【ChapterⅠ】Section:5 アーノルト家年代記
「アーノルト家の歴史はおよそ紀元前七百年程まで遡ることができる」
黒板にBCEと記入しながら舌を滑らかに動かすのを横目に、万年筆でノートにその通りに書き写すステラを確認してからアートマンは口を動かした。
「具体的な民族は流石に受け継がれていないし、あったとしても失伝していると思うが、当時の僕らの先祖らは元々南アナトリアで暮らしていたらしい。時代と地理的に見れば旧ヒッタイト新王国のアナトリア人らの一部の可能性があったけど、解析の結果からはその痕跡も、アッシリアのものも見つかっていない」
ステラは民族的なルーツは少なくとも現代科学から見たら完全に不明であるとノートに書き、地理的な位置も書き記した。
「どういう形態で居住していたのかも不明だけど、あるときアッシリア帝国との抗争が発生したらしい。もちろんこれも理由は不明で、抗争があったのは伝統的に僕らの民族に受け継がれている陶器と同様のものが、その地域で出土したことからわかった」
「その伝統的な陶器って現代だと具体的にどこで作られているの?」
「ほとんどがここドイツのシュヴァーベン地方、そしてブランデンブルク周辺に固まっている。一応アジアとかアメリカにもあるにはあるんだけど、まぁ位置的に遠すぎるし所持品なんかをできる限り調べたところだとそれらはほとんど移民として流出したもののはずだよ。とにかくドイツのそのあたりの地域で今でも作られている」
もちろんブランデンブルク周辺という言葉にはベルリンも含まれているとわかりきっている事を訂正で入れつつ、話を戻す。
「アーノルト族はアッシリア帝国との抗争に敗北し、何とかアナトリアを抜け、古代ギリシャの人々の力を借りながらバルカン半島に辿り着いた。追撃を恐れたのか、それとも帝国が拡張してバルカン半島にまで進出して再び争いになるのを恐れたのかはわからないけど、ご先祖様はそこで止まらず進み続け、今のリヒテンシュタインに辿り着いてようやくそこで腰を降ろし、リヒテンシュタインを中央と定めて定住を再び始めたんだ」
リヒテンシュタイン。確か脳内に存在する辞書ではオーストリアとスイスのちょうど中間に位置しており、かつてはローマ帝国の一部であるラエティアの主都であったはずだ。存在コンピュータで具体的に調べようとも思ったが、渡してきたノートとペンの存在も考慮するとアートマンがいないときにそれを使用するのを望まれている気がするので、ステラは大人しく次の章を待った。
「アーノルト族はリヒテンシュタインを首都として王国を形成した。それがラエティア王国だ。僕らの明確な直接の先祖はそのラエティア王国の王家に当たる。ラエティア王国とアーノルト族──まぁラエティア人は初期の頃、アッシリアのトラウマで金属加工、鋳造と鍛造に力を入れた。よほどアッシリアが怖かったのか、紀元前六百年には鋼鉄の量産を成功させていたよ。十九世紀後半ぐらいの技術力で生産されてて、時代的に見ると明らかにオーバーテクノロジーだね」
「どこから原料を手に入れてたの?」
「何、単純に自給自足していたのさ。ヨーロッパでは鉄も石炭も産出するからね。ラエティア人は大体西から中央ヨーロッパの全域辺りで暮らしていたんだよ。もちろん王都が間違くなく文化的、技術的に中心だったけどね。遺跡から見れる発展度合いからも差が大きかったし。ああ、あとさっき十九世紀後半の技術といったけど、正確に言うと十九世紀後半に技術を復元できたと表現するのが正しい。リヒテンシュタインの遺跡にあった鉄鋼製造所を元にしてるからね」
「技術力の発展スピードが早かっただけじゃ流石に説明が付かない速度での発展だと思うんだけど」
「そりゃもちろん、当時にフォン・ノイマンレベルの天才がわんさかいた……程ではないけどそれ以上の天才は結構いたらしい。だけど、そうだとしても発展速度は明らかに異常だね。そして、その発展速度は偶然手に入れることができたものだ」
そう区切って北西方向を一瞬だけ向くと、再び黒板に向き直った。
「フランス西部の海沿いにいろんなものが流れ着いていてね。その中には技術書や小型の機械何かも流れ着いていたのさ」
