実家の傲慢長男、誕生日を言い当てられただけで魔力を全喪失する
宵闇の森で古代黒竜クロと出会った日の夕暮れ。
俺はクロの背中に乗り、実家であるランカスター男爵邸の上空へと向かっていた。
「主よ、本当に館を消滅させなくてよろしいのですか? 我の炎ならば、敷地ごと美しいクレーターに変えることができますが」
「だから破壊はダメだって。俺はただ、ジュリアス兄さんの顔を一度見に行きたいだけなんだから」
クロの広大な背中の上で、俺は苦笑した。
クロに【幻惑の古代結界】と【気配遮断】の魔術を展開してもらい、男爵邸の上空500メートルで静かにホバリングする。下界の人間たちからは、俺たちの姿はただの夕焼け空にしか見えない。
中庭を見下ろすと、ちょうどジュリアスがワイングラスを片手に、取り巻きの衛兵たちと談笑しているところだった。
「――はっはっは! あの魔力ゼロの穀潰しめ、今頃は森の魔獣の糞になっているだろうよ! これで我が家の名誉も守られたというものだ!」
下品な高笑いが風に乗って聞こえてくる。
俺は目を細め、ジュリアスの顔をじっと見つめた。
リックとしての記憶を探っても、兄さんは何かのトラウマがあるのか、家族の前ですら自分の誕生日を話題にせず頑なに隠していたため、正確な生年月日までは知らなかった。
だが、進化した今の俺の目で見れば――。
カチリ。
脳内の名簿が開き、視覚情報から生体データが一瞬で解析される。
「……なるほどな。結構近いじゃん」
俺は思わず口角を上げた。
「主よ、何か見えましたか?」
「うん。最高のタイミングが分かったよ。ジュリアス兄さんへのお祝いは、今するよりも、もっと相応しい日にした方が絶対に喜ばれる」
「なんと……! 敵の苦痛を最大化する計略でございますね!? さすがは我が主、底知れぬ深謀遠慮にございます!」
「いや、ただ誕生日当日に祝ってあげたいだけなんだけどな」
自分を虐待して追放した憎き相手ですら、誕生日を認知してしまった以上は全力で祝わずにはいられない。前世の両親に刷り込まれたこの呪いのような使命感だけは、異世界に転生しようが絶対に変わらないらしい。
俺たちは男爵邸を一度離れ、宵闇の森の奥地へと戻った。
それから、約1週間。
俺とクロの森でのキャンプ生活は、思いのほか快適で楽しいものだった。
前世の知識を活かしてスパイスを調合し、クロが狩ってきた巨大イノシシの肉をドラム缶サイズの即席ローストポークにして振る舞うと、クロは「美味でございまするぅぅ!」と大号泣して森を揺るがした。
日中はクロの背中でポカポカと日向ぼっこをし、夜はクロの翼に包まれて満天の星空を眺める。
家族から穀潰しと虐待され続けた15年間の記憶が嘘のように、穏やかで満ち足りた日々だった。
そして――。
世界が新たな年を迎える、運命の朝がやってきた。
神聖歴6091年1月1日。
「クロ、準備はいいかい?」
「御意にございます、我が主! 本日のために磨き上げた我が漆黒の鱗、存分にお見せいたしましょう!」
クロが誇らしげに胸を張り、四枚の巨大な翼を広げた。
「よし、行こう。ジュリアス兄さんの22歳の誕生日パーティーだ!」
ゴオオオオッ!
クロの力強い羽ばたきが大気を裂き、俺たちは快晴の空へと舞い上がった。
男爵邸の中庭では、まさに盛大な新年の祝賀会が開かれているところだった。
追放から約1週間が経ち、リックの死を完全に確信したジュリアスが、近隣の貴族や商人たちを招いて「新年の幕開けとランカスター領発展の祝勝会」と称した大宴会を催していたのだ。
「皆様! 新年あけましておめでとうございます! 我がランカスター家は、恥ずべき無能を排除し、今まさに輝かしい新たな一年を迎えました! さあ、美酒を酌み交わそうではありませんか!」
ジュリアスが得意満面にワイングラスを掲げ、貴族たちが「ジュリアス様、あけましておめでとうございます!」「次期男爵様に栄光あれ!」と歓声を上げた。
その瞬間だった。
ズズズズズ……!
