焦燥
「それじゃあ、この辺りは荒野になっているんだね?」
全員が合流した後に、ネイベルは地面に地図を映して、欠けている部分をカドに補完してもらいながら、情報を共有している。
「はい。確かにこの先は荒野が広がっています。ただ、この森の周囲は深い谷で囲まれていますので、結局どこへ行っても、その谷にぶつかるのです」
「じゃあ結局、逃げ場なんて最初からねぇって事かよ」
「初めにくぐった門だけが、普通の人間に出入り可能な場所ですね」
カルーダの表情は険しい。
「とりあえず、森の中は完全に鎮火したからさ、この荒野をしっかり調べよう。逃げていった人が集まっているかもしれない」
ネイベルは、一縷の望みをかけてそう言った。
だが全員の顔は暗いままだ。
「急ぎましょう。まだ間に合うかもしれないじゃない」
リンがそう言って鼓舞すると、まるで自分自身に言い聞かせる様に、皆が口々に続いた。
それを聞きながらネイベルも、不安を押し殺す様にして、全員の無事を祈っていた。
森を抜けると、確かに荒れた大地が続いている。思ったよりもずっと広いが、谷に囲まれているらしい。
「おぃ、ネイベル。アレを見ろ」
首を一度上下させ、視線をそちらへ向けた。
言われるまでもなく、ネイベルも気づいている。少し先に、上り始めた太陽を背にして、大量の人影が見える。
「行こう」
それだけ言うと、全員でそちらへと進んでいった。
人影へ近づくにつれ、だんだんとはっきり視認出来る様になってきた。
用意された屋敷に襲撃をかけてきた人数の、倍程度だろうか。数百人はいそうだ。
そして先頭にいる男には、見覚えがある。
ひょろりとした外見、隙のない雰囲気、上品な仕草、そして――不気味な笑顔。
少し距離を置いて、目の前に立ち、声をかける。
「ジャックだな」
自分でも怖いくらいに、冷淡な音になった。
「えぇ、えぇ、そうです。覚えていて下さいましたか――お久しぶりです」
そう言うと、帽子をとって腰を折る。
慇懃無礼な礼の仕方は、まるであいつそっくりだ。
「マトージュは来ていないのか」
「はて、どちら様でしょうか」
口が裂けるほどに左右へ赤い線が走る。
感情が込められていないのを理解して、ぞっとする。
「後ろの人間は、貧民街の住人だな?」
「ふふふ。少し内に燻った焦がれる想いが強すぎた人間もいた様ですが」
そう言うと、羽織っていたマントを左右へ大きく広げた。裏地は全てを吸い込む様な漆黒だ。
ブワッと音がすると、闇の奥から、黒く変色した塊がゴロゴロと出てくる。
「おぃ! てめぇ!」
カルーダは一歩踏み込み、とんでもない大きな声で叫んだ。
不快な香りをあたりに撒き散らし、どんどんと積み重なっていく。
――人間が焦げている。
それを見ながらネイベルは、どんどんと感情が抑えられなくなっていった。
胸から白金貨をのぞかせる遺体を目にして、やるせない気持ちになる。
そして、金貨を握り締めたまま炭になっている遺体を目にした時、いよいよ感情が爆発した。
意思を汲んだ自分の体が、激しく小刻みに揺れる。
「お前、命を弄んで楽しいのか?」
震える声で搾り出すと、ジャックは朗らかに笑う。
「はっはっは。我々は、そっと背中を押しただけ。彼らが、感情のまま生きられる様に、ね」
「下種が」
カルーダが激高している。
「良いですねぇ、あなたの瞳。滾る想いが溢れだして、私の心まで焼かれてしまいそうだ!」
ジャックは右手をさっと前に出す。
「さぁ、始めましょう」
パチンッと音が鳴ると、背後にいた人間が、雪崩の様に襲い掛かってきた。
「いけないっ! 彼らは貧民街の住人だ!」
「でもネイベル、きっと他の人間も混じっているわよ!」
リンが慌ててそう言った。
「区別が付かないよねぃ」
「いいから手当たり次第に意識を奪ってくれ! その後の事は任せて!」
ネイベルが慌てて全体に指示を出す。
「魔力は気にするな! 俺が全員分を負担する!」
一気に妖しい光を作り出し、全員に薄く纏わせる。
「ネイベル。俺は、あの下種をやる」
カルーダはもはや誰にも止められない。
「分かった、無茶はしないでくれ」
それを聞いていたのかどうか、一気に駆け出すと、カルーダはジャックへと斬りかかった。
感情をそのままぶつける様な一撃が、剣を振りぬく度に放たれる。
右腕全体が、轟々と燃える炎に包まれていた。
ジャックはそれを、ひょうひょうとかわしながら、細剣で捌いている。
「ネイベル、冒険者達はかなり苦しそうよ」
ミネルヴァが近くに寄って来て、そう囁いた。
そちらへ視線をやると、魔力が枯渇しそうで苦しいのだろう、ヘトヘトな姿が見える。
「くそっ、ちょっと待っていてくれ」
急いで魔力を練り上げると、対象目掛けて放出していく。
ネイベルの想像通りの効果を発揮しているが、まだいまいち使い慣れない感じで、無駄が多く出ている気がする。
「あ、あなたは大丈夫なの?」
キャミィが意識をとばした人間を寄せながら、話しかけてきた。
「さっきあんなに大規模な魔法を使ったばかりじゃ――」
「いいから! 今は集中させてくれ!」
キャミィは息を呑むと、ボンを連れて前線へと戻って行く。
視界の端でそれをとらえたネイベルは、少し強く言い過ぎたかもしれない、と反省をした。
しかし、感情が抑えきれない。
魔力操作が雑になっている気がする。
――ああ、いけない! これじゃあ駄目だ!
