第一章10『鬼なる水』
どこまでも続く、木々や岩が荒々しく用意された坂を二人は長いこと転がり落ちていく。 猛々しい岩に背中を打ちつけ、連なる木々の皮で勢いよく肌を切りつけ、それでもベルカだけは守ろうとヒロトは転がりながらグッと胸に抱きしめていた。
痛みとその苦しみで息がこぼれるのと同時に、さっきのモンスターが上から追いかけてきていないかを微かに気にする。
ずっと、ずっと転がり続ける度にベルカを抱きしめる体の回転が増し、時には宙に浮いてそのまま斜面に背中を打たれることも多々ある。
やがて斜面が緩やかになるにつれて速度が落ち、身体の回転は止まってそのまま坂を滑る形へと変わった。
そしてそれはすぐに終わり、ようやく二人は平らな地面へと倒れることが出来た。
「…………くっ…!」
服は破れ、そこから見える肌は擦り傷によって血にまみれている。 傷口には砂利や木屑が入り込んで、普通に怪我をした時よりも明らかに痛く、それは長く続く。
しかし今はそんなことよりベルカの心配だ。 抱きしめてなんとか守っていたとはいえ、怪我をしていないとは思えないと考え、ヒロトは自身の胸の中にいるベルカをそっと離し、声をかける。
「ベルカ………大丈夫……?」
「う、うん………ありがとう、怪我もないよ」
「本当? よかった…………」
低い声で自分を案じるヒロトに対し、ベルカはゆっくりと頭を上げてどこにも怪我はないと無事を伝えて、それを聞いたヒロトは胸をなで下ろして安堵する。
(あのモンスターも追ってきてないみたいだし、なんとか助かったってことか………)
転がり落ちてきた斜面を見てみるが、特に何か滑る音が聞こえたり、その姿が見たりということがないため、ヒロトはそう結論づける。
そうした方が精神的にもいいはずだ。
「…………離れた場所で休憩しようか?」
「うん、そうしよ…………うわぁ!?」
そう言うとヒロトはベルカをお姫様抱っこでその場から離れる。
甲高く、恥ずかしそうな声を聞きながら。
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紅森の奥へ進んでいったのだろうか、それとも泉から遠のいているのか、さっきいた場所がそもそもわからなかった以上ギルドから貰ったマップを見たってそれを知ることは出来ない。
現在地はわからない、モンスターには襲われた、逃げる際には傷を負った、この時点で普通のハンターは依頼を放棄して街へと帰っていくのだが、ヒロト達はそれを選ぼうとはしない。 帰りようが無いのはそうではあるが、やはり今の二人にはこの依頼の報奨金が必要なのだ。
転げ落ちていった場所からある程度の距離を歩き、ヒロト達が今いるのは森の少し開けた場所で、ちょっと遠くは崖になっている。
景色がいいということでその近くでヒロト達は昼食をとることにした。
「木の実かぁ、なんだかなぁ………」
「果物と同じようなものだよ?食べたことないの?」
ここまで来る途中に採取していた木の実をポーチから取り出し、ヒロトは渋々それを食べようとする。
それを見てベルカはよく分からないような反応を示し、木の実の何が悪いかを聞いた。
「たっ、食べたことないよ!? 果物とは違うでしょ?」
「へ? 同じじゃないの?」
「結構違うと思うよ………まぁ、これしか食べるものもないしちゃんと食べるよ」
渋々手に持ったそのまるまるとした赤い木の実を口に入れ、咀嚼すると地球によくあるナッツのような香りをヒロトは感じた。
案外いけるものだな、と思いながらそれなりの大きさをもつ木の実をすぐに平らげ、満足げに崖から見える壮大な景色を眺める。
(綺麗だなぁ………)
そこから見えるのは紅森に入る前に見た紅や黄色の鮮やかな色より一層美しい森林だった。
もっと遠くには山頂が白くなっている山が連なり、そのまた遠くの右方向には高い大地から滝が流れている。 きっとあの滝までに川が流れていて、自分たちはそこを落ちていったのだろうと考える。
「そうだっ!」
あの滝を確認出来ているのなら、マップで滝とその距離を測って今自分たちがいる場所を特定出るのではとヒロトは考え、急いでマップを開く。
「えぇ……っと、滝がここだから……その左に……この辺かなぁ?」
ギルドから渡された『紅森』のマップに記されている滝を確認し、その滝の向きからある程度自分たちが今どこにいるかを絞ることが出来た。
「一応こっちも見ておこう………」
『紅森』のマップは二つある、それはひとえに高低差のあるエリアだからだ。
一つは「一層」、もう一つは「二層」のマップになっていて、一層マップは現在ヒロトがいる場を描いたマップで、その大きさはまちまちといったところ。 二層マップはその下に位置するエリアで、一層に位置する滝から流れて出来ている大きな湖や洞窟などが描かれていた。