突如として中庭の空が漆黒の闇に覆われ、太陽の光が完全に遮られた。
「な、なんだ……!? 雲一つない快晴だったはずだぞ!?」
「ひ、光が消えた……!? 日食か……!?」
貴族たちがざわめき、恐怖に顔を歪めて空を見上げた。
そこにいたのは、上空を覆い尽くすほどの巨躯を誇る、伝説の災厄【終焉の黒竜バハムート】。
そして、その黒竜の頭頂部に悠然と立ち、満面の笑顔で手を振っている金髪の少年の姿だった。
「おーい、ジュリアス兄さん! 新年あけましておめでとう!」
俺のよく通る声が、静まり返った中庭に響き渡った。
「ぎ……ぎゃああああああああっ!?」
「り、竜だああああっ! 神話の黒竜が人を乗せて飛んでるぞおおおおっ!!」
中庭は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
貴族たちは腰を抜かしてテーブルクロスごと高級料理をひっくり返し、敷地内の衛兵たちは槍を取り落として這いつくばる。
その大パニックの中心で、ジュリアスだけが信じられないものを見るように目を見開き、ガタガタと全身を激しく震わせていた。
「な……な……リック……!? なぜ貴様が生きている……!? なぜそんな化け物の上に……!?」
バサァッ!
クロが中庭の中央に音もなく着地した。その風圧だけで、豪勢に飾り付けられていた新年の祝宴の天幕が一瞬で吹き飛ぶ。
俺はクロの首筋をすべるように飛び降り、泥一つついていない地面に軽やかに着地した。
「森から戻ったよ、ジュリアス兄さん。追放されてからちょうど7日ぶりだね」
「ひっ……!」
ジュリアスは恐怖のあまり後ずさり、尻もちをついた。
だが、そこは傲慢さだけで生きてきた男だ。大勢の部下や取り巻きの前で恥をかかされた屈辱と極限の恐怖が混ざり合い、錯乱した逆ギレの形相へと歪んだ。
「き、貴様ッ! どこでそんな幻影魔法を拾ってきたか知らんが……調子に乗るなよ穀潰しがぁっ! 我がランカスター家に伝わる至高の星辰魔法、受けてみよっ!」
ジュリアスが立ち上がり、懐から豪奢な宝玉がついた魔法の杖を構えた。
周囲の大気から魔力が急速に吸い上げられ、ジュリアスの頭上に巨大な火球が形成されていく。第三階梯の攻撃魔法【轟炎の巨弾】。並の魔導士なら詠唱に30秒はかかる大技だ。
「死ねえええっ! 今度こそ跡形もなく灰になれぇぇぇっ!」
ジュリアスが杖を振り下ろそうとした、その時だった。
カチリ。
脳内に浮かび上がる、完璧な生体データ。
【個体識別:ジュリアス・ランカスター】
【星辰生誕日:神聖歴6069年1月1日・午前0時1分】
【現在時刻:神聖歴6091年1月1日・午後1時15分】
俺は大きく息を吸い込み、両手を胸の前で構えた。
「お前、今日誕生日じゃん!!」
澄み渡るような声が、静まり返った中庭に響き渡った。
ジュリアスの杖の動きがピタリと止まった。頭上の巨大な火球が、空中でブスブスと不完全燃焼の煙を上げ始める。
「は……? な……何を言って……」
俺は嬉しさのあまり、両手を打ち鳴らしてパチパチと拍手した。
「すごいよジュリアス兄さん! 1月1日の元旦生まれだったんだね! 毎年毎年、周りのみんなは新年の挨拶ばかりで、兄さんの誕生日は『あ、そういえば誕生日もおめでとう』って適当についで扱いされてただろ! ずっと寂しかったんだね!」
満面の笑顔で、純度100%の祝福と理解の言葉を叫んだ。
「でも安心して! 今日は新年のついでじゃない! 兄さん単独のための、22歳の誕生日パーティーだよ! 22歳の誕生日、本当におめでとう!!」
パチパチパチパチ!