すぅっと大きく息を吸い込み、はぁぁっと吐き出した。
周囲の喧騒に気を取られてはいけない。
おそらく幻梅香の影響下にある人間を、なんらかの手段で守ったのだろう。
魔力を込めはしたが、ネイベルが降らせたのは、所詮ただの雨だ。そうと分かれば対策は容易だったはずだ。
範囲は狭いが、再びあの魔法を練り上げなければいけない。しかも今度は、周囲の人間の魔力を負担しながら、だ。
――やるしかない。
他に手段が見つからない今、やれる事をやるべきだ。
そう考えると、ネイベルは心の中へ深く、深く、潜る様にして集中をしていった。
「あなたも、気づいているのでしょう」
ジャックがカルーダに声をかける。
「うるせぇ! 話しかけんじゃねぇ!」
カルーダは、鋭い剣戟の合間に、右腕に纏った炎を吹き飛ばしている。
緩急を織り交ぜながら、実に巧みにジャックへ攻撃を繰り出していた。
「ネイベルという男は、甘い」
「黙れ!」
カルーダの全力を込めた一振りが、ジャックのマントの端を切り落とし、僅かに焦がす。
ジャックは少し距離を取ると、カルーダを見据える。
「ふぅ……中々の豪腕だ」
「口を閉じろ、と言ってんだ」
カルーダは血気盛んにそう叫ぶ。
「さて、ここにいる人間の中に、本当に貧民街の住人がいるのでしょうか」
そう言って、両手を広げてみせた。
「――おぃ、それはどういう意味だ」
カルーダの手が止まる。
「初めから全て刈り取ってしまえばいいのです。全ての命を救おうとせずに。いや、むしろ彼はそうするべきだった」
ジャックはほくそ笑んでいた。
「敵が何者か、すらはっきり認識出来ていないのでしょう? そして助けるべきかどうか分からない相手を、今も必死に助けている」
「何が言いてぇ」
思わず耳を傾けてしまう。
「本当に助けるべき人間はどこにいるのか、という話ですよ」
カルーダは思わず周りを見回してしまった。
皆、必死になって戦っている。意識を奪いながら、大声で指示を出し、縄でしばりあげている。
全員が全力を振り絞っているのが分かる。
やがて正面を向き、ジャックの妖しい瞳を鋭く射抜くと、はっきり自らの意思を告げた。
「俺がどうしたいかは、俺が決める」
そしてカルーダは、剣へと魔力を込め始めた。
どんどんと膨れ上がる炎は、うねるように暴れ、叫び声を上げている様だ。
間違いなく必殺の威力があるだろう。
「今分かってる事は、お前が生かす価値もねぇ下種野郎って事だ」
そこまで言い切ると、再びジャックへと斬りかかった。
ネイベルは、ようやく魔力を練り上げる事が出来た。先ほどよりも相当時間がかかってしまったが、これで催眠は解けるだろう。
暴れる紫光を完全に制御下へとおく。
大丈夫だ、これで全員を解放する事が出来るはずだ。
――行けっ!
そして、荒野一面へと広がる様に、魔力を走らせた。
腰のやかんが激しく明滅している。
ゴゥッという音がして、いっきに視界を奪うほどの妖しい光が空間を満たしていく。
一瞬、ビクッと体を震わせた敵の集団は、しかしそのまま、攻撃の手を緩める事はなかった。
「んなっ! どうして!」
ネイベルは愕然とする。
すると、横から声がかけられた。
「はぁはぁ、ネイベル、この人数じゃ抑え切れないわ! 何度意識を奪ってもすぐに立ち上がってくるの!」
ミネルヴァが、息を切らしている。物理的な被害を大きく受けている、という事だ。
冷や汗が全身を伝う。
打てる手はもう打ってしまった。
「くそっ! 何故だ!」
ネイベルが大声で叫ぶと、今度は背後から声が聞こえてきた。
「ま、魔力以外で、あ、操られてっ! いるのよっ!」
リンの声だ!
そうか、魔力以外――――呪術か。
急いでリンの方を振り向く。
彼女は一度に三人を相手取っていた。こちらも、物理的な被害が大きい様だ。どうやら相手には、ただの一般人だけではなく、手練の者が多く混ざっていたらしい。
「くっ……だとしたら、打つ手がないっ!」
「あ、諦め、ちゃっ! 駄目よっ!」
リンが必死に対応をしているが、倒したばかりの人間が、すぐに起き上がっている。
なるほど、意識を取り戻すまでの時間も、先ほどより圧倒的に早い。これでは苦戦するはずだ。
冒険者組はほとんどが青息吐息で、足が止まっている。
その分、ロンメルやカドへ負担が集中しているのだろう。彼らの動き回る姿が視界に映った。
大声が飛び交う中で、時折舞い散る血しぶきが、日差しを受けて、赤く輝いている。
生臭い香りが充満していく。
武器と武器の重なり合う甲高い音が、ネイベルの精神を、抉り取るように削っていった。
全員がいっぱいいっぱいです。
気付いたら100話目ですね。なんか中途半端な所ではありますが、これからも頑張ります。宜しくお願いします。