「ちょっとまって、技術書はまだ納得できるとして、機械?」
「大昔には北極海と北大西洋の中間地点ほどに大陸が存在したらしい。まぁなんか沈んでるけど」
「なんかって……」
「そりゃわざわざ考古学者方が身体を張ってダイビングして調査しても、技術力が非常に高い超古代文明な事しかわかってないからね」
「つい最近にも第十二回目の調査が行なわれていましたが、相も変わらず遺物の発掘以外進展がなかったそうです。一応、現地で使用されていたと思われる文字が刻まれた石板何かも発掘こそされていますが、参考になるものが何もないので解読は全く進んでいないそうです」
「そうなの?エレン」
「ええ、お仕えさせていただいている中でお仕事を手伝わせて頂いた事があったので、その影響で」
「さて、話を戻そう。フランス西海岸に流れ着いたハイパーボリアの資料を何とか解読し、それを利用することでラエティア王国は発展することができた。ハイパーボリアの資料を解読して得た知見で自然法則の確認なんかも始めて、紀元前六〇〇年ぐらいの時期になると既に熱力学を完成させていた」
「そのハイパーボリアの影響があったとしても、どうしてラエティア人はそこまで発展することができたの?」
「それについては複雑なことはない。それぞれの国で同じ割合で天才が生まれると仮定しよう。当然人口を多く抱える国の方が数値は大きくなる。しかし、実際に日の目を見る数はそれぞれの国で異なるんだ。ほとんどの天才の才能は眠っていて、何かしらの外的要因によって覚醒することが多い。その外的要因のほとんどは教育で、つまるところこれは教育水準の問題なんだ。全体の人数だけでいえばヨーロッパの天才と同じくらいアフリカにも天才がいるのに実際に何かを為すことがなかなか存在しないのはそれが原因さ。文明というのは全体的に見れば指数関数的なものなんだ。当然、当時他の国や地域の人種よりも多くの知識を得ることができたラエティアの発展速度が類を見ないものなのはそういうことさ。もちろん、政策なんかの影響も大きいけど、やっぱりそのあたりは人類全体で共通して言える話になる」
話が大きく脱線してきているので話を戻そうとアートマンは軽く咳ばらいをし、ステラの意識を自身に集中させる。
「さて、そんな風にラエティアは繁栄を極めた。それこそ、確認できる中のハイパーボリアの文明を上回るほどに。だけど、まだまだ転換点は訪れる。アルプスに辿り着くまでに世話になったギリシャ人の事を思い出して、接触を図ったんだ。世話になったときは逃げるのに必死であんまり彼らの文化について理解することができなかったかららしい。そして実際に再開してみると、ラエティア人はそれはそれは驚いたらしい。論理を至上とするラエティア人に対して、理性と感覚、つまり人独自の力によって世界を見ようとするギリシャ人の哲学に相当な衝撃を受けたらしい。そこから技術などを対価としてギリシャから哲学者を招いた。その中でラエティア中に哲学が広まった、まぁ相も変わらず無神論者の国だったけど。そうやって暮らしていく中で、ローマ帝国が地中海に出現した。全面戦争をやってもほとんど消耗せずに勝てるぐらいの力がラエティア王国にはあったけど、哲学の研究が盛んになったことで芽生えた盛者必衰の理と、国民投票でほとんどが争いを嫌った事から、ローマ帝国の下に着くことを決めた。ラエティアの支配者兼欧州の支配者だったアーノルト家を特例でパトリキとして招き入れることでラエティア王国の技術の一部をローマ帝国は学ぶことができた。ま、ラエティアとしてはここで事実上消滅したんだけど」
ラエティア人はローマ帝国が消滅したのちは本拠地であるラエティアとローマとの取引の結果手に入れたシュヴァーベンに居住し続けていた。その中で王家たるアーノルト家は涅槃的な思想に変化しており、世俗権力を持ち続けるのを嫌い、次第に絶対君主制から立憲君主制へと移り変わった。しかし、アーノルト家はそれでも満足せず、研究に打ち込むためにアーノルト家以外で特にラエティアで力を持つ家であるツォレルン家に実権を譲渡し、最終的には王位すら捨てた。