツの中に入れた。ミカはなかなかつかめない様子だが、虫に抵抗はなさそうだった。
小さなバケツに半分くらい虫を捕まえて、わたくしたちはお父様とラファエルお兄様に合流した。お父様とラファエルお兄様は大きな石を椅子のように動かして、わたくしたちが座れる場所を作っていた。
石の上に座って、釣り針に虫をつけてもらって、釣り糸を垂れる。
ミカはお母様と一緒に釣っている。
最初にかかったのはラファエルお兄様だった。
「魚だ。結構大きい!」
「ラファエル、そっちにたもを持って行くから、逃がすなよ」
「はい!」
お父様がたもで魚を掬ってくれて、魚は用意してきた大きなバケツの中に入れられた。よく太った小型の魚で、清流にしか住んでいなくて、臭みがなくて美味しい魚だと教えてもらった。
「香りがいいから香魚と呼ばれているんだ」
「今は香魚の季節なのですか?」
「そうだね。今が一番獲れる時期かもしれない」
お父様の竿にもかかって、お母様も釣りあげて、わたくしも一匹釣って、合計六匹の香魚が釣れた。香魚は食事に出されるようだ。
釣りを楽しんで、昼食には別荘に帰ると、はしゃいでいたミカは昼食を食べると眠ってしまった。
ラファエルお兄様がミカに与えられた詩集を読んで苦い顔になっている。
「お兄様、わたくしにも見せてもらえますか?」
「セラフィナ……セラフィナが影響を受けないことを願っているんだが」
「わたくしは大丈夫だと思います」
でも、三歳のミカは難しいかもしれない。
愛の妖精さん、胸の中の花園、恋のかくれんぼ、よく分からない単語の並ぶ詩を眺めて、わたくしはミカがどうしてこれを気に入っているのか全く分からなかった。
その日、ミカとラファエルお兄様とベッドを並べて眠ったわたくしは、夢を見た。
「セラフィナお姉様、新しい詩ができました」
「詩……ミカ、詩など書いていたのですか?」
「はい、読んでください」
恐る恐るわたくしはミカの差し出した便箋を受け取る。夢の中のミカは十歳くらいだろうか。わたくしよりもずっと体が大きくなって、きらきらとした金色の目でわたくしを見ている。
『愛しいあなたへ。わたしは今、恋の病にかかっているのです。医者も治すことのできない病です。わたしの心は千々に乱れ、わたしの胸の中にある薔薇の木が揺れています。どうか薔薇の花の花弁を散らさないで。あなたに届ける愛なのだから』
わたくしはミカにコメントができなかった。
十歳くらいのミカは笑顔でわたくしのコメントを待っている。
起きてから、わたくしはミカが隣のベッドで健やかに寝息を立てているのを見てほっとした。
これが現実となりませんように。
わたくしは必死に祈った。
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