俺の温かい拍手の音が、静まり返った中庭に高らかに鳴り響いた。
その瞬間――ジュリアスの表情が激変した。
「な……ななな……生まれて初めて単独で祝われたぁぁぁっ……!? ていうか今祝うんじゃねえええええっ!!」
ジュリアスは顔を真っ赤に沸騰させ、羞恥とパニックで完全に逆上した絶叫を上げた。
元旦生まれのせいで、幼少期から祝われるのは常に「新年のお祝い」ばかり。自分の誕生日など誰からも真剣に祝ってもらえなかったジュリアスにとって、1月1日は最大のコンプレックスにして触れられたくない歪んだ日だった。それを、死んだと思っていた無能の弟に、大勢の前で全力で暴かれ、しかも単独で熱烈に祝われたのだ。
そして――この世界の【星辰魔法】において、生誕の瞬間とは魂が星辰と結びついた唯一無二の根源刻印。
真の生誕日を看破されて全力の祝福を受けた瞬間、魂の防壁は強制解除される。
その時、クロのように心から祝福を受け入れて感動すれば【絶対服従】の絆を結ぶが――ジュリアスのように激しい羞恥と逆上で【拒絶・パニック】を起こした場合、解放された魂の回路と本人の拒絶心が致命的な不協和音を引き起こすのだ。
ドゴオオオオオン!!
ジュリアスの胸元から、制御を失った魔力が七色の光となって爆発的に噴き出した。
「ぎゃああああああああっ!?」
魂の魔力回路が完全ショートを起こしたのだ。
ジュリアスが体内に蓄えていた魔力が、行き場を失って大気中へと猛烈な勢いで霧散していく。頭上にあった巨大な火球はシャボン玉のように弾け散り、持っていた魔法の杖の宝玉はパキパキと音を立てて粉々に砕け散った。
「わ、我が魔力が……! 魂の回路が、全部焼き切れていくぅぅぅっ!?」
ジュリアスは胸を押さえて地面をのたうち回った。
生まれ持った魔力をすべて失い、魂の星辰回路が完全に初期化されたのだ。魔導士としての命は、この瞬間完全に終わりを告げた。
「ひぃ……ひぃ……っ!」
ジュリアスは白目を剥き、泡を吹いてピクピクと痙攣し始めた。
中庭にいた貴族や使用人たちは、恐怖のあまり声すら出せない。
(あ、あの男……詠唱すらしていないぞ……!?)
(ただ拍手して誕生日を祝っただけで……ランカスター家随一の天才魔導士の魔力を全損させた……!?)
(言霊ひとつで魂を破壊する、生きた神話の魔王だ……っ!!)
周囲の視線が、もはや人間を見るものではなくなっていた。
俺は純粋に心配になって、倒れ伏すジュリアスのもとに駆け寄った。
「ジュリアス兄さん! 大丈夫!? 初めて単独で祝われて、テンション上がりすぎて知恵熱でも出ちゃった!?」
「ひ、悪魔……! 来るな、あくま……っ!!」
ジュリアスは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、這いつくばって蜘蛛のように逃げ惑った。
「主よ、見事な制裁にございます」
背後からクロが感嘆の息を漏らしながら近づいてきた。
「敵の魂の隙を看破し、真実の言霊をもってその傲慢な魔力を一瞬で消滅せしめるとは……! 我が主の御力、まさに神域の極みにございます!」
「いや、ただ誕生日を祝っただけなんだけどな……」
俺はため息をついた。
前世でもそうだったが、人はなぜ、誕生日を祝われるとこれほどまでに暴走してしまうのか。やはり俺の祝意には何か人を興奮させる成分でも含まれているのだろうか。
「まあいいや。ジュリアス兄さん、魔力ゼロになった兄さんじゃ男爵家の跡継ぎは無理だろうから、領地は適当に有能な代官にでも任せてね。俺はクロと一緒に旅に出るから」
「ひぃぃっ……! は、はいぃぃっ……!!」
ジュリアスは土下座の姿勢のまま、激しく首を縦に振った。もはや逆らう気力など微塵も残っていない。
俺は再びクロの広大な背中によじ登った。
「行こうか、クロ。まずは冒険者ギルドがある大きな街を目指そう」
「御意にございます、我が主! 世界の果てまで、このバハムートがお供いたしまする!」
バサァッ!
クロが大きく翼を羽ばたかせると、男爵邸の中庭を猛烈な突風が吹き抜け、巨大な黒竜の影は一瞬で空の彼方へと飛び去っていった。
中庭に残されたのは、泡を吹いて倒れる元・天才魔導士と、空を仰いで震え続ける貴族たちだけだった。
遥か上空。
風を浴びながら、俺の視界には遥か地平線に広がる大都市と、そこを行き交う無数の人々の「生年月日」がキラキラと星のように輝いていた。
「さて、次の街にはどんな誕生日が待ってるかな」
俺の善意と祝福の旅は、まだ始まったばかりだ。
次回更新は明日【19:00】予定です!
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