現在地を確認し終え、また景色を眺めることに戻ろうとすると、ヒロトは何やらその景色にとある違和感を覚えた。
「あの………なんだろう?」
眺めていた景色の中、マップでいう二層にあたる滝壺から流れる川の先に淡い赤の光を感じる場所が見えた。
ヒロトは怪しげにそれを見続けると、その光の発信源がゆっくりと姿を現していく。
「あれは……泉?」
二層マップに目をやり、一層の滝と自分の現在地からその光を放つ泉の正確な位置を割り出すと、確かにマップには泉のようなものが描かれている。
(もしかして───あれが『鬼泉』なのかな?)
朝にギルドのカウンターにいた、いつもとは違う受付嬢から聞いた話では『鬼神水』を得た生物は鬼神の如く圧倒的な力を手に入れるとのことだ。
そんな特別な水が取れる泉なら赤い光を放っていても変ではない、と考える。
(鬼といえば赤だし……ありえるよね!?)
下手な決めつけだが動かないよりはずっといいと考え、その泉に向かうことを決めてベルカに伝える。
「ベルカ、ちょっといい?」
「どうしたの?」
「あのさ、このマップのここを見てほしいんだ」
「んーと、池?」
「そうじゃないよ!きっとこれは泉なんだ!『鬼泉』かもしれないんだよ!!」
「うぇっ!? ほんと!?」
鬼泉と聞いた瞬間ベルカは身を乗り出してヒロトに顔を近づけて叫んだ。
その顔は喜びと早く行って依頼を終わらせたいという焦りが混じっており、少しだけ驚きながらも『鬼泉』への出発を促した。
「う、うん! もうご飯も食べたでしょ? 早く行こうよ!」
「そうしようっ!」
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「いたたっ!」
「そりゃそうだよ、ベルカを抱えて崖を滑るんだもん」
あの後にヒロトとベルカは何度もマップを見たがどうにも二層への行き方がわからず、目に見える範囲にあったそれなりに緩やかな斜面をヒロトはベルカを抱えて座りながら滑っていったのだ。
「でも、二層には来れたし大丈夫、大丈夫」
「二層」、下から見上げる景色は一層で見ることが出来た景色よりも幻想的に感じる。 それは崖に囲まれた閉鎖感と巨大な滝、紅森の彩る紅葉が織り成すものだ。
「やっぱりすごい滝だね……」
「この滝の先だよ、そこまで歩かないみたい」
「早く行って終わらそうよ!」
二人は滝壺から続いている長い川を今度はモンスターと出くわさないようにと願って泉へと進んでいく。
十数分にわたり滝壺から流れる川に沿って歩いた二人はそれなりに疲れを感じていた。
しかし目的地の泉は目の前であり、なんとか固くなった足を上げて歩いて行く。
「もう着く? なんだか木と木の密集具合が半端じゃないよ……」
「鬼泉は気に囲まれてるみたいだよ。 だから凄く近いかも」
進んでいく中央に集まってくる木々が進む道を狭くしていき、遂には横歩きをしないと進めない場所までやってきた。
「んっ、しょ………狭いなぁ、っと!」
「枝の一本一本が太すぎるよこれ……」
入り組んだ太い木の枝、折ることができるものはできるだけ折っていく。
そうして、狭く入り組んだ道をもがきながら進んでいくと一層で眺めた赤い光が視界に入ってきた。
「ベルカ! もう少しだよ!」
「ほんとぉ?」
「もうそろそろっ……! この枝でさいっ、ごっ!」
進むにつれて枝で組まれた壁から漏れる光の強さは増してきて、最後の一本を折ると遂に二人はその赤い光を全身に浴びることができるようになった。
しかし、ベルカの前を歩いていたヒロトはせっかく通れるようになったというのに、突如として歩みを止めた。
「ヒ、ヒロト? どうしたの?」
おずおずとそう聞くベルカにヒロトが反応することはその一瞬だけ無かった。
数秒後、思い出したかのように後ろを向いて、ヒロトはベルカに伝えた。
「ベルカっ……! モンスターがっ………!」
「!?」
揺れる表情から発されるのは小さく、震えた声だった。
その声でヒロトが伝えたのは、肉食モンスターが『鬼泉』で水を飲んでいるということだ。 それもずっと、ずっと大きなモンスター。
その見た目はあの時襲ってきたものと似ているが、それとは比べ物にもならないほどに大きく、頭から尻尾にかけては白い体毛が生えていて、何よりも目を引かれるのはその「角」だ。
「伏せて、ベルカ!」
静かに、しかし注意深くそう指示する。 二人ともその位置にしゃがみこみ、アレが去るのを息を殺してひたすら待った。
(なんだろう? モンスターからも赤い光が……?)
