鏡の前で見付けた『MERCURYDUO』(2026年4月12日投稿)
四月十二日、私は本屋さんで友達を探していた。
「朱憂ちゃん」
反射で肩がびくっと動いた。
だけど、振り向くより先に、それが誰の声なのか分かってしまう。
「ごめん。そんなに驚かなくても」
「……優樹さん。ごめんなさい。驚いちゃって」
数カ月振りに会った優樹さんはあの頃と変わっていなかった。
困っている私を見過ごさない様にしてくれる目。
「何してるの?」
「いえ、友達を探してて」
「朱憂ちゃん、友達居るんだ」
やっぱり変わっていない。
私は嬉しくて笑う。
「友達居なそうです?」
「僕、友達居ねーから」
「……私達、友達じゃないんですか……?」
「僕が休みの日、遊んでくれる?」
「優樹さんと?」
私の心臓が五月蝿い。
「うん。友達なら、遊ぶじゃん」
ここで黙ったら、多分ずっとそのままだ。
「……私、遊びたいです。優樹さんと」
「やったぜ!じゃあ、今度ワンダリア行かない?」
ワンダリアは最近、横浜の関内に出来た没入型体験施設だ。
次の小説の舞台にしようと目を付けていたけれど、一人で行くことが出来ずに迷っていた。
「ワンダリア……ですか?デートみたい」
「そりゃ、デートやろ」
「デートなんですか?」
「二人で遊ぶんだから。デート、嫌?」
「嫌じゃない。行きたい」
首を振って、真っ直ぐに優樹さんを見る。
「優樹さんと、デート。したい」
優樹さんが少しだけ笑う。
その笑い方に、私だけが照れている訳じゃないのかも知れないと思ってしまう。
私達はLINEを交換した。
「楽しみにしてるよ」
「はい。じゃあ……」
「うん。気を付けて」
「……何に?」
「ナンパ」
「ナンパ?」
「うん、朱憂ちゃん可愛いから」
「……本気で言ってます?」
「僕、嘘吐かないよ。朱憂ちゃんに嘘吐いたことあった?」
「ありませんけど……」
「じゃあ……朱憂ちゃんと初めて話した時、どっちから話し掛けたか覚えてる?」
「はい。覚えてます。『すみません』って、その後、『大丈夫?』って──優樹さんからでした」
「……?『この前の雨、君濡れてたじゃん』だよ?」
「えーと……」
きっと、優樹さんは忘れてる。
電車の中で、私を助けてくれたことを。
困っている人に自然に手を差し出す人だ。
覚えていなくても仕方ない。
でも、少し……寂しい。
「僕から声を掛けたのは、朱憂ちゃんが可愛いからだよ」
「……揶揄ってます?」
「いや、口説いてるだけ」
「私、本気にしますよ?」
「?……構わないけど?」
「はぁ……。ワンダリアの約束、忘れないでくださいね」
「朱憂ちゃんとの約束、僕の中ではそんなに軽くないよ」
その時だった。
近くにいた店員さんが、優樹さんに声を掛ける。
「お客様、先日ご注文いただいた本の件なんですが……」
優樹さんがそちらを見る。
「……?はい」
「大変申し訳ありません。手違いで、別の店舗に送られてしまっていて……こちらの到着が少し遅れるそうです」
一瞬だけ、優樹さんの表情が止まった。
直ぐに笑ったけれど、それが少し遅かったから分かってしまう。
「……そっか。分かりました」
「申し訳ありません」
「いえ。大丈夫です」
店員さんが離れてからも、優樹さんはいつもの顔をしていた。
でも、その『いつも通り』が少しだけ綺麗過ぎて、苦しいのが逆に見えてしまった。
「優樹さん」
目が合う。
「……大丈夫ですか?」
「何が?」
「苦しいかな、って」
「朱憂ちゃんには、言いたくない」
「……そうですか。じゃあ──」
ここしか無い。
私に出来ること。
優樹さんのために私が出来ること。
「ワンダリア、来週行きましょう」
「来週?予定が──」
「駄目です。私とデート、したくないんですか?」
