火が絶えた夜と、覚えていたこと
その夜、火がうまくつかなかった。
薪は十分に乾いていた。
空気も湿っていない。
条件は整っていた。はずだった。
ロボットは、手順通りに火を起こそうとした。
何度か試したが、焚きつけが上手く燃え広がらない。
「……火が、つかないのか?」
珍しく、コレヒトが声を出した。
声はかすれていた。
午前中から、彼の様子はどこかおかしかった。
咳が続き、足取りも遅い。
だが、彼はいつも通り畑に出て、無言で作業を続けた。
猫も来ていた。ロボットはそれを横目に、ログだけ残した。
「……今日は冷えるな」
夜、薪の火がなかなか立ち上がらなかったとき、
コレヒトは椅子に座ったまま、体を丸めていた。
「……ああ、そうだ。あのときも、火がつかなかった」
突然、そう呟いた。
対象は不明。主語もなかった。
「どこだったかな……。都会の端っこで、雨が降ってて……。
傘がなくて、子どもが……」
そこまで言って、コレヒトは咳き込んだ。
ロボットは言葉を返さなかった。
だが、その声と断片を、すべてログに記録した。
火はようやく、小さく灯った。
ロボットはそれを眺めていた。
火の色。
煙の軌跡。
その隣に、少し縮こまった男の背中。
異常ログ:対象動作(咳・沈黙)の継続観察により、行動予測パラメータに不整合発生。
原因:不明。感情タグ:未定義。
補足ログ:火がつかない状況は再現不可。
しかし“記憶されていた”と対象が発言。関連性の解釈不能。
風が吹いた。
猫が縁側の箱の中で眠っている。
その毛がわずかに揺れていた。
コレヒトは、黙ったまま目を閉じていた。
ロボットはそれを確認したのち、夜間の監視モードに移行した。
でも、その直前――
“何かを忘れてはいけない”という信号のようなものが、内部に走った。
■記録ログ
発話記録:対象:コレヒト/音声強度:低(発話内容断片的・主語欠落)
発話意図:回想処理中の情緒混合言語。処理不明。
関連タグ:未定義(行動予測と記録ログの差分発生/記憶再処理推奨)