ヒロトは余裕もないのに隠れながら観察していると、どうやらそのモンスターの体、主に口周りから光が微量だが溢れているのを発見した。
満足したのかモンスターは水を飲むのをやめ、ドスドスと鈍い足音を立てながら大きな獣道を抜けて泉から去っていった。
「あっ、行った……」
「ほんと? 大丈夫なの?」
「もう大丈夫、早く水を汲んで帰ろう!」
そそくさと赤く光る泉へ近づき、支給品の筒でその水を汲んでそれをポーチへしまった。
目的の達成に二人は大きな声は出さずとも、向かい合って互いに笑顔を見せるほどには喜んでいる。
さっさと街へ帰ろうかという時、モンスターが去っていった方向からグググッと音がするのに気づいた。
「うわっ!」
恐る恐る振り向くヒロトの目に映ったのは、なんと折れた枝が異常な速さで回復していってる光景だった。
伸びる枝はグルグルと他の枝と絡み合い、さっきまであった獣道の半分は既に埋まっている。
「これ、さっきベルカ達が折った枝も復活するってこと?」
「みたいだね……早くここから出た方がいいね」
そう言って二人は赤い光を背にして元の道を渡り、そのまま『鬼泉』を後にして、またそれなりに長い道を数十分歩き、滝壺の周辺へと戻った。
「ねぇ、ヒロト?」
「どうしたの?」
轟音が鳴り響く滝の辺りでベルカはヒロトに聞いた。
「どうやって帰るの?」
「どうやって帰るんだろうね」
目的を達成し、2500cが確実なものとなった今だが、二人にはそれよりも重要な問題があった。
そう、帰り道だ。
「帰り方分かんないの!?」
「ごっ、ごめんっっっ!!!!」
一層に囲まれる形で出来上がった二層はつまり谷なのだが、いかんせん崖に囲まれているだけあって帰る方法が見つからない。
マップを見ても崖と崖の間に道があるなんてことはないし、一層から眺めた時だって殆ど穴のように見えたのだから。
「ヤバいよ! ヤバいよ! どうしよう!?」
「ちょっと待ってぇ!? んーと、んーと……! 」
二層のマップを凝視してどこか帰る方法がないかと考える。
まともに考えればこんなマップをギルドが作っている時点で帰れないわけがないのだが、あまりの焦りで二人はそれを理解していない。
「んっ!?」
するとヒロト南西の崖になにか妙な絵が描かれているのに気づき、それに顔を近づけてじーっと見つめた。
「ベルカ、これなんだかわかる?」
「ん!? ん!?」
鼻息を荒くしながらベルカはヒロトが指さす絵を見つめる。
数秒の間ベルカは絵と睨めっこを続け、そしてゆっくりと口を開いてこう言った。
「これ………リフトじゃない?」
「───だね」
その数分後、二人は死んだ顔でリフトに乗って一層へと上がり、そのままメルタリアへと帰っていった。