「……そりゃしたいけど」
「じゃあ、来週です。来週しか私は空いてません」
「中々、強引だね」
「私……優樹さんのこと信じてるので」
「どういう意味?」
人差し指を唇に当てる。
「『優しさは、同じレベル同士じゃないと気付けない』」
いつか言われた優樹さんの台詞を返して、私は笑った。
来週。
そう決まった途端、その一週間が急に現実味を持った。
私は困った。
デートに着て行く服が──無い。
臨海ターミナル駅のルミナスへ向かう。
SNIDEL、LAGUNAMOON、dazzlin。
何店舗も見て回ったけれど、どれも少しずつ違った。
可愛いね、とは言ってもらいたい。
でも、背伸びしているのが露骨なのは嫌だった。
優樹さんは年上だ。
出来れば、年上の男性の隣に居ても、服だけが先に大人振って見えないものが良かった。
頑張っている感じではなく、最初からこういう服を選んで来ました、という顔で着られるモノ。
迷いながら歩いていると、通路に面したところへ大きな四角い柱が通ったショップが目に入った。
そんな位置に柱があったら、通りがかる人から服が見えにくいんじゃないかと、少しだけ気になった。
『MERCURYDUO』
その名前を見た瞬間、思った。
──可愛いと綺麗。
──子供と大人。
そういう、どちらか一つに決め切れない魅力を重ねて良いのだと、服の方から言ってくれているみたいだった。
私は店内に入った。
瞬間、ここだと思った。
「いらっしゃいませ」
声のした方を見る。
店員さんが着ていたのは、黒に近い深いネイビーのトップスだった。
ジャケットみたいにきちんとしているのに、半袖の袖先だけがふわりと丸く膨らんでいて、堅さを少しだけ甘く解いている。
そこに合わせた白いロングスカートは、一枚で終わっていなかった。
表面に薄いチュールが幾重にも重なっていて、光を受ける度、白い息みたいに脚の周りで揺れる。
ネイビーが上半身の輪郭を引き締め、その下で白が柔らかく解けていく。
綺麗なのに冷たくない。
上品なのに、近寄り難くはない。
「……その服、素敵です」
「ありがとうございます。試着されますか?」
「いえ、私には似合わないし……」
店員さんは優しく笑った。
「きっと似合うと思いますよ」
私は曖昧に笑って、視線を逃がす。
──その先で、一着のワンピースに目が留まった。
黒いワンピース。
真っ黒ではなく、夏の夕方をそのまま染めたみたいな黒だった。
生地の上には、細い線で描いた小花が散っている。
白だけじゃなく、淡いベージュや乾いたオレンジみたいな色も混じっていて、柄なのに五月蝿くない。
花を見せたい服ではなく、黒の静けさの上にそっと季節を置いただけの服に見えた。
「これ……これを試着させてください」
「はい。こちらへどうぞ」
フィッティングルームに入って、カーテンを閉める。
着ている服を落とす。
鏡の前でワンピースに袖を通すと、さっき店員さんを見た時みたいな鮮やかな高揚はなかった。
その代わり、安心があった。
可愛い、というより落ち着く。
華やか、というより、自分の体温に馴染む。
それでも普段の私より、少しだけ大人っぽい。
鏡の中には二人の私──『MERCURYDUO』が居た。
今日までの私と、来週、優樹さんの隣を歩く私。
未だ同じ顔をしているのに、もう少しだけ違って見える。
優樹さんは気付いてくれるだろうか?
『今日は、いつもより大人っぽいね』
そう言ってくれたら。
私は笑って、『今日だけじゃないです』と返すんだ。
そして、もし、この服が少しだけ勇気をくれたなら──
その先まで、ちゃんと言えたら良い。
「ずっと前から、あなたが思うほど子供じゃなかった」
フィッティングルームの鏡の向こうで、少しだけ大人びた私が呟いた。




